衆議院選挙が終わり、自民大勝、民主惨敗、維新とみんなの党が躍進した。停滞する世の中で、国民の多くが景気回復を挙げ、安倍さんが口先で円安、株価アップに繋げたことが結構アドバンテージではあったが、どうのこうの言っても政権にあった民主の失政である。
空手家もたまには政治を論じてもよいだろう。
下野した期間に変わったとも思えない自民の政権ができるが、選ばれた限りはよく考えてしっかりやってもらいたい。小泉改革以降、政治は常に内向きになってしまったし、マニュフェストで懲りた民主を始め、各政党は昔ながらの後で色々言われないような漠たる公約を述べた。しかもそれがすべて内向きであり、国民への飴がこれまた多い。甘言を弄して選ばれるのは世の常だ。いつも使われる言葉であるが、「この激動の世界情勢の中」我国は如何にして富栄え、また国際社会に貢献して行くのか的な、外への気概がどの候補者からも聞こえなかった。小選挙区になり政治家個人よりも党が強くなり、その管理の下では個人の気概も出ないんだろうね。我々皆小さい人間になってしまったのかね?
維新の会は賑やかであるが、それでも統治機構を改革すると言う内向きの施策がまずある。その手法で以て何を生んで行くのかの100年の大計が欲しいよね。
原発事故があった。私は原発を即時ゼロにする策を何とか考えるべきであると思う。そもそも国家は国民を守る為にある。約6万人(だそうだ)の原発避難民を出して、それでも原発を続けるのか。6万人の国民の日常を守れなかったことをどうするのか。
原発がないと停電が起きる?この1年9カ月、夏が2回過ぎ冬も2回過ぎようとしているが、停電は起きていない。無論節電の努力はある。大事なことは我慢したらできたことだ。原発で安い(?疑問だが)エネルギーを供給しないと日本の産業の国際競争力は無くなると言い、国内では生産に金がかかり物価高になるのだろう。そう言えば総括原価方式も御立派に値を上げている。が、今は物価高どころかデフレをどうしたものかと言っている。国際競争力と言うが、競争にさらされている屋台骨の日本の大企業はもはや堂々たる多国籍企業である。ずーっと前から国内の産業基盤を離れてしまっている。国内は何とか雇用と研究開発の側面で成立させたいとひたすら努力をしているんだが、企業の収益構造は実際、かなり前から海外が主力である。海外活動で競争力維持できない企業は、たとえ電気が安くなろうがそう長くはないと思う。日本独自の特産品で生きる企業は、多少生産に金がかかったとしてもその独自性や高品質を追求すれば生きる道はある。独自、高品質、だから多少高くたって1200兆円の国民資産は、買うものだ。
原子力を持つことは国防上必要だとの意見がある。当たり前だが唯一の被爆国の日本は核武装をしてはならない。広島で16万人が死に、長崎で14万人が死んだ。こんなことを2度と起こしてはならない。まっとうに核兵器廃絶の運動を使命として執念で続けなければならない。もし日本が核武装をしたならば、世界は唖然とするよね。そして日本までも核を持つんだから、きっと来るに違いない動乱の世に備えるべしと軍拡が始まる。こんな世界はいいわけないわなぁ。
高濃度放射線廃棄物は10万年の保管を要する。10万年の設備は人類史上今だない。放射性廃棄物処理の技術開発こそ我国ができればよいと思う。
この選挙戦、原発問題は3番目か4番目くらいの争点だった。景気、外交、消費税、TPPの中にあった。
もう一度言う。国家は国民を守る為にある。6万人を故郷から離して、原発を維持することで1億2千万人のエネルギー基盤と生活を守っていると言うのは全くの詭弁だ。それは政治が何もしないにも拘らず、1億2千万人が今まで通り勤勉に働いているからちゃんと居るだけのことだ。先に起きた具体的な体験に国家として、実際的かつ哲学的にもきちんと対処しないと政治ではない。
0増5減を成立させ、「身を切る改革」として定数削減を民主、自民、公明が早期にやることの約束を求めてから、野田総理は衆議院を解散した。マスコミは相変わらず踊ったが、これは増税を課してしまった男の矜持であると思う。大勝した自民は果たして真面目に取り組むのであろうか。これを真面目にやるのかどうかを政治への信頼の尺度としたい。大勝して自公で3分の2の議席を占めた今、現状維持としたいのが本心であろう。衆院の定数削減を完了すると、それじゃあ新しく定めた憲法違反でない定数と区割りでもう一度選挙すべきだの声がでる。そんなことは自公、やりたくはないよね。しかし信頼できる政治はそれをやるべきだと思う。それでこそ選良達である。
安倍政権にはやりたいことをきちんとやると腹をくくっていることを期待したい。飴ではなく大計を述べる中で、明日への希望の、形あるコトを成してもらいたい。時間はあるようでない。定数削減したら周知期間をおいた後にさっさと解散だ。失政で以て大勝なんて仮の姿である。自らを存続させる技ではなくて、善きことを成せる知力と行動を示して次の世代の見本となることを。彼らが志を持せるように。我々は我々を信じたい。
2012年12月3日月曜日
梅酸も酸味 敗戦もまた酸
梅酸も酸味
敗戦もまた酸
同じからずといえども似たり
心舌を超えて甘し
魏の曹操孟徳が大敗北の時に吟じた詩である。
こんな風に格好よく、超絶して詠めるのならよいが・・・
はぁー、大きな悔いの残る敗戦だった。俺は空手が下手である。試合では技も何もなく押し合いをやってしまった。何の為に技を練習してきたのか・・・はぁ。
本番に弱い。昔は強かったような気がするんだが、やれやれ。心の余裕がないもんだから闘いながら考えていない。本戦で引き分けたが、こっちが下がることが多かったなら、延長では戦法を変えんとイカン。
反省して次につなげなければ。
組手ではジグザグに動かねばならない。重い相手が前に出てくるのを止めようとしても止るものじゃない。いくらパンチを打ってもガタイのどっしりとした相手に拳サポータつけてのパンチはそうそう効かない。今回の敗因はもろに真正面から押し合ったこと。俺もガタイはあるんだがどうも前へ出る力を利用するのが下手でしょーがない。出てくる相手に間合いを取ろうとしていると下がることになった。パンチ力はあると思うんだがアドレナリン満載の相手を下がりつつの一撃で倒せるものではない。左斜め前方に出て右のミドルを思い切り蹴り込むとか、右に一歩進めて左ミドルを蹴るとか、ジグザグの動きの中で技を出せるようにならんとイカン。今回思い知った後で頭に植え付けるのは、ジグザグに動きながら攻撃するということ。動いてないと脱力した攻撃も出ない。踏みとどまったその場から力んだ技を出しても駄目だ。
前に出るということ。腰を引いてパンチやキックをやっても駄目。足を進め腰から前に出るように身体の使い方を直すこと。「重力利用の空手」にハタと手を打っていたんだが、それもすっかり忘れていた。重力利用は少なくとも重力を利用して前に出ることだ。
明日からは・・、斜めに出て膝蹴りとミドルをこれから集中的にやろう。間合いが詰まった時には前には出られないが斜めには出られるはずだ。特に近距離を制する膝蹴り。
また短い試合時間ではあるが、幾つかの技を繰り出してどの技が相手に効くかを観ながら闘いを組み立てられるようになることも大事だ。ただこれはもっともっと組手慣れしないと無理ではある。
圧倒的に強い人は多い。捲土重来を期すと言ったとしても俺のレベルだけの話。もっと強い世界に挑戦する気持ちを持って言っている訳ではない。マスターズと言う俺の出場クラスにおける話だけだ。はるかに強くて怖い世界を今日さんざぱら見てきた。あの猛者連中の中で、年をとっても強い空手があると言う宇城憲治氏の理論は・・・はたして信じられるのだろうか。達人の境地の氏の理論は理論として理解できるだけである。実践に繋げるには。
何度目かの、はぁ・・・。しかして53歳の俺はどこに行くんだろうねぇ。だがなぁ、この落とし前はつけねば。今日の試合は練習していたことを全て忘れた試合だった。これからも日々の稽古と思考を地道に続けることしかないんだが、しばらくは唯ガックリに浸る。
先日の試合に負け、多くを感じて多くを述べたが、その、多くのみの雑文悪文になった。上に書いたことは当たってはいるが、深くにあるであろう本質には届いていない。本質は冒頭に書いた曹操の詩であるかもしれない。
敗戦もまた酸
同じからずといえども似たり
心舌を超えて甘し
魏の曹操孟徳が大敗北の時に吟じた詩である。
こんな風に格好よく、超絶して詠めるのならよいが・・・
はぁー、大きな悔いの残る敗戦だった。俺は空手が下手である。試合では技も何もなく押し合いをやってしまった。何の為に技を練習してきたのか・・・はぁ。
本番に弱い。昔は強かったような気がするんだが、やれやれ。心の余裕がないもんだから闘いながら考えていない。本戦で引き分けたが、こっちが下がることが多かったなら、延長では戦法を変えんとイカン。
反省して次につなげなければ。
組手ではジグザグに動かねばならない。重い相手が前に出てくるのを止めようとしても止るものじゃない。いくらパンチを打ってもガタイのどっしりとした相手に拳サポータつけてのパンチはそうそう効かない。今回の敗因はもろに真正面から押し合ったこと。俺もガタイはあるんだがどうも前へ出る力を利用するのが下手でしょーがない。出てくる相手に間合いを取ろうとしていると下がることになった。パンチ力はあると思うんだがアドレナリン満載の相手を下がりつつの一撃で倒せるものではない。左斜め前方に出て右のミドルを思い切り蹴り込むとか、右に一歩進めて左ミドルを蹴るとか、ジグザグの動きの中で技を出せるようにならんとイカン。今回思い知った後で頭に植え付けるのは、ジグザグに動きながら攻撃するということ。動いてないと脱力した攻撃も出ない。踏みとどまったその場から力んだ技を出しても駄目だ。
前に出るということ。腰を引いてパンチやキックをやっても駄目。足を進め腰から前に出るように身体の使い方を直すこと。「重力利用の空手」にハタと手を打っていたんだが、それもすっかり忘れていた。重力利用は少なくとも重力を利用して前に出ることだ。
明日からは・・、斜めに出て膝蹴りとミドルをこれから集中的にやろう。間合いが詰まった時には前には出られないが斜めには出られるはずだ。特に近距離を制する膝蹴り。
また短い試合時間ではあるが、幾つかの技を繰り出してどの技が相手に効くかを観ながら闘いを組み立てられるようになることも大事だ。ただこれはもっともっと組手慣れしないと無理ではある。
圧倒的に強い人は多い。捲土重来を期すと言ったとしても俺のレベルだけの話。もっと強い世界に挑戦する気持ちを持って言っている訳ではない。マスターズと言う俺の出場クラスにおける話だけだ。はるかに強くて怖い世界を今日さんざぱら見てきた。あの猛者連中の中で、年をとっても強い空手があると言う宇城憲治氏の理論は・・・はたして信じられるのだろうか。達人の境地の氏の理論は理論として理解できるだけである。実践に繋げるには。
何度目かの、はぁ・・・。しかして53歳の俺はどこに行くんだろうねぇ。だがなぁ、この落とし前はつけねば。今日の試合は練習していたことを全て忘れた試合だった。これからも日々の稽古と思考を地道に続けることしかないんだが、しばらくは唯ガックリに浸る。
先日の試合に負け、多くを感じて多くを述べたが、その、多くのみの雑文悪文になった。上に書いたことは当たってはいるが、深くにあるであろう本質には届いていない。本質は冒頭に書いた曹操の詩であるかもしれない。
2012年11月8日木曜日
試合を控えた熟年空手家
試合が近い。53歳で出るなんて、おそらく最年長だろうがやるだけのことはやろう。
本日、仕事の合間を見つけてはやっていた。改めて持すべきとしたこと。
接近戦で使うかもしれない、いや、そうなれば使わなければいけない膝蹴りの感覚を何度も試したが、こっちの方はいまだにどうもしっくりこない。逆の手のパンチを打ち、腰を溜めた後なら膝蹴りをきっちりと出せるんだが、膝と同じ方の手、例えば右パンチを出して体の右側面を伸ばしてから、そのバネの効用で右ひざを出せない。出せるには出せるんだが、身体の側面の伸び縮みの結果として膝をビシッと飛ばせない。右パンチを打ち、伸びた脇を縮める力で右前蹴りや右回し蹴りは気持ちよく出来るので、膝もかくあるべしなんだが・・・、もう少し感覚を練磨しよう。
若い時と最も異なること、それは闘争心が無くなったこと。じゃあなんでわざわざ試合に出るのかなんだが、それを数年来何回となく考えている。修行の一環として自分の技を試し、闘う相手に敬意と感謝を払い・・・と言う風に言い聞かせてはいるんだけど。若い時は無条件に闘いの場に出、相手は怖いけれどやるかやられるか、勝つか負けるかの世界をストレートに感じていた。それでよしだった。相手を叩きのめしてチャンピオンを目指すんだ的に、闘争心なるものがあふれていた。年をとり闘いの場に臨むんだが、相手を傷つけたくはないと思う気持ちがある。そうならばそもそも闘えないんだけど、なんで闘うのかねぇ・・・。自分が怪我をするのはまあしょーがない、とするのは若い時と同じだ。
年だからこれから何回も試合に出る訳ではない。自分の技と力を目一杯、伸び伸びと出そう。今はかように言い聞かせているし、実行するつもりだ。
本日、仕事の合間を見つけてはやっていた。改めて持すべきとしたこと。
- パンチは肘を前に押し出す、イメージとしては前に飛ばす感じでやること。拳を出すのではない。肘を出すこと。
- キックは腰に乗せる感じで出す。これは前にも書いたこと。なるべく小さく折りたたんで腰に乗せて腰から放つこと。
接近戦で使うかもしれない、いや、そうなれば使わなければいけない膝蹴りの感覚を何度も試したが、こっちの方はいまだにどうもしっくりこない。逆の手のパンチを打ち、腰を溜めた後なら膝蹴りをきっちりと出せるんだが、膝と同じ方の手、例えば右パンチを出して体の右側面を伸ばしてから、そのバネの効用で右ひざを出せない。出せるには出せるんだが、身体の側面の伸び縮みの結果として膝をビシッと飛ばせない。右パンチを打ち、伸びた脇を縮める力で右前蹴りや右回し蹴りは気持ちよく出来るので、膝もかくあるべしなんだが・・・、もう少し感覚を練磨しよう。
若い時と最も異なること、それは闘争心が無くなったこと。じゃあなんでわざわざ試合に出るのかなんだが、それを数年来何回となく考えている。修行の一環として自分の技を試し、闘う相手に敬意と感謝を払い・・・と言う風に言い聞かせてはいるんだけど。若い時は無条件に闘いの場に出、相手は怖いけれどやるかやられるか、勝つか負けるかの世界をストレートに感じていた。それでよしだった。相手を叩きのめしてチャンピオンを目指すんだ的に、闘争心なるものがあふれていた。年をとり闘いの場に臨むんだが、相手を傷つけたくはないと思う気持ちがある。そうならばそもそも闘えないんだけど、なんで闘うのかねぇ・・・。自分が怪我をするのはまあしょーがない、とするのは若い時と同じだ。
年だからこれから何回も試合に出る訳ではない。自分の技と力を目一杯、伸び伸びと出そう。今はかように言い聞かせているし、実行するつもりだ。
2012年11月7日水曜日
受け返し、一部
相手がレギュラー構えの1.2パンチで来る場合、
相手が右下段回し蹴りで来る場合、
相手が右や左の中段前蹴りで来る場合、回し蹴りで来る場合、は明日にでも書こう。今日はここまで。嗚呼、また酔っぱらいつつタバコを吸っている。イカン、実にイカン。
- 1を右外受けで受けつつ重心を後ろにして、2の瞬間に左インローで相手の出足の左膝を内側から蹴る。これはやろうと決めていないとできない。自然の反応としてできたいもんだ。
- 1を右外受けで受けて左下段回し。これが最も簡単で一般的。身につけるべし。続けて右膝蹴りもやれば完璧。
- 1、2を受けて、できれば多少左に回り込むか、左手で相手の袖を掴み引き崩して右膝蹴り。膝蹴りをする場合、下がっていては威力が出ないので前に出る気持ちでないと効かない。
- 1,2と受けて溜めた腰で右中段回し。これは上と同じ受けのリズムだが、遠い間合いの場合。
相手が右下段回し蹴りで来る場合、
- 左で脛受けをして右下段回しを返す。これが最も一般的。その蹴り足を前につき、右下突き。さらに左上段回しができれば完璧。
- 左で脛受けをして、右膝蹴り。中段、上段あり。脛受けと同時に左手伸ばして首根っこ掴むのがよい。
- 脛受けか筋肉受けをしつつ、右中段の渾身のパンチを放つ。これは意外に難しい。カウンターを目論むので前に出る気持ちが最も大事。カウンターとして狙っている必要がある。
相手が右や左の中段前蹴りで来る場合、回し蹴りで来る場合、は明日にでも書こう。今日はここまで。嗚呼、また酔っぱらいつつタバコを吸っている。イカン、実にイカン。
2012年11月4日日曜日
少年達の脱帽の猛稽古。オイラはタバコを止めねば
試合が近いのに止めていたタバコを吸い始めて2週間が経つ。今日、サンドバッグを試してみたが、やはり途中でバテているように感じた。イカンよな、わかっちゃいるけどやめられないの世界じゃ。
せめて試合の三日前、いや四日前には止めよう・・・なんとか。
正規の道場稽古1時間半の後、前蹴上げ左右各50本、内回し、外回し、後ろ蹴上げ各50本を行う。さらにサンドバッグを、時間計っていなかったのでよく分からんが、2分1ラウンドに換算すると約5ラウンドくらいか、横で実力者の高校生達がスパーリングをやっていたので、それを見つつ合間を見てやっていた。
小学1年生頃からずーっとやっている少年達は見惚れる程技が上手いし強い。五体を完全にコントロールし、上段回し蹴りさえも気軽に連続技の中に、ヒョイと出る。オジサンは出そうと思うと一苦労で、ヨイショと身体をリードしてやっとこさ放てるんだが、大きな違いだよな。ヒョイと出せるように成るべく前蹴上げに凝って回数を重ねているのだ。いずれはオジサンも、と。
正規の稽古をやった少年達4人は、スパーリング1分間をおよそ20人掛け行い、さらにサンドバッグ2分を、パンチ5ラウンド、キック5ラウンド、フリー5ラウンドやるという。無尽蔵とも言えるほどのスタミナだ。少年達は苦行僧のように、しかし、どんどん伸びる明日の為に延々と続ける。パンチの5ラウンドの途中で俺は帰った。強くなるには資格がいる。それは稽古に稽古を重ねることだ。
今週は試合が近いのでそれ程ハードにはやらないが、腹筋背筋のいつものパターンに加え、スクワット100回を毎日やろう。下半身の安定と粘りの為には必要だ。技は接近戦を想定したコンビネーションに重きを置く。我が流派の試合は接近戦になることが多い。少年達の組手は接近戦でありながら左右上下、パンチ・キックが飛んでくる。それを見習うべし。昔書いた記述を読んでみて思い出したんだが、蹴りを腰に乗せる感じで蹴ること。小さく折りたたんで腰に乗せ腰からぶっ放す意識で蹴ろう。これから1週間は闘い方を考えなければいけない。
せめて試合の三日前、いや四日前には止めよう・・・なんとか。
正規の道場稽古1時間半の後、前蹴上げ左右各50本、内回し、外回し、後ろ蹴上げ各50本を行う。さらにサンドバッグを、時間計っていなかったのでよく分からんが、2分1ラウンドに換算すると約5ラウンドくらいか、横で実力者の高校生達がスパーリングをやっていたので、それを見つつ合間を見てやっていた。
小学1年生頃からずーっとやっている少年達は見惚れる程技が上手いし強い。五体を完全にコントロールし、上段回し蹴りさえも気軽に連続技の中に、ヒョイと出る。オジサンは出そうと思うと一苦労で、ヨイショと身体をリードしてやっとこさ放てるんだが、大きな違いだよな。ヒョイと出せるように成るべく前蹴上げに凝って回数を重ねているのだ。いずれはオジサンも、と。
正規の稽古をやった少年達4人は、スパーリング1分間をおよそ20人掛け行い、さらにサンドバッグ2分を、パンチ5ラウンド、キック5ラウンド、フリー5ラウンドやるという。無尽蔵とも言えるほどのスタミナだ。少年達は苦行僧のように、しかし、どんどん伸びる明日の為に延々と続ける。パンチの5ラウンドの途中で俺は帰った。強くなるには資格がいる。それは稽古に稽古を重ねることだ。
・・・・・
今週は試合が近いのでそれ程ハードにはやらないが、腹筋背筋のいつものパターンに加え、スクワット100回を毎日やろう。下半身の安定と粘りの為には必要だ。技は接近戦を想定したコンビネーションに重きを置く。我が流派の試合は接近戦になることが多い。少年達の組手は接近戦でありながら左右上下、パンチ・キックが飛んでくる。それを見習うべし。昔書いた記述を読んでみて思い出したんだが、蹴りを腰に乗せる感じで蹴ること。小さく折りたたんで腰に乗せ腰からぶっ放す意識で蹴ろう。これから1週間は闘い方を考えなければいけない。
2012年11月2日金曜日
1980年中頃にインドへ行った
昨日はルーチンの昼休みトレーニングと、帰りがけにダンベルを持って下突きをちょちょいとやっただけで終わり。今日は道場に行きハード稽古。少し先に試合を控えているのでミット中心の息上げトレーニングだった。53歳の身体には堪えている。帰ってきて一切食欲なしなので晩飯は食わず。とは言えビールは飲めるので、旨い旨いと350ml缶4本飲んで寝た。
今日の話題は、藤原新也氏。
氏の「東京漂流」を読んで衝撃を受け、それ以来熱烈ファンになった。「インド放浪」とか「メメント・モリ」だとか、発刊されるやいなや読んでいる。「CAT‐WALK」という氏のブログサイト(有料、1ヶ月1000円)もちょくちょく見る。ブログの記事を読むといつも、氏の思想は一貫しているということを深く感じる。一貫とはなんぞや?何を一貫しているのかは、実は俺の力では説明できない。読んで初めて「ああそうなんだ。その通り」と同意する自分がいるだけである。今時の言葉で言えば完全なフォロワーであり、師の教えを頂戴しているわけだ。氏の考えに触れて、静かに確かに同意、教えられて腹に落ちる。
その「CAT-WALK」には、氏の著作のほとんどが読める状態になっている。FlashPlayerで作成されているサイト故に、PCでは見られるがiPhoneではダメだなと思っていた所、ブログの本体は読めないが、著作展示サイトは見られることを発見した。そこからPDFで各著作を読める!これはメチャクチャ嬉しい。「全東洋街道」も「インド放浪」も全部読めるんだぜぃ!
無論、PCでは読めるんだがiPhoneでいつでもどこでも、寝る前にベッドの上で読書とかできる機動性がよい。元々文庫本とはそういうもんだ。iPADにもBookmarkしよう。庭で飲みながら読める。
これからもう一度読み直せる、ルンルンルン♪という気分だ。
1980年代中頃、氏の「インド放浪」を読み、激しく感動して俺もインドへ行ってしまった。が、既にサラリーマンだったから、若者としての放浪はできず、1週間の滞在中に腹を下さないようにホテルのレストランか街中のマトモな中華料理屋で飯を食いつつ、まあ観光しただけなんだが、インドはやはり強烈だった。
デリーの空港からホテルへ向かうバス中見たのが、道路の歩道にズラーと寝ている人々。インドとは言え年末の冬だから、内陸部のデリーは寒い。黒っぽい毛布かマントにくるまって本当にズラーっと列を成して皆さん寝ていた。ホテルに着くと、通路にある日本航空の部屋から怒号が聞こえた。タクシーに乗った所、変な所を色々連れまわされて高額の料金も請求されたようで、もう帰りたい、帰せと怒っている若者の、ある意味悲痛な叫びだった。嗚呼気の毒にと思うのと、そんなことならインドに来るな、とも思う意地悪な俺もいた。一人だったから恐かったんだよな、本当に。
インド人の、こう言っちゃマトモなインドの人は一言あるだろうが、無茶苦茶さはその後の滞在で味わった。なんて言うんだっけ忘れたがオート3輪の運転手に名所を案内してもらった所、観光地で待っていてもらう度にメーターの料金がおかしいほど跳ね上がるのである。戻ってきて跳ね上がった料金を見て文句を言っても、運転手殿は飄々としている。文句を言いつつも規則を守る日本人の俺は、結局支払う。インドに居るのにインド的ではないよね。同化する時間にはまったく足りない。
バラナシ(ガンジスの最高聖地)の川べりをブラブラしているとひっきりなしに民族衣装であるサリーの押売りがやってきた。正しい断り方の英語である「No,Thank You」と言っていてもキリがないので、いつしか「No!!」と厳しい顔をして答えるようになった。それが正しい。藤原新也氏も見た川辺の火葬。近づいて見ていたんだが、遺族の人だろうか、俺に「あっち行け」と静かな怒りの表情をもってやってきた。これは俺が悪いのだろう、明るい昼間にガンジスの岸で死体を焼いている光景を物珍しげに近寄って見ようとする観光客の姿。「インド放浪」の白眉が生死渾然としたガンジスの風景だ。だから見ようとしたんだが、死者に礼をとっているわけではない。今さらながら合掌。
ヒンドゥ教徒はこの最高の聖地で一生に一度だけでも沐浴をしたいと願う。片足が大きく腫れあがった男がいた。きっと彼は、この地の沐浴によってその病気が治ると信じているはずだ。多くの人の淡々とした沐浴の「気」の中で俺も沐浴をしたいと一瞬考えた。
白ける記述になるが、沐浴をしなくて本当によかった。聖地の河は病原体で一杯に違いない。信心の恍惚で沐浴する人もいれば、病気が治ると信じて河に入る人も多かろう。灰色に濁った河は病原体の巣窟だ。だけど皆、嬉々として入り頭から水をかぶり・・・大丈夫かぃ。救われる聖地の水は病気を起こす水でもあるに違いないと思う。
しつこくつきまとうサリー売りのニイチャンの一人に、試しにマリファナ持ってるかと同行の連れが尋ねた所、工面するとの返答。俺の同行の連れは米国留学した時にハッパをやった経験があるアナーキーな奴であった。ニイチャンの後について家に行ったら本当に工面してきた。恐るべきインド。俺も少し試してみたが効かない。連れはケラケラと笑い出し上機嫌。ニイチャンの家は土間と寝起きのできるスペースのある20畳くらいのワンスペースの家だった。母親がいた。また変な奴を連れてきたという感じで無関係に何やら手仕事をしていた。ニイチャンは、日本人の女性とその家で一緒に写っている写真と彼女からの葉書を見せ、日本に戻ったら連絡をくれるように彼女に頼んでくれないかと頼んできた。手紙を送っても無しのつぶてとのこと。その女性もインドを旅したのであろう、そしてしばし彼の家に厄介になったようだ。真剣に頼むので「分かった、そうする」と返答した。その葉書を渡された。
日本に戻ってから連絡をつけようと考えたんだが、連れは「やめておけ」と言う。女とは言え旅人であり、本人から連絡をしなかったんだからそれはそれまでよ、と。「お前、ハッパもらって吸ったんだからせめてそのお返し位やったって」と考える生真面目な日本人の俺がいた。でも結局連絡はしなかった。確かに突然見も知らぬ俺から、「あなたがインドで暮らしたニイチャンがまた会いたがっている」と言ったってなぁ・・・。葉書を封筒に入れ書いてあった住所に送ったのみ。ゴメン、ニイチャン。
ガンジスのほとり、最初はサリーを売りに来たニイチャン、その粗末な家、写真と葉書、彼の日に焼けた真摯な顔は、会った時から別れまでのストーリーと情景と共に、今でも覚えている。
わずか一週間のインド滞在だったが、それ以外にもいろいろあった。インドは無茶苦茶な割には「禁酒禁欲」の国である。アナーキーな所がそこかしこにあったんだろうが、我々の目にはあまり止まらなかった。何せせっかく来たのだからと悪所を探すかとしたんだが、やっと探し当てたストリップ劇場は、大仏様が踊っていた。客にはネクタイを締めた紳士が何人も。こんな所に来れるのはそれなりに金を持っている人達だったんだろう。でも大仏様だったなぁ。ほとんど脱がないんだが、一応ストリップ劇場と言うような所だった。
デリーのホテルで大みそかから新年を迎える夜、せっかくだから最高級ホテルへ行って過ごそうとして行ったんだが、そこは別世界。おそらく今だにインドの支配層であるターバンを巻いた紳士達とアラビアが原産地の美女が行き交っていた。見ほれるほどのパンジャビ・ドレスを来た美女が目の前を通った記憶は今でも鮮明だ。東洋の幻想的世界ここにあり、と一人の美女を見ただけで思った。絶世の美女のオーラあり。
タージマハールにも行った。まあここは立派な観光地。
あるお城のある観光地に行った時には、埃まみれの子供達に囲まれてお金をせがまれた。しかし皆とてもかわいらしい顔をしていた。
公園で休んでいた時、バラモン僧かもしれないが、髪と髭が伸び放題で半裸の男の写真を撮ったら、向こうさん気がついて寄ってきて金を請求された。気の弱い俺はちゃんと小銭を支払った。
帰りの飛行機に間に合うようにデリーまで列車で帰ろうとした所、満席でチケット売れないとのこと。乗れないと日本に帰れないことになる。こうなりゃチケットなくても、とプラットフォームに行き列車に乗り込んだ。何のことはない、ガラガラだった。座席に座り廻ってきた車掌からすんなりと切符買った。日本のような正確な予約システムなどは元々ないんだよね、改めて考えれば。
藤原新也氏のような、旅をして生きつつ、様々な感覚、思念、死生観を皮膚感覚で味わうことなぞ元より到底できはしない。サラリーマンの休暇のインド旅行はかくの如くだった。
今日の話題は、藤原新也氏。
氏の「東京漂流」を読んで衝撃を受け、それ以来熱烈ファンになった。「インド放浪」とか「メメント・モリ」だとか、発刊されるやいなや読んでいる。「CAT‐WALK」という氏のブログサイト(有料、1ヶ月1000円)もちょくちょく見る。ブログの記事を読むといつも、氏の思想は一貫しているということを深く感じる。一貫とはなんぞや?何を一貫しているのかは、実は俺の力では説明できない。読んで初めて「ああそうなんだ。その通り」と同意する自分がいるだけである。今時の言葉で言えば完全なフォロワーであり、師の教えを頂戴しているわけだ。氏の考えに触れて、静かに確かに同意、教えられて腹に落ちる。
その「CAT-WALK」には、氏の著作のほとんどが読める状態になっている。FlashPlayerで作成されているサイト故に、PCでは見られるがiPhoneではダメだなと思っていた所、ブログの本体は読めないが、著作展示サイトは見られることを発見した。そこからPDFで各著作を読める!これはメチャクチャ嬉しい。「全東洋街道」も「インド放浪」も全部読めるんだぜぃ!
無論、PCでは読めるんだがiPhoneでいつでもどこでも、寝る前にベッドの上で読書とかできる機動性がよい。元々文庫本とはそういうもんだ。iPADにもBookmarkしよう。庭で飲みながら読める。
これからもう一度読み直せる、ルンルンルン♪という気分だ。
1980年代中頃、氏の「インド放浪」を読み、激しく感動して俺もインドへ行ってしまった。が、既にサラリーマンだったから、若者としての放浪はできず、1週間の滞在中に腹を下さないようにホテルのレストランか街中のマトモな中華料理屋で飯を食いつつ、まあ観光しただけなんだが、インドはやはり強烈だった。
デリーの空港からホテルへ向かうバス中見たのが、道路の歩道にズラーと寝ている人々。インドとは言え年末の冬だから、内陸部のデリーは寒い。黒っぽい毛布かマントにくるまって本当にズラーっと列を成して皆さん寝ていた。ホテルに着くと、通路にある日本航空の部屋から怒号が聞こえた。タクシーに乗った所、変な所を色々連れまわされて高額の料金も請求されたようで、もう帰りたい、帰せと怒っている若者の、ある意味悲痛な叫びだった。嗚呼気の毒にと思うのと、そんなことならインドに来るな、とも思う意地悪な俺もいた。一人だったから恐かったんだよな、本当に。
インド人の、こう言っちゃマトモなインドの人は一言あるだろうが、無茶苦茶さはその後の滞在で味わった。なんて言うんだっけ忘れたがオート3輪の運転手に名所を案内してもらった所、観光地で待っていてもらう度にメーターの料金がおかしいほど跳ね上がるのである。戻ってきて跳ね上がった料金を見て文句を言っても、運転手殿は飄々としている。文句を言いつつも規則を守る日本人の俺は、結局支払う。インドに居るのにインド的ではないよね。同化する時間にはまったく足りない。
バラナシ(ガンジスの最高聖地)の川べりをブラブラしているとひっきりなしに民族衣装であるサリーの押売りがやってきた。正しい断り方の英語である「No,Thank You」と言っていてもキリがないので、いつしか「No!!」と厳しい顔をして答えるようになった。それが正しい。藤原新也氏も見た川辺の火葬。近づいて見ていたんだが、遺族の人だろうか、俺に「あっち行け」と静かな怒りの表情をもってやってきた。これは俺が悪いのだろう、明るい昼間にガンジスの岸で死体を焼いている光景を物珍しげに近寄って見ようとする観光客の姿。「インド放浪」の白眉が生死渾然としたガンジスの風景だ。だから見ようとしたんだが、死者に礼をとっているわけではない。今さらながら合掌。
ヒンドゥ教徒はこの最高の聖地で一生に一度だけでも沐浴をしたいと願う。片足が大きく腫れあがった男がいた。きっと彼は、この地の沐浴によってその病気が治ると信じているはずだ。多くの人の淡々とした沐浴の「気」の中で俺も沐浴をしたいと一瞬考えた。
白ける記述になるが、沐浴をしなくて本当によかった。聖地の河は病原体で一杯に違いない。信心の恍惚で沐浴する人もいれば、病気が治ると信じて河に入る人も多かろう。灰色に濁った河は病原体の巣窟だ。だけど皆、嬉々として入り頭から水をかぶり・・・大丈夫かぃ。救われる聖地の水は病気を起こす水でもあるに違いないと思う。
しつこくつきまとうサリー売りのニイチャンの一人に、試しにマリファナ持ってるかと同行の連れが尋ねた所、工面するとの返答。俺の同行の連れは米国留学した時にハッパをやった経験があるアナーキーな奴であった。ニイチャンの後について家に行ったら本当に工面してきた。恐るべきインド。俺も少し試してみたが効かない。連れはケラケラと笑い出し上機嫌。ニイチャンの家は土間と寝起きのできるスペースのある20畳くらいのワンスペースの家だった。母親がいた。また変な奴を連れてきたという感じで無関係に何やら手仕事をしていた。ニイチャンは、日本人の女性とその家で一緒に写っている写真と彼女からの葉書を見せ、日本に戻ったら連絡をくれるように彼女に頼んでくれないかと頼んできた。手紙を送っても無しのつぶてとのこと。その女性もインドを旅したのであろう、そしてしばし彼の家に厄介になったようだ。真剣に頼むので「分かった、そうする」と返答した。その葉書を渡された。
日本に戻ってから連絡をつけようと考えたんだが、連れは「やめておけ」と言う。女とは言え旅人であり、本人から連絡をしなかったんだからそれはそれまでよ、と。「お前、ハッパもらって吸ったんだからせめてそのお返し位やったって」と考える生真面目な日本人の俺がいた。でも結局連絡はしなかった。確かに突然見も知らぬ俺から、「あなたがインドで暮らしたニイチャンがまた会いたがっている」と言ったってなぁ・・・。葉書を封筒に入れ書いてあった住所に送ったのみ。ゴメン、ニイチャン。
ガンジスのほとり、最初はサリーを売りに来たニイチャン、その粗末な家、写真と葉書、彼の日に焼けた真摯な顔は、会った時から別れまでのストーリーと情景と共に、今でも覚えている。
わずか一週間のインド滞在だったが、それ以外にもいろいろあった。インドは無茶苦茶な割には「禁酒禁欲」の国である。アナーキーな所がそこかしこにあったんだろうが、我々の目にはあまり止まらなかった。何せせっかく来たのだからと悪所を探すかとしたんだが、やっと探し当てたストリップ劇場は、大仏様が踊っていた。客にはネクタイを締めた紳士が何人も。こんな所に来れるのはそれなりに金を持っている人達だったんだろう。でも大仏様だったなぁ。ほとんど脱がないんだが、一応ストリップ劇場と言うような所だった。
デリーのホテルで大みそかから新年を迎える夜、せっかくだから最高級ホテルへ行って過ごそうとして行ったんだが、そこは別世界。おそらく今だにインドの支配層であるターバンを巻いた紳士達とアラビアが原産地の美女が行き交っていた。見ほれるほどのパンジャビ・ドレスを来た美女が目の前を通った記憶は今でも鮮明だ。東洋の幻想的世界ここにあり、と一人の美女を見ただけで思った。絶世の美女のオーラあり。
タージマハールにも行った。まあここは立派な観光地。
あるお城のある観光地に行った時には、埃まみれの子供達に囲まれてお金をせがまれた。しかし皆とてもかわいらしい顔をしていた。
公園で休んでいた時、バラモン僧かもしれないが、髪と髭が伸び放題で半裸の男の写真を撮ったら、向こうさん気がついて寄ってきて金を請求された。気の弱い俺はちゃんと小銭を支払った。
帰りの飛行機に間に合うようにデリーまで列車で帰ろうとした所、満席でチケット売れないとのこと。乗れないと日本に帰れないことになる。こうなりゃチケットなくても、とプラットフォームに行き列車に乗り込んだ。何のことはない、ガラガラだった。座席に座り廻ってきた車掌からすんなりと切符買った。日本のような正確な予約システムなどは元々ないんだよね、改めて考えれば。
藤原新也氏のような、旅をして生きつつ、様々な感覚、思念、死生観を皮膚感覚で味わうことなぞ元より到底できはしない。サラリーマンの休暇のインド旅行はかくの如くだった。
2012年10月31日水曜日
鏡の前の空突き空蹴り、シャドー稽古
また無味乾燥ではあるが、本日の稽古の記録を付ける。
本日の稽古、午後6時10分から8時10分迄の2時間、会社のジムで、また鏡の前を占領して行った。
と言う感じだね、記憶をたどれば。途中水分補給入れ間をあけてやったので、これで1時間。合計2時間の稽古を終えた。
会社の道場が耐震工事中でサンドバッグを蹴れないので、ひたすら空突き空蹴りだ。脱力とスピードの稽古だね。それはマアマアできてきそうなんだが、フリーシャドウになるとまだまだぎこちないもんだ。流れるような連続した動きはまずまったくできない。一つ一つのコンビネーションを区切ってしまうし、動きが固いんだよな。サンドバッグも蹴っておかないとね。ノーモーションでコンビネーションを叩きこむサンドバッグ稽古は必要。今週末道場でやっておこう。
相手を想定してのイメージトレーニングもそろそろやらねば。フリーシャドーでそういう風にできるといいんだが、あれっ?と技が止るんだよね。つまり技を出す稽古のみになってしまい、相手の動きをずっと想像して反応する稽古ではない。これは体力を温存すべき来週に集中して行い、できるようになることを祈る。今週は身体で、来週は頭で稽古する。
タバコ、嗚呼タバコ。今日も一箱買ってしまった。吸い続けると今日のような稽古も持たなくなる。今はまだ禁煙時代の貯金の体力が効いている。この一箱を吸いきると止めよう・・・と言うのも甘いんだが、貧乏性なので。
本日の稽古、午後6時10分から8時10分迄の2時間、会社のジムで、また鏡の前を占領して行った。
- まずは柔軟。寝転がって腰を捻る柔軟の後は、真向法2セット。股割をして蹴上げに備える。
- 以下は左右。前蹴上げ単発で50回、3連続で10回、2連続で10回、最後にまた単発で20回。計120回も足を上に蹴り上げれば十分であろう。
- 内回し、外回し、後ろ蹴上げ、横蹴上げを各50回。足を軽い気持ちでヒョイと出せるようにすべく、最近凝っている蹴上げシリーズ也。
- 内八の字立ちで基本を一通り。中段、上段突き、顎打ち等々の手技。受け一通り。以上は20回。中段前蹴り、回し蹴り50回、関節、横蹴り20回。やはり上段をやらねばと、上段前蹴り、回し蹴り30回。
- 汗をかき体が温まった所で、もう一度入念に柔軟。真向法。今度は限界まで開脚する。
- 突き技コンビネーション各種。1,2パンチや1,2の後下突きとかフックの3連続。さらに逆突きを加えて4本連続を、各20本、左右の構えで。
- 1,2パンチに中段回し蹴り、下段、上段回しを左右構えで各10本。
- 左順突き、右下突きに左下段を入れて、これはレギュラー構えのみで20本。
- パンチのみのシャドー
- パンチに蹴りを入れて。途中でまごつきつつもやる。
- パンチに膝蹴りを入れて
- 右前蹴りから左中段回し蹴り、時折上段回し
- またパンチのみシャドー。パンチはどうも力んでしまうらしいので、最後の極めをしっかりとやるとしてそれまでは脱力、かつ速く出すようにする。
- 外受けからパンチ、キック
- 外受けから膝蹴り、左右構えで。
- 1,2パンチに右中段、右下突きの後、極めの左上段回し蹴り
- 中段回し、上段回しを、左右振り切って体一回転させる。これをリズミカルに続ける。
- 下段、中段、上段回しを連続して。
- フリーシャドー2セット
- 相手の右下段に膝ブロックして右下段回し、左上段回し。相手の左中段に膝ブロックして、右中段回しを返す。
- 左の蹴りも確認すべく、一歩出ての左前蹴り、スイッチしての左回し蹴り
- 最後に蹴りの脱力を確認しつつ、また中上段の降り切る回し蹴り
と言う感じだね、記憶をたどれば。途中水分補給入れ間をあけてやったので、これで1時間。合計2時間の稽古を終えた。
会社の道場が耐震工事中でサンドバッグを蹴れないので、ひたすら空突き空蹴りだ。脱力とスピードの稽古だね。それはマアマアできてきそうなんだが、フリーシャドウになるとまだまだぎこちないもんだ。流れるような連続した動きはまずまったくできない。一つ一つのコンビネーションを区切ってしまうし、動きが固いんだよな。サンドバッグも蹴っておかないとね。ノーモーションでコンビネーションを叩きこむサンドバッグ稽古は必要。今週末道場でやっておこう。
相手を想定してのイメージトレーニングもそろそろやらねば。フリーシャドーでそういう風にできるといいんだが、あれっ?と技が止るんだよね。つまり技を出す稽古のみになってしまい、相手の動きをずっと想像して反応する稽古ではない。これは体力を温存すべき来週に集中して行い、できるようになることを祈る。今週は身体で、来週は頭で稽古する。
タバコ、嗚呼タバコ。今日も一箱買ってしまった。吸い続けると今日のような稽古も持たなくなる。今はまだ禁煙時代の貯金の体力が効いている。この一箱を吸いきると止めよう・・・と言うのも甘いんだが、貧乏性なので。
2012年10月29日月曜日
空手家の、空手をしないが活動的だった週末
先々週の週末の話。気の置けない仲間達とボタリングした。ボタリングとは、自転車でブラブラ散歩するようなものだ。
![]() |
谷中の古い酒屋 |
![]() |
三四郎池 |
「もういい加減一杯ひっかけたい」と、上野公園界隈を通り、そそくさと浅草の「神谷バー」に向かった。
神谷バーは日本で最初のバーである。そうなるとたいていの場合、重厚な趣を創り敷居が高くなるものだが、まったくしょっていることはなく酒も料理もリーズナブルと言うか、むしろ安目の値段だった。店内は大衆食堂のようにテーブルが並べられていて、ホテルのバーを想像すると大間違いだ。大変混雑していて相席を求められる。今時相席してくれというのも非常に珍しい。レジのお姉さんは並んでいる客に極まり文句のように「相席ですよ」、と言う。それがごく普通の庶民バーということでもあるし、名所に数えられている所だから、混んでいてもともかく入ってもらおうということか。相席すれば初対面の人とも話す。地元の御老人の隣に座り、他愛のない会話をした。客層も年配の方が多く、ながーく愛されていることが分かる。まあ日曜の昼下がりにバーが繁盛して、老若男女が飲んでいるのが何とも平和でよい。「ある時来なくなるんだよなぁ」と御老人。少し寂しげに言った。

神谷バーでほろ酔いになった後、仲見世、浅草寺を歩いた。秋晴れの日曜で大変混雑。界隈の商店街も散歩しつつ、自転車を停めた所に戻った。そうそう、その途中に有名人の手形がある歩道も通った。ハリウッドの二番煎じなんだけれど、無理やり名所を作ろうとする浅草は下町のど根性だ。いいんじゃないかい。

![]() |
富士と夕日とスカイツリー |
東京スカイツリー、ソラマチに入る。大変な混雑。スカイツリーに上るのは最初からあきらめていて、隣のイーストタワービルの31Fに上った。そこのラウンジでまたビール。富士山とそのすそ野に沈む夕日が望める極上の風景であった。が、写真をパチパチ撮ってしまい、極上の時間を噛むように過ごした訳ではない。ちょっともったいなかったね。タラ―として何も考えず風景を眺めてもよかった。
午後5時で追い出されて、ソラマチに降りる。もうこの辺になると酔いと疲れでダレてきている。スカイツリーの点灯が始まった。こりゃ写真撮るべしとまた川向うに移動した。隅田川を屋台船が渡り、スカイツリーは遠慮気に光っている。ここでまた飲んでもよい景色だった。
さて、そろそろ帰る時間だが、あっさりと帰るのも仲間の集いとしては惜しく、せっかく来たから晩飯を食った。下町はやはり寿司だね、回転寿司。マグロを売り物にしている店でありかなり旨かった。 中生をさらに2杯。腹がそれ程減っていた訳ではないが、それでも寿司は案外腹に入る。満腹になるまで食べた。自転車、写真、ビール、回転寿司。いつもの仲間であるが、そう言えば話をあまりしなかったねぇ。動くのに何かしら忙しかった。
忘年会はボタリングではなく、じっくり飲んで話でもするか。
2012年10月28日日曜日
週末にまたハード稽古、しかし・・・
金曜は、フルコン先輩と先週に続いて稽古。先週は腰を前に出し、身体の回転を加えることで伸びる蹴りをすることと、腰をぶつける膝蹴りの2点を学んだが、今回も学ぶ点があった。
受けの時の手のひねり、肩甲骨合わせて背中から受けること、でも小さく最後はひねるのがミソだ。小さな受けをすると交差法も可能になる。1,2攻撃を受けながらカウンターで攻撃できるようになる。俺のようにガタイが大きいと1,2攻撃をバンバンと受けてドンドンと攻撃する大味な組手になるのだが、それでは格闘術としての空手ではない。受けると同時に攻撃することは大変難しいと思うんだが、頭に入れ普段から努めるべき。少なくとも小さくひねりを加えた受けは100%やれるようにしよう。
稽古は先週とほぼ同じく、キックミットやビッグミットを持って交代でやった。脱力した突き蹴り、かつ極めはきちっと入りフォロースル―も効かせられるにはもう少しのキックミット稽古が必要だ。来週位にはそうなるのかねぇ。
土曜の午前中は、ウェイトと柔軟。時間が十分にあったので週日の二日分のメニューを全部やった。時間にして1時間。午後は一人稽古。一通り基本技を鏡の前でやったんだが、最近凝っている前蹴り上げをみっちりとやった。足を軽々と上段まで持って行けるようにするべきである。足を手のように自在に使える為の第一歩が前蹴り上げである。まず1本だけで50本。次に3本連続を10本、さらに2本連続を10本、最後に1本だけに戻り20本。どれも左右行った。その後、内回し、外回しを各50本、後ろと横蹴上げも各50本。これだけ足を前横後ろに上げれば、まあ1日の稽古としては十分だろう。蹴り上げ稽古はこれからも十分な量をこなす必要がある。蹴上げが終わるとその場での前蹴りと回し蹴りを中段と上段各30本。それから中段、上段回しの移動稽古、続いて連続技を繰返すシャドーを2分10ラウンドくらいやった。まったく自由なシャドーを2ラウンドくらいは入れたが、まだまだぎこちない。しばらくは決められた連続技を繰り返すのがよかろう。その内上手くなることを期待しつつ、試合が近くなると自由な攻防を入れたシャドーばかりをすることになるだろう。自在に色んな種類の連続技を出せないとイカンよね。
結果的に蹴りの本数が多くなり、おかげで脱力した蹴りがそこそこ出せるような気がした。そこに腰の伸びが加わればなおよし。パンチの方はまだまだ力みがある。これも結局は脱力を意識してスピード重視で回数をかさねることなんだろうね。
いやはやかくの如く、試合にエントリーしてからまったく熱心なものだ。金曜の夜から土曜、日曜にかけて腰が硬直している。立って歩くときの最初は年寄りの前かがみでがに股。若い頃は腰に鉛が入ったようにギコギコとなることはなかったと思う。むしろ足の筋肉それ自体の筋肉痛だった。学生時代の稽古は腰を落としての移動稽古が多かったからかなぁ。今はそういうのをせず、組手構えからの回し蹴り稽古が多く常に腰を回しているからか。
俺の今の最大の敵はタバコ。嗚呼、ずっと止めていたのにここ1週間また吸いだしたんだよなぁ。やれやれ。このまま試合の日まで吸い続けると、延長戦までスタミナ持たなくなる。それが分かっているのに・・・・ハァ・・・。愚か者よ。
受けの時の手のひねり、肩甲骨合わせて背中から受けること、でも小さく最後はひねるのがミソだ。小さな受けをすると交差法も可能になる。1,2攻撃を受けながらカウンターで攻撃できるようになる。俺のようにガタイが大きいと1,2攻撃をバンバンと受けてドンドンと攻撃する大味な組手になるのだが、それでは格闘術としての空手ではない。受けると同時に攻撃することは大変難しいと思うんだが、頭に入れ普段から努めるべき。少なくとも小さくひねりを加えた受けは100%やれるようにしよう。
稽古は先週とほぼ同じく、キックミットやビッグミットを持って交代でやった。脱力した突き蹴り、かつ極めはきちっと入りフォロースル―も効かせられるにはもう少しのキックミット稽古が必要だ。来週位にはそうなるのかねぇ。
土曜の午前中は、ウェイトと柔軟。時間が十分にあったので週日の二日分のメニューを全部やった。時間にして1時間。午後は一人稽古。一通り基本技を鏡の前でやったんだが、最近凝っている前蹴り上げをみっちりとやった。足を軽々と上段まで持って行けるようにするべきである。足を手のように自在に使える為の第一歩が前蹴り上げである。まず1本だけで50本。次に3本連続を10本、さらに2本連続を10本、最後に1本だけに戻り20本。どれも左右行った。その後、内回し、外回しを各50本、後ろと横蹴上げも各50本。これだけ足を前横後ろに上げれば、まあ1日の稽古としては十分だろう。蹴り上げ稽古はこれからも十分な量をこなす必要がある。蹴上げが終わるとその場での前蹴りと回し蹴りを中段と上段各30本。それから中段、上段回しの移動稽古、続いて連続技を繰返すシャドーを2分10ラウンドくらいやった。まったく自由なシャドーを2ラウンドくらいは入れたが、まだまだぎこちない。しばらくは決められた連続技を繰り返すのがよかろう。その内上手くなることを期待しつつ、試合が近くなると自由な攻防を入れたシャドーばかりをすることになるだろう。自在に色んな種類の連続技を出せないとイカンよね。
結果的に蹴りの本数が多くなり、おかげで脱力した蹴りがそこそこ出せるような気がした。そこに腰の伸びが加わればなおよし。パンチの方はまだまだ力みがある。これも結局は脱力を意識してスピード重視で回数をかさねることなんだろうね。
いやはやかくの如く、試合にエントリーしてからまったく熱心なものだ。金曜の夜から土曜、日曜にかけて腰が硬直している。立って歩くときの最初は年寄りの前かがみでがに股。若い頃は腰に鉛が入ったようにギコギコとなることはなかったと思う。むしろ足の筋肉それ自体の筋肉痛だった。学生時代の稽古は腰を落としての移動稽古が多かったからかなぁ。今はそういうのをせず、組手構えからの回し蹴り稽古が多く常に腰を回しているからか。
俺の今の最大の敵はタバコ。嗚呼、ずっと止めていたのにここ1週間また吸いだしたんだよなぁ。やれやれ。このまま試合の日まで吸い続けると、延長戦までスタミナ持たなくなる。それが分かっているのに・・・・ハァ・・・。愚か者よ。
2012年10月20日土曜日
稽古の連続。最近ハードだぜぃ。
本日も真面目に稽古。土曜の道場稽古に行った。昨日の稽古によるどんよりとした腰への疲れの蓄積があったが、試合に出ることも決めたし、出ねばならんとして行った。
試合も近いので、基本→キックミット→スパーリング で1時間半を過ごす。キックミットは、下段右左、中段右左、膝蹴り右左を各1分半。その後、ローテションしながら制限スパーリングから始まり、最後はフリー。中学生のスパーリング相手もしていたので、それ程みっちりやった感覚はない。まあその程度で結果的にOK。
昨日習った、腰を前に出すキックと膝蹴りをキックミットで試していた。脱力も必要なんだがまだまだを実感。遠い間合いの先にあるキックミットを蹴ろうと思うと、ヨイショてな具合に力みが入るのを感じる。素直に腰を前に飛ばして膝のスナップで蹴れるようになるにはもう少し練習がいる。膝蹴りも腰をぶつける形でやろうと努めたが、モーションが大きくスピードが出ないもんだ。まあそれでもしょーがないとしてやっていた。キックミットを持っていた相手は90K超で、その相手を後ろに下がらせるパワーは出していたのでよいとしよう。それでも実戦でこんなにスローモーだとどうも使える気がしないんだが・・・。ただ昨日習ったコンセプトなので身につけることが肝要。バリエーションはそれからだ。
俺とペアを組んだのは90K超の若手(ちなみに俺は85K)で、その割に体も柔らかく強い。ところが彼も、昨日喝破さられた俺と同じ風情の闘い方をする。つまりガタイがある為に重心を後ろに置く。前に腰を伸ばし前に出る力で突き蹴りをすれば、それはそれは凄い破壊力が出るのだが、重心が後ろ、せいぜい真ん中なのでミットを持つ俺を後ろに飛ばすほどの威力は出ない。ああ―こう言うことか、と昨日の学びを確認することになった。稽古後、彼には前に出る力を利用することをアドバイスした。前に出る態勢の中から最後にきちんと極めるフォロースローをする意識も出る。また「武道空手の極意」で述べられる「不安定の中の安定」で、突き蹴りの攻撃の一点に重心を預けることになり、そりゃ威力は増すわな。古伝沖縄空手がダメと言う「居着き」を無くすることにもなる。そのような動きをマネジメントできる闘いにしていかねばならんが、これは万回の古伝の型をやる必要があるんだろうね。前に出ることだけではないもんね。
・・・・・
53歳、後数カ月で54歳になる。仕事もやっているんだが、トレーニングとか空手稽古に熱中している我輩は・・・、一体どうしたもんかねー。
歳をとるにつれ、疲労が腰に蓄積し速やかには解消しない。今日の稽古が終わり数時間経った今は、オーバーに言えば腰を曲げた昔の百姓老婆の歩き方になっている。腰が膠着して固まっているんだよね。幸い、スポーツマンによくある腰の持病はなく、時間が経てば何もなかったように解消はしてくれるんだが。
試合まで後3週間。試合に出ることを決めてから、マンネリは打破されている。ノルマとしてのトレーニングや稽古ではなくなっているものね。それは、善き哉、善き哉。
試合も近いので、基本→キックミット→スパーリング で1時間半を過ごす。キックミットは、下段右左、中段右左、膝蹴り右左を各1分半。その後、ローテションしながら制限スパーリングから始まり、最後はフリー。中学生のスパーリング相手もしていたので、それ程みっちりやった感覚はない。まあその程度で結果的にOK。
昨日習った、腰を前に出すキックと膝蹴りをキックミットで試していた。脱力も必要なんだがまだまだを実感。遠い間合いの先にあるキックミットを蹴ろうと思うと、ヨイショてな具合に力みが入るのを感じる。素直に腰を前に飛ばして膝のスナップで蹴れるようになるにはもう少し練習がいる。膝蹴りも腰をぶつける形でやろうと努めたが、モーションが大きくスピードが出ないもんだ。まあそれでもしょーがないとしてやっていた。キックミットを持っていた相手は90K超で、その相手を後ろに下がらせるパワーは出していたのでよいとしよう。それでも実戦でこんなにスローモーだとどうも使える気がしないんだが・・・。ただ昨日習ったコンセプトなので身につけることが肝要。バリエーションはそれからだ。
俺とペアを組んだのは90K超の若手(ちなみに俺は85K)で、その割に体も柔らかく強い。ところが彼も、昨日喝破さられた俺と同じ風情の闘い方をする。つまりガタイがある為に重心を後ろに置く。前に腰を伸ばし前に出る力で突き蹴りをすれば、それはそれは凄い破壊力が出るのだが、重心が後ろ、せいぜい真ん中なのでミットを持つ俺を後ろに飛ばすほどの威力は出ない。ああ―こう言うことか、と昨日の学びを確認することになった。稽古後、彼には前に出る力を利用することをアドバイスした。前に出る態勢の中から最後にきちんと極めるフォロースローをする意識も出る。また「武道空手の極意」で述べられる「不安定の中の安定」で、突き蹴りの攻撃の一点に重心を預けることになり、そりゃ威力は増すわな。古伝沖縄空手がダメと言う「居着き」を無くすることにもなる。そのような動きをマネジメントできる闘いにしていかねばならんが、これは万回の古伝の型をやる必要があるんだろうね。前に出ることだけではないもんね。
・・・・・
53歳、後数カ月で54歳になる。仕事もやっているんだが、トレーニングとか空手稽古に熱中している我輩は・・・、一体どうしたもんかねー。
歳をとるにつれ、疲労が腰に蓄積し速やかには解消しない。今日の稽古が終わり数時間経った今は、オーバーに言えば腰を曲げた昔の百姓老婆の歩き方になっている。腰が膠着して固まっているんだよね。幸い、スポーツマンによくある腰の持病はなく、時間が経てば何もなかったように解消はしてくれるんだが。
試合まで後3週間。試合に出ることを決めてから、マンネリは打破されている。ノルマとしてのトレーニングや稽古ではなくなっているものね。それは、善き哉、善き哉。
キックミットで充実稽古
本日は非常によい稽古ができた。
流派は違うが、フルコン空手では先輩のKさんから指導を受けた。同じ会社の同僚であり、仕事を終えてから会社のジムで、午後6時半から8時までキックミット主体の稽古をみっちり。
まずミドルの回し蹴り。後ろ足で行い、次に構えたその場から前足のミドル回し蹴り。これでK先輩、俺の悪い癖を把握したようだ。
俺の悪い癖は、突きにしろ蹴りにしろ腰を前に出さない。なまじっかガタイがある為腰を後ろに残しての突き蹴りをする。それで結構威力は出てしまう。懐が深いのは結構なんだが近距離で威力を出そうとする故に突き蹴りの力みも取れない。腰を前にビヨーンと出すと伸びる蹴りが出る。また結果的に脱力し、腰とともに膝を前に上げ伸ばしてそのスナップで蹴れるようになる。これを重ねると力まない柔らかい蹴りを会得できそうである。
キックミットで遠い間合いで相対し、ミドルの回し蹴りで蹴り、そのまま前に足を落とす。蹴るときに体重を後ろに残さない。体を横にして伸ばす態勢にしつつ膝のスナップで蹴る。その移動稽古を数往復行った。
次に膝蹴り。K先輩の持つミットに膝蹴りをぶち当てる。最初の内は後ろに下がっていたK先輩だが、段々その場で踏ん張って受けるようになった。ぶち当てているつもりの膝蹴りなんだが、弱いと言う。前に放つ力と言うか、腰をぶち当ててそのまま前に出るようにとの指導。そうすると確かにK先輩を後ろに下がらせることができた。突き刺す膝蹴りも必要であろうが、膝蹴りの基本は腰をぶち当てて前に出ることだろう。膝先のスピードが出ているとは思えないが、K先輩を後ろに飛ばせたのでよしとしよう。
次にやったのが、キックミットを持ったK先輩の指示に基づき技を出すこと。1分間を4,5セット程度。1,2パンチ、ミドル回し蹴り、上段回し蹴り、膝蹴りを、素早く出す指示に遅れないようにミットに叩きこむ。この稽古は、脱力して素直に技を出せることと、その為の間合いも瞬時に調整できるようになることである。「1,2パンチ」「左ミドル」と指示が来ると、パンチ後の間合いは左ミドルには近すぎるのでスイッチングで少し下がって間合いを確保してから蹴る。相手が下がればそのまま踏み込んで蹴る、とか、瞬時の間合いコントロールが重要になる。力みのない脱力した状態にして、四肢をコントロール、つまり自在に手でも足でも出るようにする稽古である。かなり気に入った。
最後はビッグミットで、好きにコンビネーション。俺とK先輩の違いは主には流れの速さ、次に変化だった。俺の場合一本一本の威力はそこそこあるが、連続技としては間隔が長く、かつ単調であった。K先輩はきれいに言えば音楽のメロディ。速く連続して叩きこむことがあれば、間を変えて打つ場合もあった。技を音楽のようにビッグミットに入れるべし。ただ俺はオンチなんだけど。音楽もほとんど聞かないし。
K先輩去った後、足をコントロールする鍛錬として前蹴上げを左右各60本、内回し、外回しを各40本、後ろ蹴上げ、横蹴上げも各40本行い、稽古終了。
会社のジムにはマッサージ器があり、初めて稽古後に使った。「これはいい、何で今まで使わなかったんだ」、疲れが溜まった腰をほぐした。
本日のまとめ。
流派は違うが、フルコン空手では先輩のKさんから指導を受けた。同じ会社の同僚であり、仕事を終えてから会社のジムで、午後6時半から8時までキックミット主体の稽古をみっちり。
まずミドルの回し蹴り。後ろ足で行い、次に構えたその場から前足のミドル回し蹴り。これでK先輩、俺の悪い癖を把握したようだ。
俺の悪い癖は、突きにしろ蹴りにしろ腰を前に出さない。なまじっかガタイがある為腰を後ろに残しての突き蹴りをする。それで結構威力は出てしまう。懐が深いのは結構なんだが近距離で威力を出そうとする故に突き蹴りの力みも取れない。腰を前にビヨーンと出すと伸びる蹴りが出る。また結果的に脱力し、腰とともに膝を前に上げ伸ばしてそのスナップで蹴れるようになる。これを重ねると力まない柔らかい蹴りを会得できそうである。
キックミットで遠い間合いで相対し、ミドルの回し蹴りで蹴り、そのまま前に足を落とす。蹴るときに体重を後ろに残さない。体を横にして伸ばす態勢にしつつ膝のスナップで蹴る。その移動稽古を数往復行った。
次に膝蹴り。K先輩の持つミットに膝蹴りをぶち当てる。最初の内は後ろに下がっていたK先輩だが、段々その場で踏ん張って受けるようになった。ぶち当てているつもりの膝蹴りなんだが、弱いと言う。前に放つ力と言うか、腰をぶち当ててそのまま前に出るようにとの指導。そうすると確かにK先輩を後ろに下がらせることができた。突き刺す膝蹴りも必要であろうが、膝蹴りの基本は腰をぶち当てて前に出ることだろう。膝先のスピードが出ているとは思えないが、K先輩を後ろに飛ばせたのでよしとしよう。
次にやったのが、キックミットを持ったK先輩の指示に基づき技を出すこと。1分間を4,5セット程度。1,2パンチ、ミドル回し蹴り、上段回し蹴り、膝蹴りを、素早く出す指示に遅れないようにミットに叩きこむ。この稽古は、脱力して素直に技を出せることと、その為の間合いも瞬時に調整できるようになることである。「1,2パンチ」「左ミドル」と指示が来ると、パンチ後の間合いは左ミドルには近すぎるのでスイッチングで少し下がって間合いを確保してから蹴る。相手が下がればそのまま踏み込んで蹴る、とか、瞬時の間合いコントロールが重要になる。力みのない脱力した状態にして、四肢をコントロール、つまり自在に手でも足でも出るようにする稽古である。かなり気に入った。
最後はビッグミットで、好きにコンビネーション。俺とK先輩の違いは主には流れの速さ、次に変化だった。俺の場合一本一本の威力はそこそこあるが、連続技としては間隔が長く、かつ単調であった。K先輩はきれいに言えば音楽のメロディ。速く連続して叩きこむことがあれば、間を変えて打つ場合もあった。技を音楽のようにビッグミットに入れるべし。ただ俺はオンチなんだけど。音楽もほとんど聞かないし。
K先輩去った後、足をコントロールする鍛錬として前蹴上げを左右各60本、内回し、外回しを各40本、後ろ蹴上げ、横蹴上げも各40本行い、稽古終了。
会社のジムにはマッサージ器があり、初めて稽古後に使った。「これはいい、何で今まで使わなかったんだ」、疲れが溜まった腰をほぐした。
本日のまとめ。
- 脱力。その為に腰を前に出す回し蹴り、膝蹴り。
- 四肢をコントロールする意識と間合い調整。
- 柔らかくリズムに変化を持たせた連続技。
2012年10月18日木曜日
空突き、空蹴りの自主トレ。疲れた。
本日は、会社の仕事後、道場が使えなかったので、ジムで一人黙々と自主稽古を行った。トレーニングをしに来ている人が多かったが、鏡の前を占領してひたすら空突き空蹴り。
前蹴上げ、左右50本。内回し、外回し各30本。横蹴上げ、後ろ蹴上げ各20本
前蹴り、中段、上段各50本
回し蹴り、中段、上段入れて2分程度。
コンビネーションパンチやキックを、2分1ラウンドで10ラウンドくらいか?
シャドーを鏡の前で何度も行ったが、下手であることを改めて自覚した。決まり切ったコンビネーションしかできず、またフットワークも使えずぎこちないことこの上なし。しょーがないから決まり切ったコンビネーションのみを2分1ラウンドで何種類か行った。それはそれで身につける稽古である。
まあよい。自分の得意とするコンビネーション、また考えてできそうなコンビネーションを新たにいくつか作り、それをフットワークよくシャドウで柔らかく繋げてできるようになることを、この1カ月、試合までの自主トレの目標としよう。
合間合間に前蹴上げを行った。蹴りを軽い気持ちで自在に使えるようになる基本中の基本が前蹴上げであろう。反動で上げるのではなく、腹筋と小さな腰の回転で素早く上げること。
途中、柔軟もやり、1時間半ずーっと続けて鏡の前の2畳ほどのマットスペースでエッチラオッチラ。本当は移動稽古もしたかったが、そのスペースには幾人かいたのでできず。最後にランジスクワットを50回。重心高く飛び跳ねていたようで、どうも不安定を感じた為、腰をどっしりと落とすランジで締めた。
空突き空蹴りのスピードや極めを重視してほぼ全力でやっていた。今、メチャクチャに全身筋肉痛と疲労感を覚えている。サンドバッグよりも疲れた。次回は、スピード・極めはそのままに、脱力することに留意して、柔らかくできるようにしよう。
前蹴上げ、左右50本。内回し、外回し各30本。横蹴上げ、後ろ蹴上げ各20本
前蹴り、中段、上段各50本
回し蹴り、中段、上段入れて2分程度。
コンビネーションパンチやキックを、2分1ラウンドで10ラウンドくらいか?
シャドーを鏡の前で何度も行ったが、下手であることを改めて自覚した。決まり切ったコンビネーションしかできず、またフットワークも使えずぎこちないことこの上なし。しょーがないから決まり切ったコンビネーションのみを2分1ラウンドで何種類か行った。それはそれで身につける稽古である。
まあよい。自分の得意とするコンビネーション、また考えてできそうなコンビネーションを新たにいくつか作り、それをフットワークよくシャドウで柔らかく繋げてできるようになることを、この1カ月、試合までの自主トレの目標としよう。
合間合間に前蹴上げを行った。蹴りを軽い気持ちで自在に使えるようになる基本中の基本が前蹴上げであろう。反動で上げるのではなく、腹筋と小さな腰の回転で素早く上げること。
途中、柔軟もやり、1時間半ずーっと続けて鏡の前の2畳ほどのマットスペースでエッチラオッチラ。本当は移動稽古もしたかったが、そのスペースには幾人かいたのでできず。最後にランジスクワットを50回。重心高く飛び跳ねていたようで、どうも不安定を感じた為、腰をどっしりと落とすランジで締めた。
空突き空蹴りのスピードや極めを重視してほぼ全力でやっていた。今、メチャクチャに全身筋肉痛と疲労感を覚えている。サンドバッグよりも疲れた。次回は、スピード・極めはそのままに、脱力することに留意して、柔らかくできるようにしよう。
2012年10月16日火曜日
熟年空手家の挑戦
雪の降るまちを、雪の降るまちを、思い出だけが通り過ぎてゆく、雪の降るまちを、遠い国から落ちてくる・・・
オヤジのテーマソングだった。越前の雪深き街で俺は生まれ、小学1年まで暮らした。まっ白いボタン雪が鉛色の空から無数に降ってきた光景をよく覚えている。毎年毎年何度も何度も見た。オヤジの後をついて歩く時、オヤジがよく彼の歌を歌っていた。見上げるコートの背中、口ずさむ歌声、空から白いボタン雪。
オヤジは1997年に67歳で死んだ。もう15年も前か。熟年空手家と称する俺は53歳。オヤジが53の時は俺は24で、もう仕事をしていた。今、俺の息子はまだ高2。オヤジが53の時はどうだったっけ、と時折思いを馳せる。ある時分から息子は、同じ歳のオヤジの姿を思い浮かべるようになる。
オヤジの話をつらつらと述べるのは、「熟年空手家雑言」の趣旨に合っていないので述べない。最も尊敬し、最も影響を受け、そして最も悲しませてしまった人だ。
オヤジが死ぬと分かった時に、俺は感謝をきちんと伝えるべきだった。「まだ生きてくれ・・・生きよ」と励ますよりも、全身全霊の感謝を伝えて見送るべきだった。それが最後の後悔だ。
・・・・・・・
試合に出ようと先週の金曜日に決めてから、結構ハードにトレーニングをしている。金土日が道場稽古、月火は仕事の合間にウェイトと柔軟。明日は仕事後、空手技の自主稽古を行おう。53歳にしてウェイトの負荷はMAXであるし、サンドバッグ突き蹴りの威力も今までのMAXではないかと思っている。だからこの状態で試合をして、負ければそれはそれで自分の限界であろう。スパーリングは昔からあまりやる機会がなくて、試合運びが不器用になることはしょうーがないな。8年くらい前にフルコン試合にデビューした時のコンセプトをそのまま実行しよう。よーするに、「伸び伸びとやる」だ。俺は挑戦者、伸び伸びとやろうじゃないか。決勝迄勝ち進めることができたデビュー戦後、何度も試合に出たが、思いの外勝ち進めなかった。それは、今度は何とか優勝しようという変な欲が出た為である。闘いを愉しむ、とまでにはいかないが、伸び伸びと自分の力を出し切ろうとする初心の挑戦者としての思想が大事であろう。
今度の闘いのコンセプトは、伸び伸びと。
若い時はチャンピオンになろう、トップを目指すんだと闘争心を持ち闘いに臨むものだ。格闘技であるからには、相手を倒す気概でないと勝負には勝てない。大学の空手道部時代は、青くて熱くて、でもそんな本質的な野太い力を持っていたと思う。若い生命力だ。
俺には既に闘争心がないんだな、とある時気がついた。その負け試合をしたのが4年程前か。もう歳だったもんね。それよりさらに歳をとっているんだが、今度の試合は闘争心がなくても伸び伸びと闘おうと思う。それでどこまで行けるのかを試してみるということだ。
さすがにね、50も過ぎると、人を傷つけたくない。でもそんな気持ちでいると自分がやられる。それが格闘の場だ。それを重々分かった上で、伸び伸びと闘うことをしよう。うーーん、変なんだけどね。それが53歳熟年空手家の試行である。
オヤジのテーマソングだった。越前の雪深き街で俺は生まれ、小学1年まで暮らした。まっ白いボタン雪が鉛色の空から無数に降ってきた光景をよく覚えている。毎年毎年何度も何度も見た。オヤジの後をついて歩く時、オヤジがよく彼の歌を歌っていた。見上げるコートの背中、口ずさむ歌声、空から白いボタン雪。
オヤジは1997年に67歳で死んだ。もう15年も前か。熟年空手家と称する俺は53歳。オヤジが53の時は俺は24で、もう仕事をしていた。今、俺の息子はまだ高2。オヤジが53の時はどうだったっけ、と時折思いを馳せる。ある時分から息子は、同じ歳のオヤジの姿を思い浮かべるようになる。
オヤジの話をつらつらと述べるのは、「熟年空手家雑言」の趣旨に合っていないので述べない。最も尊敬し、最も影響を受け、そして最も悲しませてしまった人だ。
オヤジが死ぬと分かった時に、俺は感謝をきちんと伝えるべきだった。「まだ生きてくれ・・・生きよ」と励ますよりも、全身全霊の感謝を伝えて見送るべきだった。それが最後の後悔だ。
・・・・・・・
試合に出ようと先週の金曜日に決めてから、結構ハードにトレーニングをしている。金土日が道場稽古、月火は仕事の合間にウェイトと柔軟。明日は仕事後、空手技の自主稽古を行おう。53歳にしてウェイトの負荷はMAXであるし、サンドバッグ突き蹴りの威力も今までのMAXではないかと思っている。だからこの状態で試合をして、負ければそれはそれで自分の限界であろう。スパーリングは昔からあまりやる機会がなくて、試合運びが不器用になることはしょうーがないな。8年くらい前にフルコン試合にデビューした時のコンセプトをそのまま実行しよう。よーするに、「伸び伸びとやる」だ。俺は挑戦者、伸び伸びとやろうじゃないか。決勝迄勝ち進めることができたデビュー戦後、何度も試合に出たが、思いの外勝ち進めなかった。それは、今度は何とか優勝しようという変な欲が出た為である。闘いを愉しむ、とまでにはいかないが、伸び伸びと自分の力を出し切ろうとする初心の挑戦者としての思想が大事であろう。
今度の闘いのコンセプトは、伸び伸びと。
若い時はチャンピオンになろう、トップを目指すんだと闘争心を持ち闘いに臨むものだ。格闘技であるからには、相手を倒す気概でないと勝負には勝てない。大学の空手道部時代は、青くて熱くて、でもそんな本質的な野太い力を持っていたと思う。若い生命力だ。
俺には既に闘争心がないんだな、とある時気がついた。その負け試合をしたのが4年程前か。もう歳だったもんね。それよりさらに歳をとっているんだが、今度の試合は闘争心がなくても伸び伸びと闘おうと思う。それでどこまで行けるのかを試してみるということだ。
さすがにね、50も過ぎると、人を傷つけたくない。でもそんな気持ちでいると自分がやられる。それが格闘の場だ。それを重々分かった上で、伸び伸びと闘うことをしよう。うーーん、変なんだけどね。それが53歳熟年空手家の試行である。
53歳、えっ、最強?
一か月先の試合に出ることにした。だから鍛えねばならんとして、先週の金土日、三日連続の道場稽古。本日月曜は、いつも以上ウェイトと柔軟をみっちりやった。
最近、サンドバッグも毎週1回は蹴っており、その破壊力は昔より伸びている気がするし、ウェイトの重量はMAXだし、腹筋・背筋の回数も今までのMAX。53歳の今、ひょっとして最強なのではと思っている。
だから、ちょっと試してみよう、と。
疲れが取れるのが遅くなっているようではある。日曜は五体の疲労感。筋肉が文句を言っているような収縮を感じたし、夜に寝転がっているともう眠たくて眠たくてしょうがなく、ずいぶん早く寝てしまった。俺の脳ミソは、全身を休息させ筋肉痛を何とか回復させようとしているのだ。
本日朝、まだ筋肉痛だったし、右足も少し捻挫しているようで階段を降りるのが「ヨイショ」と恐々足を着いていた。しかしながら、試合に出るから無理やり気合を入れて、昼休み、通常通りのウェイトと柔軟。仕事を終えてさらにウェイトと柔軟。今日は体を鍛えると言うことでは、まあ上出来だ。いつもなら昨日の稽古の疲労で、若干甘いトレーニングをしていることだろう。
試合、一週間前まではハードに行く。
最近、サンドバッグも毎週1回は蹴っており、その破壊力は昔より伸びている気がするし、ウェイトの重量はMAXだし、腹筋・背筋の回数も今までのMAX。53歳の今、ひょっとして最強なのではと思っている。
だから、ちょっと試してみよう、と。
疲れが取れるのが遅くなっているようではある。日曜は五体の疲労感。筋肉が文句を言っているような収縮を感じたし、夜に寝転がっているともう眠たくて眠たくてしょうがなく、ずいぶん早く寝てしまった。俺の脳ミソは、全身を休息させ筋肉痛を何とか回復させようとしているのだ。
本日朝、まだ筋肉痛だったし、右足も少し捻挫しているようで階段を降りるのが「ヨイショ」と恐々足を着いていた。しかしながら、試合に出るから無理やり気合を入れて、昼休み、通常通りのウェイトと柔軟。仕事を終えてさらにウェイトと柔軟。今日は体を鍛えると言うことでは、まあ上出来だ。いつもなら昨日の稽古の疲労で、若干甘いトレーニングをしていることだろう。
試合、一週間前まではハードに行く。
2012年10月10日水曜日
バカヤローを二つばかり
政治の話は似合わないサイトであるが、バカヤローを二つばかり言いたい。
民主党の復興予算の使い道は一体何なんだ。復興予算と言うからには100%被災地の復興に使うべきじゃないのか。なんぼ日本の活性化の為に、などと言うようなズルイ文言を入れたとしても、本義を間違えちゃあイカンよ。中国向けの震災情報PRサイト作成や、被災地ではない税務署の耐震構造強化の為に使っている?馬鹿じゃないの、と思う。国民から見放されていくこと、しょうがないと思ってしまうじゃないか。
被災地は困っている。 復興する為に増税をして金を積んだんだろう! すべてを被災地の復興、被災民の生活の再構築の為に使うべきではないのか!自民党的な公共事業だって何だっていいよ。いやむしろメインとして今は公共事業だろう、一杯壊れたんだからさ。造り直さないといけないよ。
俺のオヤジは教員だったので、かつての社会党を支持した。民衆だとか庶民の為だとか、そんな言葉を紡ぎながら、弱いものを守る為の政治を述べたし理想を一杯語った。教育は理想を語らねばならない。そうであって初めて教育。世俗にまみれた振る舞いを教えてはいけない。理想主義者のオヤジが応援した、その社会党の末裔も居ながら何なんだろうね、民主党は。松下政経塾のテクノクラートもダメだねぇ。松下翁の本質はどこに消えたんだ。およそこの時代における正義の思想がないじゃないか。それをきちんと言葉で述べられれるだけの気概もない。政治は未来を見ながら、今の正義を遂行することではないのか。それに命を賭けることなんだよ、本来は。
次に中国。
随分昔に立花隆氏が「共産党研究」で述べたことは、まったく真実だ。「民主集中性」は独裁である。マルクスの理想は一体どこへ行ってしまったんだろう。虐げられている弱い人々が団結して立ちあがり、社会を、より多くの人が幸せを享受できるようにするのが共産主義ではなかったのか! 実はその為に暴力革命の是認だとかの恐い側面があり、それを決して是とはしないんだが、そうでもしない限り既に力を持っている既得権益の支配層に搾取されてしまうから、方法論として認めた。ほんで、中国共産党は銃口から政権をとった。今、実際は何たることか・・・。既得権益の支配層が共産党エリートである。古い言い方だとブルジョアと言う、共産主義の敵である資本家を党員にしてしまう無茶苦茶なこともやっている中国共産党。富んでいける力を持った者を集め、国力を上げ、結果的にそれ以外の民衆にも富が渡るようにしようと考えているんだろうが、上手くは行っていない。人間の欲は際限なく、それが作る世界だから上手くは絶対に行かない。計画された中の箱庭の富は、計画されたように冨者から冨者へ移っていくだけだ。チャンスがないことに気がついた人々により、いずれ何かが起きる。
これからの「革命」なるものは、中国共産党への〇△? 「毛主席」の写真が出るデモはそれを暗示する。俺は決して、「文化大革命」を肯定しない。あんな非人間的なものはないし、毛沢東と言う個人の幻想を国家レベルに広げ、多くの犠牲を生んだ愚かな活動である。しかし今、現在の中国政治への秘められた批判として「毛主席」の肖像が出ている。
「民主集中性」は独裁的権力を生み、独裁的権力ちゅうのは、やっぱり腐敗するんだよね。どんだけ立派なひとでも10年権力の座にあれば、その周りに巣くう人々もいて全体としてその機構が腐敗する。それは毛主席もそうだし、改革開放の中国共産党自身もそうなる可能性は高い。
中国は王朝の歴史である。我々日本人が歴史を通して多くを学んできた煌びやかな中華文明の歴史だ。だいたい日本が偉そうにしていたのはここ100年余に過ぎない。3000年間の大方は、我が国が中華の大国に学び、大きな影響を受けていたのである。その大国と言えば、大中国を治める強大な権力の変遷の歴史である。王朝が変わるたびにゼロリセットしてしまう権力。アアー、もったいない。中国共産党も支配の為の強大な権力を持つ。まったく不思議な大国である。なんで発展の連続がないんだ。これが集団とか社会で幸せを描けないでいる理由であろう。人口が多いから支配しないといけない、ということになってしまっている。多い人口の多様性こそが正しいことなのに、そのモザイクでつくる未来への議論や現状の悩みの上の成功がない。
異なる価値観のモザイクの成功こそが成熟した民主主義と呼ばれるものである。米国は人種のるつぼから異なるモノを認めようという社会に変貌した。戦争に明け暮れたヨーロッパは、元々違う民族達が、EUという実験でもあるが現実を作っている。まあそういう意味では、まだどこも完全に成功していないかもしれない。成功というよりも人類の歴史は問題解決の歴史だ。多様な民族、多様な価値観の中で未来に向けて幸せになれるシステム、それは何だろうかね。
書きながら飲み随分酔っぱらった。本日は以上。
民主党の復興予算の使い道は一体何なんだ。復興予算と言うからには100%被災地の復興に使うべきじゃないのか。なんぼ日本の活性化の為に、などと言うようなズルイ文言を入れたとしても、本義を間違えちゃあイカンよ。中国向けの震災情報PRサイト作成や、被災地ではない税務署の耐震構造強化の為に使っている?馬鹿じゃないの、と思う。国民から見放されていくこと、しょうがないと思ってしまうじゃないか。
被災地は困っている。 復興する為に増税をして金を積んだんだろう! すべてを被災地の復興、被災民の生活の再構築の為に使うべきではないのか!自民党的な公共事業だって何だっていいよ。いやむしろメインとして今は公共事業だろう、一杯壊れたんだからさ。造り直さないといけないよ。
俺のオヤジは教員だったので、かつての社会党を支持した。民衆だとか庶民の為だとか、そんな言葉を紡ぎながら、弱いものを守る為の政治を述べたし理想を一杯語った。教育は理想を語らねばならない。そうであって初めて教育。世俗にまみれた振る舞いを教えてはいけない。理想主義者のオヤジが応援した、その社会党の末裔も居ながら何なんだろうね、民主党は。松下政経塾のテクノクラートもダメだねぇ。松下翁の本質はどこに消えたんだ。およそこの時代における正義の思想がないじゃないか。それをきちんと言葉で述べられれるだけの気概もない。政治は未来を見ながら、今の正義を遂行することではないのか。それに命を賭けることなんだよ、本来は。
次に中国。
随分昔に立花隆氏が「共産党研究」で述べたことは、まったく真実だ。「民主集中性」は独裁である。マルクスの理想は一体どこへ行ってしまったんだろう。虐げられている弱い人々が団結して立ちあがり、社会を、より多くの人が幸せを享受できるようにするのが共産主義ではなかったのか! 実はその為に暴力革命の是認だとかの恐い側面があり、それを決して是とはしないんだが、そうでもしない限り既に力を持っている既得権益の支配層に搾取されてしまうから、方法論として認めた。ほんで、中国共産党は銃口から政権をとった。今、実際は何たることか・・・。既得権益の支配層が共産党エリートである。古い言い方だとブルジョアと言う、共産主義の敵である資本家を党員にしてしまう無茶苦茶なこともやっている中国共産党。富んでいける力を持った者を集め、国力を上げ、結果的にそれ以外の民衆にも富が渡るようにしようと考えているんだろうが、上手くは行っていない。人間の欲は際限なく、それが作る世界だから上手くは絶対に行かない。計画された中の箱庭の富は、計画されたように冨者から冨者へ移っていくだけだ。チャンスがないことに気がついた人々により、いずれ何かが起きる。
これからの「革命」なるものは、中国共産党への〇△? 「毛主席」の写真が出るデモはそれを暗示する。俺は決して、「文化大革命」を肯定しない。あんな非人間的なものはないし、毛沢東と言う個人の幻想を国家レベルに広げ、多くの犠牲を生んだ愚かな活動である。しかし今、現在の中国政治への秘められた批判として「毛主席」の肖像が出ている。
「民主集中性」は独裁的権力を生み、独裁的権力ちゅうのは、やっぱり腐敗するんだよね。どんだけ立派なひとでも10年権力の座にあれば、その周りに巣くう人々もいて全体としてその機構が腐敗する。それは毛主席もそうだし、改革開放の中国共産党自身もそうなる可能性は高い。
中国は王朝の歴史である。我々日本人が歴史を通して多くを学んできた煌びやかな中華文明の歴史だ。だいたい日本が偉そうにしていたのはここ100年余に過ぎない。3000年間の大方は、我が国が中華の大国に学び、大きな影響を受けていたのである。その大国と言えば、大中国を治める強大な権力の変遷の歴史である。王朝が変わるたびにゼロリセットしてしまう権力。アアー、もったいない。中国共産党も支配の為の強大な権力を持つ。まったく不思議な大国である。なんで発展の連続がないんだ。これが集団とか社会で幸せを描けないでいる理由であろう。人口が多いから支配しないといけない、ということになってしまっている。多い人口の多様性こそが正しいことなのに、そのモザイクでつくる未来への議論や現状の悩みの上の成功がない。
異なる価値観のモザイクの成功こそが成熟した民主主義と呼ばれるものである。米国は人種のるつぼから異なるモノを認めようという社会に変貌した。戦争に明け暮れたヨーロッパは、元々違う民族達が、EUという実験でもあるが現実を作っている。まあそういう意味では、まだどこも完全に成功していないかもしれない。成功というよりも人類の歴史は問題解決の歴史だ。多様な民族、多様な価値観の中で未来に向けて幸せになれるシステム、それは何だろうかね。
書きながら飲み随分酔っぱらった。本日は以上。
2012年10月8日月曜日
名残のサンドバッグ、地道は大事
耐震工事を行う為に年内一杯道場が使えないとのこと。今は10月、3ヶ月間サンドバッグが蹴れないくなる。故に、先週はしばし蹴り納め、突き納めとしてのサンドバッグ稽古を行った。それはいつものハードトレーニング。次の日、腰に重りが入ったようになる。
1時間半、途中柔軟ストレッチを1分程度入れたが、かなり気合の入れた、2分1ラウンドのサンドバッグ稽古を、一体何ラウンドやったのだろうか・・・、まあ多くやった。名残のサンドバッグ稽古故、強烈なキック、パンチをシンプルに、思い切りサンドバッグにぶち込む稽古をやったつもりであるんだが、次の日に辛い筋肉痛を覚えなかったのが不思議である。俺の体が強靭になったのか、それとも寄る歳波で、少しでも大きな破壊力に繋がる筋肉の、瞬時の集中した酷使がでなくなったのか、どっちだろうか。うーん半々だろうね。すべての筋肉を統合的に動員して、スピードとパワーによる最大限の蹴りを行える感覚は大事にしないといけない。昔は8割方感じていたのだが、今は3割程度だ。10本蹴りをすれば3本だけその、すべてを動員したことを感じる。歳をとると・・・じゃないね、単なる稽古不足故にそうなっているのであろう。毎日の稽古の大切さを改めて、再認識すべし。
先週は昼トレのウェイトと柔軟をまあまあやったんだが、下半身の鍛錬をおざなりにした。先々週の後半は昼トレを休んだから、下半身鍛錬をしばらくやらなかったということ。そうすると結果は顕著に出るね、やはり。先週土曜の稽古にてキックミットに下段と中段の蹴りを右左構えで各1分やったんだが、蹴った後の残心にて時折ふらついた。破壊力とかパワーの面ではそこそこいい蹴りが出るんだが、ふらついちゃあイカンよね。10本蹴って10本とも統合的に力と体重が蹴るポイントに集中して乗るというようなイイ蹴りはできていなかった。先に書いた10本のうちの3本がOK、と言う感じだ。日々の地道な鍛錬が必要だ、本当に。
先週は昼の自主トレをやり、サンドバッグ稽古一回、それと道場稽古に土日と出たのでおおむね修練としてはよい。
本日のスパーリングで小さな中学生の男の子の水月を突いてしまい、悶絶させてしまったことを反省する。自分の技の受け返しが上手いとは思わないもので、例え相手が小さくても、受けた後技を返すモーションをする。それが自分の稽古だと考えて。そのモーションは寸止めをしているつもりなんだが、本日、その時だけ、当たってしまったようだ。今後は返す動作それ自身もスローモーにするか、平手ですべき。或いはもう少し大きめのグローブを着けないといけない。
本日の結論は、日々の稽古で「統合的な」力の使い方を意識し、身につけ試すこと。相手との体力差が大きくある場合は、技を試してはならない。
久しぶりに次の試合に出ようと思った。やはり外と闘い学ぶことが必要だ。また、日々の鍛錬がどの程度通用するのかを確認しなければならない。
2012年10月5日金曜日
酒、稽古休む
最近の飲み会、2回続けてトコトン飲んでしまった。何でかねぇ。
先週の火曜日、旧友の壮行会。吐くまで飲んでしまった。次の日、二日酔い。その次の日も胃が疲れていると言うか、腹の芯がしっかりしないので昼休みの自主トレをする気力湧かず、2日続けて休む。
先週の金曜日、仲間と飲む。電車を終電まで乗り過ごして高いタクシー代で帰る羽目になった。次の日の道場稽古、二日酔いで行けず。その次の日の日曜は行こうと思えば行けたんだが、やはり何となく気力が出ず道場稽古行かず。
俺は大学体育会の空手道部出身。飲み方が35年以上若かりし時代の、吐くまで飲むことにすぐ戻ってしまう。本当に注意が必要なんだよね。35年前の我々空手道士ときたら、「酒は飲むべし」のみ。酒の上のケンカ、不祥事、全然OK。むしろ煽っていたきらいすら有る。酒の上の失敗を、誇りとしないまでも面白おかしく語り、それを肴にまた飲んでいた。
もう35年も経ったのに、そんな飲み方と言うか、ブレーキを無くしてトコトン飲むことが時折起きる。20才の若造じゃないんだから・・・まったく・・・・、節制すべし。
ともあれ、そういう飲み方をしてしまった日にゃ、上に書いたように2,3日影響が出る。若い時には二日酔いすらしなかったのに。さすがに年と言うか、年輪を経てもっと飲めるようになってしまったと言うか、まあそんな理由解明はどうでもよいが、トレーニングや稽古をしようとする気力が出ないという、生命力を減らしているので反省しなければならない。
月曜日。泥酔から3日目。昼トレを行った。気が乗らぬので好きな科目しかしないとして、腹筋背筋の地道トレーニングを省き、上半身のウェイトのみ。火曜日。今一つ気力が出なく、昨日と同じく好きな科目のみ・・・、と言うとやはり上半身だね。上半身のウエイトはそれ程消耗しないのだが、筋肉を疲弊させてやった感が出るのでやりがいがある。これが下半身のウェイトだと本当に疲弊するのみ。息をゼーゼーさせながら辛いけれどやることになるので、「やるぞ!」のハードルがかなり高くなってしまう。
昨日と違うことは、本日は夕食後もトレーニングした。下半身を多少でも何とかやろうとするほどの精神が回復した。ヒンジースクワットに股閉じ開けのマシントレーニング。やっとこさ酒の消耗が終わり気力が出てきたと言う所だ。
面白いよね、酒飲みは。反省と回復の繰り返し。進歩がない同じ地点、同じ感覚、同じ心象風景を行ったり来たりだ。だから酒か。前向きとか向上とかとは反対。そもそも演歌なんだよね。「悲しい酒」なぞは名曲だ。昭和の歌姫、美空ひばりが歌った。
昭和・・・とことん昭和。素晴らしいです。これが「酒」です。この場合は「悲しい」のだが、喜びも「酒」であるし、怒りも「酒」であった。激しい感情の持って行き場の無い時に、「酒」があった。平成は、昭和ほど激しくなく、ドロドロしていない。「酒」は乾杯と親睦になってしまった。
話がどこへ行くかが分からなくなったが、まあ、酒に飲まれるような生活はダメで、「酒は飲むべし」がちゃんと言えるほど、日々トレーニングで鍛えてないとイカンと言うことであるし、それができなくなった歳ではちゃんと己を律せて然るべきである。その為に修行してきたのだろう!と自問したら・・・、ギャフンとなった。
酒と空手、修行。悪くはない。
本日ダラダラと記して終わり。酒は、でも賛美しておく。
先週の火曜日、旧友の壮行会。吐くまで飲んでしまった。次の日、二日酔い。その次の日も胃が疲れていると言うか、腹の芯がしっかりしないので昼休みの自主トレをする気力湧かず、2日続けて休む。
先週の金曜日、仲間と飲む。電車を終電まで乗り過ごして高いタクシー代で帰る羽目になった。次の日の道場稽古、二日酔いで行けず。その次の日の日曜は行こうと思えば行けたんだが、やはり何となく気力が出ず道場稽古行かず。
俺は大学体育会の空手道部出身。飲み方が35年以上若かりし時代の、吐くまで飲むことにすぐ戻ってしまう。本当に注意が必要なんだよね。35年前の我々空手道士ときたら、「酒は飲むべし」のみ。酒の上のケンカ、不祥事、全然OK。むしろ煽っていたきらいすら有る。酒の上の失敗を、誇りとしないまでも面白おかしく語り、それを肴にまた飲んでいた。
もう35年も経ったのに、そんな飲み方と言うか、ブレーキを無くしてトコトン飲むことが時折起きる。20才の若造じゃないんだから・・・まったく・・・・、節制すべし。
ともあれ、そういう飲み方をしてしまった日にゃ、上に書いたように2,3日影響が出る。若い時には二日酔いすらしなかったのに。さすがに年と言うか、年輪を経てもっと飲めるようになってしまったと言うか、まあそんな理由解明はどうでもよいが、トレーニングや稽古をしようとする気力が出ないという、生命力を減らしているので反省しなければならない。
月曜日。泥酔から3日目。昼トレを行った。気が乗らぬので好きな科目しかしないとして、腹筋背筋の地道トレーニングを省き、上半身のウェイトのみ。火曜日。今一つ気力が出なく、昨日と同じく好きな科目のみ・・・、と言うとやはり上半身だね。上半身のウエイトはそれ程消耗しないのだが、筋肉を疲弊させてやった感が出るのでやりがいがある。これが下半身のウェイトだと本当に疲弊するのみ。息をゼーゼーさせながら辛いけれどやることになるので、「やるぞ!」のハードルがかなり高くなってしまう。
昨日と違うことは、本日は夕食後もトレーニングした。下半身を多少でも何とかやろうとするほどの精神が回復した。ヒンジースクワットに股閉じ開けのマシントレーニング。やっとこさ酒の消耗が終わり気力が出てきたと言う所だ。
面白いよね、酒飲みは。反省と回復の繰り返し。進歩がない同じ地点、同じ感覚、同じ心象風景を行ったり来たりだ。だから酒か。前向きとか向上とかとは反対。そもそも演歌なんだよね。「悲しい酒」なぞは名曲だ。昭和の歌姫、美空ひばりが歌った。
ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ(台詞)
ああ別れたあとの心残りよ
未練なのね あの人の面影
淋しさを 忘れるために
飲んでいるのに 酒は今夜も
私を悲しくさせるの 酒よ
どうしてどうして あの人を
あきらめたらいいの
あきらめたらいいの
酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ
酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため
一人ぽっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ(台詞)
ああ別れたあとの心残りよ
未練なのね あの人の面影
淋しさを 忘れるために
飲んでいるのに 酒は今夜も
私を悲しくさせるの 酒よ
どうしてどうして あの人を
あきらめたらいいの
あきらめたらいいの
酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ
酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため
一人ぽっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける
石本美由起作詞・古賀政男作曲/昭和41年
昭和・・・とことん昭和。素晴らしいです。これが「酒」です。この場合は「悲しい」のだが、喜びも「酒」であるし、怒りも「酒」であった。激しい感情の持って行き場の無い時に、「酒」があった。平成は、昭和ほど激しくなく、ドロドロしていない。「酒」は乾杯と親睦になってしまった。
話がどこへ行くかが分からなくなったが、まあ、酒に飲まれるような生活はダメで、「酒は飲むべし」がちゃんと言えるほど、日々トレーニングで鍛えてないとイカンと言うことであるし、それができなくなった歳ではちゃんと己を律せて然るべきである。その為に修行してきたのだろう!と自問したら・・・、ギャフンとなった。
酒と空手、修行。悪くはない。
本日ダラダラと記して終わり。酒は、でも賛美しておく。
2012年10月1日月曜日
勝ち負けと制圧と言うこと
昨日、一昨日稽古をサボり、日がなビールを飲んで過ごす。ああ~~、よくない。
昔書いた文章の推敲をし、投稿する。せめて。
使わない為の空手修行。常に「平常心」を持つべく武術として習得する。一旦攻撃を受けても鍛えし受けで敵を制圧する。そういうことが空手の目的ではある。制圧という言葉は何か大仰ではあるが、制圧とは相手が自分に害をなさない状態に持っていくことである。だからまあ結果的に押さえ込んだ状態になることは多い。しかし相手を自分の意のままに動かす支配ではない。空手に先手なしと言うのも、非常の攻撃を受けた時にあくまで受けて敵を制圧することである。相手が害をなさない限りは、何もする必要はない。
この点、スポーツと武道の違う所としてあるようだ。スポーツの場合は競技として勝ち負けを決する故に、「攻撃は最大の防御なり」のように相手に勝つ為、倒す為の技を身につける。制圧ではなく勝負、もし格闘ならば最後にどちらが生き残るかを、定められたルールの上でゲームとして決める。
うーーん、ここまで書いて間違っていることに気がついた。レスリングを見よ。肩をつけたから勝ちと言うのは制圧だ。柔道を見ろ、寝技で抑え込み続けると言うのは制圧だ。どちらも相手の反撃を無くしている。彼の競技の人々は武道の心を持っている。意識するしないに拘わらず、武道における闘いと言うのは相手を害すること、殺すことではなく、無力化することであるということ。
空手やキックボクシングのような打撃系は・・・・しょーがないねぇ・・・。俺もその一人。
ところがではある。
空手流派の中で試合をしない流派もある。それは制圧することと、勝ち負けを決する勝負とは異なるというような考えに基づくものであろう。芦原空手は試合形式の競技を認めなかった。それに反対したのは芦原空手最大の功労者である二宮城光氏であり、結局彼は芦原英幸氏の生前から分派して円心空手を創る。試合は勝ち負けを決めてしまうのでよくない、しかし試合でもしなければ技の試しができない。そういうことから円心空手は「サバキチャレンジ」という大会を行っている。
昔琉球空手で、公には認められていなかったかけ試しというのがある。古い琉球空手は実際の組手すら認めなかったと言う。単に型稽古で強くなったのか?そうだ、と冨名腰義珍大先生は言う。
小生は学生時代に伝統派空手の体育会空手道部に入り、試合ではそれなりの戦績を残した。自分でも強かったと思う。しかし自分がもしケンカを売られて闘いに巻き込まれた時にどの程度強いかどうかははっきりとは分からなかった。試合では強かった、では「実戦」ではどうか。普段寸止めしている上段突きを止めずにやったときにどの程度の破壊力を生むのか。そんな血を見る闘いはしたくない。ではどのように受けて相手を制圧するのか?学生のスポーツ空手ではそのようなことは教わらなかった。制圧する為の技の体系がある。芦原空手はそれを目指していると言う。そういう考えがない場合、殺されない為に全力の攻撃を仕掛けるしかないだろう、突きも蹴りも相手を倒す為に総動員することだろう。
フルコン空手をやって、自分の技の破壊力が相手にどのように効くのかが多少分かってきた。相手の技が自分に効くのかはまだよく分からぬ。自分より圧倒的に強い人間と闘い打ちのめされたことがない故に。静止したサンドバッグには自分でも満足のいく突き蹴りが入るのに、動く相手にそのままの破壊力で入れ込めることが非常に難しいことも分かった。組手で思い切りやっても、相手はまず倒れないのである。この平和な時代、相手を倒すことに意義はない。また武道の究極は活人剣であると昔から思っている。
倒す倒されるのではなく、制圧する技、その理論体系を学び修練したいと思う。活人剣はそのはるか先だ。
あっち飛びこっち飛びの文章になったが、レスリングと柔道は、制圧することを競技の中に入れている。それは武道というものを判っていると言ってよい。殴り殴られ倒し倒されというのは、武道ではなく単なる競技である。「あしたのジョー」はそんな世界なんだが・・・・、しかし、これがまた凄い。周りを活かす「活人剣」なんだよなぁー、これが梶原先生の深さ。結局命を賭けて闘ってみないとさぁ、判んないよね、と言う氏の言葉が聞こえてきそうな。
俺が上で述べた様々の理屈は何だったのか、とマッチポンプのような結論とする。
昔書いた文章の推敲をし、投稿する。せめて。
使わない為の空手修行。常に「平常心」を持つべく武術として習得する。一旦攻撃を受けても鍛えし受けで敵を制圧する。そういうことが空手の目的ではある。制圧という言葉は何か大仰ではあるが、制圧とは相手が自分に害をなさない状態に持っていくことである。だからまあ結果的に押さえ込んだ状態になることは多い。しかし相手を自分の意のままに動かす支配ではない。空手に先手なしと言うのも、非常の攻撃を受けた時にあくまで受けて敵を制圧することである。相手が害をなさない限りは、何もする必要はない。
この点、スポーツと武道の違う所としてあるようだ。スポーツの場合は競技として勝ち負けを決する故に、「攻撃は最大の防御なり」のように相手に勝つ為、倒す為の技を身につける。制圧ではなく勝負、もし格闘ならば最後にどちらが生き残るかを、定められたルールの上でゲームとして決める。
うーーん、ここまで書いて間違っていることに気がついた。レスリングを見よ。肩をつけたから勝ちと言うのは制圧だ。柔道を見ろ、寝技で抑え込み続けると言うのは制圧だ。どちらも相手の反撃を無くしている。彼の競技の人々は武道の心を持っている。意識するしないに拘わらず、武道における闘いと言うのは相手を害すること、殺すことではなく、無力化することであるということ。
空手やキックボクシングのような打撃系は・・・・しょーがないねぇ・・・。俺もその一人。
ところがではある。
空手流派の中で試合をしない流派もある。それは制圧することと、勝ち負けを決する勝負とは異なるというような考えに基づくものであろう。芦原空手は試合形式の競技を認めなかった。それに反対したのは芦原空手最大の功労者である二宮城光氏であり、結局彼は芦原英幸氏の生前から分派して円心空手を創る。試合は勝ち負けを決めてしまうのでよくない、しかし試合でもしなければ技の試しができない。そういうことから円心空手は「サバキチャレンジ」という大会を行っている。
昔琉球空手で、公には認められていなかったかけ試しというのがある。古い琉球空手は実際の組手すら認めなかったと言う。単に型稽古で強くなったのか?そうだ、と冨名腰義珍大先生は言う。
小生は学生時代に伝統派空手の体育会空手道部に入り、試合ではそれなりの戦績を残した。自分でも強かったと思う。しかし自分がもしケンカを売られて闘いに巻き込まれた時にどの程度強いかどうかははっきりとは分からなかった。試合では強かった、では「実戦」ではどうか。普段寸止めしている上段突きを止めずにやったときにどの程度の破壊力を生むのか。そんな血を見る闘いはしたくない。ではどのように受けて相手を制圧するのか?学生のスポーツ空手ではそのようなことは教わらなかった。制圧する為の技の体系がある。芦原空手はそれを目指していると言う。そういう考えがない場合、殺されない為に全力の攻撃を仕掛けるしかないだろう、突きも蹴りも相手を倒す為に総動員することだろう。
フルコン空手をやって、自分の技の破壊力が相手にどのように効くのかが多少分かってきた。相手の技が自分に効くのかはまだよく分からぬ。自分より圧倒的に強い人間と闘い打ちのめされたことがない故に。静止したサンドバッグには自分でも満足のいく突き蹴りが入るのに、動く相手にそのままの破壊力で入れ込めることが非常に難しいことも分かった。組手で思い切りやっても、相手はまず倒れないのである。この平和な時代、相手を倒すことに意義はない。また武道の究極は活人剣であると昔から思っている。
倒す倒されるのではなく、制圧する技、その理論体系を学び修練したいと思う。活人剣はそのはるか先だ。
あっち飛びこっち飛びの文章になったが、レスリングと柔道は、制圧することを競技の中に入れている。それは武道というものを判っていると言ってよい。殴り殴られ倒し倒されというのは、武道ではなく単なる競技である。「あしたのジョー」はそんな世界なんだが・・・・、しかし、これがまた凄い。周りを活かす「活人剣」なんだよなぁー、これが梶原先生の深さ。結局命を賭けて闘ってみないとさぁ、判んないよね、と言う氏の言葉が聞こえてきそうな。
俺が上で述べた様々の理屈は何だったのか、とマッチポンプのような結論とする。
2012年9月20日木曜日
普通の日
小生と同じような空手オヤジの書いているブログを、頻繁に興味深く読んでいた。内容は多岐に渡り面白く、洞察に富み、文章も上手い。最近更新がないがどうしたのだろうか。小生はこのサイトのファンだった。
今日が一番きつかった(中年空手日誌)
本日も淡々とトレーニングを、午後9時からして帰った。本来は昼休みにすべきものだったが、気合が入らず、昼休みはマッサージチェアでグリグリされながら雑誌を読んでいた。で、やはりトレーニングをスキップするのに気がとがめ・・・別に誰に悪い訳でなく、どうでもいいんだが・・・仕事が終わってからトレーニングルームへ。今日の昼にすべきだったメニューをこなした。
本日は下半身。27.5Kのダンベル×2の重量でスクワット20回×3セット。その後、股開き、股閉じのマシンによるウェイトを各3セット。その前には、毎日の定番である腹筋100回、背筋70回。ウェイトが終わってから柔軟をTV見ながら10分程度かな、やった。時間にして40分。昼休みのように急いでやる必要がないので、のんびりと楽だった。
昨日は会社の空手道場でいつものごとくサンドバッグを午後6時半から8時まで。サンドバッグ稽古をiPhoneでビデオ撮影した。撮影しては再生してモーションを確認していたから、濃いハード稽古にはなっていない。
まあ、俺の動きは固いねぇ。腰が前に出ていない。足をきちんと折りたたんでいない。パンチはまあまあだが、ノーモーションで切れるパンチを出したいね。ドスンと破壊力はあるんだが。回し蹴りの時にかなり腰は回しているんだが、もっと回してもよい、というか腰自体を前後ろ、回転と、柔軟に使うべきだと言うことが分かった。回転もオーバーにやってよい。QuickTimeMovieは、コマ送りができるから面白い。普通の速度で見ているとたいして腰が廻っていない回し蹴りも、コマ送りにするとちゃんと廻っていた。それはそれでよいんだが、何かしら固く見えるのは腰の動きが地味だからだ。腰の動きをもっと柔軟に、大きくしないとね。
これからさらに自分のフォーム、モーションを見て改善点を掴んでいくべし。じーさんのような動きにならないように。
今日が一番きつかった(中年空手日誌)
本日も淡々とトレーニングを、午後9時からして帰った。本来は昼休みにすべきものだったが、気合が入らず、昼休みはマッサージチェアでグリグリされながら雑誌を読んでいた。で、やはりトレーニングをスキップするのに気がとがめ・・・別に誰に悪い訳でなく、どうでもいいんだが・・・仕事が終わってからトレーニングルームへ。今日の昼にすべきだったメニューをこなした。
本日は下半身。27.5Kのダンベル×2の重量でスクワット20回×3セット。その後、股開き、股閉じのマシンによるウェイトを各3セット。その前には、毎日の定番である腹筋100回、背筋70回。ウェイトが終わってから柔軟をTV見ながら10分程度かな、やった。時間にして40分。昼休みのように急いでやる必要がないので、のんびりと楽だった。
昨日は会社の空手道場でいつものごとくサンドバッグを午後6時半から8時まで。サンドバッグ稽古をiPhoneでビデオ撮影した。撮影しては再生してモーションを確認していたから、濃いハード稽古にはなっていない。
まあ、俺の動きは固いねぇ。腰が前に出ていない。足をきちんと折りたたんでいない。パンチはまあまあだが、ノーモーションで切れるパンチを出したいね。ドスンと破壊力はあるんだが。回し蹴りの時にかなり腰は回しているんだが、もっと回してもよい、というか腰自体を前後ろ、回転と、柔軟に使うべきだと言うことが分かった。回転もオーバーにやってよい。QuickTimeMovieは、コマ送りができるから面白い。普通の速度で見ているとたいして腰が廻っていない回し蹴りも、コマ送りにするとちゃんと廻っていた。それはそれでよいんだが、何かしら固く見えるのは腰の動きが地味だからだ。腰の動きをもっと柔軟に、大きくしないとね。
これからさらに自分のフォーム、モーションを見て改善点を掴んでいくべし。じーさんのような動きにならないように。
2012年9月12日水曜日
真樹日佐夫氏の「ああ五十年 身に余る」
真樹日佐夫氏の、「ああ五十年 身に余る」を読む。副題が「真樹日佐夫ワル自伝」である。ちょっとやそっとじゃ、感想は書けませんね。まあ、感想としてまとめることの器を我は持たぬ、と言うことか。
少年マガジン連載の「空手バカ一代」の漫画で育った50代前後の世代には知っている人も多いだろう。それより先行した氏の原作である「ワル」―これも少年マガジン連載なんだが―となるとさらに古く、少年誌連載なのに大人の世界のような気がしましたね。当時小生は中学生になったばかり、高校生はなんて大人なんだろうと感じ入っていた記憶がある。
「ワル」は、1970‐72年に少年マガジン連載。その後続編が別の雑誌で続く。ともかく大変昔。「空手バカ一代」は、1971‐77年に少年マガジン連載。こちらは氏の兄である梶原一騎原作であり、真樹日佐夫氏の方は空手家として登場人物の一人となっている。
「ああ五十年 身に余る」の題名がおもしろいですね。何が「身に余る」んだ?と尋ねたい所です。氏は頭がよく空手が強いのに、まったくいったい何がどういう具合に「身に余る」のか。身になんぞ余らないだろう、好き勝手に己の成したいことに邁進したのではないか、と思うよね。氏の吐いた不思議な言葉です。
真樹日佐夫氏は1940年(昭和15年)6月16日生まれで、 2012年(平成24年)1月2日に亡くなった。享年71歳であった。「ああ五十年」の50年とは?この本を書いた時は2011年。読めば分かるが、氏が年上のある女性と契りを成し、結婚はしなかったんだが人生の同志?伴侶として生きた日々であろうと思うんだが、ヒジョーに分かりにくい。50年とは、氏が梶原兄と文筆で生きて行くことを決めた時期とも一致するし、空手の道に入った時期もそう違わないだろう。「身に余る」の言葉を何故発したのかが分からない。氏が生前この本を出し、そのきっかけが50年来の女性の死であったことを考えれば、その女性に命を賭けて愛されたことを「身に余る」と言うのであろうか?
氏は梶原兄とのこと、極真空手、そして大山総裁のこと、自身の仕事や空手の事、様々に述べている。そのすべてのことに感謝したいから「身に余る」なんだろうか? 一代の不良がそんなに素直じゃないよね。まあ、感謝はすれど己の腕っぷしで渡ってきた事実と自尊がある。登場人物が小生の尺度で見れば無茶苦茶濃い。その濃い人々との交わりに氏は感謝したのだろうか?「身に余る」と言うのは、不良としてケンカして生き続けたが、終わりがないほど一杯好敵手がいたぞ、という意味もあるんだろうか? 女と男、一体どっちに感謝するんだと氏を問いただしたい所ではある。
男どもの濃い中の生、年上の女性への下にも置かぬ思い、「ああ五十年 身に余る」はどっちだか小生には分らぬ。どっちもだと言ってくれるより、小市民の小生としてはなぜかしらはっきりしたい所なんだよ。一に女、二に梶原兄、三に極真の大山総裁。そう解釈した。
ともかくも、不良少年から不良オヤジではあるんだが、空手、文筆、生半可ではなくやってきた・・・やはり大きな不良オヤジですね、年少の小生から見れば。
前にも書いたが、小生の時代は、真樹日佐夫氏の兄上である梶原一騎氏に創られたような時代である。何ともはや・・・の偉大なる兄弟だ・・・・。でも不良なんだよね。まあ、アウトロー万歳、小生もその時代の一片である。しかし小生の場合は、そう影響されて思ってきたこと、彼等兄弟は実践し表したこと、嗚呼凄いねぇと、全く大きな違いにため息をついている。
少年マガジン連載の「空手バカ一代」の漫画で育った50代前後の世代には知っている人も多いだろう。それより先行した氏の原作である「ワル」―これも少年マガジン連載なんだが―となるとさらに古く、少年誌連載なのに大人の世界のような気がしましたね。当時小生は中学生になったばかり、高校生はなんて大人なんだろうと感じ入っていた記憶がある。
「ワル」は、1970‐72年に少年マガジン連載。その後続編が別の雑誌で続く。ともかく大変昔。「空手バカ一代」は、1971‐77年に少年マガジン連載。こちらは氏の兄である梶原一騎原作であり、真樹日佐夫氏の方は空手家として登場人物の一人となっている。
「ああ五十年 身に余る」の題名がおもしろいですね。何が「身に余る」んだ?と尋ねたい所です。氏は頭がよく空手が強いのに、まったくいったい何がどういう具合に「身に余る」のか。身になんぞ余らないだろう、好き勝手に己の成したいことに邁進したのではないか、と思うよね。氏の吐いた不思議な言葉です。
真樹日佐夫氏は1940年(昭和15年)6月16日生まれで、 2012年(平成24年)1月2日に亡くなった。享年71歳であった。「ああ五十年」の50年とは?この本を書いた時は2011年。読めば分かるが、氏が年上のある女性と契りを成し、結婚はしなかったんだが人生の同志?伴侶として生きた日々であろうと思うんだが、ヒジョーに分かりにくい。50年とは、氏が梶原兄と文筆で生きて行くことを決めた時期とも一致するし、空手の道に入った時期もそう違わないだろう。「身に余る」の言葉を何故発したのかが分からない。氏が生前この本を出し、そのきっかけが50年来の女性の死であったことを考えれば、その女性に命を賭けて愛されたことを「身に余る」と言うのであろうか?
氏は梶原兄とのこと、極真空手、そして大山総裁のこと、自身の仕事や空手の事、様々に述べている。そのすべてのことに感謝したいから「身に余る」なんだろうか? 一代の不良がそんなに素直じゃないよね。まあ、感謝はすれど己の腕っぷしで渡ってきた事実と自尊がある。登場人物が小生の尺度で見れば無茶苦茶濃い。その濃い人々との交わりに氏は感謝したのだろうか?「身に余る」と言うのは、不良としてケンカして生き続けたが、終わりがないほど一杯好敵手がいたぞ、という意味もあるんだろうか? 女と男、一体どっちに感謝するんだと氏を問いただしたい所ではある。
男どもの濃い中の生、年上の女性への下にも置かぬ思い、「ああ五十年 身に余る」はどっちだか小生には分らぬ。どっちもだと言ってくれるより、小市民の小生としてはなぜかしらはっきりしたい所なんだよ。一に女、二に梶原兄、三に極真の大山総裁。そう解釈した。
ともかくも、不良少年から不良オヤジではあるんだが、空手、文筆、生半可ではなくやってきた・・・やはり大きな不良オヤジですね、年少の小生から見れば。
前にも書いたが、小生の時代は、真樹日佐夫氏の兄上である梶原一騎氏に創られたような時代である。何ともはや・・・の偉大なる兄弟だ・・・・。でも不良なんだよね。まあ、アウトロー万歳、小生もその時代の一片である。しかし小生の場合は、そう影響されて思ってきたこと、彼等兄弟は実践し表したこと、嗚呼凄いねぇと、全く大きな違いにため息をついている。
2012年9月3日月曜日
最近やっている稽古内容の記録
最近やっている稽古内容を記録しておこう。
このブログの更新に空手稽古の内容が少なくなっているが、やっていないのではなくてやることがあまりにあたり前になったので書かなかった。
まずは昼休みのトレーニング。昼休みは20分程度という短い時間だが中身は濃い。加えて水曜日は仕事後に1時間半のサンドバッグトレーニング。土日が道場に行く本格稽古なんだが、肝心のこいつがサボりがち。だって土日は昼からビール飲んでいるし、それがまあ唯一と言ってよい楽しみだし、また適度に用事もあるし。ウム思い出した。よくあるパターンは金曜の宴会で飲み過ぎて、土曜は二日酔い故に稽古に行けず気だるく日を過ごす。次の日曜も結構だるく、年をとると三日酔いのように体力回復できずソファーぐったり怠惰生活というのがよくあるパターンである。
それに比べて週日は結構ハードトレーニングなんだよね。仕事が上手い具合に進まず気も入らないから余計に熱中?ちゅう感じですかね。
だいたい毎週同じローテーション。
月曜。週始め故やる気が出ないケースが半分、残りの半分は日曜の稽古で身体が消耗していてそもそも疲れているケース。トレーニング内容は上半身強化メニュー。
火曜は下半身強化。地味で面白くなく、結構辛い。
水曜は月曜と同じメニュー。
水曜は仕事後、だいたい6時半頃から会社の道場で自主トレを行う。ひたすらサンドバッグ稽古。2分1ラウンドでだいたい下記を行う。計12-15ラウンドくらいやっていることになるのかね。
基本技の確認や鍛錬が主となってしまうので、時にはそうではなくて、徹底してコンビネーションのみでラウンド重ねる必要も感じている。
木曜は火曜の下半身強化メニューを繰り返すが、前日の水曜の疲れや筋肉痛があり、ダレーっとしてサボって内容を薄くする場合が多い。一週間に一度程度のサンドバッグだと、次の日腰の筋肉痛になる。全力の回し蹴りをたたき付け、その反力を腰が受け止めているんだもんね。
金曜はまた上半身強化の月曜メニューと同じ。
月水金は上半身、火木が下半身だ。毎日は腹筋背筋。
以上、記録として。
このブログの更新に空手稽古の内容が少なくなっているが、やっていないのではなくてやることがあまりにあたり前になったので書かなかった。
まずは昼休みのトレーニング。昼休みは20分程度という短い時間だが中身は濃い。加えて水曜日は仕事後に1時間半のサンドバッグトレーニング。土日が道場に行く本格稽古なんだが、肝心のこいつがサボりがち。だって土日は昼からビール飲んでいるし、それがまあ唯一と言ってよい楽しみだし、また適度に用事もあるし。ウム思い出した。よくあるパターンは金曜の宴会で飲み過ぎて、土曜は二日酔い故に稽古に行けず気だるく日を過ごす。次の日曜も結構だるく、年をとると三日酔いのように体力回復できずソファーぐったり怠惰生活というのがよくあるパターンである。
それに比べて週日は結構ハードトレーニングなんだよね。仕事が上手い具合に進まず気も入らないから余計に熱中?ちゅう感じですかね。
だいたい毎週同じローテーション。
月曜。週始め故やる気が出ないケースが半分、残りの半分は日曜の稽古で身体が消耗していてそもそも疲れているケース。トレーニング内容は上半身強化メニュー。
- V字腹筋70回、背筋70回: 昔は50回だったが回数を増やしつつある。
- フライ: 80Kを8→6→5→4回と4セット程度やることが多い。負荷はマシンのMAXでありこれ以上増えない。チェストプレスマシンMAX150Kが、もう少しすると入ってくる。それが楽しみ。入ってくるとそうれをメインにすることになる。
- 懸垂: 広順手、逆手、狭順手と、8回ずつ。3セット目の8回はかなりきつい。この種目は何故だか成長がない。3年前も同じきつさであり、回数も伸びてはいない。
- レッグエクステンション: 35KMAXのマシンしかない為、片足ずつやる。15回3セット、片足ずつ。これもいずれ新しいマシンが入ってくるのが楽しみ。負荷100Kないとね。
- 柔軟の真向法、2セット。この辺で時間切れになる。本当は3セットやりたいのだが。
- ランジースクワット70回
- ダンベルショルダープレス、片方27.5Kで、8→5→3回のパターンが多し。
火曜は下半身強化。地味で面白くなく、結構辛い。
- V字腹筋70回、背筋70回は同じ。こういうのは毎日やるべし。
- ダンベルスクワット、27.5K*2の55K負荷で、12回5セット。
- 腿広げ、腿閉じのマシントレーニング:1各々10回3セット。
- 柔軟の真向法、2セット。
水曜は月曜と同じメニュー。
水曜は仕事後、だいたい6時半頃から会社の道場で自主トレを行う。ひたすらサンドバッグ稽古。2分1ラウンドでだいたい下記を行う。計12-15ラウンドくらいやっていることになるのかね。
- 順突き左右20本、逆突き左右20本
- 下突き左右20本、フック左右20本
- ミドル回し蹴り左右20本
- 下段回し蹴り左右20本
- 1,2パンチ左右20本
- 膝蹴り左右20本
- 1,2,3パンチ左右20本
- 前蹴り左右20本
- たいていこの辺でみっちりと時間をかけて柔軟をする。真向法3セット。
- 上段回し蹴り左30-40本
- 上段回し蹴り右30-40本
- 左右上段、中段回し蹴りの空蹴りを鏡を見ながら1セット
- 1,2パンチ+下突き 或いはミドル回し蹴り、レギュラー構えで
- 同上、左構えで
- 1,2パンチ+下段回し蹴りをレギュラー構えで
- 同上、左構えで
- フリー、レギュラー構えで。構えからノーモーションで技を出すように。
- フリー、左構えで。
基本技の確認や鍛錬が主となってしまうので、時にはそうではなくて、徹底してコンビネーションのみでラウンド重ねる必要も感じている。
木曜は火曜の下半身強化メニューを繰り返すが、前日の水曜の疲れや筋肉痛があり、ダレーっとしてサボって内容を薄くする場合が多い。一週間に一度程度のサンドバッグだと、次の日腰の筋肉痛になる。全力の回し蹴りをたたき付け、その反力を腰が受け止めているんだもんね。
金曜はまた上半身強化の月曜メニューと同じ。
月水金は上半身、火木が下半身だ。毎日は腹筋背筋。
以上、記録として。
2012年9月1日土曜日
世の中に役に立つ年寄りとは?
ううー・・・。既に350缶ビール6本飲んだ。今7本目。本日は土曜の休みで家族は各々出払った。家に残る小生が一人でビールをたしなみつつウダウダしている。
さて、
昔書いた文章ももったいないから、推敲し書き加えて出そうと思っているからなんだが・・・
ちょっとブルーがかっていた時の文章かね、それとも鍛錬を終えて達観した時の余裕の文か?昔故記憶にない。適度に編集を加えつつ出す。
・・・・・・・
さびしい話だが、朝起きて飯を食って会社に行き、まあまあ熱心に働いて夜遅く家に帰りビールを飲んで寝る、と、わずか一行で済む生活をおくっている。あえて付け加えるならば会社で昼飯と晩飯を食っている。日々の糧を得るためとは言え、こりゃあまり血の通った生活じゃないな。ロボットかねぇ。仕事中に交わす会話も事務的かつ目的志向であり、無駄がない。冗談の一つも言えなければいけないと思う。ワ・レ・ワ・レは生きているんだ・・・と。皮肉?
昼休みのトレーニングは人間らしい。でもかなり辛い。ウェイトトレーニングは常に敗北感との付き合いである。と言うのは必ず持ちあがらなくなるまでやるからだ。持ちあがらなくて諦める時には、やはり敗北感を味わうよね。下半身のスクワットはゼイゼイ言いながら行うが、これは100回なら100回と回数決める為、多少の達成感がある。しかし一番嫌な、なんともしんどい種目である。次に柔軟。それは痛みに耐える苦行となっている。
こう書いてくると、なんだ俺は! 苦行こそが1日の中で人間らしい振る舞いと言っているかのようだね。他は無機質の時間? いつまでも伸びる世界をなんとか夢見ようとしているからこそ苦行をしているのか? もう53才、幻想と自己満足の世界かもしれない。でも、こういう考えは大事だと思う。頑張る目的はよく分からぬが、頑張っていれば何とか成るという考え・・・だ。
人は先に進みたい、進めるような気がするから生きているんだと思う。年寄りが大事にされてきた時代がある。集団として生き抜く為に年寄りの知恵や権威が必要であった。そんな昔のように、「年寄りが大切にされた」と何となく心情的に郷愁に浸っている場合ではないと思うんだよね。人間は動物であり、動物は種族保存の最適性の中に行動が現れる。年寄りが必要な時は、必要だった、ということだけだと思うんだ。
若い時は修行の連続。修行の反動で大酒の享楽に遊ぶ。振り子が極端から極端へ振れての青春バンカラだった。それに比べれば今は小市民的な生活をしつつこんな文章を書いている。
修行とは何か?生きるとは何か?その答えを考えることはまた後回しにしよう。小生は随分酔っている。もう少しすると小生も年寄りだ。世の中に役に立つ年寄りとは?を考えなければならないな。
さて、
昔書いた文章ももったいないから、推敲し書き加えて出そうと思っているからなんだが・・・
ちょっとブルーがかっていた時の文章かね、それとも鍛錬を終えて達観した時の余裕の文か?昔故記憶にない。適度に編集を加えつつ出す。
・・・・・・・
さびしい話だが、朝起きて飯を食って会社に行き、まあまあ熱心に働いて夜遅く家に帰りビールを飲んで寝る、と、わずか一行で済む生活をおくっている。あえて付け加えるならば会社で昼飯と晩飯を食っている。日々の糧を得るためとは言え、こりゃあまり血の通った生活じゃないな。ロボットかねぇ。仕事中に交わす会話も事務的かつ目的志向であり、無駄がない。冗談の一つも言えなければいけないと思う。ワ・レ・ワ・レは生きているんだ・・・と。皮肉?
昼休みのトレーニングは人間らしい。でもかなり辛い。ウェイトトレーニングは常に敗北感との付き合いである。と言うのは必ず持ちあがらなくなるまでやるからだ。持ちあがらなくて諦める時には、やはり敗北感を味わうよね。下半身のスクワットはゼイゼイ言いながら行うが、これは100回なら100回と回数決める為、多少の達成感がある。しかし一番嫌な、なんともしんどい種目である。次に柔軟。それは痛みに耐える苦行となっている。
こう書いてくると、なんだ俺は! 苦行こそが1日の中で人間らしい振る舞いと言っているかのようだね。他は無機質の時間? いつまでも伸びる世界をなんとか夢見ようとしているからこそ苦行をしているのか? もう53才、幻想と自己満足の世界かもしれない。でも、こういう考えは大事だと思う。頑張る目的はよく分からぬが、頑張っていれば何とか成るという考え・・・だ。
人は先に進みたい、進めるような気がするから生きているんだと思う。年寄りが大事にされてきた時代がある。集団として生き抜く為に年寄りの知恵や権威が必要であった。そんな昔のように、「年寄りが大切にされた」と何となく心情的に郷愁に浸っている場合ではないと思うんだよね。人間は動物であり、動物は種族保存の最適性の中に行動が現れる。年寄りが必要な時は、必要だった、ということだけだと思うんだ。
若い時は修行の連続。修行の反動で大酒の享楽に遊ぶ。振り子が極端から極端へ振れての青春バンカラだった。それに比べれば今は小市民的な生活をしつつこんな文章を書いている。
修行とは何か?生きるとは何か?その答えを考えることはまた後回しにしよう。小生は随分酔っている。もう少しすると小生も年寄りだ。世の中に役に立つ年寄りとは?を考えなければならないな。
2012年8月18日土曜日
さて。
2012年のゴールデンウィークも終わった。9連休、どこにも遠出せず。自宅で読書、朝からビール、録画した映画とTVの見放題。いやぁ、何とグータラなことか。
と、昔書いた出だしを続けよう。
今は8月18日。夏季休暇も残り1日の土曜日である。原爆の日も終戦記念日も終わっている。夏の休みは、かろうじて、田舎に帰省と言う義務がある為に上のような何もしないゴールデンウィークとは異なる、幸いに。何か義務でもないとマトモなことをしない俺の性格を表すよね。我が故郷はやはりよかった。若い頃はそう感じなかったが年をとるにつけ見方が変わる。若い頃はそこから飛び出すものだ。年をとると迎い入れてくれそうに思えるものだ。
本は好きでよく読むんだがほとんど記憶していない。上に書いている映画も・・・、何の映画を見たのやら。時間を消費する生活?イカンよね。年をとったと言うことだろうか。若い頃は一々何かに感じ覚えていて引きずっていたような気がするんだが、それも忘却の彼方か。
2012年の夏休み。帰省をして墓参りをして太鼓をたたいてカセ山登りをしたまでがゴールデンウィークと異なる善き事である。後はだいたい同じ。朝からビールを飲んでTV三昧。
我慢と言うのがない。いやその前に目標がないから我慢もない。高い目標を掲げれば、それを実現するのは普通並大抵のことではないから、色々努力するもんだ。他の楽しいことに流れるのを我慢して頑張る。それが最近の生活にないんだよね。仕事は頑張る。でもいわゆる普通に頑張るのであって、熱望するものを持ちそこに邁進しているかと問われると、そうではないな、やはり。
また空手の試合にでもエントリーして見るかぁ。追い込まないとやらない性格だ。
済まない、道士諸君。こんなまとめで。でも小生は昔げっそりとやつれて人相が変わったねと下宿のおばさんに驚かれるほど激しい鍛錬をしたし、仕事も鬼気迫るほど熱中していた時期があった。50を過ぎてどうもゆったりとしてしまっているのである。
さて。
と、昔書いた出だしを続けよう。
今は8月18日。夏季休暇も残り1日の土曜日である。原爆の日も終戦記念日も終わっている。夏の休みは、かろうじて、田舎に帰省と言う義務がある為に上のような何もしないゴールデンウィークとは異なる、幸いに。何か義務でもないとマトモなことをしない俺の性格を表すよね。我が故郷はやはりよかった。若い頃はそう感じなかったが年をとるにつけ見方が変わる。若い頃はそこから飛び出すものだ。年をとると迎い入れてくれそうに思えるものだ。
本は好きでよく読むんだがほとんど記憶していない。上に書いている映画も・・・、何の映画を見たのやら。時間を消費する生活?イカンよね。年をとったと言うことだろうか。若い頃は一々何かに感じ覚えていて引きずっていたような気がするんだが、それも忘却の彼方か。
2012年の夏休み。帰省をして墓参りをして太鼓をたたいてカセ山登りをしたまでがゴールデンウィークと異なる善き事である。後はだいたい同じ。朝からビールを飲んでTV三昧。
我慢と言うのがない。いやその前に目標がないから我慢もない。高い目標を掲げれば、それを実現するのは普通並大抵のことではないから、色々努力するもんだ。他の楽しいことに流れるのを我慢して頑張る。それが最近の生活にないんだよね。仕事は頑張る。でもいわゆる普通に頑張るのであって、熱望するものを持ちそこに邁進しているかと問われると、そうではないな、やはり。
また空手の試合にでもエントリーして見るかぁ。追い込まないとやらない性格だ。
済まない、道士諸君。こんなまとめで。でも小生は昔げっそりとやつれて人相が変わったねと下宿のおばさんに驚かれるほど激しい鍛錬をしたし、仕事も鬼気迫るほど熱中していた時期があった。50を過ぎてどうもゆったりとしてしまっているのである。
さて。
2012年8月13日月曜日
ウェイト、ずーっと真面目にやっている
最近かなり昼トレに力が入っている。わずか20分強であるが、タバコを吸っていた以前は昼休みに入るとまずは一服だったのでトレーニング時間は15分弱程度だった所、禁煙中なので5分以上増えた。ウェイトトレーニングで5分と言うと1.5種目増やせる。
以前に比べて重視し出したのが下半身のウェイト、即ち、ダンベルを持ってのスクワットやランジースクワットを日替わりでやっている。ダンベルは25K、両手で持つので計50K。もっと重くしようと重りを加えて増やした所、一日で知らない間に戻された。はいはい了解、と。皆で使っているからしょうがないね
計50Kの負荷をかけて行うスクワットはそれなりに堪えるが、12回5セットはマアマア平気である、その時は。むしろぶら下げている肩、僧帽筋の方がこたえる。ところが2時間ほど経つとどっぷりと下半身がだるくなるのを感じる。僧帽筋の方はもうとっくに回復している。太い筋肉と言うのはその時にはまだまだやれる気がしても、後から疲弊してくるようだ。
昼トレを強化してから午後は体全体がだるーくなった。日替わりで別メニューをこなす為、毎日どこかの筋肉が多少痛い。下半身を重視するようになって椅子に腰かける、立ちあがるがヨッコラショと大儀になった。小生はもう53歳。まったく鍛えているのか壊しているのか分からぬもんだ。
ランジースクワットをやる日は、多少下半身は軽い。負荷をかけず自重で50回。楽にできるとはまだ言えないが50回終えた時にまだ余裕があったので、ここ2回はプラス10回の60回やった。これも回数を増やせばまたこたえてくることであろう。
月水金が胸筋のフライ、背筋、腕の懸垂、レッグエクステンション。
火木がバーベルスクワット、股広げ、狭めのウェイトマシン。
腹筋、背筋、ストレッチは毎日やる。
以上がやっとこさ20分確保できる昼休みトレーニングである。夕方多少の時間が取れれば、ランジースクワットや12Kアレイを持っての下突きとかをやる。
53歳熟年としては、よくやっている方だよね。
以前に比べて重視し出したのが下半身のウェイト、即ち、ダンベルを持ってのスクワットやランジースクワットを日替わりでやっている。ダンベルは25K、両手で持つので計50K。もっと重くしようと重りを加えて増やした所、一日で知らない間に戻された。はいはい了解、と。皆で使っているからしょうがないね
計50Kの負荷をかけて行うスクワットはそれなりに堪えるが、12回5セットはマアマア平気である、その時は。むしろぶら下げている肩、僧帽筋の方がこたえる。ところが2時間ほど経つとどっぷりと下半身がだるくなるのを感じる。僧帽筋の方はもうとっくに回復している。太い筋肉と言うのはその時にはまだまだやれる気がしても、後から疲弊してくるようだ。
昼トレを強化してから午後は体全体がだるーくなった。日替わりで別メニューをこなす為、毎日どこかの筋肉が多少痛い。下半身を重視するようになって椅子に腰かける、立ちあがるがヨッコラショと大儀になった。小生はもう53歳。まったく鍛えているのか壊しているのか分からぬもんだ。
ランジースクワットをやる日は、多少下半身は軽い。負荷をかけず自重で50回。楽にできるとはまだ言えないが50回終えた時にまだ余裕があったので、ここ2回はプラス10回の60回やった。これも回数を増やせばまたこたえてくることであろう。
月水金が胸筋のフライ、背筋、腕の懸垂、レッグエクステンション。
火木がバーベルスクワット、股広げ、狭めのウェイトマシン。
腹筋、背筋、ストレッチは毎日やる。
以上がやっとこさ20分確保できる昼休みトレーニングである。夕方多少の時間が取れれば、ランジースクワットや12Kアレイを持っての下突きとかをやる。
53歳熟年としては、よくやっている方だよね。
2012年3月6日火曜日
何の為の空手か? 第4回
ニコラス・ぺタス氏の「SAMURAI SPIRIT 空手」を観る。NHK BSでの放映であった為、観たいが観られぬと諦めていた所、YouTubeにアップされているのを発見し嬉々として観た。
大変良い内容であった。
先に言ってしまうとその後に続いた「SAMURAI SPIRIT 相撲」はもっとよかった。やはり日本の国技としての相撲は何かある。その最高位の横綱のオーラのモノ凄さよ。白鵬関、まだ20代だよ!何と言う貫禄、何と言う人間力。相撲取りとして闘うことが人生であることを体現する存在、やはり格闘の神みたいなもの? 相撲は日本古来の神事でもあり、神に奉納する人間の在り様としての格闘であり、あえて言えば「和」としての格闘と言ってもよい。「和」と「闘い」は反対のものであるが、神の目の前では人の営みとして同時に存在する。それを奉納するのが相撲である。人が力一杯生きて存在するすべを神への余興として見せたのであろう。「余興」と表現すると軽いが、何せ神へ捧げるもの。軽いどころの話ではない。「神事」である。
空手について述べて行くが、武道の目的とする平常心、それも完膚なきまでの平常心を横綱に感じた。やはり神事としての相撲の最高峰は違う。
さて話を「SAMURAI SPIRIT 空手」の方に戻す。
ぺタス氏は数見氏を訪れる。氏はフルコンタクト空手修行者にとっては知らぬもののないヒーロー、日本チャンピオンを何回も重ね、世界選手権では最後に試割判定で敗れて世界チャンピオンを逸した人である。
閑話休題。思うにチャンピオンと準優勝者は不公平な程歴史的な扱いが違ってくる。実力紙一重であろうし、数見さんと世界チャンピオンになったフランシスコ・フィリオ氏との格闘は再延長戦でも決着がつかず、最終的な判定は試割の枚数であった。それだけしか違わないのであるがチャンピオンは名を残し輝く。
その数見氏に沖縄空手を見ることを進められてぺタス氏は沖縄へ行く。番組の大部分は沖縄空手の描写である。このSAMURAI SPIRITは沖縄空手とは何か、だ。
空手は本土に渡り、姿三四郎で悪役になりながらも競技人口をそれなりに増やし、大山倍達と「空手バカ一代」の梶原一騎により爆発的に伸び、柔道に続いて大衆化した。K1でエンターティメントにもなった。その後で今、改めて「待てよ?」としての源流回帰である。
大山倍達の「空手バカ一代」世代であり、大学で伝統派空手道部に入り、そこから空手の歴史を学びつつ修行をしてきた小生の時間感覚には、「源流回帰」が現在進行形としてぴったり当てはまる。年を経てからフルコンを始め、熟年になり「で、何で闘うの?」と自問している俺には回答が必要だ。その回答は、昔大学時代にしゃにむにやっていた頃から既に判っていた回答でもある。「何の為の空手か」の回答さえ再発見せざるを得ない程、人は気がつかないもんだ。あるいは昔知っていたことを時間とともに忘却する。若い時は感受性が豊かで、一杯感じて考えたことを年とともに鈍く単調になる生活の中で埋もれさせる。
「平常心」 NHKではこれを述べたが、空手家にとっては「押忍」の心である。「平常心」は記述であり、「押忍」は行動である。押して忍ぶという文字通りの事。その精神性に非常に立派な真理がありそうなんだが、日常では「保守」にならざるを得ない「忍ぶ」という心。世の中を前向きに革新的に変えて行く力ではなく、常に「受ける」側に立ってしまう、力というよりはそう言う存在であれかしという行動倫理が「押忍」である。
今の世は命をやり取りする世ではない。ものすごく起こり得る確率の低くなった命のやり取りというもの。格闘技は元来殺し合いの技である。殺し合いに精神性を入れ「受ける」力となった。「押忍」はそうだし、「柔よく剛を制す」もそうである。
そういう話は次回とする。小生、今それなりに酔っぱらっているので今日はここまで・・・と。
大変良い内容であった。
先に言ってしまうとその後に続いた「SAMURAI SPIRIT 相撲」はもっとよかった。やはり日本の国技としての相撲は何かある。その最高位の横綱のオーラのモノ凄さよ。白鵬関、まだ20代だよ!何と言う貫禄、何と言う人間力。相撲取りとして闘うことが人生であることを体現する存在、やはり格闘の神みたいなもの? 相撲は日本古来の神事でもあり、神に奉納する人間の在り様としての格闘であり、あえて言えば「和」としての格闘と言ってもよい。「和」と「闘い」は反対のものであるが、神の目の前では人の営みとして同時に存在する。それを奉納するのが相撲である。人が力一杯生きて存在するすべを神への余興として見せたのであろう。「余興」と表現すると軽いが、何せ神へ捧げるもの。軽いどころの話ではない。「神事」である。
空手について述べて行くが、武道の目的とする平常心、それも完膚なきまでの平常心を横綱に感じた。やはり神事としての相撲の最高峰は違う。
さて話を「SAMURAI SPIRIT 空手」の方に戻す。
ぺタス氏は数見氏を訪れる。氏はフルコンタクト空手修行者にとっては知らぬもののないヒーロー、日本チャンピオンを何回も重ね、世界選手権では最後に試割判定で敗れて世界チャンピオンを逸した人である。
閑話休題。思うにチャンピオンと準優勝者は不公平な程歴史的な扱いが違ってくる。実力紙一重であろうし、数見さんと世界チャンピオンになったフランシスコ・フィリオ氏との格闘は再延長戦でも決着がつかず、最終的な判定は試割の枚数であった。それだけしか違わないのであるがチャンピオンは名を残し輝く。
その数見氏に沖縄空手を見ることを進められてぺタス氏は沖縄へ行く。番組の大部分は沖縄空手の描写である。このSAMURAI SPIRITは沖縄空手とは何か、だ。
空手は本土に渡り、姿三四郎で悪役になりながらも競技人口をそれなりに増やし、大山倍達と「空手バカ一代」の梶原一騎により爆発的に伸び、柔道に続いて大衆化した。K1でエンターティメントにもなった。その後で今、改めて「待てよ?」としての源流回帰である。
大山倍達の「空手バカ一代」世代であり、大学で伝統派空手道部に入り、そこから空手の歴史を学びつつ修行をしてきた小生の時間感覚には、「源流回帰」が現在進行形としてぴったり当てはまる。年を経てからフルコンを始め、熟年になり「で、何で闘うの?」と自問している俺には回答が必要だ。その回答は、昔大学時代にしゃにむにやっていた頃から既に判っていた回答でもある。「何の為の空手か」の回答さえ再発見せざるを得ない程、人は気がつかないもんだ。あるいは昔知っていたことを時間とともに忘却する。若い時は感受性が豊かで、一杯感じて考えたことを年とともに鈍く単調になる生活の中で埋もれさせる。
「平常心」 NHKではこれを述べたが、空手家にとっては「押忍」の心である。「平常心」は記述であり、「押忍」は行動である。押して忍ぶという文字通りの事。その精神性に非常に立派な真理がありそうなんだが、日常では「保守」にならざるを得ない「忍ぶ」という心。世の中を前向きに革新的に変えて行く力ではなく、常に「受ける」側に立ってしまう、力というよりはそう言う存在であれかしという行動倫理が「押忍」である。
今の世は命をやり取りする世ではない。ものすごく起こり得る確率の低くなった命のやり取りというもの。格闘技は元来殺し合いの技である。殺し合いに精神性を入れ「受ける」力となった。「押忍」はそうだし、「柔よく剛を制す」もそうである。
そういう話は次回とする。小生、今それなりに酔っぱらっているので今日はここまで・・・と。
2012年3月5日月曜日
稽古の指導
今日は一般部の稽古を指導した。一般部は中学生以上の参加であり、本日は高校生と中学生7人でオジサンは無し。中学生と言っても小学低学年からやっている子供たちであるからうまいのなんのって。この春高校生になる2名は流派の中学軽量級と重量級全日本入賞の実力者である。こっちが指導されたいくらい十分強い空手道士だ。エッチラオッチラやらざるを得ないオジサンもいて欲しいもんだ。なにせ指導する所がほとんどない。
準備体操からいつもの基本、これにだいたい30分。小休止を挟み移動稽古で30分。この後普通なら約束組手からスパーリングに行く所を、本日はミット練習を30分行った。皆回し蹴りはこっちが教わりたいくらいうまいので前蹴りを教えた。最近留意している「重力利用」の前蹴りである。前傾姿勢のまま膝を素早く上げ前に倒れ込む力を利用して蹴り放つスタイルのやつ。やってみると軸を作って腰を入れて蹴るよりも強いように感じる。特に間合いが近い時にノーモーションで蹴ることに留意すれば組手で有効に使える技だ。
「重力利用」の突き、そして回し蹴りさえも中段くらいまでならば重力は有効だ。まあ俺のやり方があっているかどうかは今一つ自信がないが、つまる所前に倒れ込むくらいに前進力を利用する。
ミットを突く場合は、10センチ奥を突くイメージを持ちミットに当てる際には突き刺すイメージを持つこと、その上で「重力利用」だとさらに威力が増す。
少年達がどこまで俺の解説を理解し、実行しようとしているのかは不明だった。見ていると今までとそう変わらないモーションで技を繰り出していた。俺ももう少し科学的に理屈の言葉を費やして説明すべきではある。
指導していると自分の稽古にはならないので稽古後一人、サンドバッグへ突き蹴りをした。自分もまだまだ指導されたいがしょうがない。
準備体操からいつもの基本、これにだいたい30分。小休止を挟み移動稽古で30分。この後普通なら約束組手からスパーリングに行く所を、本日はミット練習を30分行った。皆回し蹴りはこっちが教わりたいくらいうまいので前蹴りを教えた。最近留意している「重力利用」の前蹴りである。前傾姿勢のまま膝を素早く上げ前に倒れ込む力を利用して蹴り放つスタイルのやつ。やってみると軸を作って腰を入れて蹴るよりも強いように感じる。特に間合いが近い時にノーモーションで蹴ることに留意すれば組手で有効に使える技だ。
「重力利用」の突き、そして回し蹴りさえも中段くらいまでならば重力は有効だ。まあ俺のやり方があっているかどうかは今一つ自信がないが、つまる所前に倒れ込むくらいに前進力を利用する。
ミットを突く場合は、10センチ奥を突くイメージを持ちミットに当てる際には突き刺すイメージを持つこと、その上で「重力利用」だとさらに威力が増す。
少年達がどこまで俺の解説を理解し、実行しようとしているのかは不明だった。見ていると今までとそう変わらないモーションで技を繰り出していた。俺ももう少し科学的に理屈の言葉を費やして説明すべきではある。
指導していると自分の稽古にはならないので稽古後一人、サンドバッグへ突き蹴りをした。自分もまだまだ指導されたいがしょうがない。
2012年2月27日月曜日
あっさりと7年間
2005年の2月に現道場に入門してもう7年が経った。本当に早いものだ。白帯から入り色帯を経て4年半後に黒帯となった。50才になっていた。それでも俺の場合、元々学生時代に伝統派をやり、2002年頃から1年半程芦原空手もやったので、ベースの力はそれなりにあり他の道場生よりも早い昇段となっている。
社会人の空手は中々に時間も取れずに、また年もとっているので上達が早いとは言えない。それに比べ少年達の上達は眼を見張るばかりだ。小学校の低学年であったちっちゃな拳士が、中学高校になり堂々たる技を出す。俺よりもはるかに上手い。
7年も経たが仕事をやりながら続けてきたせいもあり、大学時代のあの濃厚な4年間に比べれば、それ程思い出もなく淡々としたものだ。月日だけが過ぎた感がある。泣きながらでも連れて行った息子は5年前に空手を止めている。そうだ、もう5年も経った、己一人で淡々と。
試合には何度か出たが、どうも最後に締まらぬ。地域の大会で準優勝が2回。これから念願の優勝を目指しもうひと頑張りするかどうかは・・・さしあたってまだ気合が乗っていない。黒帯になってどうも悩むこと多くなり、稽古に行かない日々も続いた。50才を過ぎて人を傷つけたくないし、自分も怪我をするのは御免で、そもそも何故まだ闘うのか、どういう意義があるのかという根源的な疑問である。若い時は強くなって行く自分の腕試しであり、何も考えずに純粋にトーナメントのチャンピオンを目指した。そんな風に単純に考えられなくなった。近々で言えば、2カ月半程道場を休んだ後、復帰し、結局また淡々とやっている。答えが見つからないが人生でもっとも長く続けて来ている空手であるから、続けないと意味がないとしているだけだ。
本日は今度昇段を目指す道士の稽古として、10人組手中スパーリングを2回参加した。彼は俺より古い道場生だがここ2,3年ほとんど道場には来ず、ずーっと茶帯のままだったがどういう気持ちの変化か、最近復帰し黒帯を目指すこととしたらしい。年はまだ30代前半、これからも伸びる可能性を持っている。何年か前に来た時にはウェイトに励んでいたらしく身体が大きかったが、最近はかなり絞ったようだ。10人組手完遂のためのスタミナの方をかなり積んだと思う。以前は実力者クラスの試合に出て、いい勝負を繰り返していた。俺と約束組手やスパーリングするときも多少力を抜いてやさしくしてくれていた。まずは彼がいち早くかつての力を取り戻すことを祈る。かつての力は十分黒帯に見合うものであるから。
7年間を多少思い起こそうかと思い書き始めたが、あっさりしたものである。ところがさすがに出た試合の情景や昇級・昇段試験は思い出そうとすればかなりの程度思い出せる。そういうイベントと言うものは濃いものなんだなぁ。また出ないといかんようだ。
社会人の空手は中々に時間も取れずに、また年もとっているので上達が早いとは言えない。それに比べ少年達の上達は眼を見張るばかりだ。小学校の低学年であったちっちゃな拳士が、中学高校になり堂々たる技を出す。俺よりもはるかに上手い。
7年も経たが仕事をやりながら続けてきたせいもあり、大学時代のあの濃厚な4年間に比べれば、それ程思い出もなく淡々としたものだ。月日だけが過ぎた感がある。泣きながらでも連れて行った息子は5年前に空手を止めている。そうだ、もう5年も経った、己一人で淡々と。
試合には何度か出たが、どうも最後に締まらぬ。地域の大会で準優勝が2回。これから念願の優勝を目指しもうひと頑張りするかどうかは・・・さしあたってまだ気合が乗っていない。黒帯になってどうも悩むこと多くなり、稽古に行かない日々も続いた。50才を過ぎて人を傷つけたくないし、自分も怪我をするのは御免で、そもそも何故まだ闘うのか、どういう意義があるのかという根源的な疑問である。若い時は強くなって行く自分の腕試しであり、何も考えずに純粋にトーナメントのチャンピオンを目指した。そんな風に単純に考えられなくなった。近々で言えば、2カ月半程道場を休んだ後、復帰し、結局また淡々とやっている。答えが見つからないが人生でもっとも長く続けて来ている空手であるから、続けないと意味がないとしているだけだ。
本日は今度昇段を目指す道士の稽古として、10人組手中スパーリングを2回参加した。彼は俺より古い道場生だがここ2,3年ほとんど道場には来ず、ずーっと茶帯のままだったがどういう気持ちの変化か、最近復帰し黒帯を目指すこととしたらしい。年はまだ30代前半、これからも伸びる可能性を持っている。何年か前に来た時にはウェイトに励んでいたらしく身体が大きかったが、最近はかなり絞ったようだ。10人組手完遂のためのスタミナの方をかなり積んだと思う。以前は実力者クラスの試合に出て、いい勝負を繰り返していた。俺と約束組手やスパーリングするときも多少力を抜いてやさしくしてくれていた。まずは彼がいち早くかつての力を取り戻すことを祈る。かつての力は十分黒帯に見合うものであるから。
7年間を多少思い起こそうかと思い書き始めたが、あっさりしたものである。ところがさすがに出た試合の情景や昇級・昇段試験は思い出そうとすればかなりの程度思い出せる。そういうイベントと言うものは濃いものなんだなぁ。また出ないといかんようだ。
2012年2月15日水曜日
最近
ここ1カ月はかろうじて週1回の道場稽古。昼休みは、約15分程度のウェイトを一日おきくらいか。細々と続けている感じだ。
昼休みトレーニングは楽な気持ちで少しの時間でもやろうとしている。昔は少なくとも20分以上の時間が取れなければ、ルーチンのウェイトと柔軟ができないのが確かである故、する気が無くなり頻度が減っていた。それでも8年間昼休みトレーニングを続けていると言ってよい。最近になってようやく気負いと言うか、義務感、強迫観念から逃れて、例え1種目でもよいので昼休みにちょっと行ってやるようになった。無論時間を長くとれるに越したことはない。本日は、ランジスクワット50回、バタフライ3セット、V字腹筋60回、背筋40回で15分。柔軟の時間はとれなかった。
道場稽古でスパーリングを先日少しやったが、相変わらず力任せでヘタである。きちんと課題を持ってスパーリングに臨まなければいけないのだが、久しぶりでもあり大味で愉しんだと言う感覚であろうか、単にやったというのみ。
小生53才になったがウェイトをそれなりにやっていることもあり力は強い。ガタイもあるのでついつい攻防の技を試すのではなく、何にも考えずに攻撃したり受けたりしがちである。スパーリングだからではあるが、相手の技は何一つ応えないので受けもしないこと多であり、ようするにヘタである。
体力の衰えを前提とし、力勝負ではない格闘の技としての空手を身につけなければならない。それは以前から何度も思っているのだが、ついつい力勝負をしてしまう。
昔感銘を受けた芦原空手のサバキを身につけたいのだが、稽古の間中常にサバキを考えていないとだめだ。スパーリング時には少なくとも緑帯以上ならば、そんなに簡単に道着の袖は掴めない。代表的なサバキはパンチ攻撃をそらせてから相手の袖をつかみ、崩しに持って行く。後の先を常に頭においてサバキをやるぞという姿勢でないとまず無理だ。今度のスパーリングはそれで行こう。後の先、そして掴みから崩し。それだけを頭においてやってみるべし。
昼休みトレーニングは楽な気持ちで少しの時間でもやろうとしている。昔は少なくとも20分以上の時間が取れなければ、ルーチンのウェイトと柔軟ができないのが確かである故、する気が無くなり頻度が減っていた。それでも8年間昼休みトレーニングを続けていると言ってよい。最近になってようやく気負いと言うか、義務感、強迫観念から逃れて、例え1種目でもよいので昼休みにちょっと行ってやるようになった。無論時間を長くとれるに越したことはない。本日は、ランジスクワット50回、バタフライ3セット、V字腹筋60回、背筋40回で15分。柔軟の時間はとれなかった。
道場稽古でスパーリングを先日少しやったが、相変わらず力任せでヘタである。きちんと課題を持ってスパーリングに臨まなければいけないのだが、久しぶりでもあり大味で愉しんだと言う感覚であろうか、単にやったというのみ。
小生53才になったがウェイトをそれなりにやっていることもあり力は強い。ガタイもあるのでついつい攻防の技を試すのではなく、何にも考えずに攻撃したり受けたりしがちである。スパーリングだからではあるが、相手の技は何一つ応えないので受けもしないこと多であり、ようするにヘタである。
体力の衰えを前提とし、力勝負ではない格闘の技としての空手を身につけなければならない。それは以前から何度も思っているのだが、ついつい力勝負をしてしまう。
昔感銘を受けた芦原空手のサバキを身につけたいのだが、稽古の間中常にサバキを考えていないとだめだ。スパーリング時には少なくとも緑帯以上ならば、そんなに簡単に道着の袖は掴めない。代表的なサバキはパンチ攻撃をそらせてから相手の袖をつかみ、崩しに持って行く。後の先を常に頭においてサバキをやるぞという姿勢でないとまず無理だ。今度のスパーリングはそれで行こう。後の先、そして掴みから崩し。それだけを頭においてやってみるべし。
2012年1月28日土曜日
2012年初稽古、普通に
昨日久しぶりに道場へ行った。今年初めての空手稽古。最近は自主トレもサボりがちなため運動するのも久しぶりだ。
ミドルの回し蹴りで入るやり方を学ぶ。とは言え、基本的なことであり改めて指導を受けることではないが、再認識して身体に思い出させることは悪くない。
右手で相手の右手を払い右ミドルの回し蹴り、左手で相手の左手を払い左ミドル。次は左手で払い腰を溜めたところで右回し蹴り、右手も同様。
ミドルの回し蹴りをやるためには多少腰を溜めなければならない。左前構えなので右のミドルに関してはいつでも溜まっているといえるが左のミドルについては溜める動作がいる。うまい人は動きの中ですばやく溜めて蹴りを放てることだろうが、そこに行くまでには意識的にやり身につける必要がある。骨盤の上に上体を乗せる意識をしてなるべく上体をそのままで動かさずに骨盤部分だけを右左に回転して溜めることの練習をする。左ミドルを素早く放つためには小さく鋭く回転することが必要。その動作を左の攻撃をするときには一挙動で無意識にできる必要がある。まあ、練習だから1,2という掛け声でもかけられそうな大きな動作で骨盤の回転をリズムを取りながら行った。
昼間のウェイトトレーニング主体の自主トレも最近サボりがちなため本当に久しぶりに身体を大きく動かした感じだ。空手稽古に至っては昨年末もやっていないので彼是1ヶ月半ぶりであろう。
良き哉良き哉、身体を動かすのは。
ミドルの回し蹴りで入るやり方を学ぶ。とは言え、基本的なことであり改めて指導を受けることではないが、再認識して身体に思い出させることは悪くない。
右手で相手の右手を払い右ミドルの回し蹴り、左手で相手の左手を払い左ミドル。次は左手で払い腰を溜めたところで右回し蹴り、右手も同様。
ミドルの回し蹴りをやるためには多少腰を溜めなければならない。左前構えなので右のミドルに関してはいつでも溜まっているといえるが左のミドルについては溜める動作がいる。うまい人は動きの中ですばやく溜めて蹴りを放てることだろうが、そこに行くまでには意識的にやり身につける必要がある。骨盤の上に上体を乗せる意識をしてなるべく上体をそのままで動かさずに骨盤部分だけを右左に回転して溜めることの練習をする。左ミドルを素早く放つためには小さく鋭く回転することが必要。その動作を左の攻撃をするときには一挙動で無意識にできる必要がある。まあ、練習だから1,2という掛け声でもかけられそうな大きな動作で骨盤の回転をリズムを取りながら行った。
昼間のウェイトトレーニング主体の自主トレも最近サボりがちなため本当に久しぶりに身体を大きく動かした感じだ。空手稽古に至っては昨年末もやっていないので彼是1ヶ月半ぶりであろう。
良き哉良き哉、身体を動かすのは。
登録:
投稿 (Atom)