雪の降るまちを、雪の降るまちを、思い出だけが通り過ぎてゆく、雪の降るまちを、遠い国から落ちてくる・・・
オヤジのテーマソングだった。越前の雪深き街で俺は生まれ、小学1年まで暮らした。まっ白いボタン雪が鉛色の空から無数に降ってきた光景をよく覚えている。毎年毎年何度も何度も見た。オヤジの後をついて歩く時、オヤジがよく彼の歌を歌っていた。見上げるコートの背中、口ずさむ歌声、空から白いボタン雪。
オヤジは1997年に67歳で死んだ。もう15年も前か。熟年空手家と称する俺は53歳。オヤジが53の時は俺は24で、もう仕事をしていた。今、俺の息子はまだ高2。オヤジが53の時はどうだったっけ、と時折思いを馳せる。ある時分から息子は、同じ歳のオヤジの姿を思い浮かべるようになる。
オヤジの話をつらつらと述べるのは、「熟年空手家雑言」の趣旨に合っていないので述べない。最も尊敬し、最も影響を受け、そして最も悲しませてしまった人だ。
オヤジが死ぬと分かった時に、俺は感謝をきちんと伝えるべきだった。「まだ生きてくれ・・・生きよ」と励ますよりも、全身全霊の感謝を伝えて見送るべきだった。それが最後の後悔だ。
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試合に出ようと先週の金曜日に決めてから、結構ハードにトレーニングをしている。金土日が道場稽古、月火は仕事の合間にウェイトと柔軟。明日は仕事後、空手技の自主稽古を行おう。53歳にしてウェイトの負荷はMAXであるし、サンドバッグ突き蹴りの威力も今までのMAXではないかと思っている。だからこの状態で試合をして、負ければそれはそれで自分の限界であろう。スパーリングは昔からあまりやる機会がなくて、試合運びが不器用になることはしょうーがないな。8年くらい前にフルコン試合にデビューした時のコンセプトをそのまま実行しよう。よーするに、「伸び伸びとやる」だ。俺は挑戦者、伸び伸びとやろうじゃないか。決勝迄勝ち進めることができたデビュー戦後、何度も試合に出たが、思いの外勝ち進めなかった。それは、今度は何とか優勝しようという変な欲が出た為である。闘いを愉しむ、とまでにはいかないが、伸び伸びと自分の力を出し切ろうとする初心の挑戦者としての思想が大事であろう。
今度の闘いのコンセプトは、伸び伸びと。
若い時はチャンピオンになろう、トップを目指すんだと闘争心を持ち闘いに臨むものだ。格闘技であるからには、相手を倒す気概でないと勝負には勝てない。大学の空手道部時代は、青くて熱くて、でもそんな本質的な野太い力を持っていたと思う。若い生命力だ。
俺には既に闘争心がないんだな、とある時気がついた。その負け試合をしたのが4年程前か。もう歳だったもんね。それよりさらに歳をとっているんだが、今度の試合は闘争心がなくても伸び伸びと闘おうと思う。それでどこまで行けるのかを試してみるということだ。
さすがにね、50も過ぎると、人を傷つけたくない。でもそんな気持ちでいると自分がやられる。それが格闘の場だ。それを重々分かった上で、伸び伸びと闘うことをしよう。うーーん、変なんだけどね。それが53歳熟年空手家の試行である。
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