2012年9月1日土曜日

世の中に役に立つ年寄りとは?

 ううー・・・。既に350缶ビール6本飲んだ。今7本目。本日は土曜の休みで家族は各々出払った。家に残る小生が一人でビールをたしなみつつウダウダしている。


さて、
昔書いた文章ももったいないから、推敲し書き加えて出そうと思っているからなんだが・・・

ちょっとブルーがかっていた時の文章かね、それとも鍛錬を終えて達観した時の余裕の文か?昔故記憶にない。適度に編集を加えつつ出す。

・・・・・・・

さびしい話だが、朝起きて飯を食って会社に行き、まあまあ熱心に働いて夜遅く家に帰りビールを飲んで寝る、と、わずか一行で済む生活をおくっている。あえて付け加えるならば会社で昼飯と晩飯を食っている。日々の糧を得るためとは言え、こりゃあまり血の通った生活じゃないな。ロボットかねぇ。仕事中に交わす会話も事務的かつ目的志向であり、無駄がない。冗談の一つも言えなければいけないと思う。ワ・レ・ワ・レは生きているんだ・・・と。皮肉?

昼休みのトレーニングは人間らしい。でもかなり辛い。ウェイトトレーニングは常に敗北感との付き合いである。と言うのは必ず持ちあがらなくなるまでやるからだ。持ちあがらなくて諦める時には、やはり敗北感を味わうよね。下半身のスクワットはゼイゼイ言いながら行うが、これは100回なら100回と回数決める為、多少の達成感がある。しかし一番嫌な、なんともしんどい種目である。次に柔軟。それは痛みに耐える苦行となっている。

こう書いてくると、なんだ俺は! 苦行こそが1日の中で人間らしい振る舞いと言っているかのようだね。他は無機質の時間? いつまでも伸びる世界をなんとか夢見ようとしているからこそ苦行をしているのか? もう53才、幻想と自己満足の世界かもしれない。でも、こういう考えは大事だと思う。頑張る目的はよく分からぬが、頑張っていれば何とか成るという考え・・・だ。

人は先に進みたい、進めるような気がするから生きているんだと思う。年寄りが大事にされてきた時代がある。集団として生き抜く為に年寄りの知恵や権威が必要であった。そんな昔のように、「年寄りが大切にされた」と何となく心情的に郷愁に浸っている場合ではないと思うんだよね。人間は動物であり、動物は種族保存の最適性の中に行動が現れる。年寄りが必要な時は、必要だった、ということだけだと思うんだ。

若い時は修行の連続。修行の反動で大酒の享楽に遊ぶ。振り子が極端から極端へ振れての青春バンカラだった。それに比べれば今は小市民的な生活をしつつこんな文章を書いている。

修行とは何か?生きるとは何か?その答えを考えることはまた後回しにしよう。小生は随分酔っている。もう少しすると小生も年寄りだ。世の中に役に立つ年寄りとは?を考えなければならないな。

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