2011年3月30日水曜日

弟の試合

 本日の昼トレは柔軟主体で、蹴り上げをいくつか。

 最近の柔軟は、真向法にのっとってやっている。静的ストレッチではなく、本来の真向法とは違うかもしれないが、動的ストレッチの感覚。体を前に倒すのを2秒位かけなければいけないのだろうが、1秒。倒して起こしてを10回。静的ストレッチをじっくりやる時ほど開脚していないが、それでもだんだんいい所まで近づく。強くはないが倒す勢いで前に上体を曲げるのは、結構気持がよい。静的ストレッチならば倒した状態を無理して持続するので苦痛を感じるが、動的ストレッチならば一瞬なのでかえって気持ちがよい。

 勢いをつけて柔軟をすると、筋が驚いて萎縮するのでよくないと書いてある指南書があり、それもそうだと思い、しずしずと少しづつ広げたり曲げたりする静的ストレッチをやっていたが、気持ちのよい感覚でできる範囲までは動的ストレッチの方が効きそうだ。やってみると案外筋も驚いていないので、動的ストレッチで静的ストレッチよりも筋の限界を超えることができると思いだした。明日はもうちょっと過激に柔軟をやってみよう、動的に。

 蹴り上げは、前蹴り上げ左右各20本。内回し、外回し、横蹴り上げを左右10本やる。この運動は割合ハードで汗をかく。

 さて、本題に入ろう。

 俺の弟も空手家である。弟はフルコン空手ではなく、学生時代の空手道部時代からやり続けている伝統派空手の6段である。ずっとやり続けているからもう33年だ。大学空手道部の監督をしながら、県連の幹部や全空連の審判も長く務め、兄に向っては誇らないが、伝統派空手界の中では重きをなす存在になっていることであろうと思う。今すぐ道場を開こうと思えば開けるくらいの指導者である。

 今から30年くらい前の、二人とも若い時の話である。

 弟の大学時代、試合を見に行ったことがある。当時彼は主将であり、その試合では最後に出る大将であった。5人の団体戦で、大将である弟が出る時には、2対2か、1対1、2引き分けか忘れたが、いずれにせよ弟の勝敗で勝負がきまる。その時、応援している大学の1,2回生の、「これで大丈夫だ、勝った」という声が聞こえて来た。弟は最も強く、常勝の主将であったのであろう、我が弟が後輩にそこまで言わせることに、さらにその後ろで見ている俺は非常に嬉しかったが、実際の所、試合はこれからなのでハラハラしていた。その期待に見事応えられるのであろうか、自分のことのように緊張した。弟の空手を見たのは初めてであり、どの程度強くなっているのかどうかは知らなかった。

 試合は、彼の堂々たる闘いであり、圧勝であった。選手達や応援している後輩どもは大喜びである。勝ち名乗りを受ける弟の姿を見て、俺は涙がこぼれてしょうがなかった。後輩の期待と信頼を受け、当たり前のように堂々とそれに応えた弟である、兄貴としてこんなに嬉しいことはなく、主将として頼もしくある弟に感動した。

 その場の情景は今でも覚えている。涙で霞んで見える弟の勝ち名乗りであった。

 年が1つ離れた弟は、たいてい俺の真似をしてきた。年子であるから、俺とともに近所の同じ子供たちの集団で遊んでいた。そのなかでも一番年下の味噌っかすだった。やはり1つ年上の俺の方が常に力が強いから、よくいじめた。子分のように扱い、言う事を聞かなければいじめていた。

 大学に入り、兄貴と同じ空手を始めた。そして強くなった。俺は関西学生で5本の指に入ったが、弟は、ある広域地方の学生チャンピオンになった。俺は会社に入り、それから20年間空手とは離れたが、弟の方はその間もずっと続けた。ただ敬服するのみである。畏友という言葉があるが、畏弟と表現したいもんだ。尊敬する弟である。

 男兄弟と言うものは、大人になるとほとんど互いに行き来もせず、実家でたまに会ってもたいしてしゃべらない。俺の方からすれば弟は昔からずっと弟であり、別段話さなくても昔と同じように一緒にいるだけだ。向こうさんはどうだが分からぬが、兄貴の勝手な感覚としては一心同体のような感じだ。

 空手の世界で重きを成している弟に、今度会うときは色々空手の話を聞いてみよう。20年のブランクを経て、俺は今、空手修行者である。33年間やり続けてきた弟は、様々に意見指導することができるはずなんだが、奴は兄に向ってはそっけない。困ったもんである。

 と言っても、52歳になる熟年がキラキラ目を輝かしながら、51歳の、これまたいいオヤジに空手の手ほどきを受けるのも、何だか・・・だろうね。

 

  

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