2011年3月12日土曜日

2011年3月11日 東北大地震

 昨日、3月11日、妻の誕生日。今日は早めに帰り外に飯にでも食べに行くか、ケーキも買わねば、と考えていた所、震度5弱の地震。会社のビルの3Fにいたが、生まれて初めての大きな揺れだった。あれ程の揺れだと、もうまるっきり動けなかった。じっと座ってただ過ぎるのを待つのみ。揺れが納まりしばらく経った後、総員避難の指示。ビルの前の空きスペースに出てしばらく待機。その後も小さな余震が続いた。

 大方小一時間外にいたが、寒いのでスクワット計100回を断続的に行う。寒そうにしている周りの人間に笑いつつ声をかけるが、まあやるのは俺のみ。立っているスペースのみで寒さを解消する為には、非常に効果的な方法だと思うが。

 その後事務所に戻り、インターネットで調べる、殊の外大災害である。宮城県沖を震源にM8.8の観測史上最大の地震であった。今現在、死者、行方不明者を合わせると1100人を超え、さらに拡大する見込みである。10Mくらいの津波が起き、津波で壊滅状態になっている街のいくつかをTVで映している。2,3のコンクリートの建物を除き、瓦礫と水のみの風景である。これは被害規模において1995年の阪神大地震以来の大災害だ。

 津波が迫る前を車が走っていた映像もあった。巻き込まれたに違いなく、まだ不明者にもカウントされていないことであろう。命を想う。合掌。

 昨夕、普段は1時間余で帰れる道を、3時間かけて帰る。いずこも車の大渋滞であった。我が家は一切被害なし。電気ガス水道もOK。隣町では停電していた。いまだ、青森、宮城、福島の全域は停電中だ。携帯電話も通じず、ライフラインの切れた中で、被災地は一夜を過ごした。

 都内の電車は、昨夜ほぼ動かず。都内から帰れぬ人々が2,3万人いたそうである。現在は大方電車は動き始めた。無論ダイヤ通りではない。

 昨夕は息子が学校から帰れなくなり、また義兄が近くに仕事で来ていたが電車が動かず駅で立ち往生の為、妻が二人を迎えに行った。たまたま隣り合わせた駅にいるとのこと。夜11時過ぎ、無事2人とも妻の車で家にたどり着く。

 関東のこの地は今日平静である。東北で起きた大惨事に関わらず。義兄は朝、家に帰るべく発った。ニュースは昨夜からずっと地震状況を伝えている。俺はいつもの休みと変わらず昼間のビールを飲んだ後、散髪に行こうと考えている。これでよいのだろうか、と思わずにはいられないが、さりとて普段と異なる何をする訳でもない。福島にいる先輩に連絡を何度か取ろうと試みたが、電話は混み合って通じず、メールの返答も返ってこない。停電故PC動かないであろうから当然だ。福島の先輩は携帯を持たない主義である。

 昨夜10時半頃、北陸の実家に電話をし、無事を知らせる。神奈川県に住んでいる甥っ子も連絡が取れ無事だとのこと。まあ、東京、埼玉、神奈川は、震度5前後であったがほとんど被害は出ていない。倒れてきた壁や落下物による死者が2,3名。ショックを受けた老人の死者もいた。しかし、かなりの揺れであったにも拘らず、建物倒壊や火災の被害のレポートはない。ある意味、阪神大震災の教訓を経て、耐震強度を満たすように建物の対処をしたから、その効果が出たのであろう。東京に関するニュースは、帰宅困難者に関するものがほとんどであった。

 宮城県の被害が甚大であることをニュースで伝えている。震度7を記録した。それから津波だ。津波被害が凄まじい。ライフラインの切れた中にいる人々の難儀を想う。

 が、俺はこれから普通に散髪に行く。

 (散髪中、散髪中・・・・)

 ビールを飲み午睡をむさぼり、その後散髪に行ってきた。本日の稽古はサボリ。どうも昨日からの疲れがあり、だるい。

 




 

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