2011年3月29日火曜日

闘争心というもの

 春の大会が近付いていることに気がついた。さて今回は出るかどうか。まだ少し風邪気味で、この2週間稽古をしていない為、どうも気が進まぬ。昨年の春は参加した。今週末道場に行って申し込んだとしてまだ間に合うだろうか。間に合うなら出よう、そうでないならパスかね。なんと他力本願な。

 試合があるといつも出ようか出るまいか悩む。たいていの場合は、出ないと逃げているような気がして出る方に落ち着く。ただ、出るからには十分な稽古をすべきであり、それで初めて技を試す、ということになる。2年ほど前、ろくすっぽ稽古しないで、段々年をとるから、出られる時にともかく出ておこうとして、出た。そうした時には、ものの見事に上段蹴りを喰らい、一瞬気を失ったように手をつき、技ありをとられて敗退した。あんなことは初めてだった。当たり所がよければ、威力がなくても気を失う。

 その試合は、後で非常に考えさせられるものになった。当時50歳で茶帯。相手は40代前半の他流派の黒帯だった。上段蹴りを見事に喰らうまでは、体格に勝る俺の方が押していた。その後、蹴りを喰らい気がついた時にはマットに手をついていた。顔面のどこに当たったのかも分からない。どこも怪我をしていなかった。もうびっくりである。技ありを取られた後、初体験でびっくりしたことと、もうこの上段を喰らうわけにはいかないとして、慎重な試合運びになった。そして明かなる判定負け。

 終わってからとことん自覚したことが、もう俺には闘争心がない、ということであった。

 技ありを取られたからには、一本をとろうとして攻勢に出ない限り試合で勝つことはない。その時の俺は「この野郎、やり返してやる!」というような気概は毛頭なく、上段蹴りを2度喰らうわけにはいかんとして慎重な試合運びになった。これでは勝てるわけがない。また闘っているわけでもないと言える。闘う大本の闘争心がないのだ。終わってみてそう自覚した時に、俺は本当にがっくりきた。学生時代・・・、十分闘った。フルコンを始めて、それまでの試合では勝ったり負けたりしつつも闘ってきた。しかしその試合だけは闘うことを途中で止めていたことになる。それは闘争心がないからだ。

 その自覚があまりにショックで、その後2カ月ほど道場に行かなかった。闘争心がなければ空手をやる必要はない。闘う意味も分からなくなった。年をとったいいオヤジとしては、闘いで相手を傷つけたくはないし、自分もあえて傷つきたくはない。では何で空手をやるんだ?という問いである。

 長く働いてきたからそこそこの蓄えもある、家もある。やるべき仕事もある。なるべくよい人間関係を保って仕事に家庭に居たいと思う。そういう人間が、空手の闘いの試合場に立ったとして、相手を倒すべく闘うものであろうか・・・。

 2か月程経ってそれなりに稽古を再開し、ある時極真の増田師範の書いた本を読んだ。試合は相手をリスペクトして闘う、と書いてあった。自分も稽古を積んできた。相手も積んできている。その互いの技を競い合えることは幸せなことである。その相手をリスペクトして、全力で闘う、と言うようなことだったと解釈している。「これだ!」と思い、きちんと空手を続けることにした。試合に必要なことは、闘争心ではなく、相手をリスペクトして技を競うことである、と。

 小説で描かれる剣の達人同士の立ちあいは、そのような雰囲気がある。

 今、もう一つの原始的なことを最近ようやく想う。昔は分かっていたんだが、年を経て落ち着いて忘れていたことである。それは、闘争心とは自分より強いものに向かっていく気概である、ということ。仕事に家庭に、既に落ち着いてしまい、これでよしとして特に不満のない俺にとっては、確かに闘争心たるものはなかった。空手の試合でそのことが現れた。ボクシングの輪島選手は、自分より強い相手と闘った時、やり込められながら一発でも返してやるぞ、と爛々として狙い、一発返せば満足してノックダウンされたそうな。これが闘争心である。強い相手に向かい、全力をもって一発返すことである。

 空手も仕事も、落ち着いてはいけない。もっともっと上を目指すべきである。為すべきことは限りなくあり、そこに横たわる多くの困難に立ち向かう気概、それが闘争心である。

 若い時はこんな理屈をひねる必要はまったくなく、試合で負ければ悔しく、今度こそは勝つと意気軒昂であった。年をとると理屈がいる。正しい理屈であれば・・・、励む。

 

 

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