若い時は、出来事や事件を求めた。変化に心踊らした。たとえそれが自分に不利益なものであったとしても好しとして、明日への希望を想った。明日が今日よりよくなる保証は何もないくせに、根拠なくよくなるような気がしていた。
楽しくなくてもよい、おもしろければよい、とはよく言っていた。若者は退屈な平和よりも血のたぎる闘争を好む、とはよくあるセリフである。
年を経て、今はわずか1行で表せる平和な生活をしている。
朝起きて会社へ行き、仕事をして家へ帰る。
そういう平穏な日常が非常に貴重であることを既に知っている。だが、男の心情としては波乱を求めたい。ところが、守るべき人を失うことや、蓄えた財も失うのは困る。一般に、小生のような小物の考えることは、自分が安全な中に居た上で波乱を求めるという、矛盾した望みとなる。
感受性に富む若い頃は、空手の精神性を感じていた。今は?健康の為、闘いのゲームの為か・・・。精神性は、かけらもなかろう。武道としての空手を考え抜いた若い時期がある。今でも考えようとすれば考えられる。だがそれは、若い時と同じ論理を、若い時のような熱はなく、辿るだけになることを知っている。
武道としての空手を実践することは、1日を武道家として生きることである。
武道の本質は死と共に生きることである。死ぬことを奨励していることではない。死んでもよい覚悟で最大限の生を出す、ということ。朝に道を知れば夕に死すとも悔いなしの感覚でもよい。この感覚において、波乱と平穏、闘争と平和と言うものは、わざわざ意味付けする必要のないものとなる。
と、書きつつ、かような精神の激しさは、この20年間思い出したことがない。
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風邪は良くも悪くもならぬ平衡状態。本日の昼トレは、真向法を4サイクル、前蹴り上げ左右10本、内回し、外回し左右各10本。横蹴り上げ左右10本。まあ、軽く流した程度である。
先週末は風邪で道場に行っていないし、会社にある道場も、3月11日の地震以来使用禁止状態にあり、空手の稽古をしばらくしていない。今の風邪の状態だと、今週末も道場稽古はしない方がよさそうだ。「健康第一」の考え・・・だね。
ふーむ、型の研究をまとめてやるか。
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