我が息子。6歳から11歳まで空手道場に通っていたが、挫折して数年経つ。始めた頃は非常に好きだった空手を何故止めたのか。
彼は道場を3回変わった。最初はUSにある芦原道場、次には日本に戻り、埼玉にある芦原道場、最後は別流派のフルコン道場である。最初のUS芦原道場には嬉々として通った。友達も多く、道場の雰囲気も明るく楽しげであった。日本に戻ると途端に変わった。道場へ行きたくないと言いだして泣き出した。が、泣いても無理やり連れて行った。
同じ流派であるから稽古内容はあまり変わらなかったが、日本の芦原の場合、組手が多かった。レベルが高くなり、よく痛い目に会っていたので嫌になったのであろう。格闘技は痛い目にあいつつナニクソと努力するのが伸びる道であるが、そこまでの根性がなかったようだ。おまけに仲のよい友達もできているようではなかった。型は好きだった。しかし組手がどうも気性に合わない平和主義者だった。道場の雰囲気も、日本の場合はまさに体力・技・根性を鍛える道場である。USの場合は仲良しクラブであった。
一人息子であり、父母の愛情を一身に受け、満ち足りており、人と競う、人と闘う気概は薄いようだ。自分より弱い奴、自分がリードできる相手には優しかった。自分より強い奴に対しては避けるという、まさに一人息子の感覚。と言ってこれは動物の普通の感覚かもしれない。強い奴が傍にいるとか、弱い奴がいるから守らねばならないというような社会性は、兄弟を持たないと身に着かないもんだろう。自分だけが愛情に囲まれていては、今のままでよいとして向上心に乏しいと思う。
オヤジの俺はと言えば、かわいくてかわいくて溺愛であった。空手に関しては厳しかったが、まあ生活時間のほとんどはかわいいとして付き合っているから、これもいけなかったのかもしれない。親の期待するような逞しさやハングリー精神がない代わりに、気のやさしい男であると思う。
8歳までUS暮らしをし、日本に戻ってきた。USと日本の学校の雰囲気と道場の雰囲気は違う。USは他者による肯定である。つまり学校の先生も空手の先生も彼を褒める。褒めて育てる。日本は逆だ。足りないところを指導するか、注意する。この違いも感じて嫌になったことであろう。USの場合は褒めるが、それでも先生には絶対である。いわゆる躾やルールに関してはUSの方が厳しい。そこを守った上で、一人一人の違いや特色をできる限り褒めて育てる。
子供の性格や才能と言うのはどう形作られるものなのだろうか?親の溺愛はやっぱりイカンのだろうね。
空手は止めたが、中学では陸上部に入り、楽しくやっている。最初はテニス部に入ったが、仲のいい友達が陸上部だったので、陸上部に替わった。ここでも友達主体である。
オヤジとしては、空手をやっていれば大きくなっても、同じ趣味としての話ができるんだが、それがなくなり面白くない。最愛の息子でありずっと今でもかわいくて仕方がないが、最近会話が少ない。もう中学3年だからしょーがないかぁ。
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