2011年2月22日火曜日

芦原空手

 本日は月曜日で、月曜日は今一つ憂鬱で昼トレのやる気も出ないが、やり出すとまあまあいつものメニューをこなしていた。
  • V字腹筋60回、背筋30回
  • バタフライ 8→5→4回 やってから4セット目にチャレンジしたが、0回。
  • 懸垂 3種(広め順手、狭め順手、逆手)、各8回
  • アダクション 10回2セット、逆アダクション 10回2セット
  • ショルダープレス 8→5回
  • 軽い開脚ストレッチ
これで約20分強。いつもよりはダラダラとやった為、最後の柔軟にかける時間は2,3分に過ぎなかった。やるからにはシャキッとしてスピーディにやるべきだ。が、そうすると筋肉と心肺を休ませるのが短くなって、結構しんどくなるんだよな。まあ、有酸素運動をほとんどしないわけだし、休みを短くして息を上げそれに代えよう。

 今日は芦原空手の話をする。

 大学時代はかなり空手に入れ込み、ハードな稽古に時としてめげながらも頑張った。ただ空手自体を楽しんでいたことはない。空手はあくまで修練であった。

 20年くらいのブランクの後、6歳になった息子に空手をさせようと思い、近所にあった芦原空手の道場に入れた。その5年前に引っ越してから、芦原空手の道場があることは知ってはいたが、小さな息子の子育ての時代であり忙しかったし、また自分も空手を再開しようとはついぞ考えていなかった。学生時代のハード稽古を思うと、中年オヤジが再開しようと思える心理的なハードルはかなり高かった。

 息子を道場に入れると送り迎えしなければならない。その間何度か稽古を見学した。見ているとやはりムズムズとしてきた。で、結局息子から1か月遅れで入門した。

 入門してみると一般の部は、初心者も多く、またこれが最も驚いたことであるが、明るい稽古風景だった。だいたい稽古中に笑顔と笑い声が出る。支部長の明るく能天気な性格によるところ大ではあるが、芦原空手は「楽しく空手をする」所であった。大学空手を経験した俺には、まったく信じられない別世界であった。ここで初めて、空手とは楽しいものだったんだ、と革命的!なことを知る。芦原空手は「誰にでもできる空手」を求めている。誰にでもできるようにする為には、苦しく歯を食いしばるのではなく、まず明るく楽しいことが一番である。次に理論を重んじて合理的に技や闘い方を身につけて行くことである。それを文字通り実践する道場であった。

 俺の方ももう中年だから、強くなろうとするぎらぎらとした欲はなく、師範の理論にフムフムと納得しながら、技を会得しようとした。根性でも努力でもない。まず理論に納得すること。つまり頭から入ること。中年オヤジにはこれが必要であり、やり方としては正しい。体はまずもって理論通りに動かないから、それを何とか理論に沿って動かそうと努めることが楽しいことだった。何回もやれば少しは近づいてくる。大学時代の、理屈なしに「腰をおろせ」「気合を入れろ」の世界では全くない。プロの師範はさすがだと思った。

 大学時代は苦しさに耐えるから強くなる資格があると思っていた。芦原をやっている当時の俺は、強くなることが目標ではなく、技の理論を理解することがまず第一であった。もう試合はしなくてよいから強くなることは必要ではない。勝たなければならないというプレッシャーはなく、技を会得していくことを楽しんでやればよいのだ。

 この時のコペルニクス的転回はどれほど強く言っても言い過ぎることではない。

 強くなる為の「辛く苦しい空手」から「楽しむべき空手」に変わったのだ。そうすると空手に対する考え方も明るく広がる。フルコンであるから筋力も必要である。パワーをつけ、柔軟性を伸ばし、技の受け返しの反射を稽古し、間合いを計りつつ闘うことの戦術・戦略を考え、また呼吸法もあるという空手は、非常に優れた全体的な体育であると、よく言っていた。今もそう思う。今の俺の稽古は、呼吸法が少ないのがイカン。呼吸法の基本は、三戦である。本当は毎日でもしないといけない。

 空手の再開を芦原空手からとなったことは幸運であったと思う。「楽しい空手」でないと中年は続かない。なんで好き好んで辛く苦しいことを、中年になってもしないといけないのか、それではまず続かない。

 芦原の道場へは2年程通った。白帯から始めて緑帯になった。ずっと続けたかったが仕事の関係でまた引っ越ししなければならなかった。

 今はまた別のフルコン道場へ通い、芦原空手からは離れてしまったが、忘れつつある芦原の型を思い出して何度も繰り返すことが必要だな、と思っている。型にすべての合理的なサバキが入っている。歳をとればとるほど、パワーとスピードよりもサバキを重視してしかるべきだ。

 

 

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