2011年2月28日月曜日

参加できた稽古

 本日の道場稽古は参加者が少なかった。熱心に通う中学生グループが試験中であり、稽古開始時は、先生と息子さん(中学1年)と俺だけであった。よほど今日は自主トレでいいのでは、と言おうと思ったが、先生はまったくいつもと変わらず、準備体操から基本技に入る。その時には、一般部の男子2名、32歳と21歳が加わり、さらに中学2年の女子も遅れて加わってきた。やれやれである。人数がある程度いる方が気合も入るというもんだ。

 型の後、最近の稽古は、左の上段にこだわっているので、左の上段を入れる約束組手を数種類。人数が少なく奇数故、指導員の立場になっている俺も参加。嬉しいね。稽古は参加しなければ。
  • 左中段回し蹴り→両手(右腕で主に受けるが左も添える)で受けて左の蹴りを前に落とし、左上段
  • さらに、右下段から右下突き、左上段
  • 左上段→両手で受けて蹴りを落とし、踏み込んで裏投げ、倒れた相手に右パンチ
  • 右下段→脛受けから右下段、そのまま右に踏み込んで右下突き、左フック、右膝蹴り
等。続けてスパーリングに移った。
  • 左パンチのみのスパーリング
  • 左パンチと左上段のみ
  • 下段蹴りのみ
  • パンチのみ
  • パンチと下段
  • 何でもあり

 技限定のスパーリングはおもしろい。パンチならば上と下、左ストレートと左下突き等を打ち分ける。緩急をつければもっといいんだが、ついつい速く打つことに走ってしまう。

 最近右パンチの打ち降ろしをよくやるが、もう少しきちんと狙いをつけないとだめだ。鎖骨を狙うならばきちっと狙うべし。そしてその後、きちっと左下突きへ。

 下段のみの組手では相手も注意しているので中々下段は入らない。下から上から左右からの下段を速射砲のように蹴れるように意識すべし。単調なリズムでは左右下段蹴りを繰り返しても必ず受けられる。インサイドローも強く蹴るべし。インサイドローは強く蹴らねば意味がなさそうだ。

 俺の相手をしてくれたのは、90K超の21歳のA君。強い男である。技が少々単調な所あり。威力は十分あるがまあ何とか受けられる部類の技であった。久しぶりにスパーリングをほぼフルにやった。

 最後の何でもありは、先生、俺が彼とやるのは危ないのか、休憩させられる。このパターンがよくある。我が道場に若手で強いのが二人いるが、めったに俺とやらせてくれない。彼はその内の一人。熟年の俺に怪我をさせられないとしているのであろうか。今日は人数が少なかったので、久しぶりに彼と相対した。やはりそれなりの実力者とやるのは面白かった。

 スパーリング後、ミットで中段回し蹴りを1分2セット。フルパワーで蹴るから2セットやれば終わりの方はバテルはずだが、今日はあまり息切れはしなかった。たばこの本数を減らしたのがよいのだろう。ミットを持っている90Kの相手を後ずさりさせることに喜びを感じるが、わずかな後ずさりが2,3回あっただけだ。

 稽古後、サンドバッグ打ちの自主トレ。パンチのコンビネーション、左右の単発中段回し蹴り。1,2パンチ後右中段回し蹴り。得意技から入るコンビネーションを身につける為に、右中段回し蹴りから左ストレート、右下突き、左上段。この辺のコンビネーションを柔らかくしなるように強くできるとよいが、そこまでは至らず。

 

2011年2月27日日曜日

左の蹴り

 本日の道場稽古は、基本や型を一通りやった後、左の蹴りで極める約束組手を多く行った。俺もやっておきたかったことだから丁度よい。しかも実際に稽古に混じって行えた。最近は指導員だから見ることが多くて自分の技の磨きにはなっていなかったが、本日は支部長先生が、俺も混じるように言い、久しぶりに相手とやれる稽古だった。

 右の中段蹴りが得意技だから、最後にやったスパーリングではまずその得意技から入る技を多く使っていた。さすがに得意技だから、色んな態勢からでも自然に出る。左は使おうと考えて決めてからでないと出ない。約束組手をやっても同じだが、まあこういうのは積み重ねと慣れである。

 約束組手の時、左足は右足に比べると上がらないし、上げた後に腰がうまく回らないことを感じていた。それでもなるべく腰に乗せる形でコンパクトに自在に出そうと頭で考えて努めてはいた。左の上段蹴りが攻防の中でスルッと出るようになれば、組手の幅は大きく広がる。最初はよいしょと蹴りの間合いで、やっと上段に届かせる蹴りであってもしょうがないが、やり続けることにより、突きの間合いでも自然に相手のあごを狙い出せるようにしていきたい。

 まず腰に乗せるイメージ。これは本日できていたと思う。次にコンパクトに折りたたむこと。これがまだまだだ。コンパクトに折りたたみ、狙いを定めて蹴ることが必要である。腰に乗せて回しながら伸ばせば威力も増す。右はコンパクトに折りたためる感覚がある。左もその感覚をつかめるように、空蹴り、サンドバッグもしておかねば。

 スパーリングで用いた突きはまだまだである。俺のパンチはかなり威力があるはずだが、スパーリング中に使おうと思うとどうも力んでイカン。そんな感じだから蹴りと突きのコンビネーションにもならない。突きは、突きをしようとして突きだけの連続技になっている。突き蹴りを自然に出せるように、しかも動きながら。ロー、ミドルの蹴りを突きの間合いで出すこと。膝蹴りも忘れないこと。そして最後は上段を突きの間合いで出せるようになることだ。突きの間合いで蹴りを出せるということは、手で相手の攻撃を受けながら、同時に蹴りで返すということをすることでもあるから、稽古の時は十分そう意識して受け返しをしようとすることが肝要だ。

 4月に試合があるが、左の蹴り、突きの順で鍛えて行こう。得意技の右から入るコンビネーションも同じく入念に。うーん、そういうと全部だね。膝蹴りも大事だし。

 突きに関しては、コンビネーションをすべて強くやるのではなく、強弱をつけることを次回注意すること。2,3本の中で極めるのは1本でよく、後はフェイントか当たればそれもよし程度の脱力した突きであるべきだ。全体としてそう考えてやると力まずにも済む。はい、これは次回の稽古の課題。



 
 

息子の空手

 我が息子。6歳から11歳まで空手道場に通っていたが、挫折して数年経つ。始めた頃は非常に好きだった空手を何故止めたのか。

 彼は道場を3回変わった。最初はUSにある芦原道場、次には日本に戻り、埼玉にある芦原道場、最後は別流派のフルコン道場である。最初のUS芦原道場には嬉々として通った。友達も多く、道場の雰囲気も明るく楽しげであった。日本に戻ると途端に変わった。道場へ行きたくないと言いだして泣き出した。が、泣いても無理やり連れて行った。

 同じ流派であるから稽古内容はあまり変わらなかったが、日本の芦原の場合、組手が多かった。レベルが高くなり、よく痛い目に会っていたので嫌になったのであろう。格闘技は痛い目にあいつつナニクソと努力するのが伸びる道であるが、そこまでの根性がなかったようだ。おまけに仲のよい友達もできているようではなかった。型は好きだった。しかし組手がどうも気性に合わない平和主義者だった。道場の雰囲気も、日本の場合はまさに体力・技・根性を鍛える道場である。USの場合は仲良しクラブであった。

 一人息子であり、父母の愛情を一身に受け、満ち足りており、人と競う、人と闘う気概は薄いようだ。自分より弱い奴、自分がリードできる相手には優しかった。自分より強い奴に対しては避けるという、まさに一人息子の感覚。と言ってこれは動物の普通の感覚かもしれない。強い奴が傍にいるとか、弱い奴がいるから守らねばならないというような社会性は、兄弟を持たないと身に着かないもんだろう。自分だけが愛情に囲まれていては、今のままでよいとして向上心に乏しいと思う。

 オヤジの俺はと言えば、かわいくてかわいくて溺愛であった。空手に関しては厳しかったが、まあ生活時間のほとんどはかわいいとして付き合っているから、これもいけなかったのかもしれない。親の期待するような逞しさやハングリー精神がない代わりに、気のやさしい男であると思う。

 8歳までUS暮らしをし、日本に戻ってきた。USと日本の学校の雰囲気と道場の雰囲気は違う。USは他者による肯定である。つまり学校の先生も空手の先生も彼を褒める。褒めて育てる。日本は逆だ。足りないところを指導するか、注意する。この違いも感じて嫌になったことであろう。USの場合は褒めるが、それでも先生には絶対である。いわゆる躾やルールに関してはUSの方が厳しい。そこを守った上で、一人一人の違いや特色をできる限り褒めて育てる。

 子供の性格や才能と言うのはどう形作られるものなのだろうか?親の溺愛はやっぱりイカンのだろうね。

 空手は止めたが、中学では陸上部に入り、楽しくやっている。最初はテニス部に入ったが、仲のいい友達が陸上部だったので、陸上部に替わった。ここでも友達主体である。

 オヤジとしては、空手をやっていれば大きくなっても、同じ趣味としての話ができるんだが、それがなくなり面白くない。最愛の息子でありずっと今でもかわいくて仕方がないが、最近会話が少ない。もう中学3年だからしょーがないかぁ。


 

2011年2月22日火曜日

芦原空手

 本日は月曜日で、月曜日は今一つ憂鬱で昼トレのやる気も出ないが、やり出すとまあまあいつものメニューをこなしていた。
  • V字腹筋60回、背筋30回
  • バタフライ 8→5→4回 やってから4セット目にチャレンジしたが、0回。
  • 懸垂 3種(広め順手、狭め順手、逆手)、各8回
  • アダクション 10回2セット、逆アダクション 10回2セット
  • ショルダープレス 8→5回
  • 軽い開脚ストレッチ
これで約20分強。いつもよりはダラダラとやった為、最後の柔軟にかける時間は2,3分に過ぎなかった。やるからにはシャキッとしてスピーディにやるべきだ。が、そうすると筋肉と心肺を休ませるのが短くなって、結構しんどくなるんだよな。まあ、有酸素運動をほとんどしないわけだし、休みを短くして息を上げそれに代えよう。

 今日は芦原空手の話をする。

 大学時代はかなり空手に入れ込み、ハードな稽古に時としてめげながらも頑張った。ただ空手自体を楽しんでいたことはない。空手はあくまで修練であった。

 20年くらいのブランクの後、6歳になった息子に空手をさせようと思い、近所にあった芦原空手の道場に入れた。その5年前に引っ越してから、芦原空手の道場があることは知ってはいたが、小さな息子の子育ての時代であり忙しかったし、また自分も空手を再開しようとはついぞ考えていなかった。学生時代のハード稽古を思うと、中年オヤジが再開しようと思える心理的なハードルはかなり高かった。

 息子を道場に入れると送り迎えしなければならない。その間何度か稽古を見学した。見ているとやはりムズムズとしてきた。で、結局息子から1か月遅れで入門した。

 入門してみると一般の部は、初心者も多く、またこれが最も驚いたことであるが、明るい稽古風景だった。だいたい稽古中に笑顔と笑い声が出る。支部長の明るく能天気な性格によるところ大ではあるが、芦原空手は「楽しく空手をする」所であった。大学空手を経験した俺には、まったく信じられない別世界であった。ここで初めて、空手とは楽しいものだったんだ、と革命的!なことを知る。芦原空手は「誰にでもできる空手」を求めている。誰にでもできるようにする為には、苦しく歯を食いしばるのではなく、まず明るく楽しいことが一番である。次に理論を重んじて合理的に技や闘い方を身につけて行くことである。それを文字通り実践する道場であった。

 俺の方ももう中年だから、強くなろうとするぎらぎらとした欲はなく、師範の理論にフムフムと納得しながら、技を会得しようとした。根性でも努力でもない。まず理論に納得すること。つまり頭から入ること。中年オヤジにはこれが必要であり、やり方としては正しい。体はまずもって理論通りに動かないから、それを何とか理論に沿って動かそうと努めることが楽しいことだった。何回もやれば少しは近づいてくる。大学時代の、理屈なしに「腰をおろせ」「気合を入れろ」の世界では全くない。プロの師範はさすがだと思った。

 大学時代は苦しさに耐えるから強くなる資格があると思っていた。芦原をやっている当時の俺は、強くなることが目標ではなく、技の理論を理解することがまず第一であった。もう試合はしなくてよいから強くなることは必要ではない。勝たなければならないというプレッシャーはなく、技を会得していくことを楽しんでやればよいのだ。

 この時のコペルニクス的転回はどれほど強く言っても言い過ぎることではない。

 強くなる為の「辛く苦しい空手」から「楽しむべき空手」に変わったのだ。そうすると空手に対する考え方も明るく広がる。フルコンであるから筋力も必要である。パワーをつけ、柔軟性を伸ばし、技の受け返しの反射を稽古し、間合いを計りつつ闘うことの戦術・戦略を考え、また呼吸法もあるという空手は、非常に優れた全体的な体育であると、よく言っていた。今もそう思う。今の俺の稽古は、呼吸法が少ないのがイカン。呼吸法の基本は、三戦である。本当は毎日でもしないといけない。

 空手の再開を芦原空手からとなったことは幸運であったと思う。「楽しい空手」でないと中年は続かない。なんで好き好んで辛く苦しいことを、中年になってもしないといけないのか、それではまず続かない。

 芦原の道場へは2年程通った。白帯から始めて緑帯になった。ずっと続けたかったが仕事の関係でまた引っ越ししなければならなかった。

 今はまた別のフルコン道場へ通い、芦原空手からは離れてしまったが、忘れつつある芦原の型を思い出して何度も繰り返すことが必要だな、と思っている。型にすべての合理的なサバキが入っている。歳をとればとるほど、パワーとスピードよりもサバキを重視してしかるべきだ。

 

 

2011年2月21日月曜日

昔の合宿

 ある春合宿風景。

 朝5時40分頃。眠さと筋肉疲労の気だるさを十分に覚え、本当にイヤイヤながら寝床で起き上がる。合宿先の旅館の雑魚寝部屋だ。隣や前にも同輩、後輩の野郎どもがもぞもぞと動き出している。皆無言。
 寝床の上の洗濯紐に干してある道着をとり、着替え、外へ。道着は連日の稽古で吸った汗がある程度乾いてはいるが臭い。部屋に干した所で一晩で渇きはしない。これがまた、汗を吸いだすと一段と匂い出す。汲み取り便所のアンモニア臭とまでは行かないが、男くさい匂いと腐ったような匂いの合体版にわずかなアンモニア臭がする。

 まあ大いに匂いだすのはまだ先の汗をかいた時であり、まだそこはかとなく匂うだけの空手道着を着て顔を洗いに行く。冷えた体に筋肉痛がはしる。運動をして汗をかきだすと筋肉痛は弱まる。道着が湿っていて臭い、筋肉痛がする、顔を洗って多少目が覚めたが脳みそはまだどんよりとしている、肌寒いと、不愉快極まりないことのオンパレードであり、この時間は苦役に引き連れられていく諦めた囚人の如くであった。

 準備体操の後、基本稽古、そして朝のランニングとなる。思い思いの自分のペースでジョギングするのでなく、一定のペースを守り集団で走る訳で、体の練磨であるから遅い速度ではない。3,4キロ先の折り返し地点までに脱落者が出てくるのが常であった。その時の指揮者によりスピードも変わる。俺は脱落したりしなかったりの実力であった。

 折り返し地点に着くと、脱落者が着くまで小休止。皆がそろってから柔軟をする。当時の柔軟は無理やり足を広げるとかではなくて、何となくやっている柔軟であり、この時はいい休憩タイムであった。

 現在、俺がやっている柔軟はかなりきつい。脂汗を出しながらやる。考えてみれば大学4年間、全く役にたたない柔軟をやっていたもんだ。柔軟とは今までの限界を少しずつ超えるべく、無理やり筋を広げ伸ばすものでないと、体を柔らかくすることにならず意味がない。大学空手の流派は剛柔流空手であり、当時はハイキックがなかった為、開脚することが必須ではなかった。従って体のほぐしに毛の生えたような柔軟をやっていた。やればやるほど柔らかくなる若い体を持っていた時分であったが、実にもったいないことをしていたもんだ。

 今でこそ伝統派空手の試合では上段回し蹴りや中段回し蹴りを高いポイントに取るが、当時の試合は、中段前蹴りしかポイントに取らなかった。蹴りは難しくモーションも大きくなる為、そもそも試合において蹴り技が極端に少なかった。ほとんど突きの闘いである。上段の突きを許す闘いにおいては、上段突きで決めるか、それをかわして中段突きを出すことを磨くことが勝つ為に必要であり、もっとも効果的であった。

 試合に使う使わないではなく、武道としての空手において蹴り技は金的蹴りが主戦であり、バラエティあふれる蹴り技をマスターする必要はなかった。伝統型においては上段蹴りは存在せず、蹴り技自体が少ない上、せいぜいあって中段蹴りと関節蹴りである。一撃必殺の空手において上段を蹴るくらいならば、その前に突きで雌雄は決している。命を賭ける格闘にある技は、眼潰しと金的蹴りであると断じる先輩がいた。確かに、と納得していたもんだ。剛柔流の猫足立ちは、金的を前足で狙う立ち方である。腰を既に引いているので突きの威力は出ない。眼潰しと掴みを両の手のどちらでもできるように構えているというのが正しいと思う。金的を蹴り前のめりになった相手をつかんで眼潰しをするという具合だ。

 さて早朝練習。柔軟を終えると時間をおかずに復路を走る。復路の方がたいていペースが速くなり、俺はしばしば脱落していた。
 合宿所前に戻ると、そのスペースで拳立て、腹筋・背筋の鍛錬を行い、早朝稽古は終了する。だいたい1時間半程度であった。

 朝飯を食い、しばらく休憩した後、午前10時から午前中の稽古をする。約2時間半。昼食を食い、休憩の後、午後3時から3時間ほどの午後の稽古。一日計7時間の稽古である。よくもまあ、体力が続いたものだ。午後10時くらいには寝るので、午後の稽古が終わっても寝るまでに4時間ほどしか時間がなく、何をする気も起きずひたすらに休養の為寝そべって、TVを見たり本を読んだりしていた。寝る時間が近づくと明日も続く稽古を考えて憂鬱になった。

 このようにして1週間を過ごす。

 午前の練習、午後の練習の具体的な中身の細部を覚えてはいない。基本、移動等は毎回行った。連続技、約束組手、型、自由組手の一連の稽古を何回となく繰り返していたことであろうと思う。また、腹筋背筋や拳立て、スクワット、当時はまだうさぎ跳びもよくやった。うさぎ跳びがほとんど鍛錬にならないということが、ある時期言われて、それからはまったくしなくなった。

 スクワット300回というのを、大学時代に何回もやったことがある。今は100回やるのがせいぜいである。拳立て50回は日常のこと。今はめったにやらないが、やっても40回くらいで上がらなくなる。筋力自体はウェイトで鍛えているので昔よりはるかに強いと思うが、体重が増えたことと持久筋をほとんど鍛えていないので、回数を追うトレーニングは昔より劣る。

 もっともよく合宿をやった一年があり、その年には、学内春合宿1週間の後、どこかへ行ってさらに1週間。学内で行う新入生歓迎合宿1週間、避暑地の夏合宿1週間に、例年やらない学内秋合宿もした。2回生の時か3回生の時だったがどっちだったか忘れた。例年、春合宿は1週間であり、秋合宿というのはやらない。当時の鬼監督にひたすら鍛えられていた。それだけ期待もされていた学年であったのだろう。我々の年代の対外試合の成績はかなりよかった。

 
 
 ・・・・・

 本日は日曜だが道場稽古が休みであった。運動としては風呂で体洗いながらのスクワット100回をしたのみ。昨日の道場稽古による膝の鈍痛と下半身のだるさがそのまま残っている。あるサイトで「洗髪スクワット50回」と言うのを見つけたが、同じようなことを考える空手道士がいるもんだとハタと手を打った。彼は毎日風呂に入るたびに行っているようだが、俺の場合はスクワット100回を隔日に行うことにしており、昼の間にできなければ、夜風呂に入っている時に行う。ただ単にスクワットをするのは苦痛である為、気を紛らわす為に体を洗いながらやるということ。上半身をスクワットしながら洗い終えると、今度はしゃがんだ時に膝より下を洗うという風に。気を紛らわせながらやらないと、スクワットというのはできれば避けたい退屈でしんどいトレーニングである。ただ習慣的にやらないと下半身の安定性が落ちるということを十分体験しているので、全く気が進まぬが何とか隔日にでもやるようにしている。毎日やった方が当然よりよい。

2011年2月20日日曜日

道場稽古

 特に変わらぬ道場稽古。
  • 基本
  • 約束組手
  • スパーリング
  • ミット
 どうも指導員になってから稽古に行っても練習不足気味になる。参加者が偶数でペアが作れた為、型やスパーリングは参加せず、もっぱら見て指導。稽古が終って一人でサンドバッグを蹴る。一人稽古でもしておかねば。

 今週の水曜のサンドバッグ稽古で気が付いてやっていること。
 感覚的に言うと、腰に蹴り足を折りたたんで乗せる形で、ミドルの回し蹴りを出せるようにする。腰の脇につけて自在に蹴りだせるようになろう。右がそうなったら左もだ。パンチは腰を軸として、その回転から繰り出す訳だが、蹴りも同様にする。腰自体を前に出すようにして回転して繰り出す場合、腰に乗せるという表現をした方がしっくりくる。
 腰の回転で蹴る蹴りは体重を浴びせることになり重い。腰を前に出しさらに伸びを加えよう。

 左上段をサンドバッグで蹴ったが、まだまだだ。ヨッコラショという感じでモーションが大仰である。また腰も廻っていない。これは回数を重ねて、動的柔軟性やスムーズさを身につけるしかないな。そろそろ課題を上段蹴りにしても悪くはない。

 

2011年2月19日土曜日

平穏な昼休みトレーニング

 本日は昼休み20分だけのトレーニングで終わった。仕事後、技の稽古をしようと思っていたが、予想以上に仕事が長引いたのでそのまま帰宅。
 
 昼トレ内容
  • V字腹筋60回、背筋40回
  • バタフライ 8→5→4回
  • 懸垂 3種(広め順手、狭め順手、逆手)、各8回
  • アダクション 10回2セット、逆アダクション 10回2セット
  • ショルダープレス 8→5回
  • 軽い開脚ストレッチ
 まあ今日のようなメニューが普通であり平穏な所。
 ベンチプレスマシンが昔はあったんだけれど、今はないので、上腕3頭筋が最近鍛えられていないような気がする。ショルダープレスである程度は鍛えられると思うが、ベンチプレスの方がより効果的であったろう。何せより重い負荷を持ち上げられるから。

2011年2月18日金曜日

筋肉痛、関節痛

 昨日も夜、1時間半ほどみっちりサンドバッグをやった。となるとだいたい体のダメージは以下のごとくとなる。

 練習が終わって、家に帰っておとなしくソファーに寝そべってじっとしているとまず腰が鈍く痛むように凝っていることを自覚する。別段腰を痛めた訳ではない。疲れが腰に溜まって動きがギコギコするような抵抗を伴うようになり、起き上がるときにはじーさんのように、ゆっくりと曲がった腰を伸ばしながらロボットのような動作となる。
 次の日起きると疲れからは回復しているので腰の凝りはほぼ消えているが、今度は膝関節がギコギコと、歩くたびに鈍い小さな痛みを感じるようになる。これが1日じゅう続く。

 以上が稽古をした後の体へのダメージのパターンだ。腰が当日、膝は当日ではなく次の日にギコギコなることが興味深い。よほど激しいことをしない限り筋肉痛はない。定期的な稽古で筋肉は慣れているからだ。しかしながら腰と膝の関節は慣れずに、稽古の度に上の経緯をたどる。関節は鍛えられないのであろうか?

 稽古のダメージとして関節痛が出てくるのが20代の昔とは大違いの所である。20代の頃もより激しい鍛錬をしたときに筋肉痛が残ることはあったが、関節が痛くなることなぞはなかった。。
 筋肉痛にしても関節痛にしても充実した激しい稽古につきものなので、不快ではなくむしろ満足感を感じるものである。

2011年2月17日木曜日

体重

 本日も昼休み、25分程度であるがみっちりウェイト含むトレーニングを行い、仕事を終えた後、サンドバッグ10ラウンドと柔軟諸々をした。
 最近仕事よりも自主稽古の方が充実しているというか、気合の乗り方が違うというか・・・。

 今日は体重の変遷を見てみよう。
 ダイエットに励む人は多いが、小生の場合はいかに増量するかに、ここ7,8年留意してきた。

 身長は高校3年頃に182センチになり、それから30数年間変わっていない。大学に入って1センチくらい伸びた記憶があるが、まあ大差ない。現在の身長は正確には182.7センチだ。
 体重は、空手をやりだして1年経ち、結構筋肉がついたと思った時が71K。19歳。大学入る時に買ったジャケットの肩幅がかなりきつくなって着られなくなった。それ以前は60K台で痩せていたのだろう。
 3回生の春合宿の時、旅館で毎日たらふく飯を食ったら75K迄増えたことがある。但しどうも動きのスピードが鈍った感があり、自分のベスト体重は相変わらず71Kだな、と思った記憶がある。
 23,4歳の時まで72,3K程度だっただろう。少しウェイトトレーニングした時期もあったが75Kは超えなかった。
 運動をしなくなり、一時期仕事も大変で、飲んだくれてもいた時期があり、その時は68Kくらいまで体重が落ちた。この頃に結婚した。もう36歳になっていた。
 結婚をして落ち着いたら体重が73Kに戻った。運動をせず規則正しい食事をしたら75Kくらいまで増えた。
 40代前半、フルコン空手をやり出した頃は75Kくらいだったろう。そのまま体重の変化はなかった。運動をして脂肪が落ちた分筋肉もつきイーブンだった。
 まあ、18の時から40過ぎまで体重は運動するしないにかかわらず70K台前半であった。小生は太る性質ではない。

 さて、その当時道場に非常に強い師範がいて、彼の体重が85Kだった。身長は170センチ程度だから非常にがっちりとした体格である。体も非常に柔らかく突きや蹴りがぐんぐん伸びて、なおかつ技が美しくて速い。今まで強い空手家を何人も見ているが、技の美しさで彼の右に出る人はいない。完璧な技と体さばきだった。嗚呼、あの人に近づきたい、あわよくば勝ちたいと秘かに考えた。技では超えようがないので、少なくとも体重を近づけ同程度のパワーを得ようと思い、目標を85Kに設定した。フルコンの技の威力はやはり体重に関わる。少なくとも彼と同じくらいの技の破壊力を持つべく筋トレによる増量に取り掛かった。
 仕事前、早朝から会社に併設してあったジムでウェイトトレーニングを始めるとともに、無理やり飯を食い出した。プロテインも飲み始めたが、その頃は知識もなく植物性のソイプロテインを飲んでいたから体重を増やすことに貢献したとは思えない。が、無理して食い、ウェイトをしたおかげで体重は80Kの大台を超えるようになった。3か月くらいはかかったであろうか。それからは昼休みウェイトを続け、だいたい82Kで変化なく数年経った。ある時たばこを止め、飯や間食が増え、なおかつトレーニング続けるとみるみる間に86Kまで体重が増えた。たばこを再開するとまた83Kまで体重は落ちた。現在はまたたばこを止めており、86Kに戻っているという所だ。

 半年くらいで75Kから80Kに増やした時には、再度以前に買ったカッターシャツやジャケットが着られなくなった。胸や肩の筋肉が増えたせいである。
 今は86K、体脂肪率が20%弱である。ランニングのような有酸素運動はしていないので、筋肉はついても脂肪は落ちない。ウェイトでは今までで最も重いのを持ち上げている。

 4年前、体重90Kの選手にじりじりと引き下がって負けたことがあり、もっと筋力が必要だと考え、その時は目標体重90Kとしたが、そこまで上げるためにはもっとウェイトの時間を増やすか、負荷をもっと上げることだが、会社のマシンは各種目でMAX負荷迄きているので、これ以上大きく筋肉は増えないであろう。重りを買ってくれと言っても小生だけの為には買ってくれない。

 ここ2,3年、技の破壊力がごくわずかではあるが増えてきていると思うのだが実際の所どうだろうか。もう歳だから実は瞬発の破壊力としては減っているかもしれない。2年前はキックミットでミドルキックをやるとミットを持つ相手が後ろへ少し飛んだが、今はそうでもない。パワーは同等かそれ以上かもしれないがスピードと極めの力がおろそかになっているかもしれない。
 本日の稽古はサンドバッグ10セットだったが、本当に全力で突き、蹴りをした本数は少ない。威力を増すにはやはりフルパワーで突き蹴りをしつつ、力が無駄なく正しく伝わっているかのチェックをするラウンドも設けるべきであろう。可能ならば10ラウンド全て全力で。

2011年2月16日水曜日

ウェイトトレーニング

 小生の定番ウェイトトレーニングについては前に述べた。

 上半身を鍛えるウェイトは、筋肉がつき見た目のシェイプもよくなるのでやりがいがある。下半身は回数を重ねるスクワットをメインにし、残りは直接蹴りのパワーに繋がる2,3の種目をやっている。
 以前、下半身もウェイトのみ熱心にやっていた頃、体力測定で閉眼片足立ちのタイムを測定した時に何度やってもわずか10秒程で足を着いてしまい、こりゃイカンと思ったことがある。下半身は大きな筋肉ではなく細かい筋肉も鍛えなければ安定性を失う。相撲のシコは、片足を上げてバランスも取りながら片足スクワットをやるのだ、と聞いたことがある。大きな筋肉も鍛えるが、全体のバランスをとる為に同時に細かい筋肉も鍛える。何せ片足で上下に動く。その結果粘りのある下半身ができあがる。そう時間もかけていられないので、小生はもっぱらスクワット100回。これを隔日に行っている。毎日やるのが望ましいが、ちょっと気が進まぬ。スクワット100回は素早くやれば100秒で終わるものであるが、とっても息と筋肉が続かぬ。ゆっくりやれば100回を続けてできるが、早くやると70回くらいで息が上がり筋肉が締め付けられるように辛くなる。しんどいトレーニングであるから毎日やる気が起らないが、せめて1日おきにはやろうとしている。
 ウェイトは8回2セットできたらさっさと重量を上げる。その方が筋肉がつく。重量を上げると最初のセットは6回で上がらなくなり、2セット目は3,4回で上がらなくなるがそれでよし。また8回2セットできることを目指す。
 ウェイトに割ける時間は、会社の昼休みの15分程度であるが、かくのごとく数年続けているので、1年くらいたった後からは183センチ、86Kの堂々たる体躯を維持している。ここ2,3年はあまり変動なし。もっと筋肉(体重)増やすならばプロテインを飲んだり、さらにウェイトに割く時間を増やしたりすることだが、時間はこれ以上は割けず、プロテインはいちいち備えておくことも飲むことも面倒なので、飲んではいない。また、会社のマシンの負荷も最大になってしまっているのでこれ以上筋肉が太くなることもないだろう。これは残念。

 フルコン空手は、パワーが必要であり、また打たれても大丈夫な筋肉の鎧も要る。従ってウェイトは必須である。休暇や出張でウェイトをしない期間があると空手が弱くなったような気がしてしまう。ウェイトをやって力を維持しているから空手が強いわけではなく、ウェイトはあくまで技に従するものであるのだが、まあこれは気分の問題だね。筋肉隆々であれば強いというのなら、そもそも空手の稽古は不要になってしまう。
 小生は50歳を過ぎ、もう歳だから力よりも技の練磨の方が大切なんだが、組手はまだまだ上手くなく、周りよりもガタイがよいものでついついそのパワーに頼ってしまう。パワーは近い将来落ちて行くのは目に見えているのに。

 柔軟。これはもう7年くらいほぼやり続けているが、体の柔らかさの進歩は少ない。まだ180度開脚はできない。昼休みトレーニングで柔軟にかけられる時間は5分しかないので、これもワンパターン柔軟になり、全身を柔らかくすることが全くできていない。全身を柔らかくするためには種目を多くすることが必要であろう。が、腰のひねりストレッチと前後左右開脚で5分が過ぎてしまう。7年間ほぼ同じメニュー。柔軟は大変、痛い、でも伸びがない。本当に微々たる進歩である。無理して苦痛に顔をゆがめ、脂汗を出しながら開脚しないとより伸びないから困ったものだ。普段はある程度の痛みの所で手を打ってしまうから、現状維持というのが近い。時々気合の入った時に脂汗までやる。
 歳をとると腰が固くなっていることを感じる。足は上がるのであるが、腰のひねりを加えられない。つまり華麗な上段回し蹴りができない。動的な横開脚が大きくできないということ。動的柔軟性を得るためには、格好の悪い上段回し蹴りを無理してでも回数を重ねることだと思うが、うーーん、基本的な静的ストレッチで時間も足りなくなるので、できていない。
 なーんか、体が柔らかくなるいい方法がないものか・・・・
 

2011年2月15日火曜日

組手がうまくなるには

 フルコン組手にうまくなる手法を考えてみたいと思う。

 反射神経がよくて所謂才能がある人はよいが、小生のように歳をとり鈍くなっている人間がどうすれば組手がうまくなれるかである。

 技は上下左右に打ち分けよとか、廻り込むこととか、攻撃されたら必ず返すようにとかよく言われる。それはその通りである。しかしその通りにできないから組手が難しいと思うのである。何故そのようにできないのか?1,2,3パンチや蹴りも入れたコンビネーションも一人で反復練習するときにはまずまずなのに、何故組手になるとうまく出せないのか?受け返しの約束組手はかなりな回数をやっているのに組手では何故使えていないのか?

 昔のように千回、万回と重ねると確かに身に着くとは思われるが、今はそんなに地道な稽古をする時間がない。ではどうするか?

 自分の使える技の中で、相対的な得意技と言うのがあるはずだ。例えば左の蹴りより右の蹴りが出しやすいのでよく右中段回し蹴りをするとか、右の逆突きには自信があるとか。それはいくつもの技を万回とまでは行かないまでも、日々繰り返す中で自分が最も使いやすいと感じる技になったものである。この得意技の一本は、相手の隙を見つけたらたいがい即座に出せるものであろう。無論相手も受けをするのでその一本では決まらないが、まずはごく自然に出せる技である。この得意技から2本目、3本目の技を組み立てることである。次にはどんな受けをしても自然にこの得意技を出せるようにすることである。

 小生の場合は、右の中段回し蹴りと右の逆突きが最も自然に出る。右の中段蹴り→左の上段蹴り、接近した場合は左の膝蹴り、あるいは左のフック。この2本目を自然に出る1本目に繋げて、自然に出るように繰り返し稽古する。できれば3本目もつける。左上段の次は右の下突き、左フックの次は右ローキックとか。3本目になると2本目以上に相手の出方や間合いにより使える技の選択肢が出てきて難しくなる。体が自然に動けばよいがそうも行かない。だから組手がうまくないと悩むのである。もっとも推奨できるのは、右中段蹴り→左上段、左膝蹴り、左フック→右中段パンチ、というように3本目にもう一つの得意技を持ってくることである。つまり得意技1→つなぎ→得意技2、とする。つなぎは単なるフェイントでもよいし不十分でもしょーがない。

 受け返しも、ともかく受けるだけ受けて得意技1を出す。それが出せる態勢にしなければいけないが、だいたい得意技であるから出しやすく自然に体運びをしやすいと思う。

 以上のことを組手でひたすら試して使えるようにすることが肝要であろう。次には、得意技と言うからには近い間合い、遠い間合いのいずれでも出せるように磨いておくべきである。右逆突きであっても遠間から飛び込むことや上から振り下ろしフック気味に打てること、近場では立て拳か下突きも使えるようにしておくこと。もとより得意技であるから慣れぬ技を無理してやるよりはやさしいはずである。このように得意技を軸にしてコンビネーションや受け返しを考えずにやれるところまで仕立てれば、そこからさらに使える技のコンビネーションは増えてくるはずである。

 特に留意することは、繰り返しになるが、相手の隙に乗じて直ちに得意技をまず出せるということ。そしてそこからのコンビネーションを使えるようにすることである。それができるから得意技と言えるのだがこれも意識的に何度も試してみなければ使えることを確認できない。組手で何度も使っていると単調になるかもしれないが最初の内はただひたすら磨くべきである。

 小生、先日の組手稽古で発見したことが、上に述べた「得意技から・・・」である。所詮攻撃されて煮詰まった時には、得意技の反撃しか体は覚えていない。そこからどう切り開くかであろう。

 次にはフェイントでもいいから1本目の技を入れて2本目に本命の得意技で仕留めるコンビネーションをすることになるが、その時点ではそれなりに組手が上手くなっているはずである。
 

2011年2月14日月曜日

稽古を指揮

 本日は道場の稽古を指揮した。指導員の端くれとして先輩指導員の誰もが都合悪い時は、不肖小生が指導する。
  • 基本一通り
  • 柔軟
  • 足運びの4パターンにコンビネーションを課した稽古。
  • 蹴り主体のコンビネーションをする移動稽古
  • ミットを持ってコンビネーションの当て稽古
  • スパーリング各種。パンチだけとか左だけとか。最後はフリー
  • 一連の攻撃コンビネーション確認のペア稽古
 最後のやつは時間が少し余った故にやったが、スパーリングで技が乱れた後に確認の意味で攻撃コンビネーションを相手をつけてやるのは悪くないと思う。ただ、本日の稽古参加者は皆うまく、スパーリングでも技は乱れていなかった。乱れていたのは時折参加する指導員の小生である。

大学時代の練習

 大学時代の練習メニューを記しておく。我が大学空手道部は、伝統派の剛柔流であった。以下は、夜錬と呼んでいた午後5時から8時までの3時間の稽古内容である。
  • 準備体操
  • 基本稽古: 正拳突きから手刀、後ろ金的蹴りも含めたフルの基本技をやる場合もあったが、普段は正拳50本、裏拳各20本、金的蹴り20本、前蹴り50本、三日月蹴り50本、関節蹴り20本と言った代表的技をやることが多かった。
  • 補強: 二人1組で。腹筋100回、背筋50回、首を寝転がって前後左右各10回
  • 柔軟: 閉脚、開脚その他:二人1組
  • 移動稽古: これがたっぷりとあり大変苦しかったのを覚えている。大学の武道場は広くて片道が長い。前屈3往復(移動のみ、順突き、逆突き)、しこ足3往復(同じく)、猫足3往復(移動、前蹴り、後ろ脚からの蹴り)。以上がよくやったパターン。時折、三戦(突き、蹴りも入れて)、沈み込んで斜め前に前屈で突く移動のパターンもあった。
  • 小休止
  • 型 (時折やったと思う)
  • 実践技一本: 移動を伴う、順・逆突き、一歩出て順突き、前蹴り(後ろ足にて)、一歩出て前蹴り
  • 実践技連続: 1,2パンチ。1,2一歩おくり前蹴り。前蹴り・順突き
  • 約束組手: 順・逆突き、前蹴り(前足、後ろ足)に対する計4種の返し技
  • 自由組手
  • 補強: 拳立て50回、スクワット100回以上
  • 整理体操
今から33,4年以上も前の練習である。今はもっと実戦的に変わっている。カウンターを打つ練習メニューもしばしばやっていたが、今は定番メニューになっていることだろう。

 まだ練習中に水を飲むことを禁じていた時代である。小休止中には我慢がならず、トイレに行くようにしてトイレの水道の水をがぶ飲みしていたもんだ。一度同輩が脱水症状で救急車で運ばれたこともあった。今から思えばよくその一度だけで済んだものだ。皆もトイレで水を飲んでいたに違いない。大学4年、夏の全日本学生選手権の試合の時にポカリスウェットの販売促進として試合会場にて無料で配っていたのを覚えている。その時分からしだいに適当な水分補給が必要であることになったようだが、水を飲めば済むところを、わざわざ高い金を出してそのような飲料を飲む意識にはまだ至ってない時代であった。小生はずっとトイレの水道で水をがぶ飲みしていた。水は飲んでも飲んでも喉の体の渇きがすぐには治まらぬが、かの飲料はよく渇きに効くことを今は実感している。

 1回生の頃は非常にしんどい練習であったが、さすがに2,3回生となると慣れてきた。またよくも似たような練習メニューを飽きずに繰り返していたとも思う。

 当時の空手道部で最も大事なことは「気合」である。次に「腰を落とすこと」。練習の終わりに正座して黙想の後、先輩方が一言言うのであるが、上の二つがたいてい入った。「今日は気合が足りなかった」とか。練習中も頻繁に言われる。「こりゃあー、もっと気合出せい!」と。移動稽古では必ず「こりゃあ、もっと腰を落とせ!」である。己が上級生になってもこれはよく言った。「気合」とは腹から出す声である。空手では「セイ!」、「おりゃ!」とかの声。もっと技本体の指導があって然るべき所なのに、たいていの指導が上の二つである。無論後輩へは適度に技を教えるが、だいたいにおいて30年以上前の空手道部、プロの師範がいない部活動では科学的な技や動きの説明は乏しかった。うまい先輩方の形を真似することが大事であった。

 「気合」と「腰を落とす」ことは基本中の基本であり、今は割合納得している。「気合」とは声であるが、声を出すことによる一心不乱の集中力である。「腰を落とす」ことは下半身の鍛錬に最も必要なことであり、スムーズな動きと技に力を合理的に伝える基本である。フルコンタクト空手をしている今はある程度腰を高めにしフットワークを用いることが多いが、それでもその動きの安定性にかつての腰を落とした移動鍛錬が効いていることを実感している。

 練習が終わると道場の前のコンクリートの階段に座りまず一服。それから自動販売機のある生協の建物まで行ってコーラをがぶ飲み。そんな風に毎週毎週練習して過ごした。よく同輩連と連れだって飲みにも行った。飲みながら延々と空手の話、よくも飽きずにやったもんだ。強くなることを求め真面目に求道していたから、飲んで馬鹿笑いしながらもほとんどは空手の話だった。だいたい男ばかりだから人のうわさ話なぞはしないし、学部が違う連中だから勉強の話もしない。女の話を時折少々し、後はほとんど空手とその精神性による生き方の話だった。ただ残念ながら話の内容をほとんど覚えていない。「強くなるぞ、強くなる為には」と話していたことは覚えている。まあ、同じようなその繰り返しだったのだろう。

2011年2月12日土曜日

空手経歴

 大学に入って空手道部に入部して空手を始めた。まさか今に至るまで空手を続けようとは思いもよらなかった。
 高校時代にブルース・リーの「燃えよドラゴン」が大ヒットし、少年マガジンでは「空手バカ一代」が大人気連載中だった。もろにその影響を受けて、大学に入れば空手部に入り強くなるんだ!と意志する青びょうたんの受験生であった。
 無事合格し、クラブのオリエンテーションで空手道部を訪れ、そのまま入部した。同期生はのべ30人近くいたが、4年間の最後まで残ったのは7名であった。
 大学の流派は剛柔流。伝統派空手である。
 小生の空手経歴は、この大学4年間と、その後会社に入り極真空手の同好会1年、それから20年ほどのブランクの後、フルコンタクト系空手を再開しての7年間である。今から思えばブランク期間の何と長いこと。その時は運動という運動はまったくしていなかった。6歳になった息子を近所の空手道場に入れてから、昔を思い出しうずうずし出した故に自分もやり始めたが、本格的に行うフルコンタクトの技の違いが面白くて今に至るまで続いている。その間、息子は早々にリタイヤ。オヤジだけがエッサホイサとやっている。
 空手の帯は流派を変えると白帯からやり直しである。大学で剛柔流初段をとっていたが、最初のフルコン流派は白帯から緑帯までやった。その後転勤もしたのでフルコン流派を代わり、現在の流派も白帯から始め今は初段である。50歳にしてようやく初段をとった。中々その歳で昇段する人はいなく、これはこれでまた大変だったが、その内おいおい振り返ってみよう。

 何といっても学生時代である。勉学と言うより空手道部で青春をおくった。練習もすさまじくハードであった。新入生歓迎合宿と言うのが入部早々4月にあり、1週間大学構内に寝泊まりして朝昼夜と練習するのであるが、それを終えて下宿に戻った時に下宿のおばさんが驚いた。げっそりと頬がこけていたからである。練習の合間を縫って講義に出るべきではあるが、そのような気力なぞは到底なく、その時点から講義をサボるということも覚えた。このやり方が4年間続いたことになる。練習は必ず出るが講義は可能な限りサボる、と。
 練習を必ず出ると言っても、火木土の夜の3時間稽古は、出る直前まで「嗚呼いやだ、出たくねぇ、出たくねぇ」と処刑場に連れられて行く囚人のような気持ちかつ重い足取りで道場に向かう状態だった。出るだけの気力をつけるために授業をサボり、喫茶店で「あしたのジョー」や「空手バカ一代」を読んで気力を奮い立たせていたことも多い。かの漫画は何回読み返したことか。
 昼休みのトレーニングは毎日あったが、それには次第に慣れて来た。基本技を多少やった後で、ランニング3Kに腹筋100回、背筋50回、拳立て50回といった基礎体力をつけるための定番メニューであった。時間にして30分ほど。外でやるから春秋は気持がよかった。当然夏は暑く冬は大変寒い。空手道着を着て裸足で走る為、夏は焦げたアスファルトの上をアチチと跳ねて走るし、冬は冷えたアスファルトに足が吸いついて感覚が無くなっていくのを味わった。どちらも体力を鍛えることには何の関係もなく、足の裏の皮を鍛えるのみである。しばしば足の裏に水膨れができ、痛いものだからそれをかばって変な走り方をすると余計な所に筋肉痛を起こすという、これまた健常な鍛錬とは関係のない修行であった。
 この昼休み練習は1,2回生の2年間行った。昼錬を終え喫茶店に行き、あしたのジョーを読み気力を掻き立たせて5時からの夜錬に備えるという日々を何日やったことか。学生の本分である勉学をおろそかにしていた。
 同輩で豪傑がおり、学生は勉強をし空手をすればよし、他のことはする必要なしとして、もう諦めたようにそれを実行するやつがいた。彼は偉大であり、今は重責を担う役職につき活躍している。小生はそうは行かなかった。空手で苦しい分、授業をサボり休息していた。彼も空手を続けている。50歳を過ぎ空手をそれなりに稽古しているのは、我が同期では彼と小生のみである。空手に入れ込んだ思いの強さが互いにあったようである。

 今日はここまで。

 

腰に溜まる

 本日はジムで稽古。
 いつものウェイトメニューをやった後、空蹴り空突きの移動稽古をした。

 前蹴り上げ2往復。ジムは片道で12,3回できる距離である。
 中段前蹴り1往復
 中段膝蹴り1往復
 中段回し蹴り1往復
 上段回し蹴り1往復。上段をやるたびに体の固さを感じる。足はある程度上がるのだが、足を挙げると腰が切れなくなるので、ぎこちない動きになる。
 内回し1往復
 外回し1往復
 突きのコンビネーションで1往復
 横蹴り上げ40回
 後ろ蹴り上げ40回
 1,2パンチからミドルの回し蹴り1往復
 

 ミドルの回し蹴りから後ろ蹴り1往復。上段回し蹴りをしたいのだが、うまくないのでついついミドルでいいかぁ、となる。

 ウェイトは汗をかかないが、移動稽古になると汗だくになる。そして現在、腰がどんよりと重く凝っている。稽古の内容自体は割合ハードで若い時に負けないくらいであり、やっている最中は体の痛みなぞはないのだが、しばらく経つと腰が固まるように凝る。これが若い時と大きな違い。疲れは腰に溜まり、ジジイのようにヨッコラショと、ギギギと言いそうな腰で立ち上がり、少し腰を曲げたジジイ歩きで家の中を動くことになる。加えて膝が痛くなる。腰の方は一晩寝れば治るが、膝は次の日も弱い鈍痛である。筋肉よりも関節が老化して疲労が蓄積するということだね。

 

 

2011年2月10日木曜日

サンドバッグ

 仕事を終えた後、サンドバッグメインの稽古を行った。最近仲間たちはほとんど来ないので、一人で自主トレが多い。うちの会社のサンドバッグは見事に重く、普通殴る蹴るをするとストレス発散になろうかと思うが、このサンドバッグでは殴っても動かないので徒労感を覚えて余計がっくりきそう・・・な程、重くて大きい。
 強く突き蹴りしてもあまり揺れが起きないので、小生にはちょうど良い。
 3年ほど前、ウェイトをかなりして筋力が増し、蹴りの威力がピークだった頃、このサンドバッグにミドルキックやハイキックをたたきこんでいたら、すっかり右膝を痛め、それから1年以上サポータをつけておっかなびっくり右キックを使うはめになった。筋肉は強くなったが、それに応じて関節までは強くなっていなかったということだ。重いサンドバッグで表面がバックスキンで滑らない故、強いキックの衝撃が逃げずに膝に溜まったのが原因だ。
 それ以降、割合しばしばサンドバッグを蹴っているので、膝関節も回復した後は鍛えられたのであろうか、最近は全力で蹴っても大丈夫である。
 サンドバッグトレーニングは1ラウンド2分で行う。
1ラウンド目: 左右の順突き
2        左右のワンツー
3        左のジャブ、フック或いは下突き
4        突きのコンビネーション
5        左右のミドル回し蹴り
6        左右の膝蹴り
7        左右の前蹴り
8        左右のローキック
9        突き蹴りのコンビネーション
10       左右の上段回し蹴り
11       左右の中段回し蹴りを空蹴りしてから後ろ蹴り
12       突き蹴りのコンビネーション
以上。
今日は結構やったもんだ。
その後、シャドーを1ラウンド。型を3,4回。

 サンドバッグをやった後は、力を抜き柔らかくやることを意識したシャドーを十分やった方がよい。サンドバッグはやはり力が入り、動き全体に力みがある為、それを抜いてスピード重視にする稽古も必要だ。本日はシャドーの回数が少なかった分、型を入れた。
 スパーリングをすると、コンビネーションが使いきれていないことをいつも実感しているので、本当はコンビネーションのラウンドをもっと多くとるべきであるが、上記した基本技のラウンドで十分疲れ切ってしまい、さらにラウンドを重ねるに至らず。また受け返しは、サンドバッグでは無理。相手を置いた稽古が必要。
 もう50過ぎているので、いつまでもパワー技をやっていてもいかんよな、と思うが、一人稽古ではしょーがない。
 

2011年2月9日水曜日

昼のトレーニング

 本日もヒンズースクワット100回、V字腹筋50回、V字背筋30回の後、サンドバッグを3ラウンド行い―1ラウンドは2分―、柔軟をした。その間約20分。
 昨日はV字腹筋50回、V字背筋30回、ウェイトトレーニング計6種目の後に柔軟。これも約20分。
 ウェイトとサンドバッグは交代で行っている。昼トレーニングが終わった後に昼食をとる。
 最近のトレーニングは20分と言えども中身が濃く、ほぼ全力で行うために午後からは体が疲労して、仕事中ではあるが3時頃にやけに眠たくなる場合がある。
 V字背筋と言うのは気持ちが悪くなる為、30回が今の所限界。不思議である。腹を床につけて反り返る運動だけど、なぜ気持ちが悪くなるんだろうか。
 腹筋の方は、昔は足を固定して100回していたが、80回過ぎるあたりから腰の方が凝るような鈍痛になる為、回数が少なくて効くV字腹筋に変えた。V字腹筋も下腹部を締めるのか、上の部分を鍛えるのかの意識の違いによって効果が異なってくるように思える。まあ今は50回の内、意識を半々にしている。
 ヒンズースクワット100回と言うのが一番堪える。速くやると70回あたりで筋肉がばて呼吸が続かなくなる。少し休んで残りの30回を行う。ゆっくりやると何とか100回を連続してやれるようになった。地道な鍛錬であるが、このスクワットを日常的にやっておくかどうかで下半身の安定性が明らかに違ってくる。片足を挙げて回す準備運動を道場稽古の時にするが、スクワットを習慣にする前は非常にふらつき、よく足を床についていた。スクワットを一日おきにでもするようになってから、下半身が安定して足をつかずにできるようになった。これは顕著に分かる。
 ウェイトトレーニングは汗をかかずに短時間でできるのでよい。好みのトレーニングである。どう考えてもスクワット100回の方が辛い。とは言え、基本的に重い負荷で挙がらなくなるまでセットを重ねるので最後は力を振り絞る。8回2セットできるようになるとさっさと重りを重くするのがよい。
 バタフライ、72.5Kを8回→5回(で今は限界)→4回(で限界)の3セット。そろそろもっと負荷を挙げたいのだが、実はMAX値である。8回を2セットできるようになるともう終わりだね。重りを買ってくれと言っても買ってくれそうにないし。
 懸垂、10→8→6回と減っていかざるを得ず。昔からやっているんだが、10回3セットは中々できない。今は幅広握りの順手→逆手→幅狭順手、という順番だ。
 レッグエクステンション、このマシンの負荷が全く足りない。それで片足づつでやっている。30Kくらいかな。10回3セットやっても余裕なので、ゆっくり下ろす動作をしてなるべく筋肉に堪えるようにやっている。
 同じマシンでレッグカールをやるべき所なんだが、レッグカールの代わりに後ろに重心を掛けるスクワットを一日おきにやっているのでめったにウェイトとしてはしない。
 アダクション、股閉じのこと。これも何Kか忘れたがマシンの最大荷重でやっている。10回2セットで丁度限界となる。まあ、しょうがないから3セットできることを目標とするか。荷重をかけた股開きのトレーニングも同時にできるマシンでもある。股開きの方は110K2セット。こちらはまだ重さを増やせる。
 ダンベルのショルダープレス、確か25Kか30Kのダンベルを挙げていると思う。両手で50Kか60K。割と重い。8回→6回、で限界。このダンベルはまだウェイト増やせるので、できるようになればどんどん増やしていこう。
 昔はベンチプレスのマシンがあったが壊れてしまい、今は器具なし。ベンチプレスは胸筋と肩を鍛えるのがメインであるが、上腕三頭筋も鍛えられていたと思う。胸と肩を鍛えるバタフライではまるっきりそれは鍛えないから、別の種目でなんとかせねばと思っているのが課題。正拳突きの力は背中と肩であるが、次には上腕三頭筋だ。
 上記のウェイトをやるのが一日おきの日課である。時間も限られているので他の種目はやらずに上のことばかり。12,3分くらいでやっていると思う。ウェイトは短時間で鍛えられ、最大荷重に到達していない種目に関しては挙がらなくなるまでやるので苦しいし、挙がらなくなる時、ある意味敗北感を覚えるが、総じてコストパフォーマンスのよいトレーニングである。回数を重ねる苦しい持久系と比べれば、楽な割に筋肉が負荷に応じて正直につくのでやりがいは出る。
 サンドバッグトレーニングは真剣にやれば汗だくになる。午後からも仕事があり、汗だくになるのはちょっとかなわんので、昼休みとしてはある程度手を抜きつつ、体の使い方を確認、工夫して破壊力を増す為の試行をしている。コンビネーションの確認、工夫をやりだすと汗だくになってしまう。それには結構何回も懲りているんだが、実はついやってしまうんだよね。

 毎日上のメニュー、サンドバッグとウェイトを日替わりで昼休みトレーニングを行い、週末は道場稽古の生活である。

2011年2月8日火曜日

少年達

 うちの道場には非常にうまくて強い少年、少女達が数人いる。小学の低学年からずっと空手を続けている中学生である。空手の上達と共に体も成長しているから、空手の動きがもう身にしみついている。
 フルコン空手の経験年数で言うと小生の方が長い。しかし彼らの方が数段うまい。足が十分伸びて柔らかに腰が廻る美しい上段回し蹴りや、後ろ回し蹴り、なんでそんなに簡単に開くのか不思議になる足刀上段蹴り。組手も十分場数を踏んでいるので、多彩なコンビネーション技や受け返しができる。小さなときから続けるということは凄いもんだ。彼らは空手エリートである。
 オヤジ達は同じ年月かけても、あれほどきれいな技は出せない。華麗な上段回し蹴りをするための開脚ストレッチはやり続けて10年近いが、まだ180度は開かない。少年達もすべて180度開くわけではないが、よく足が上がるのは動的な柔軟性があるからだ。小生は5分くらい時間をかけて徐々に開く静的柔軟なら結構開くようになったが、動的には大きく開かない。また開くのが静的柔軟でよく開いている一方向だけであり。股関節の周りをまんべんなく柔らかくできてはいない。
 柔軟ほどまじめに高みを求めれば苦痛であるものはない。時折痛いのを我慢して今までの限界値を超えようとするが、顔が苦痛で歪み脂汗がにじみ出る。本当は毎日限界を超えることをしないと伸びないんだろうな。
 うまい少年たちを前に指導することがあるが、こっちが教えてもらいたいくらいだ。
 「前蹴上げは腹筋の筋力を用いて上げる」と指導して小生はやりつつも、歳なもんでよくふらつく。平衡感覚も歳取ると悪くなるんだろう。彼らは安定して美しい形で前蹴上げを行う。指導もくそもなく、小さい頃からやっているので体が覚えているし、必要な筋肉はすでに作られているということだ。連続前蹴上げも素早くきれいなもんだ。オヤジは連続になると遅いし、余計にふらつくことが多くなる。
 少年達よ、どんどんうまく強くなれ。オヤジはオヤジで君等からも学ぼう。時として咬ませ犬になってもよい。それはそれで実力の世界だ。
 はて?俺はいつから空手に精神性を求めなくなったんだろうか。