2012年10月31日水曜日

鏡の前の空突き空蹴り、シャドー稽古

 また無味乾燥ではあるが、本日の稽古の記録を付ける。

 本日の稽古、午後6時10分から8時10分迄の2時間、会社のジムで、また鏡の前を占領して行った。
  • まずは柔軟。寝転がって腰を捻る柔軟の後は、真向法2セット。股割をして蹴上げに備える。
  • 以下は左右。前蹴上げ単発で50回、3連続で10回、2連続で10回、最後にまた単発で20回。計120回も足を上に蹴り上げれば十分であろう。
  • 内回し、外回し、後ろ蹴上げ、横蹴上げを各50回。足を軽い気持ちでヒョイと出せるようにすべく、最近凝っている蹴上げシリーズ也。
  • 内八の字立ちで基本を一通り。中段、上段突き、顎打ち等々の手技。受け一通り。以上は20回。中段前蹴り、回し蹴り50回、関節、横蹴り20回。やはり上段をやらねばと、上段前蹴り、回し蹴り30回。
  • 汗をかき体が温まった所で、もう一度入念に柔軟。真向法。今度は限界まで開脚する。
以上で約1時間過ぎた。次からはコンビネーション。
  • 突き技コンビネーション各種。1,2パンチや1,2の後下突きとかフックの3連続。さらに逆突きを加えて4本連続を、各20本、左右の構えで。
  • 1,2パンチに中段回し蹴り、下段、上段回しを左右構えで各10本。
  • 左順突き、右下突きに左下段を入れて、これはレギュラー構えのみで20本。
一通りの基本コンビネーションをやったので、以降は2分1ラウンドで
  • パンチのみのシャドー
  • パンチに蹴りを入れて。途中でまごつきつつもやる。
  • パンチに膝蹴りを入れて
  • 右前蹴りから左中段回し蹴り、時折上段回し
  • またパンチのみシャドー。パンチはどうも力んでしまうらしいので、最後の極めをしっかりとやるとしてそれまでは脱力、かつ速く出すようにする。
  • 外受けからパンチ、キック
  • 外受けから膝蹴り、左右構えで。
  • 1,2パンチに右中段、右下突きの後、極めの左上段回し蹴り
  • 中段回し、上段回しを、左右振り切って体一回転させる。これをリズミカルに続ける。
  • 下段、中段、上段回しを連続して。
  • フリーシャドー2セット
  • 相手の右下段に膝ブロックして右下段回し、左上段回し。相手の左中段に膝ブロックして、右中段回しを返す。
  • 左の蹴りも確認すべく、一歩出ての左前蹴り、スイッチしての左回し蹴り
  • 最後に蹴りの脱力を確認しつつ、また中上段の降り切る回し蹴り

 と言う感じだね、記憶をたどれば。途中水分補給入れ間をあけてやったので、これで1時間。合計2時間の稽古を終えた。

 会社の道場が耐震工事中でサンドバッグを蹴れないので、ひたすら空突き空蹴りだ。脱力とスピードの稽古だね。それはマアマアできてきそうなんだが、フリーシャドウになるとまだまだぎこちないもんだ。流れるような連続した動きはまずまったくできない。一つ一つのコンビネーションを区切ってしまうし、動きが固いんだよな。サンドバッグも蹴っておかないとね。ノーモーションでコンビネーションを叩きこむサンドバッグ稽古は必要。今週末道場でやっておこう。

 相手を想定してのイメージトレーニングもそろそろやらねば。フリーシャドーでそういう風にできるといいんだが、あれっ?と技が止るんだよね。つまり技を出す稽古のみになってしまい、相手の動きをずっと想像して反応する稽古ではない。これは体力を温存すべき来週に集中して行い、できるようになることを祈る。今週は身体で、来週は頭で稽古する。

 タバコ、嗚呼タバコ。今日も一箱買ってしまった。吸い続けると今日のような稽古も持たなくなる。今はまだ禁煙時代の貯金の体力が効いている。この一箱を吸いきると止めよう・・・と言うのも甘いんだが、貧乏性なので。

2012年10月29日月曜日

空手家の、空手をしないが活動的だった週末

 
 先々週の週末の話。気の置けない仲間達とボタリングした。ボタリングとは、自転車でブラブラ散歩するようなものだ。

谷中の古い酒屋
三四郎池
出発は日暮里駅。そこから谷中墓地をめぐり谷中散歩。墓地では徳川慶喜公の墓にまいった。谷中の散歩道は昭和40年前後の風情を感じる所もあり、懐かしい。保存されていた古い酒屋を見物。向いは木造民家の珈琲店だった。2階の木窓からお客さんが見えるのも40年代のハイカラか。その後ボタボタと自転車を漕ぎ東大の本郷キャンパスに入る。構内をブラブラしつつ三四郎池で自転車を降りて池の前に立った。御年配の写生クラブの人々が、池の周りで絵を描いている。皆さん上手い!覗き見しつつ池を一周した。三四郎池、周りからは別世界のようなゆったりとした時間が流れる。でもかなり淀んでいたな。鯉はそういう所でも何事もないように泳いでいた。

 「もういい加減一杯ひっかけたい」と、上野公園界隈を通り、そそくさと浅草の「神谷バー」に向かった。

 神谷バーは日本で最初のバーである。そうなるとたいていの場合、重厚な趣を創り敷居が高くなるものだが、まったくしょっていることはなく酒も料理もリーズナブルと言うか、むしろ安目の値段だった。店内は大衆食堂のようにテーブルが並べられていて、ホテルのバーを想像すると大間違いだ。大変混雑していて相席を求められる。今時相席してくれというのも非常に珍しい。レジのお姉さんは並んでいる客に極まり文句のように「相席ですよ」、と言う。それがごく普通の庶民バーということでもあるし、名所に数えられている所だから、混んでいてもともかく入ってもらおうということか。相席すれば初対面の人とも話す。地元の御老人の隣に座り、他愛のない会話をした。客層も年配の方が多く、ながーく愛されていることが分かる。まあ日曜の昼下がりにバーが繁盛して、老若男女が飲んでいるのが何とも平和でよい。「ある時来なくなるんだよなぁ」と御老人。少し寂しげに言った。

 御老人は牡蠣焼きを食ってくれと残して帰った。ちゃんと食す。そうせねばならない気持ち。次に来た相席の御老人は、焼き鳥とポテトを食えと言って渡してきた。友人の一周忌の帰りに寄ったが、自分はそこで馳走にあずかり、料理を注文してみたが腹に入らないとのこと。これもきっちり平らげた。自分達で頼んだツマミも食ったから、俺はかなり腹がふくれてしまった。ビール大生と中生、それに電気ブランを飲む。

 神谷バーでほろ酔いになった後、仲見世、浅草寺を歩いた。秋晴れの日曜で大変混雑。界隈の商店街も散歩しつつ、自転車を停めた所に戻った。そうそう、その途中に有名人の手形がある歩道も通った。ハリウッドの二番煎じなんだけれど、無理やり名所を作ろうとする浅草は下町のど根性だ。いいんじゃないかい。

 自転車に乗り、東京スカイツリーに向けて、隅田川の川べり遊歩道をタラタラとこぐ。スカイツリーをバックに撮影するアベックや家族連れ多し。スタイルよくて奇麗な、モデルのような女性を撮影していた初老の紳士は、父親なのかそれとも?
富士と夕日とスカイツリー

  東京スカイツリー、ソラマチに入る。大変な混雑。スカイツリーに上るのは最初からあきらめていて、隣のイーストタワービルの31Fに上った。そこのラウンジでまたビール。富士山とそのすそ野に沈む夕日が望める極上の風景であった。が、写真をパチパチ撮ってしまい、極上の時間を噛むように過ごした訳ではない。ちょっともったいなかったね。タラ―として何も考えず風景を眺めてもよかった。

  午後5時で追い出されて、ソラマチに降りる。もうこの辺になると酔いと疲れでダレてきている。スカイツリーの点灯が始まった。こりゃ写真撮るべしとまた川向うに移動した。隅田川を屋台船が渡り、スカイツリーは遠慮気に光っている。ここでまた飲んでもよい景色だった。

 さて、そろそろ帰る時間だが、あっさりと帰るのも仲間の集いとしては惜しく、せっかく来たから晩飯を食った。下町はやはり寿司だね、回転寿司。マグロを売り物にしている店でありかなり旨かった。 中生をさらに2杯。腹がそれ程減っていた訳ではないが、それでも寿司は案外腹に入る。満腹になるまで食べた。自転車、写真、ビール、回転寿司。いつもの仲間であるが、そう言えば話をあまりしなかったねぇ。動くのに何かしら忙しかった。

 忘年会はボタリングではなく、じっくり飲んで話でもするか。

2012年10月28日日曜日

週末にまたハード稽古、しかし・・・

 金曜は、フルコン先輩と先週に続いて稽古。先週は腰を前に出し、身体の回転を加えることで伸びる蹴りをすることと、腰をぶつける膝蹴りの2点を学んだが、今回も学ぶ点があった。

 受けの時の手のひねり、肩甲骨合わせて背中から受けること、でも小さく最後はひねるのがミソだ。小さな受けをすると交差法も可能になる。1,2攻撃を受けながらカウンターで攻撃できるようになる。俺のようにガタイが大きいと1,2攻撃をバンバンと受けてドンドンと攻撃する大味な組手になるのだが、それでは格闘術としての空手ではない。受けると同時に攻撃することは大変難しいと思うんだが、頭に入れ普段から努めるべき。少なくとも小さくひねりを加えた受けは100%やれるようにしよう。

 稽古は先週とほぼ同じく、キックミットやビッグミットを持って交代でやった。脱力した突き蹴り、かつ極めはきちっと入りフォロースル―も効かせられるにはもう少しのキックミット稽古が必要だ。来週位にはそうなるのかねぇ。

 土曜の午前中は、ウェイトと柔軟。時間が十分にあったので週日の二日分のメニューを全部やった。時間にして1時間。午後は一人稽古。一通り基本技を鏡の前でやったんだが、最近凝っている前蹴り上げをみっちりとやった。足を軽々と上段まで持って行けるようにするべきである。足を手のように自在に使える為の第一歩が前蹴り上げである。まず1本だけで50本。次に3本連続を10本、さらに2本連続を10本、最後に1本だけに戻り20本。どれも左右行った。その後、内回し、外回しを各50本、後ろと横蹴上げも各50本。これだけ足を前横後ろに上げれば、まあ1日の稽古としては十分だろう。蹴り上げ稽古はこれからも十分な量をこなす必要がある。蹴上げが終わるとその場での前蹴りと回し蹴りを中段と上段各30本。それから中段、上段回しの移動稽古、続いて連続技を繰返すシャドーを2分10ラウンドくらいやった。まったく自由なシャドーを2ラウンドくらいは入れたが、まだまだぎこちない。しばらくは決められた連続技を繰り返すのがよかろう。その内上手くなることを期待しつつ、試合が近くなると自由な攻防を入れたシャドーばかりをすることになるだろう。自在に色んな種類の連続技を出せないとイカンよね。

 結果的に蹴りの本数が多くなり、おかげで脱力した蹴りがそこそこ出せるような気がした。そこに腰の伸びが加わればなおよし。パンチの方はまだまだ力みがある。これも結局は脱力を意識してスピード重視で回数をかさねることなんだろうね。

 いやはやかくの如く、試合にエントリーしてからまったく熱心なものだ。金曜の夜から土曜、日曜にかけて腰が硬直している。立って歩くときの最初は年寄りの前かがみでがに股。若い頃は腰に鉛が入ったようにギコギコとなることはなかったと思う。むしろ足の筋肉それ自体の筋肉痛だった。学生時代の稽古は腰を落としての移動稽古が多かったからかなぁ。今はそういうのをせず、組手構えからの回し蹴り稽古が多く常に腰を回しているからか。

 俺の今の最大の敵はタバコ。嗚呼、ずっと止めていたのにここ1週間また吸いだしたんだよなぁ。やれやれ。このまま試合の日まで吸い続けると、延長戦までスタミナ持たなくなる。それが分かっているのに・・・・ハァ・・・。愚か者よ。

2012年10月20日土曜日

稽古の連続。最近ハードだぜぃ。

 本日も真面目に稽古。土曜の道場稽古に行った。昨日の稽古によるどんよりとした腰への疲れの蓄積があったが、試合に出ることも決めたし、出ねばならんとして行った。

 試合も近いので、基本→キックミット→スパーリング で1時間半を過ごす。キックミットは、下段右左、中段右左、膝蹴り右左を各1分半。その後、ローテションしながら制限スパーリングから始まり、最後はフリー。中学生のスパーリング相手もしていたので、それ程みっちりやった感覚はない。まあその程度で結果的にOK。

 昨日習った、腰を前に出すキックと膝蹴りをキックミットで試していた。脱力も必要なんだがまだまだを実感。遠い間合いの先にあるキックミットを蹴ろうと思うと、ヨイショてな具合に力みが入るのを感じる。素直に腰を前に飛ばして膝のスナップで蹴れるようになるにはもう少し練習がいる。膝蹴りも腰をぶつける形でやろうと努めたが、モーションが大きくスピードが出ないもんだ。まあそれでもしょーがないとしてやっていた。キックミットを持っていた相手は90K超で、その相手を後ろに下がらせるパワーは出していたのでよいとしよう。それでも実戦でこんなにスローモーだとどうも使える気がしないんだが・・・。ただ昨日習ったコンセプトなので身につけることが肝要。バリエーションはそれからだ。

 俺とペアを組んだのは90K超の若手(ちなみに俺は85K)で、その割に体も柔らかく強い。ところが彼も、昨日喝破さられた俺と同じ風情の闘い方をする。つまりガタイがある為に重心を後ろに置く。前に腰を伸ばし前に出る力で突き蹴りをすれば、それはそれは凄い破壊力が出るのだが、重心が後ろ、せいぜい真ん中なのでミットを持つ俺を後ろに飛ばすほどの威力は出ない。ああ―こう言うことか、と昨日の学びを確認することになった。稽古後、彼には前に出る力を利用することをアドバイスした。前に出る態勢の中から最後にきちんと極めるフォロースローをする意識も出る。また「武道空手の極意」で述べられる「不安定の中の安定」で、突き蹴りの攻撃の一点に重心を預けることになり、そりゃ威力は増すわな。古伝沖縄空手がダメと言う「居着き」を無くすることにもなる。そのような動きをマネジメントできる闘いにしていかねばならんが、これは万回の古伝の型をやる必要があるんだろうね。前に出ることだけではないもんね。

 ・・・・・

 53歳、後数カ月で54歳になる。仕事もやっているんだが、トレーニングとか空手稽古に熱中している我輩は・・・、一体どうしたもんかねー。

 歳をとるにつれ、疲労が腰に蓄積し速やかには解消しない。今日の稽古が終わり数時間経った今は、オーバーに言えば腰を曲げた昔の百姓老婆の歩き方になっている。腰が膠着して固まっているんだよね。幸い、スポーツマンによくある腰の持病はなく、時間が経てば何もなかったように解消はしてくれるんだが。

 試合まで後3週間。試合に出ることを決めてから、マンネリは打破されている。ノルマとしてのトレーニングや稽古ではなくなっているものね。それは、善き哉、善き哉。

キックミットで充実稽古

 本日は非常によい稽古ができた。
 

 流派は違うが、フルコン空手では先輩のKさんから指導を受けた。同じ会社の同僚であり、仕事を終えてから会社のジムで、午後6時半から8時までキックミット主体の稽古をみっちり。

 まずミドルの回し蹴り。後ろ足で行い、次に構えたその場から前足のミドル回し蹴り。これでK先輩、俺の悪い癖を把握したようだ。

 俺の悪い癖は、突きにしろ蹴りにしろ腰を前に出さない。なまじっかガタイがある為腰を後ろに残しての突き蹴りをする。それで結構威力は出てしまう。懐が深いのは結構なんだが近距離で威力を出そうとする故に突き蹴りの力みも取れない。腰を前にビヨーンと出すと伸びる蹴りが出る。また結果的に脱力し、腰とともに膝を前に上げ伸ばしてそのスナップで蹴れるようになる。これを重ねると力まない柔らかい蹴りを会得できそうである。

 キックミットで遠い間合いで相対し、ミドルの回し蹴りで蹴り、そのまま前に足を落とす。蹴るときに体重を後ろに残さない。体を横にして伸ばす態勢にしつつ膝のスナップで蹴る。その移動稽古を数往復行った。

 次に膝蹴り。K先輩の持つミットに膝蹴りをぶち当てる。最初の内は後ろに下がっていたK先輩だが、段々その場で踏ん張って受けるようになった。ぶち当てているつもりの膝蹴りなんだが、弱いと言う。前に放つ力と言うか、腰をぶち当ててそのまま前に出るようにとの指導。そうすると確かにK先輩を後ろに下がらせることができた。突き刺す膝蹴りも必要であろうが、膝蹴りの基本は腰をぶち当てて前に出ることだろう。膝先のスピードが出ているとは思えないが、K先輩を後ろに飛ばせたのでよしとしよう。

 次にやったのが、キックミットを持ったK先輩の指示に基づき技を出すこと。1分間を4,5セット程度。1,2パンチ、ミドル回し蹴り、上段回し蹴り、膝蹴りを、素早く出す指示に遅れないようにミットに叩きこむ。この稽古は、脱力して素直に技を出せることと、その為の間合いも瞬時に調整できるようになることである。「1,2パンチ」「左ミドル」と指示が来ると、パンチ後の間合いは左ミドルには近すぎるのでスイッチングで少し下がって間合いを確保してから蹴る。相手が下がればそのまま踏み込んで蹴る、とか、瞬時の間合いコントロールが重要になる。力みのない脱力した状態にして、四肢をコントロール、つまり自在に手でも足でも出るようにする稽古である。かなり気に入った。

 最後はビッグミットで、好きにコンビネーション。俺とK先輩の違いは主には流れの速さ、次に変化だった。俺の場合一本一本の威力はそこそこあるが、連続技としては間隔が長く、かつ単調であった。K先輩はきれいに言えば音楽のメロディ。速く連続して叩きこむことがあれば、間を変えて打つ場合もあった。技を音楽のようにビッグミットに入れるべし。ただ俺はオンチなんだけど。音楽もほとんど聞かないし。

 K先輩去った後、足をコントロールする鍛錬として前蹴上げを左右各60本、内回し、外回しを各40本、後ろ蹴上げ、横蹴上げも各40本行い、稽古終了。

 会社のジムにはマッサージ器があり、初めて稽古後に使った。「これはいい、何で今まで使わなかったんだ」、疲れが溜まった腰をほぐした。
 本日のまとめ。
  • 脱力。その為に腰を前に出す回し蹴り、膝蹴り。
  • 四肢をコントロールする意識と間合い調整。
  • 柔らかくリズムに変化を持たせた連続技。

2012年10月18日木曜日

空突き、空蹴りの自主トレ。疲れた。

 本日は、会社の仕事後、道場が使えなかったので、ジムで一人黙々と自主稽古を行った。トレーニングをしに来ている人が多かったが、鏡の前を占領してひたすら空突き空蹴り。

 前蹴上げ、左右50本。内回し、外回し各30本。横蹴上げ、後ろ蹴上げ各20本
 前蹴り、中段、上段各50本
 回し蹴り、中段、上段入れて2分程度。
 コンビネーションパンチやキックを、2分1ラウンドで10ラウンドくらいか?

 シャドーを鏡の前で何度も行ったが、下手であることを改めて自覚した。決まり切ったコンビネーションしかできず、またフットワークも使えずぎこちないことこの上なし。しょーがないから決まり切ったコンビネーションのみを2分1ラウンドで何種類か行った。それはそれで身につける稽古である。

 まあよい。自分の得意とするコンビネーション、また考えてできそうなコンビネーションを新たにいくつか作り、それをフットワークよくシャドウで柔らかく繋げてできるようになることを、この1カ月、試合までの自主トレの目標としよう。

 合間合間に前蹴上げを行った。蹴りを軽い気持ちで自在に使えるようになる基本中の基本が前蹴上げであろう。反動で上げるのではなく、腹筋と小さな腰の回転で素早く上げること。

 途中、柔軟もやり、1時間半ずーっと続けて鏡の前の2畳ほどのマットスペースでエッチラオッチラ。本当は移動稽古もしたかったが、そのスペースには幾人かいたのでできず。最後にランジスクワットを50回。重心高く飛び跳ねていたようで、どうも不安定を感じた為、腰をどっしりと落とすランジで締めた。

 空突き空蹴りのスピードや極めを重視してほぼ全力でやっていた。今、メチャクチャに全身筋肉痛と疲労感を覚えている。サンドバッグよりも疲れた。次回は、スピード・極めはそのままに、脱力することに留意して、柔らかくできるようにしよう。

2012年10月16日火曜日

熟年空手家の挑戦

 雪の降るまちを、雪の降るまちを、思い出だけが通り過ぎてゆく、雪の降るまちを、遠い国から落ちてくる・・・

 オヤジのテーマソングだった。越前の雪深き街で俺は生まれ、小学1年まで暮らした。まっ白いボタン雪が鉛色の空から無数に降ってきた光景をよく覚えている。毎年毎年何度も何度も見た。オヤジの後をついて歩く時、オヤジがよく彼の歌を歌っていた。見上げるコートの背中、口ずさむ歌声、空から白いボタン雪。

 オヤジは1997年に67歳で死んだ。もう15年も前か。熟年空手家と称する俺は53歳。オヤジが53の時は俺は24で、もう仕事をしていた。今、俺の息子はまだ高2。オヤジが53の時はどうだったっけ、と時折思いを馳せる。ある時分から息子は、同じ歳のオヤジの姿を思い浮かべるようになる。

 オヤジの話をつらつらと述べるのは、「熟年空手家雑言」の趣旨に合っていないので述べない。最も尊敬し、最も影響を受け、そして最も悲しませてしまった人だ。

 オヤジが死ぬと分かった時に、俺は感謝をきちんと伝えるべきだった。「まだ生きてくれ・・・生きよ」と励ますよりも、全身全霊の感謝を伝えて見送るべきだった。それが最後の後悔だ。

   ・・・・・・・

 試合に出ようと先週の金曜日に決めてから、結構ハードにトレーニングをしている。金土日が道場稽古、月火は仕事の合間にウェイトと柔軟。明日は仕事後、空手技の自主稽古を行おう。53歳にしてウェイトの負荷はMAXであるし、サンドバッグ突き蹴りの威力も今までのMAXではないかと思っている。だからこの状態で試合をして、負ければそれはそれで自分の限界であろう。スパーリングは昔からあまりやる機会がなくて、試合運びが不器用になることはしょうーがないな。8年くらい前にフルコン試合にデビューした時のコンセプトをそのまま実行しよう。よーするに、「伸び伸びとやる」だ。俺は挑戦者、伸び伸びとやろうじゃないか。決勝迄勝ち進めることができたデビュー戦後、何度も試合に出たが、思いの外勝ち進めなかった。それは、今度は何とか優勝しようという変な欲が出た為である。闘いを愉しむ、とまでにはいかないが、伸び伸びと自分の力を出し切ろうとする初心の挑戦者としての思想が大事であろう。

 今度の闘いのコンセプトは、伸び伸びと。

 若い時はチャンピオンになろう、トップを目指すんだと闘争心を持ち闘いに臨むものだ。格闘技であるからには、相手を倒す気概でないと勝負には勝てない。大学の空手道部時代は、青くて熱くて、でもそんな本質的な野太い力を持っていたと思う。若い生命力だ。

 俺には既に闘争心がないんだな、とある時気がついた。その負け試合をしたのが4年程前か。もう歳だったもんね。それよりさらに歳をとっているんだが、今度の試合は闘争心がなくても伸び伸びと闘おうと思う。それでどこまで行けるのかを試してみるということだ。

 さすがにね、50も過ぎると、人を傷つけたくない。でもそんな気持ちでいると自分がやられる。それが格闘の場だ。それを重々分かった上で、伸び伸びと闘うことをしよう。うーーん、変なんだけどね。それが53歳熟年空手家の試行である。

 



53歳、えっ、最強?

 一か月先の試合に出ることにした。だから鍛えねばならんとして、先週の金土日、三日連続の道場稽古。本日月曜は、いつも以上ウェイトと柔軟をみっちりやった。

 最近、サンドバッグも毎週1回は蹴っており、その破壊力は昔より伸びている気がするし、ウェイトの重量はMAXだし、腹筋・背筋の回数も今までのMAX。53歳の今、ひょっとして最強なのではと思っている。

 だから、ちょっと試してみよう、と。

 疲れが取れるのが遅くなっているようではある。日曜は五体の疲労感。筋肉が文句を言っているような収縮を感じたし、夜に寝転がっているともう眠たくて眠たくてしょうがなく、ずいぶん早く寝てしまった。俺の脳ミソは、全身を休息させ筋肉痛を何とか回復させようとしているのだ。

 本日朝、まだ筋肉痛だったし、右足も少し捻挫しているようで階段を降りるのが「ヨイショ」と恐々足を着いていた。しかしながら、試合に出るから無理やり気合を入れて、昼休み、通常通りのウェイトと柔軟。仕事を終えてさらにウェイトと柔軟。今日は体を鍛えると言うことでは、まあ上出来だ。いつもなら昨日の稽古の疲労で、若干甘いトレーニングをしていることだろう。

 試合、一週間前まではハードに行く。

2012年10月10日水曜日

バカヤローを二つばかり

 政治の話は似合わないサイトであるが、バカヤローを二つばかり言いたい。

 民主党の復興予算の使い道は一体何なんだ。復興予算と言うからには100%被災地の復興に使うべきじゃないのか。なんぼ日本の活性化の為に、などと言うようなズルイ文言を入れたとしても、本義を間違えちゃあイカンよ。中国向けの震災情報PRサイト作成や、被災地ではない税務署の耐震構造強化の為に使っている?馬鹿じゃないの、と思う。国民から見放されていくこと、しょうがないと思ってしまうじゃないか。

 被災地は困っている。 復興する為に増税をして金を積んだんだろう! すべてを被災地の復興、被災民の生活の再構築の為に使うべきではないのか!自民党的な公共事業だって何だっていいよ。いやむしろメインとして今は公共事業だろう、一杯壊れたんだからさ。造り直さないといけないよ。

 俺のオヤジは教員だったので、かつての社会党を支持した。民衆だとか庶民の為だとか、そんな言葉を紡ぎながら、弱いものを守る為の政治を述べたし理想を一杯語った。教育は理想を語らねばならない。そうであって初めて教育。世俗にまみれた振る舞いを教えてはいけない。理想主義者のオヤジが応援した、その社会党の末裔も居ながら何なんだろうね、民主党は。松下政経塾のテクノクラートもダメだねぇ。松下翁の本質はどこに消えたんだ。およそこの時代における正義の思想がないじゃないか。それをきちんと言葉で述べられれるだけの気概もない。政治は未来を見ながら、今の正義を遂行することではないのか。それに命を賭けることなんだよ、本来は。

 次に中国。

 随分昔に立花隆氏が「共産党研究」で述べたことは、まったく真実だ。「民主集中性」は独裁である。マルクスの理想は一体どこへ行ってしまったんだろう。虐げられている弱い人々が団結して立ちあがり、社会を、より多くの人が幸せを享受できるようにするのが共産主義ではなかったのか! 実はその為に暴力革命の是認だとかの恐い側面があり、それを決して是とはしないんだが、そうでもしない限り既に力を持っている既得権益の支配層に搾取されてしまうから、方法論として認めた。ほんで、中国共産党は銃口から政権をとった。今、実際は何たることか・・・。既得権益の支配層が共産党エリートである。古い言い方だとブルジョアと言う、共産主義の敵である資本家を党員にしてしまう無茶苦茶なこともやっている中国共産党。富んでいける力を持った者を集め、国力を上げ、結果的にそれ以外の民衆にも富が渡るようにしようと考えているんだろうが、上手くは行っていない。人間の欲は際限なく、それが作る世界だから上手くは絶対に行かない。計画された中の箱庭の富は、計画されたように冨者から冨者へ移っていくだけだ。チャンスがないことに気がついた人々により、いずれ何かが起きる。

 これからの「革命」なるものは、中国共産党への〇△? 「毛主席」の写真が出るデモはそれを暗示する。俺は決して、「文化大革命」を肯定しない。あんな非人間的なものはないし、毛沢東と言う個人の幻想を国家レベルに広げ、多くの犠牲を生んだ愚かな活動である。しかし今、現在の中国政治への秘められた批判として「毛主席」の肖像が出ている。

 「民主集中性」は独裁的権力を生み、独裁的権力ちゅうのは、やっぱり腐敗するんだよね。どんだけ立派なひとでも10年権力の座にあれば、その周りに巣くう人々もいて全体としてその機構が腐敗する。それは毛主席もそうだし、改革開放の中国共産党自身もそうなる可能性は高い。

 中国は王朝の歴史である。我々日本人が歴史を通して多くを学んできた煌びやかな中華文明の歴史だ。だいたい日本が偉そうにしていたのはここ100年余に過ぎない。3000年間の大方は、我が国が中華の大国に学び、大きな影響を受けていたのである。その大国と言えば、大中国を治める強大な権力の変遷の歴史である。王朝が変わるたびにゼロリセットしてしまう権力。アアー、もったいない。中国共産党も支配の為の強大な権力を持つ。まったく不思議な大国である。なんで発展の連続がないんだ。これが集団とか社会で幸せを描けないでいる理由であろう。人口が多いから支配しないといけない、ということになってしまっている。多い人口の多様性こそが正しいことなのに、そのモザイクでつくる未来への議論や現状の悩みの上の成功がない。

 異なる価値観のモザイクの成功こそが成熟した民主主義と呼ばれるものである。米国は人種のるつぼから異なるモノを認めようという社会に変貌した。戦争に明け暮れたヨーロッパは、元々違う民族達が、EUという実験でもあるが現実を作っている。まあそういう意味では、まだどこも完全に成功していないかもしれない。成功というよりも人類の歴史は問題解決の歴史だ。多様な民族、多様な価値観の中で未来に向けて幸せになれるシステム、それは何だろうかね。

 書きながら飲み随分酔っぱらった。本日は以上。

 

2012年10月8日月曜日

名残のサンドバッグ、地道は大事


 耐震工事を行う為に年内一杯道場が使えないとのこと。今は10月、3ヶ月間サンドバッグが蹴れないくなる。故に、先週はしばし蹴り納め、突き納めとしてのサンドバッグ稽古を行った。それはいつものハードトレーニング。次の日、腰に重りが入ったようになる。

 1時間半、途中柔軟ストレッチを1分程度入れたが、かなり気合の入れた、21ラウンドのサンドバッグ稽古を、一体何ラウンドやったのだろうか・・・、まあ多くやった。名残のサンドバッグ稽古故、強烈なキック、パンチをシンプルに、思い切りサンドバッグにぶち込む稽古をやったつもりであるんだが、次の日に辛い筋肉痛を覚えなかったのが不思議である。俺の体が強靭になったのか、それとも寄る歳波で、少しでも大きな破壊力に繋がる筋肉の、瞬時の集中した酷使がでなくなったのか、どっちだろうか。うーん半々だろうね。すべての筋肉を統合的に動員して、スピードとパワーによる最大限の蹴りを行える感覚は大事にしないといけない。昔は8割方感じていたのだが、今は3割程度だ。10本蹴りをすれば3本だけその、すべてを動員したことを感じる。歳をとると・・・じゃないね、単なる稽古不足故にそうなっているのであろう。毎日の稽古の大切さを改めて、再認識すべし。

 先週は昼トレのウェイトと柔軟をまあまあやったんだが、下半身の鍛錬をおざなりにした。先々週の後半は昼トレを休んだから、下半身鍛錬をしばらくやらなかったということ。そうすると結果は顕著に出るね、やはり。先週土曜の稽古にてキックミットに下段と中段の蹴りを右左構えで各1分やったんだが、蹴った後の残心にて時折ふらついた。破壊力とかパワーの面ではそこそこいい蹴りが出るんだが、ふらついちゃあイカンよね。10本蹴って10本とも統合的に力と体重が蹴るポイントに集中して乗るというようなイイ蹴りはできていなかった。先に書いた10本のうちの3本がOK、と言う感じだ。日々の地道な鍛錬が必要だ、本当に。

 先週は昼の自主トレをやり、サンドバッグ稽古一回、それと道場稽古に土日と出たのでおおむね修練としてはよい。

 本日のスパーリングで小さな中学生の男の子の水月を突いてしまい、悶絶させてしまったことを反省する。自分の技の受け返しが上手いとは思わないもので、例え相手が小さくても、受けた後技を返すモーションをする。それが自分の稽古だと考えて。そのモーションは寸止めをしているつもりなんだが、本日、その時だけ、当たってしまったようだ。今後は返す動作それ自身もスローモーにするか、平手ですべき。或いはもう少し大きめのグローブを着けないといけない。

 本日の結論は、日々の稽古で「統合的な」力の使い方を意識し、身につけ試すこと。相手との体力差が大きくある場合は、技を試してはならない。

 久しぶりに次の試合に出ようと思った。やはり外と闘い学ぶことが必要だ。また、日々の鍛錬がどの程度通用するのかを確認しなければならない。

2012年10月5日金曜日

酒、稽古休む

 最近の飲み会、2回続けてトコトン飲んでしまった。何でかねぇ。

 先週の火曜日、旧友の壮行会。吐くまで飲んでしまった。次の日、二日酔い。その次の日も胃が疲れていると言うか、腹の芯がしっかりしないので昼休みの自主トレをする気力湧かず、2日続けて休む。

 先週の金曜日、仲間と飲む。電車を終電まで乗り過ごして高いタクシー代で帰る羽目になった。次の日の道場稽古、二日酔いで行けず。その次の日の日曜は行こうと思えば行けたんだが、やはり何となく気力が出ず道場稽古行かず。

 俺は大学体育会の空手道部出身。飲み方が35年以上若かりし時代の、吐くまで飲むことにすぐ戻ってしまう。本当に注意が必要なんだよね。35年前の我々空手道士ときたら、「酒は飲むべし」のみ。酒の上のケンカ、不祥事、全然OK。むしろ煽っていたきらいすら有る。酒の上の失敗を、誇りとしないまでも面白おかしく語り、それを肴にまた飲んでいた。

 もう35年も経ったのに、そんな飲み方と言うか、ブレーキを無くしてトコトン飲むことが時折起きる。20才の若造じゃないんだから・・・まったく・・・・、節制すべし。

 ともあれ、そういう飲み方をしてしまった日にゃ、上に書いたように2,3日影響が出る。若い時には二日酔いすらしなかったのに。さすがに年と言うか、年輪を経てもっと飲めるようになってしまったと言うか、まあそんな理由解明はどうでもよいが、トレーニングや稽古をしようとする気力が出ないという、生命力を減らしているので反省しなければならない。

 月曜日。泥酔から3日目。昼トレを行った。気が乗らぬので好きな科目しかしないとして、腹筋背筋の地道トレーニングを省き、上半身のウェイトのみ。火曜日。今一つ気力が出なく、昨日と同じく好きな科目のみ・・・、と言うとやはり上半身だね。上半身のウエイトはそれ程消耗しないのだが、筋肉を疲弊させてやった感が出るのでやりがいがある。これが下半身のウェイトだと本当に疲弊するのみ。息をゼーゼーさせながら辛いけれどやることになるので、「やるぞ!」のハードルがかなり高くなってしまう。

 昨日と違うことは、本日は夕食後もトレーニングした。下半身を多少でも何とかやろうとするほどの精神が回復した。ヒンジースクワットに股閉じ開けのマシントレーニング。やっとこさ酒の消耗が終わり気力が出てきたと言う所だ。

 面白いよね、酒飲みは。反省と回復の繰り返し。進歩がない同じ地点、同じ感覚、同じ心象風景を行ったり来たりだ。だから酒か。前向きとか向上とかとは反対。そもそも演歌なんだよね。「悲しい酒」なぞは名曲だ。昭和の歌姫、美空ひばりが歌った。

ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ
(台詞)
ああ別れたあとの心残りよ
未練なのね あの人の面影
淋しさを 忘れるために
飲んでいるのに 酒は今夜も
私を悲しくさせるの 酒よ
どうしてどうして あの人を
あきらめたらいいの
あきらめたらいいの

酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ
酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため

一人ぽっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける
 
石本美由起作詞・古賀政男作曲/昭和41年

 昭和・・・とことん昭和。素晴らしいです。これが「酒」です。この場合は「悲しい」のだが、喜びも「酒」であるし、怒りも「酒」であった。激しい感情の持って行き場の無い時に、「酒」があった。平成は、昭和ほど激しくなく、ドロドロしていない。「酒」は乾杯と親睦になってしまった。

 話がどこへ行くかが分からなくなったが、まあ、酒に飲まれるような生活はダメで、「酒は飲むべし」がちゃんと言えるほど、日々トレーニングで鍛えてないとイカンと言うことであるし、それができなくなった歳ではちゃんと己を律せて然るべきである。その為に修行してきたのだろう!と自問したら・・・、ギャフンとなった。

 酒と空手、修行。悪くはない。

 本日ダラダラと記して終わり。酒は、でも賛美しておく。

2012年10月1日月曜日

勝ち負けと制圧と言うこと

昨日、一昨日稽古をサボり、日がなビールを飲んで過ごす。ああ~~、よくない。
昔書いた文章の推敲をし、投稿する。せめて。


使わない為の空手修行。常に「平常心」を持つべく武術として習得する。一旦攻撃を受けても鍛えし受けで敵を制圧する。そういうことが空手の目的ではある。制圧という言葉は何か大仰ではあるが、制圧とは相手が自分に害をなさない状態に持っていくことである。だからまあ結果的に押さえ込んだ状態になることは多い。しかし相手を自分の意のままに動かす支配ではない。空手に先手なしと言うのも、非常の攻撃を受けた時にあくまで受けて敵を制圧することである。相手が害をなさない限りは、何もする必要はない。

この点、スポーツと武道の違う所としてあるようだ。スポーツの場合は競技として勝ち負けを決する故に、「攻撃は最大の防御なり」のように相手に勝つ為、倒す為の技を身につける。制圧ではなく勝負、もし格闘ならば最後にどちらが生き残るかを、定められたルールの上でゲームとして決める。

うーーん、ここまで書いて間違っていることに気がついた。レスリングを見よ。肩をつけたから勝ちと言うのは制圧だ。柔道を見ろ、寝技で抑え込み続けると言うのは制圧だ。どちらも相手の反撃を無くしている。彼の競技の人々は武道の心を持っている。意識するしないに拘わらず、武道における闘いと言うのは相手を害すること、殺すことではなく、無力化することであるということ。

空手やキックボクシングのような打撃系は・・・・しょーがないねぇ・・・。俺もその一人。

ところがではある。

空手流派の中で試合をしない流派もある。それは制圧することと、勝ち負けを決する勝負とは異なるというような考えに基づくものであろう。芦原空手は試合形式の競技を認めなかった。それに反対したのは芦原空手最大の功労者である二宮城光氏であり、結局彼は芦原英幸氏の生前から分派して円心空手を創る。試合は勝ち負けを決めてしまうのでよくない、しかし試合でもしなければ技の試しができない。そういうことから円心空手は「サバキチャレンジ」という大会を行っている。

昔琉球空手で、公には認められていなかったかけ試しというのがある。古い琉球空手は実際の組手すら認めなかったと言う。単に型稽古で強くなったのか?そうだ、と冨名腰義珍大先生は言う。

小生は学生時代に伝統派空手の体育会空手道部に入り、試合ではそれなりの戦績を残した。自分でも強かったと思う。しかし自分がもしケンカを売られて闘いに巻き込まれた時にどの程度強いかどうかははっきりとは分からなかった。試合では強かった、では「実戦」ではどうか。普段寸止めしている上段突きを止めずにやったときにどの程度の破壊力を生むのか。そんな血を見る闘いはしたくない。ではどのように受けて相手を制圧するのか?学生のスポーツ空手ではそのようなことは教わらなかった。制圧する為の技の体系がある。芦原空手はそれを目指していると言う。そういう考えがない場合、殺されない為に全力の攻撃を仕掛けるしかないだろう、突きも蹴りも相手を倒す為に総動員することだろう。

フルコン空手をやって、自分の技の破壊力が相手にどのように効くのかが多少分かってきた。相手の技が自分に効くのかはまだよく分からぬ。自分より圧倒的に強い人間と闘い打ちのめされたことがない故に。静止したサンドバッグには自分でも満足のいく突き蹴りが入るのに、動く相手にそのままの破壊力で入れ込めることが非常に難しいことも分かった。組手で思い切りやっても、相手はまず倒れないのである。この平和な時代、相手を倒すことに意義はない。また武道の究極は活人剣であると昔から思っている。

倒す倒されるのではなく、制圧する技、その理論体系を学び修練したいと思う。活人剣はそのはるか先だ。

あっち飛びこっち飛びの文章になったが、レスリングと柔道は、制圧することを競技の中に入れている。それは武道というものを判っていると言ってよい。殴り殴られ倒し倒されというのは、武道ではなく単なる競技である。「あしたのジョー」はそんな世界なんだが・・・・、しかし、これがまた凄い。周りを活かす「活人剣」なんだよなぁー、これが梶原先生の深さ。結局命を賭けて闘ってみないとさぁ、判んないよね、と言う氏の言葉が聞こえてきそうな。

俺が上で述べた様々の理屈は何だったのか、とマッチポンプのような結論とする。