実はこの3週間ほど、どうも気力が湧かず、普段のトレーニングをサボりがちだった。昼トレは実施率3割、道場稽古はいつもの週末皆勤ではなく土日の内どちらかの5割程度の参加。仕事上懸案事項があるにはあったが、どうも1年に1,2回は気力が湧かず稽古に熱心でない、こんな時期がある。
何の為の空手か?と考えるのはそのようになった時である。
ただ今回は、考える前にどうにも身体が疲れ、トレーニングするよりも休息を、という感じになった。まあこれはやはり、仕事の懸案の方が大きくて落ち着いて考えるには昼休みがよく、考え疲れトレーニングする気力も湧かなかったということであろうね。あんまり認めたくはないことではあるが。
ここで一つ考えるべきことがある。結構根源的なこと。
本来、空手道は修行の道であり、もし仕事上の悩みや懸案があるならば、空手の修行をすることにより解決の糸口を見つけるべきものである。ところが、色々悩みつつも考えねばいけないから、空手のトレーニングを休み、またそうする内に疲れたから空手もしくはそれ用のトレーニングを休んでしまうのは何故なんだろう。
悩みの解決としての空手道。疲れたから休んでもよいのかの空手道。この二つに対して真面目に相対するいい機会を持てた、とは思う。
昨日は久しぶりに会社でサンドバッグ自主稽古を行った。準備体操や柔軟も入れたが、1時間半に渡り、2分1ラウンドのサンドバッグを延々としてやった。何ラウンドしたのか忘れた。今度はちゃんと数えてみよう。
久しぶりなので一つ一つの技の練習と確認をした。かなりなラウンド数になる。
順突き
逆突き
ワンツー左右
上段順突き+同じ手で中段フック
上段順突き+同じ手で下突き
ワンツー+フック
下突きのワンツー
中段回し蹴り
下段回し蹴り
膝蹴り
中段前蹴り
下段から中段回し蹴り
ワンツーから中段回し
ワンツーから中段回し、もしくはフックパンチ
スイッチしての左中段
というメニュー。だいたいにおいて各コンビネーションを30本以上はやろうとした。蹴りを入れる場合は左右30本を2分以内ではできず、2ラウンドに渡る場合がほとんどであった。従って、数えてはいないが20ラウンド以上はやった感じかね。
久しぶりにサンドバッグをやったので、身体の切れが今一つであることを自覚した。余分な力を使わずに脱力し、技のスピードを重視し、なおかつ当てた時の極めをしっかりとする、これがサンドバッグトレーニングで留意することである。単にヨイショと思い切り当てて、破壊力を試すだけだと技のスピードが衰えるし、力んだモーションになり実戦では通用しない。
少しでも速いスピード、そして当てた時に抉り込むようにする極め。それをやろうとすると結局フルパワーでサンドバッグを突き蹴りすることになるので、大変疲れる。そのように留意したとしてもサンドバッグにおいては、最初から最後まで上手い具合に脱力して3本目、4本目のコンビネーションにまでは行かないから、スピード、態勢、コンビネーションの連続性を重視したシャドウもそれなりの時間しなければならない。稽古の終わり頃、10分程度はシャドウに費やした。
シャドウをするとコンビネーションの発展を考えるので、サンドバッグとはまた違い意義がある。例えば前蹴りをし、同じように膝を上げるモーションで次には上段の三日月蹴りに持っていくパターンは、昨日のシャドウで発見した。当てたとしても軸を安定させること、それと純粋に三日月蹴りで破壊力を得る為の身体の軸と筋肉の使い方を、今度はサンドバッグで確認しなければならない。
さて、元々の話である気力が減退していたことであるが、昨日の久しぶりの自主稽古で回復方向にある。元々の疑問に改めて応えるならば、悩み・懸案は、空手稽古の中に解決の糸口があるということだろう。つまり、気力の涵養である。
気の練磨には、呼吸法だと宇城師範は言う。俺の場合、実利的と言うか、ともかくまだ強くなろうとする為の直接的な稽古としてサンドバッグをやり、それ以外をする時間が中々ない。三戦を20回やるのとサンドバッグを20ラウンドやるのでは、まだサンドバッグの方がやっている実感が伴う。呼吸法はそれに加えて、やれることならやると言う、まだ付録的な意義である。
昨日久しぶりにハードトレーニングして、何となく満足している俺が改めて言うことにゃ、物事の解決には気が必要であり、気を養うには空手の稽古であった、ということかな。
あえて問い詰めれば、そんなことは昔から分かっていたことであるが、何故に気力が出ないとして空手稽古をサボっていたのだろうか、ということ。ニワトリ卵の関係だね。
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