2011年6月29日水曜日

被災地を歩く

ハマナスの花だそうだ。震災被害のいわきの浜辺に近い所を歩いている時、基礎だけが残っている家の前に咲いていた。

 いわきの知り合いの家に先週末やっかいになった。だいたい年に2回ほど会いに行く。ゴールデンウィークに行くパターンがここ2,3年続いたが、今年は震災があって後片付けに忙しいだろうとパスした。後片付けを手伝いに行くという発想がないのが、イカンと言えばイカン。まあ、ゴールデンウィークには大概の後片付けは終わっていて、少々のひび割れの所を、俺と同じく定期的に訪れる友人のダンナが張り切って直したそうだ。そのダンナは不動産関係を営んでいるらしく、直す道具一式を持ってきて頑張ったとのこと。

 そういう芸のない俺は、せいぜい旨いものを土産に行くだけ。食って飲んで古い名作映画ビデオを見て帰ると言うのがいつものことだ。

 土曜に行き、飲んで食った次の日の日曜、歩いてみるか、と、被災地エリアに向かった。我が知り合いの前に家が3軒ほどあったんだが、2軒は津波に壊れされたので既に取り壊され、残る1軒も撤去の予定だ。我が知り合いの家だけが、海岸から2列目であるけれど多少高くなっている上に、1.5mの土盛をしたおかげで助かっている。庭のデッキの2段目まで津波が来たと言う。海岸から測ると高さ5Mだだそうだ。入り江の端の方だったからまだよかった。中心地を襲った津波は7-9Mくらいあったそうだ。横の家は新しいから大丈夫なようだが、土盛りをしていないから1階部分は浸水したことであろう。被災エリアは、わが知り合いの家を除いてほぼ廻り全部である。


入り江の中心に向かって歩いたが、壊れている家が少なくなり、基礎だけで上物の家がない土地がどんどん増えていく。中心では9割方基礎のみであり、残った家も壁が破壊され家の中に家財と瓦礫が積もっている状態だった。そのほとんどの家は、「撤去予定」と市の張り紙がしてあった。残った門扉に連絡先だけ書いてあるのが痛々しい。





 家を失うことは大変だ。ローンがまだ残っている人もいるだろう。仕事場を失っている人も多い。金を作ろうにも作れない。漁には出られない。海産物の加工工場もボロボロで、すごい匂いがしていた。もう3か月経つのに驚くべきことだ。家族を失った人も多いに違いない。それが一番の悲しみだ。

 俺は歩いていたので、風景としての酷さは感じ取れた。しかしそこに存在した人々やその生活が失われたということを、どれだけ感じ取れたのだろうか。風景は廃墟として無機的にある。瓦礫がほぼ撤去されていたので、実に広々とした視界だ。津波が現れ無抵抗な人々を飲み込んだ地獄図があったに違いないのに。あえて想像して我が身を置き、死ぬということの苦しさにブルったが、総じて淡々として風景の中を歩き続けた。

 途中の浜辺でお坊さんが2,3人、それから沖縄から来たらしい郷土芸能を見せる集団が数人近く、その芸能着に身を包んでいた。何かの行事としてのテントが張られていた。坊さんは念仏を唱えるのであろう。沖縄芸能の方々はそれに合わせて踊ると言うわけではないだろうし、一群として浜辺のテントの周りにいるのは、訳の分からぬ組み合わせである。

 その浜辺の道を通り過ぎようとした時に、愛知から来たボランティアのお姉さんにパンフレットを渡され説明された。「今日の午後3時から沖縄の〇△さんのコンサートがあるので来てみてください。〇△さんが被災地の方々の為に行うコンサートです。」

 ボランティアのお姉さんの胸には、「愛知」と「〇〇」という名前の札があった。ふーむ、確かによいことである。自らの出処を名札にしてボランティアすることは。名前を覚えてもらわないと人から頼まれないし、出身を明示することは、(不謹慎ではあるが)源氏名だけの名札を張るどこかの店よりもきちんとする。出身の話題で人々とも話が弾むであろう。人の出自を明らかにすることは信頼である。

 パンフレットはもらったが、コンサートの始まりの時間は帰り道を急いでいる時間でもあり、お姉さんが別の通りかかった人に話しかけたのを機会として、その場から歩き去って行った。俺達のように単に歩く者は、何の貢献もしないが、ボランティア、無料コンサート主催の方々は当然やっぱりエライ。ともかく人の繋がりが作られる。人は不幸せのどん底でも人と繋がっていれば生きられる。

 入り江を二つまたぎ4K歩いた。帰りは多少内陸部で津波の到達した地点を縫いながら歩いて4K。帰りは雨がぱらついたので早足にもなったし、合計8Kだからそれなりに疲れた。

 昔、もう亡くなった祖母さんが毎日神棚に向かい、「今日も何事もなく平穏に過ぎますように」と祈っていた。少年の俺は、「何事もなく過ぎるなんておもしろくも何ともない。何かが起きなければ、何かを起こさなければ」と思っていた。若い者は退屈な時間がもっとも嫌である。そして若い者は不幸が起きるとは思っていない。新しくワクワクすることが起きるといつも思っている。

 東北の為に何ができるか、周りの恵まれぬ人の為に何ができるか、日本人として全体の為に耐えるのを良しとする節電とか、我々の体質はこれから変わって行くように思える。それはもともとそういう体質を持っているので意識せず先祖返りすることかもしれない。地震、津波は大自然の成せる災いだ。日本人はずーっと自然を愛で畏怖し、祝い諦め、生活してきた。

2011年6月23日木曜日

久々に会社にて稽古指導

 本日は珍しいメンバーにて、会社の道場にて稽古した。栃木から出張に来ており、極真と伝統派両方やっているM君、伝統空手有段者のA君、それとまだ初級の部類だが、最近やる気になっているY君。小生が稽古の指揮をとった。

 基本技: まあ、流派によって身体の使い方が異なる。小生の流派のみが身体の回転を大きく使う。例えば正拳中段突きは45度まで腰を回す。極真、伝統派は、腰は使うけれどもそこまで回さない。外受け、下突きなども違う。各々のやり方でよしとするが、技の解説を入れつつ一通り。

 移動: 前屈と猫足をやる。この辺の態勢は各流派ほぼ同じ。それから組手の構えからコンビネーション技の移動。ワンツー、ワンツー下突き、ワンツーフック、ワンツーフックから極めのストレート、前蹴り、回し蹴り、ワンツー中段回し蹴り、ローキックからワンツーで最後左のハイキック。

 約束組手: ワンツーのパンチ攻撃を手首をひねり柔らかくいなすのを1分。下突きのワンツーの受けも加えて1分。中段回し蹴りを衝撃を和らげながら両手で受けるのを1分。ローキックを筋肉受け、膝を上げて受けるのをどちらでもよしとして1分。各々攻守交替してやった。相手も痛くないように柔らかく手首を回して小さく受けるのが難しいことを再認識。

 普通ならばここからライトスパーリングに行く方が面白いのだろうが、小生の好みとしてキックミットによるパンチコンビネーション2分2ラウンド、サンドバッグへの蹴りを2分2ラウンド、サーキットで行った。まあ、この稽古が一番息が上がる。

 以上で2時間弱。暑いので何度も水分補給の小休止を入れたが、結構稽古したもんだ。

2011年6月20日月曜日

若さ、というもの

 先週、一瞬気合が乗り、昼トレのフルメニュー、次の日は昼休みにサンドバッグを4ラウンドばかりやり、汗だくの中午後からの仕事に向かい大変気持ちが悪かった・・・が、充実。ところが土日は、金曜に深酒をした為に心身ともにだるく、またもや道場稽古をさぼり、安逸をむさぼって過ごしてしまった。

 反省。

 庭の芝刈りをし、息子の数学の勉強を見たことくらいがせいぜいの生産的なことかぁ。武道家の心を忘れ、一小市民の生活ならば・・・、ごく自然にいつでも、そうなる。むしろ、武道家の心を持っている時間の方が珍しいと思う。このブログを書くとき位に、改めて真面目に考えてそう心に落としても、日常の行動ではすっかり忘れているのがいつものことだ。

 考えて(書いて)腹に落ちても、行動に繋がらない。よく言ったもので、行動をまず起こしてその途中に考える、と言うのが、普遍的で、人の正しいやり方であろう。物事が成せるのはそういう時である。

 まず行動する。

 その深い意義をもう一度考えよう・・・考えてもいかんのだが・・・、行動することだから。

 人の世界はよくしたもので、行動する人をよく見ている。考えている人は知らぬ気がつかぬ。無論人だから、よく考えた末に行動する人、行動しながら考える人、行動するだけで考えてない人、色々であるが、見ているのは行動のみである。「実はこれこれ・・・」と言う、考えは後から聞くことがほとんどだ。

 「行動」ということを年をとればとるほど、よく「考えて」よい。「俺の若い時には、考えより先に行動した」と、年をとった人は昔を懐かしみながらよく言うではないか。たいていの場合、それはポジティブな価値観にて思い起こしている。ならば、年をとったとしてもまず行動あるべきであろう。

 理屈をこねて動かないこと、理屈をこねてからやっと動くこと。年をとると理屈は必要だ。ならばせめて理屈と行動を同時にやろう。

 もう一つ述べるならば、小生は先に述べたように、土日の休みを安らかに、何もせず安逸に過ごすことができる。若い時、それは退屈極まりないものであった。ところが年をとった今はそれを幸せと感じる場合もある。この違いである、年齢ちゅうものは。

 動かないことを退屈極まりないと思うか、それが安楽でよいとするか、で、物理的な年齢ではなく、精神的な年齢が決まる。若い感受性を持ちたければ無論、動かないと始まらないであろう。

 改めてそう考え、若い感受性を持ちたい、持つべきであるとして、まず動くかどうかである。

 空手稽古に出ればほんの少しでも強くはなる、やるべし。休みの日に女房の手伝いをして料理を学ぼう、やるべし。息子の勉強を見れば少しは息子の役に立つ、やるべし。あまり気が進まぬが休みでも仕事をすれば、これも多少進む、やるべし。遠い知り合いとたまには行って話そう、やるべし。我々の生きる時間の濃さは行動による。
 

2011年6月16日木曜日

禁煙!昼トレフルメニュー再開

 本日は、2カ月ぶりに昼トレでフルメニューをこなした。と言っても25分だが、最近気合も乗らずサボっていたので久方ぶりのGoodJobである。
  • V字腹筋50回、反り返り背筋30回
  • 胸筋鍛えるバタフライ、8→5→4回
  • 懸垂3種、10→8→5回
  • スクワット100回
  • 足広げ、閉じ、各10回2セット
  • ダンベル上げ10回2セット
 ゼイゼイ言いつつやった。合間の時間も取ったので柔軟をやる時間は無し。まあ、右もも裏を痛めているので柔軟で無理しないほうがよい。

 2日前にまた禁煙を始めた。煙草を吸い出すと昼休みになってまず一服となるので、トレーニングの時間が短くなり、あまり気を入れてやる気も起らず、せいぜい2,3種目やってお茶を濁すと言うパターンが2カ月続いた訳だ。

 自慢じゃないが、禁煙は何回となくやったことがある。喫煙時には83Kの体重、それが禁煙して2ヶ月くらい経つと87Kに増えるのがいつものこと。トレーニングもし続けているので挙げられる負荷も増す。それがまたタバコを吸い始めると体重が落ち、トレーニング時間も減るので負荷も多少減る。その繰り返しだ。

 それにしてもタバコを吸うか吸わないかで、体重が4Kも増減するとは、改めて考えてもタバコの身体への影響は大きい。

 禁煙時は、上記したフルメニューを合間の時間も短くさっさとやり、柔軟の時間も5分弱とれた。それにこれから持っていこう。

2011年6月14日火曜日

技の速さ

 どうも仕事が忙しいと、空手と自主トレが薄くなる。考えと実行の両面において物理的にそれをやる時間が少なくなる。イカンねぇ。

 昔、伝統派空手(剛柔流)をやっていた学生時代の内、かなり強くなっていた3回生の後半に、基本の大切さを実感していた。曰く、

 「スピードを増したいと思うなら基本稽古が最も大事である。他の動きを排した基本の技を純粋に如何にスピード速くやるかである。反動やリズムをつけるべきではないし、平行立ちに構えた足が床を蹴り、その力が腰の回転となり、そして回転が直線的な突きの速さを生む。その全く無駄のない理屈の世界をやることで、速くすることを覚えねばならない。」

 「速くやろうとしなければ決して速くならない。正拳突きを100本、のらりくらりと突くよりは、20本、ひたすら速く突こうと思って突く方が、余程練習になる。」

 フルコンをやり始めて、どうもこの辺がおろそかになっていた。フルコンは基本的にパワーであると思った為だ。打たれてもダメージを受けなければよいし、相手にダメージを与えるにはパワーある突き蹴りである、と。

 最近、どうもそれではダメで、フルコンと言えども一瞬の受け返しをするならば、軸の安定、技の安定、そして技のスピードが必要であることは言うまでもない、と分かってきた。さらに、間合いを測り、相手の動きを察知する為には、「緊張感のある」基本稽古をしなければならない。基本稽古の内だからこそ、前に相対している敵を想定して、相手を本当に仕留める技が出せているかどうかを自問しなければならない。

 そういうことを、再度、自覚し始めた。

 基本技からちゃんと・・・・。

2011年6月10日金曜日

気力。あれば空手稽古するのか、養う為に稽古するのか

 実はこの3週間ほど、どうも気力が湧かず、普段のトレーニングをサボりがちだった。昼トレは実施率3割、道場稽古はいつもの週末皆勤ではなく土日の内どちらかの5割程度の参加。仕事上懸案事項があるにはあったが、どうも1年に1,2回は気力が湧かず稽古に熱心でない、こんな時期がある。

 何の為の空手か?と考えるのはそのようになった時である。

 ただ今回は、考える前にどうにも身体が疲れ、トレーニングするよりも休息を、という感じになった。まあこれはやはり、仕事の懸案の方が大きくて落ち着いて考えるには昼休みがよく、考え疲れトレーニングする気力も湧かなかったということであろうね。あんまり認めたくはないことではあるが。

 ここで一つ考えるべきことがある。結構根源的なこと。

 本来、空手道は修行の道であり、もし仕事上の悩みや懸案があるならば、空手の修行をすることにより解決の糸口を見つけるべきものである。ところが、色々悩みつつも考えねばいけないから、空手のトレーニングを休み、またそうする内に疲れたから空手もしくはそれ用のトレーニングを休んでしまうのは何故なんだろう。

 悩みの解決としての空手道。疲れたから休んでもよいのかの空手道。この二つに対して真面目に相対するいい機会を持てた、とは思う。

 昨日は久しぶりに会社でサンドバッグ自主稽古を行った。準備体操や柔軟も入れたが、1時間半に渡り、2分1ラウンドのサンドバッグを延々としてやった。何ラウンドしたのか忘れた。今度はちゃんと数えてみよう。

 久しぶりなので一つ一つの技の練習と確認をした。かなりなラウンド数になる。

 順突き
 逆突き
 ワンツー左右
 上段順突き+同じ手で中段フック
 上段順突き+同じ手で下突き
 ワンツー+フック
 下突きのワンツー
 中段回し蹴り
 下段回し蹴り
 膝蹴り
 中段前蹴り
 下段から中段回し蹴り
 ワンツーから中段回し
 ワンツーから中段回し、もしくはフックパンチ
 スイッチしての左中段

 というメニュー。だいたいにおいて各コンビネーションを30本以上はやろうとした。蹴りを入れる場合は左右30本を2分以内ではできず、2ラウンドに渡る場合がほとんどであった。従って、数えてはいないが20ラウンド以上はやった感じかね。

 久しぶりにサンドバッグをやったので、身体の切れが今一つであることを自覚した。余分な力を使わずに脱力し、技のスピードを重視し、なおかつ当てた時の極めをしっかりとする、これがサンドバッグトレーニングで留意することである。単にヨイショと思い切り当てて、破壊力を試すだけだと技のスピードが衰えるし、力んだモーションになり実戦では通用しない。

 少しでも速いスピード、そして当てた時に抉り込むようにする極め。それをやろうとすると結局フルパワーでサンドバッグを突き蹴りすることになるので、大変疲れる。そのように留意したとしてもサンドバッグにおいては、最初から最後まで上手い具合に脱力して3本目、4本目のコンビネーションにまでは行かないから、スピード、態勢、コンビネーションの連続性を重視したシャドウもそれなりの時間しなければならない。稽古の終わり頃、10分程度はシャドウに費やした。

 シャドウをするとコンビネーションの発展を考えるので、サンドバッグとはまた違い意義がある。例えば前蹴りをし、同じように膝を上げるモーションで次には上段の三日月蹴りに持っていくパターンは、昨日のシャドウで発見した。当てたとしても軸を安定させること、それと純粋に三日月蹴りで破壊力を得る為の身体の軸と筋肉の使い方を、今度はサンドバッグで確認しなければならない。

 さて、元々の話である気力が減退していたことであるが、昨日の久しぶりの自主稽古で回復方向にある。元々の疑問に改めて応えるならば、悩み・懸案は、空手稽古の中に解決の糸口があるということだろう。つまり、気力の涵養である。

 気の練磨には、呼吸法だと宇城師範は言う。俺の場合、実利的と言うか、ともかくまだ強くなろうとする為の直接的な稽古としてサンドバッグをやり、それ以外をする時間が中々ない。三戦を20回やるのとサンドバッグを20ラウンドやるのでは、まだサンドバッグの方がやっている実感が伴う。呼吸法はそれに加えて、やれることならやると言う、まだ付録的な意義である。

 昨日久しぶりにハードトレーニングして、何となく満足している俺が改めて言うことにゃ、物事の解決には気が必要であり、気を養うには空手の稽古であった、ということかな。

 あえて問い詰めれば、そんなことは昔から分かっていたことであるが、何故に気力が出ないとして空手稽古をサボっていたのだろうか、ということ。ニワトリ卵の関係だね。

2011年6月8日水曜日

一過性脳虚血発作 その二

 さて、やっと家に着いた。ガレージを開け車を止めて降りた。10数歩歩いて家に入り、洗濯機の中に道着を入れた後、2階のリビングに行こうと階段に足をかけた。あれれ?何故か階段が登れない。左足は階段を踏むのだが、右足に力が入らずよろけて手すりにもたれてしまう。そのままずるずると倒れ込みそうだ。右手も力が入らず、階段の下で倒れ込んだ。何とか起き上がりまた昇ろうとするが同じこと。2,3度繰り返したが、ついに右手も手すりを持てなくなり、階段の下のホールに大の字に倒れこんでしまった。

 何やらおかしい、と思うべきなんだろうが、脳みそもどうも朦朧としているんだろう。ただひたすら起き上がることしか意思できなかった。大の字の仰向けから左半身だけは起こせるが、右半身が動かず、何度も起き上がろうとしたが体を斜めに少し起こす程度にしかできなかった。

 そうこうするうちに妻が下りてきて声をかけた。最初は何をしているのか不思議だったろう。大の字に寝て悶々と起き上がろうとしていてどうにもならない俺の風情を把握するや否や、息子に救急車を呼べと指示した。俺の表情はボーっとしていたと思う。ボーっとしたまま起きようとすることを繰り返していた。

 妻も慌てたのか「110番!救急車」と息子に言った。息子そのまま110番回した後で、妻は間違いに気付き、電話を取りあげて119番をダイヤルした。その間、「パパをじっとさせていて」と息子に新たな指示。

 俺の方はようやく起き上がろうとするのを諦め、右半身が効かないことを自覚し、寝たまま体をひねり左手で右手を掴んで持ち上げてみた。全く別の物体を持ち上げているようだった。

 息子は俺の動きを止めようとして、さりとて恐いのか、あるいは汗だくの俺が気持ち悪いのか、失礼にも人差し指の先だけで俺の額を押さえて床に固定しようとしていた。

 俺の方はもう観念。押さえられるままにじっとしていた。それから1分くらいだろうか、右手が動き出したのを実感した。体を起して床に座る態勢にまでできた。右足も動くようだ。立ち上がることもできた。

 さて、救急車呼んだので、救急車が来るまで待っていないといけない。そのまま玄関のホールで座り込んで待っていた。

 救急車の到着。妻からの説明、俺への事情聴取の後、担架に乗せられてそのまま病院へ。

 もう既に自分の足で歩けるし脳みその朦朧とした所もなく、またベッドに横たえられたが普通の受け答えである。

 医者はそれなりの問診と、血圧チェック、心電図チェックしたのかどうかは忘れたが、点滴をセットアップして、入院とあいなり病棟に運ばれた。

 既に完全に回復していたので、それ以降の1週間の入院は時折の検査があるだけで退屈極まりないもんだった。

 退院時の診断は、血栓もないし血液中コレステロールも正常値だし、運動により汗を一杯かいた結果の脱水により血液がドロドロと濃くなり、結果脳の血流が悪くなったということ。せいぜい言えばCT造影による脳の血管はとげとげしていて固そうだ、と。ついでに言えば、ビールは利尿作用があり、結局脱水効果であるし、昼寝したことも脱水である。人は寝ている時に意識しない汗で水分を出してしまうので。夜寝る前と朝起きた時の体重を比べると歴然として、朝起きた時の方が1K弱軽い。

 そのように脱水に向けてすべてが重なった日であった。

 この一過性脳虚血発作の前後で大きく変わった点は、空手稽古において無理ができなくなったことだ。かなり注意して計画的に水分補給をするようになったが、それでもぎりぎり持つか持たないまでの稽古はできなくなった。2分息上げの為のサンドバッグやキックミットトレーニングをしても、それくらいは大丈夫だが、次のラウンドに行く前に息を十分整えられるだけの休憩をとること。ヒーヒー言いつつ連続してやるのは止めよう、である。

 すべてが重なって初めて起きたこととは言え、やはり注意せねばと思う。
 今から一年前の話でした。

 御同輩、倒れるまで根性出して練習すれば、昔は強くなったが、年をとった今は本当に倒れてしまうので、ご注意!である。

2011年6月7日火曜日

一過性脳虚血発作 その一

 俺は今52歳。50歳前後の御同輩、気をつかれよ、として書く。

 今から1年ほど前、「一過性脳虚血発作」なるものを起こして倒れ、救急車で病院に運ばれそのまま1週間入院と言う羽目になった。倒れて数分で回復していたので、入院中は元気ピンピンしており、検査入院のような感じで、非常に退屈した。

 一過性脳虚血発作と言うのは、脳梗塞の一過性みたいなもので、脳の血流が悪くなり、俺の場合は右半身が不随になった。倒れこんでからは2,3分で回復して右半身が動くようになった。これが長時間に渡ると脳梗塞となり、結果右半身は不随のままとなる。脳梗塞を起こす手前の大きな警告でもあり、一定期間大事を取らないと今度は本格的な脳梗塞を起こすことがあるらしい。

 若い時は倒れるまで激しく練習すれば強くなっていくと思っていた。梶原一騎のスポ根漫画で育った俺の年代は皆そうだろう。「血と汗流し・・・♪」限界を超えて倒れるのである。そうすれば強くなれる。ところが年を取ると、本当に倒れて、はいそれーまーでーよ、の世界になることを思い知ってしまった。こりゃ笑い事だよね・・・、回復した今から思えば。

 その日は土曜日、暑い日差しの中午前中は芝刈りをしていた。汗をダラダラ出しながら、ビールを飲みつつ。休みの日に昼間からビールを飲むと言うのは俺の最大の楽しみである。暑いし、芝刈りもやっているし、故にビールも旨い。夜の7時から空手稽古に道場に車を運転して行かねばならなかった。ビールは進んだが、酔いも醒まさねばならない。そこで芝刈りを終えてきれいになった庭で、酔い覚ましの空手自主トレを始めた。突きの移動、蹴りの移動、各々数往復。ガラスに映る自分の姿を見つつ、技がきれいに出ているかの確認。そんなこんなで、かなりみっちりと1時間位はやったと思う。暑い日だったからその間も汗がバンバン噴き出ていた。

 ビールの酔いと自主トレの疲れで、休憩としてごろごろしていると眠たくなり、トローンと気持ちのよい午睡に入った。みっちり3時間以上の熟睡だ。起きた時は午後6時。7時からの道場稽古に出る為には、もう出発しなければいけない時間だった。

 非常にのどが渇いていた。トレーニングして寝て起きた所なので身体も非常にけだるい。道場に行く途中、飲むヨーグルトを買って渇きを癒した。今から思えば、その時スポーツ飲料をごくごく飲んでいれば、倒れなかったかもしれない。しかしまあそれで、のどの渇きは無くなって、いつものように500mlのスポーツ飲料を道場前の自動販売機で買って持って行った。

 道場稽古。外が暑かったのでエアコンが入っていた。ところがこのエアコン、大変効きが悪い。そんなに涼しくはならないし、大勢が練習し出すと、その熱気で室温も上がる。ところが何とかエアコンを効かそうとして窓を閉め切っているので、基本稽古が終わった後、俺は酸欠状態も感じたし、そもそも暑い。もう暑くてもよいからと片っぱしから窓を開けた。外も暑いが中は熱気でもっと暑くなっていた、おまけに締め切りの酸欠。

 暑い中、いつもの稽古、型から約束組手、そしてスパーリングと一連をやった。いつものごとく汗かきの俺は汗だくだ。

 稽古が終わり、道場でしばらく休憩の談笑をした後、車に向かい帰り道を運転した。何故かスピードが出る。今から思えば、右半身のコントロールが段々効かなくなり始めて、細かいアクセルコントロールができなくなっていたということだ。右折すべき交差点に入り、ブレーキを踏んで止めているつもりがまだ車が止まらず動き出そうとしていたので、こりゃ危ないと思い、ギアをパーキングに入れて止めた。

 さて、直進の車が無くなった時にパーキングからドライブにギアを入れようとするのだが、ギヤが動かない。全く不思議だった。これも今から思えば、右足でブレーキを踏んでいるつもりが踏んでいなかったことが原因だ。ブレーキを踏んでおかないとギアはドライブには入らない。

 信号を2,3回パスしたと思う。俺の車は右折レーンに入って止ったまま。本人はなんでギヤがドライブに入らないのかと頭をひねり、ギア相手に格闘していた。後ろにつけていた車は、始めのうちは待っているが、信号がまた青信号になり、直進の車がいなくなって右折ができるのに動かない車を見て、故障車だと思い、諦めて直進レーンに車線変更しながら行くか、右折レーンを大廻りして俺の前を通って行った。クラクションは一切ならなかったから、皆紳士だったんだねぇ。

 やっとこさドライブに入ったのでソロソロと右折して普通に走る。普通に走ることはまだできたようだ。信号で止まり左折することもできていた。相変わらず汗がダラダラと出、のども渇いていたのでコンビニに入った。脳の制御が効かなくなると発汗コントロールも効かなくなるそうだ。その時から家で倒れるまで、倒れてもまだ汗はダラダラ出ていた。

 さて、車を降り普通に歩いてコンビニに入り、アイスコーヒーを注文しようとした。そのコンビニは、ちゃんとした豆で挽いたアイスコーヒーを用意してあり、セルフサービスで入れる。

 言葉が出ない!この時が一番びっくりした。「アイスコーヒーをください」のセリフが出ないのである。レジの前に立ち、何か言いたそうな眼をしているが、何もしゃべれなさそうだから、レジの人は障害者だと思ったであろう。こちらは声が出ないことが不思議感覚、一生懸命声を出そうとするんだがひとつも出ない。レジの人と相対したのは30秒くらいだろうか、手真似でアイスコーヒーを汲む位置を示し、やっとそれで通じた。その間はマジな眼をして口をパクパクしていたことだろう。金を払いアイスコーヒーを汲む。

 口がきけないことになったならば、普通はひどいショックを覚えると思う。この時の俺は、既に脳みそもが朦朧の段階に入っていたのだろう。不思議に思うがさして深刻とも感じず、アイスコーヒーを持って車に戻った。

 車に戻るとまた同じパターンである。どうしてもドライブに入らない。まだ買って2年しか経っていない車だけれど、こりゃ壊れたな、と思った。2,3分の格闘の後、何とかドライブに入り、壊れたと思っている車だから非常に慎重に運転し始めた。帰路の途中で試しに声を出してみれば、声は出る。では、話せなかったあれはいったい何だったんだ、と考えつつ、声が出ることに安堵を覚えていた。

 左脳の脳虚血発作の場合、言語中枢が働かず、失語症に陥る場合があると言うことは後で知った。

 本日はここまで。

 
 

2011年6月5日日曜日

久しぶりの道場稽古

 本日は2週間ぶりに道場稽古に参加した。俺が参加できるのは土日しかなく、先週はサボってしまったということ。どうも最近、昼トレも気が進まず休みがちだし、気合がのっていない。まあ、結果として周期的に来ることがあるモノだ。何となく気を弱くしてしまう時期。

 フルコン黒帯を取ってもう2年近く経ち、目的喪失のようなものがジワリと来ているのかもしれない。このブログでは、型を修めようとか色々言ってはいるし、何の為の空手かを考えたことも数度。それはそうなんだが、仕事で色々難しいことがあると、昼トレをせずに考えなければいけないし、休みの日もアレコレ考えつつ、ビールを昼間から飲んでいると、車を運転して行けなくなる。

 これは本末転倒であるが、実際に起きているからしょーがないと言うか、なんとかせねばイカン。自分を囲む状況が厳しい時ほど空手に接して、己を修めることが肝要であるはずなんだが。

 まあ、それでも昨日は昼間からビール飲んでサボったが、今日は行かねばイカンとして何とか行った。行ってみると、汗を流し、頑張っている中年の同輩の姿にも接し、稽古してよかったとなる。

 本日の稽古は、基本から型、約束組手からスパーリング、最後に多少の補強という典型的なメニューであった。俺は指導員なので、型の稽古からはずれて、指導する側にまわった。

 指導したことは、多くはないがポイントは付いていると思う。

 型に関しては、蹴りの引き足を確実に引くこと。蹴りっぱなしでそのまま落とし歩を進めるのではなく、きちんと膝のかい込までのポジションに引かなければならない。それが蹴りをコントロールすることであるし、そうやっていると切れが出てくる。

 約束組手は、中学生の白帯相手に指導。

 受けは、手首を柔らかくひねり、最小動作で相手の攻撃の軌道を変えること。はねのけるのではなく、円の動きで受ける。そうすると受けられた側も痛くない。最小動作で受ける為、次の攻撃がただちに可能である。

 蹴りに対する受けは、それに加えて間合いコントロールを重視する。その場にいると当たる蹴りも、後屈になる感じで数センチ腰を引けば当たらない。それでも当たるようならば、少しフットワークで下がる。いずれにしても強い蹴りを強いままの状態で受けることはできない。当たらない間合いにして、伸びきったところを小さく払う。

 崩し技の約束組手もあるが、崩し技は引くことによって崩すことが肝要。相手の横に入り、相手を振り回すことではない。そんなことをするとこちらも力がいるし、振り回すと態勢も乱れる。相手の横に入って体を密着し、相手が正面におっとっととなるくらい、相手の正面の方向に向けて掴んで引く。それで相手のバランスを崩しながら、自分は回転し、崩した相手の首を下に押さえつけながら廻る。崩されてバランスを失った所をさらに首を下に押さえつけられて、相手からみると振り回されるから、完全にバランスを失い、上手く極まるとそれだけで相手はこけそうになる。廻った後、まだ首根っこを押さえているので、それに向けて膝蹴りをし、その為相手の顔面が上に上がった所を、今度は上からの肘打ちで後頭部をたたき落とすというような、殺し技の約束組手である。

 中学生相手にそのような解説をした。少年部から上がってきた子供たちなので、既に結構うまい。ただ形だけでやるのではなく、技の意味を知ることが大切だとしての、解説だった。

 約束組手を自由組手の中で、本当は使いたいのだが、俺も上手くいかぬ。サバキの体系を使いこなせないと、相変わらずパワーに依存する組手になる。パワーは年を取ると衰えるのが分かり切っている。サバキを組手で使うのは難しいね。どうすればよいのであろうか。前に書いた文章では、万回繰り返すことだ、とした。それしかないのかね・・・。

 パワーを鍛えるのは難しくはない。ウェイトをせっせとやり、サンドバッグをフルパワーで蹴る。ただ組手が上手くなるこ為には、がよく分からぬ。まったく、どうすればよいのだろうか。少年部から来た中学生達は、たいてい組手が上手い。本当に感心する。小さい頃から場数を踏み、星の数ほどスパーリングをやって来た為であろう。少年部の稽古が終わった後、母親たちの指導により、何回となくスパーリングをやらされていた。こういうのも毎日の努力と言うものだろう。



 

頑張れ、という言葉

 「頑張れ」という言葉がある。東北大震災の被災者には、その言葉を言うなという論調がある。彼の方々は肉親を失い、既に悲嘆のどん底にあり、現在の大変不自由な避難生活に耐え、既に十分過ぎるほど頑張っているのである。それを直接の被害を受けていない第3者が軽々しく言うべきではない、と。

 そういう論であると思う。被害の枠外にいる我々は、そういう言葉ではなく、行動において援助し支援するべきではあろう。しかしながら、言葉としてはどういう言葉を出せばよいのか。「頑張れ」はダメなのではあろうか。

 私はそう言われたいと思う。「頑張れ」という言葉ではなく、「頑張れ」という言葉を発する人の顔や姿を感じて、そう言われたいと思う。口だけで言っている人がいれば、そんなことはすぐ分かる。発する言葉ではなく、そこにある心情が励みになるのである。

 ある不運、不幸な境遇にある人に励ましの言葉を向ける時、自分がその通りの境遇にならない限り、真に言葉をかけられない、と思ったことはかつて何度でもある。平穏な生活を送っている自分は、不運な彼に同情する。同情を伝えることには多少の意義もあろうが、さらに、力になることを伝えたいと考える。そして彼自身に対しては、やはり「頑張れ」と言うのである。そう励まさざるを得ない。彼自身が力強く復帰しない限りは何にもならないから。

 「頑張れ」という言葉は、少なくとも相手の顔を見て言う言葉なのであろう。不特定の多数ではなく、きちんと特定できる個人または小グループに向けて。

 

 

2011年6月4日土曜日

歯が折れた話

 小生のよくない所。3週間ぶりに道場稽古に出て、しかも久しぶりに組手稽古に参加したのでついつい、ほぼ思い切りやってしまい、色帯の後輩を痛めてしまった。組手と言ってもローキックのみの限定組手であり、相手もきちっと受けているのでまあよかろうととして、それ程力の加減をせずに普通にスピードとパワーを入れたローキックをしていた所、終わってから彼は膝を痛めたように座り込んだ。申し訳なし。大丈夫との返答を得て多少は安心したが、限定組手とは言え相手が受けているから大丈夫とは思わずに、手加減をしなければならない。

 その前にパンチのみの限定組手を別の相手とやったが、その場合は多少加減をしていた。その時の相手のガタイより一回り大きい小生は、パンチで押し込もうとすれば、まあいつでもできるので、相手の出方を見つつそれなりにやっていた。

 ただ、ローキックオンリーの限定組手となると特に工夫する所も少なく、最初は相手の技を受けてはいたが、その内ポンポンと出す小生のローキックに相手は防戦一方となった。ただし相手もそれなりにうまいのでちゃんと受けている。また体重もほぼ同じだ。だからまあよいとして力をより入れて蹴るようになった所、終わってみれば、である。小生の脛は相手の膝より固かったようだ。

 そう言えば、最近はあまり脛を鍛えていない。通りがかりの鉄骨を蹴ってもいないし、サンドバッグ稽古も少なくなった。またやっとかんとな。脛の蹴り味が最もよいのは道路の標識である。適度に少ししなってくれてよい。ただ人目がない所でやらないと、当然変な奴として警戒されるだろうな。

 さて、脛を鍛えることをサボってはいるものの、既に相手の膝よりも固い。
 と、話していても面白くもなんともないので、今日はもう少し書こう。

 小生の歯が折れた時の話。こちらが痛い目に合った時の話である。

 昔、大学空手道部で、寸止め(伝統派)空手をやっていた頃のこと。

 一本ずつ二人の人間が折ったので、前歯は2本欠けた。それ以前に小学生時代に遊んでいてこけた時に一本折ったので、計3本の前歯がない。今は前歯全域をブリッジにして、その欠落した3本を賄っている。欠落した3本をブリッジにて歯があるようにする為に、その両脇3本、左1本、右2本を細く削った後、上から計6本の歯のブリッジをかぶせている。一度このブリッジを新調する為に取った時には前歯全体が無いようで、上唇が奥に引っ込み縦皺の出た老人の唇になり、フガフガしゃべる羽目になった。

 小生の歯を折った奴は、二人とも空手が弱く経験年数も初心者に毛の生えた程度だった。いずれも小生がよけてくれると思ったのか、いやいやそれ以前に何かせねばやられると察知して思わず出した上段突きであったのだろう。余裕を以て組手していることはつまり、油断していることであり、まともに入ってしまった。伝統派の寸止め空手であるから止めないといけないのだが、しょーがない。相手はどうせ小生に受けられるかよけられるかだから、追いつめられて放った。

 ありきたりの言葉だが、油断大敵だ。
 
 仕事での怪我も交通事故も、慣れたことをやっていて余裕をかましている時に起きやすい。そういうもんだというのが改めてよく分かる。自覚的に注意を払っている時には事故は起きない。空手でも強い奴と緊張感を以て闘うときは、寸止め空手の場合はきちんと互いに止めるし、例え当たったとしても、相手は止める途中であり、またこちらも少しかわしているから大きな怪我はしない。唇を切るくらいだ。

 まあ、そういうもんだ。

 大学2年の時に1本歯を折られ、それから入れ歯で過ごし、現役を引退した時にもうよかろうとブリッジを作った。その後OBとして新人に毛の生えた相手の相手をしたときに、ブリッジごと3本目の歯を折られた。ブリッジを作った為に折れた歯の隣の歯は細く削ってかぶしているもんね。その細い歯が折れた。

 通算3本目の歯が折れ、同時にブリッジが壊された時はもうがっくりだ。今から30年前、15万くらいしたブリッジが壊されて、なおかつ歯抜け顔でしばらく暮さねばならなかった。痛みよりも経済的なショックが大きかったなぁ。

 小生が今フルコン空手をやっているのは、もうブリッジを壊されたくないし、また新たに歯を折られたくないからである。上段の突きがないフルコンは、寸止めだとしても上段突きがある伝統派よりは、はるかに歯を折られる危険性は少ない。破壊力のあるフルコンの蹴りや突きが当たってしまえばしょうがないが、その確率は伝統派空手よりはかなり低い。

 格闘としてどちらが強いだろうかと言えば、両方をやった自分としては、フルコン空手に軍配を上げる。ただ一瞬の上段突きで気絶してしまえば、そうするだけの力量のある伝統派の空手家がいれば、それはそれで非常に強い。グローブをつけてはいるが顔面パンチを許しているムエタイやキックボクシングの方がもっと強いとは言えるが、もう、こちとら歯を折られることはコリゴリであり、顔面パンチに関しては御免したい。

 30年前の大学空手道部で、紅顔の美少年は歯が折れ鼻も少し陥没してしまった。鼻が曲がり鼻中隔矯正手術をやり削られた為にドボンと低くなった話はまたその内に。空手で多くのことを学び得たが、外見のよさ(?)は失ってしまった。学生空手を引退してからしばらくして差し引きどうだったかを考えたこともあった。空手で根性と格闘術は身につけた。失ったものは紅顔と、調子のよさと協調性みたいなものである。

 前にも書いたが「小乗的」な空手家の俺にとって、勝つか負けるかの勝負が舞台であり、そこには協調性みたいなものはない。そういう感じで会社生活をおくったら、必死で仕事すればするほど上司と喧嘩してしまい、ひどい時期があった。

 本日の話。若く血気盛んで真面目に空手に打ち込んで歯を2本失った。油断している時に失った。本当にきちんと気合を入れて勝負するなら、例え何かを失ったとしても、そのことが逆に教訓になり己の成長の糧となる事はよく分かっている。

 だから、油断大敵!

 油断は反省にはなるんだけど、得るものは無し。