庭先で咲き始めた梅が美しい。
さて。
先日、空手の師匠とも思っている人が転勤になり、その壮行稽古と宴席に出てきた。
新幹線で行ったんだが、痛飲した帰りに新幹線の駅を乗り過ごしてしまい、終点の東京駅でようやく目が覚めた。自宅までの電車はなく、池袋まで戻ってマンガ喫茶で仮眠。日曜の夜明け前に池袋駅に行くと何と多い若人達。土曜ナイトを遊んで過ごした人の多さに驚いた。半分は若い女性だ。日本はなんて平和か。だが、こちとらも、まったく偉そうなことは言えない。
久しぶりに多くの道士が集まった充実の稽古であった。最後は師匠の総当たり戦。10数人を相手に50も後半にさしかかる男がよくもまあ持つもんだ。改めて敬服した。小生も恩返しとばかりに全力で向ったから・・・、始末の悪い弟子ではある。
30年の付き合いになる。小生がふと立ち寄ったトレーニングジムで、女の子二人を相手にニコニコしながら空手を教えている師匠を初めて見た。当時はまだ20代の若さだ。大学空手道部で猛稽古を積み、試合でそれなりにブイブイ威張れる実績を積んだ小生から見れば、あんな軟弱な空手稽古があるのだろうかと驚きであった。カセットレコーダで音楽流しながら基本技をやっている。後から聞くとその一人の女の子の発案であったそうな。(ちなみにそれが後年、小生の細君と相成った)。今で言うとボクササイズの空手版であるから、彼女、先見の明あり。こんな空手があるのだろうか、メチャクチャだねと呆れ顔もしつつ、野次馬根性でウェイトトレーニングの合間にチラチラ見ていると、その内師匠がニコニコしながら近寄ってきて、「空手に興味がありますか?」「はい、大学でやっていました」「流派はどこですか?」師匠はずっとニコニコ。「剛柔流です」「おー、そうですか、よければミットでも蹴ってみませんか」
当然と言えば当然、こんな軟弱空手稽古に本格的な空手を一丁見せてやろうと、小生は師匠の持つミットに向かった。「ローキックをやってみましょう」「えっ、ローキックですか?」30年以上前の伝統派にはローキックはない。まあ今でもないが。回し蹴りさえなく、蹴りは前蹴りと三日月蹴りのみ。試合でポイントとれる蹴り技は前蹴りのみであった。今の伝統派空手は回し蹴りもポイントとれるので、基本稽古にも入っていると思う。
空手バカ一代の時代に育ち、大学空手道部に入った小生だから、極真フルコンタクトの回し蹴りも遊びで時折やっていたし、ローキックの鬼と言われた盧山初雄もマンガで知っていた。で、師匠の持つキックミットにローキックをバシバシ蹴り込んだ。大きないい音がする。どんなもんだいと言う感じだね。「じゃあ、今度は僕が」と交代して、小生がミットを持ち師匠が蹴り込んだ。なんとも重い!ドシドシと言う鈍い音を立てながらミットが太股に食い込んだ。師匠は小柄である。小生は183センチの大男。それがずりずりと下がる。腿が痛いし押されてもいる。
極真フルコンタクトの体重を乗せて蹴り込む蹴りを初めて味わった。伝統派は寸止めでスピード重視であるからそのような蹴りはしない。これは根本的に違うと思った。
空手は元来人を倒す武術であるから、金的・眼潰しが極め技である。大学時代に先輩からそう教わった。突きは眼潰しに、蹴りは本来金的蹴りになる。今でも沖縄剛柔の蹴りは低い所を蹴る。それじゃあ殺し合いに近くなるので、突きは顔面を、蹴りは水月(ミゾオチ)を蹴る。試合ではスピードが大事であり、実戦でもそうであろうから一瞬の突き蹴りを極めることを求め、それを一撃必殺と呼ぶ。
結局師匠の極真流の稽古に参加するようになるのだが、しばらくして改めて思ったのは、格闘は総合的であるべしと言うことだ。眼潰しか金的を狙うにしても、その前に相手を色々と崩さなければならない。いきなり金的に入るものでもない。出会いがしらの奇襲攻撃ならばそれもありだろうが、よしこれから闘うぞとして相対した場合は、相手も身構えている。
フルコンタクトをやることで、総合的に相手にダメージを与える組立てが必要であると判り、初めて格闘の戦術を意識した。それが結局強いのではないだろうか、と思った。金的に入れなくても人を倒すことはできる。フルコンでは上段の突きを試合で使えないから、上段突きを使ってよしとすると伝統派とフルコンタクトとどっちが強いかは厳密には不明だが、それでも痛めつける為の総合的技を使う方が闘いの勘所を体験的に知っているので、まあやはり、フルコンに軍配をあげる。
昔から空手は「一撃必殺」を称してきた。真面目にきちっと考えるとこの言葉は不思議なもんだ。そんなこと、本当かい?と一歩退いて考えてみよう。金的・眼潰しがばっちり入れば、必殺ではないにしろ相手の戦闘力を奪えるが。
薩摩の示現流は一の太刀にすべてを賭ける。それを敵として相対する沖縄空手は?
フーム・・・。沖縄空手の一撃必殺とはいかなるものか。そもそも古来の沖縄空手は「一撃必殺」と述べていたのかどうかは知らぬ。型は受け返しの連続で続く。そこには闘いのシミュレーションがある訳だ。一撃必殺だとシミュレーションは不要になってしまう・・・のだが。
征服者である薩摩武士と支配された沖縄の民。剣を奪われた沖縄の武人が練り続けた空手。それはやはり太刀を持つ薩摩示現流とどう闘うかを想定したことであろう。示現流対空手。どう考えても剣の初太刀が先に来る。徒手で身を守るには、まずその一の太刀をはずしてから反撃せざるを得ない。この時に一撃で相手の戦闘能力を奪わねば自分が殺される。なるほど一撃必殺は確かに必要だ。しかしもしそれができなかったとしても何とかしなければならない。二の太刀、三の太刀をいなしながら相手の戦闘能力を奪っていく過程が「型」なのであろう。「型」はすべて受けから始まる。剣を相手にすると最初は受けざるを得ない。
基本の突きには引き手があり、引き手とは相手を掴んで引くことであると、古伝空手の人は言う。なるほど、剣をかわして相手を掴んで引きながら突きを放てば破壊力は増す。だがもっと大事なことは、掴んでしまい、もはや剣の間合いを取らせないことにあったのではなかろうか。
空手に先手なしと言われ、精神的支柱にもなっている。だが事の始まりはこのように生々しいことのような気がする。先手なしではなく、先手ができないのであり、できれば一触の後で必殺を狙う。それができなかった場合、緻密に作られた格闘の体捌きの中で必殺の機会を何度も捉える。それが「型」であろう。従って型は一連の格闘ストーリーではあるが、起承転結ではない。受けと攻撃の1セット毎に完結していると見た方がよい。最初のセットで倒せなければ2セット目で倒す。セット間は居着かずに動くこと肝要であり、そうしなければやられることになる。
・・・・・
本日はここまでで缶ビール4本。史実を特段見ず、己の思索(妄想?)の中でグダグダ述べた。元に戻って、先輩の変わらぬ元気に乾杯! このまま飲みつぶれたいのがやまやまだが、夕刻からの宴席に出ないといけない。ここで打ち止めとしよう。
2013年2月23日土曜日
2013年2月6日水曜日
道場稽古行かずに時が経った
ここ2カ月ばかり道場に行っていない。ああー、イカンなぁ。会社の昼休みのトレーニングも毎日やっていた以前に比べればサボリが目立つ。タバコを吸いだしたのがイカン。昼休みになるとまず一服となり、貴重な時間が失われている。
とは言え、そこそこはやっており、ウェイトの負荷重量は減ってはいない。典型的な昼休みメニューは、
ウェイトはそこそこ続けているんだが、肝心の空手が御無沙汰なんだよねぇ。
黒帯になり指導員的な役責で、皆の前に立ってやるようになってからどうも道場に行っても楽しくなくなった。これは俺の性格かもしれん。自分で学び修行するのなら、楽しいとまでは言わないがやっているかいがある、皆の練習に加われなくなり見て指導することが主となると、特段楽しくはない。人を育成することが大事であるのは分かり切っているんだが・・・。しかし元々サラリーマンとして道場に通うのは、自らの技を伸ばすことが第一である。そうでなくては面白くはなかろう。
黒帯で何を甘えたことを言っているのか。指導をし育成する中で学びや気づきもあるし、自分の稽古はそれ以外でやればよい、と言うお叱りはごもっとも。それが空手家の門に立ったことでありこれからが本当の長い修行だ、というのも分かる。
しかしねぇ、俺はやはりサラリーマン空手家だ。考え方として中々その地点に立てない。限られた時間の中では自分の技の修練で目一杯であろう。そしてもっと学びたい。
道場に足が向かないもう一つの理由がある。先日俺は試合で後悔ばかりの負け方をした。落とし前をつけるべくより空手に励むか、それとももう年だし、この年になってもあくまで勝ち負けにこだわるのもなんだかなぁ、と言う思いもあり、どうすべきかの結論が出ていない、ずーっと考えてはいるんだが。
空手は人生を通して修行である。そんなことは頭ではよく分かっている。修行として猛練習でもして次に勝ちに行くのか、落とし前をつけるのか、そんな感覚ではたしてよいのだろうか、である。頭でっかちになっているサラリーマン空手家の思索だ。武道家としては闘いの勝ち負けも人生の中の修行の一場面であるだけであり特に気にする必要はないのだろうが、小人としての俺は、その吹っ切れ迄にまだ行かず、先日の敗戦に忸怩たるものを感じてしょーがない。落とし前をつけるぞとは思わずに、単に修行が足りなかったとして日々継続的に稽古に励むことが元より正解だ。エエーッイ、そんなことは分かっているわい。
俺はもう54歳になった。この年でそのようなことを考えているのは、むしろ若いと評する人もいるかもしれん。18歳、大学一年から体育会の伝統派空手部に入り、その後ブランクがあるがフルコンタクト空手を始めて通算で20年間くらいは空手をやっている。武の修練を持って心を修めることは大変難しいようで・・・今に至る。
心が整わなければ一歩が出ない。心を整える場が道場であるから何も考えず行って稽古すべきである。それは・・・・頭で分かっているんだが・・・心がまだなお分かっていないんだろうね。
とは言え、そこそこはやっており、ウェイトの負荷重量は減ってはいない。典型的な昼休みメニューは、
- まず傾斜腹筋70-80回。回数をこなすと腹よりも腰が凝ってくるのを感じるのでその回数で打ち止め。背中を丸めて腹に神経を集中し、腹筋で起き上がるようにはしているんだが、それでも腰にくるんだろうね。20-30代の若い頃には無かったことだ。
- 背筋60-70回。去年は80回やっていたので、これはサボリの為落ちたんだろう。もっとやろうと思えば+20回くらいはできると思うが、この段階で歯を食いしばってやると嫌気がさしそうで、ほどほどで止めることにしている。
- チェストプレス110Kを1セット目、何とか5回。2セット目は3回で上がらなくなる。3セット目は同じ重量だと上がる気がしないので、100Kに落とし何とか5回。8回2セット+3セット目が4-5回できることが目標。8回2セットをクリヤーできれば、俺の場合次回から重量を上げる。しかし今の頻度では伸びないだろうね。
- レッグエクステンション105Kを8回3セット。これがマシンの最大負荷であり、後は回数を増やすしかない。レッグカールの方は56Kを8→6→5回くらいが今までの所。これも8回2セットできれば負荷を増やす。レッグカールは今までやっていなかったのでエクステンションに比べればかなり負荷の差がある。新しいマシンが入ってやっとできるようになったのでやってはいるんだが、レッグカールが一番しんどい。「ウー・・・」とうめき声を上げながらやっている。
- 懸垂を広い順手で8回、逆手で8回、狭い順手で6回くらいでできなくなる。すいすいと8回3セットできるとよいのだが、すぐ負荷をあげるマシントレーニングに比べ、この懸垂はここ何年も同じレベル。時折1種目、例えば広い順手で可能な限り、今だと16回くらいやり、それで終わりとする場合もある。負荷を増やすと伸びるんだが、自分の体重は85K前後でそう変わらないもんね。バーベルを腰に巻きつけてやっている人もいるんだが、そこまでするのも面倒だからやってはいない。でも時折やってみるのもよいかもしれんね。パターンを変えないと退屈する。
- 真向法の柔軟。
- トレーニングに割ける限られた昼休みの時間、約20分強。昨年は上の種目の間隔を短くして、ヒンジースクワット100回か、ダンベルのショルダープレスを3セットのどちらかをやっていたが、ヒーヒー言いながらやるのも堪えるので、スクワット系と肩のウェイトは次の日のパターンにしている。が、スクワット系は非常に辛い為、次の日やらず、も多い。
ウェイトはそこそこ続けているんだが、肝心の空手が御無沙汰なんだよねぇ。
黒帯になり指導員的な役責で、皆の前に立ってやるようになってからどうも道場に行っても楽しくなくなった。これは俺の性格かもしれん。自分で学び修行するのなら、楽しいとまでは言わないがやっているかいがある、皆の練習に加われなくなり見て指導することが主となると、特段楽しくはない。人を育成することが大事であるのは分かり切っているんだが・・・。しかし元々サラリーマンとして道場に通うのは、自らの技を伸ばすことが第一である。そうでなくては面白くはなかろう。
黒帯で何を甘えたことを言っているのか。指導をし育成する中で学びや気づきもあるし、自分の稽古はそれ以外でやればよい、と言うお叱りはごもっとも。それが空手家の門に立ったことでありこれからが本当の長い修行だ、というのも分かる。
しかしねぇ、俺はやはりサラリーマン空手家だ。考え方として中々その地点に立てない。限られた時間の中では自分の技の修練で目一杯であろう。そしてもっと学びたい。
道場に足が向かないもう一つの理由がある。先日俺は試合で後悔ばかりの負け方をした。落とし前をつけるべくより空手に励むか、それとももう年だし、この年になってもあくまで勝ち負けにこだわるのもなんだかなぁ、と言う思いもあり、どうすべきかの結論が出ていない、ずーっと考えてはいるんだが。
空手は人生を通して修行である。そんなことは頭ではよく分かっている。修行として猛練習でもして次に勝ちに行くのか、落とし前をつけるのか、そんな感覚ではたしてよいのだろうか、である。頭でっかちになっているサラリーマン空手家の思索だ。武道家としては闘いの勝ち負けも人生の中の修行の一場面であるだけであり特に気にする必要はないのだろうが、小人としての俺は、その吹っ切れ迄にまだ行かず、先日の敗戦に忸怩たるものを感じてしょーがない。落とし前をつけるぞとは思わずに、単に修行が足りなかったとして日々継続的に稽古に励むことが元より正解だ。エエーッイ、そんなことは分かっているわい。
俺はもう54歳になった。この年でそのようなことを考えているのは、むしろ若いと評する人もいるかもしれん。18歳、大学一年から体育会の伝統派空手部に入り、その後ブランクがあるがフルコンタクト空手を始めて通算で20年間くらいは空手をやっている。武の修練を持って心を修めることは大変難しいようで・・・今に至る。
心が整わなければ一歩が出ない。心を整える場が道場であるから何も考えず行って稽古すべきである。それは・・・・頭で分かっているんだが・・・心がまだなお分かっていないんだろうね。
2013年1月21日月曜日
無題
1年に3,4回、どうも空手に気が乗らず、道場へ通わない時期がある。会費を払っているのでもったいない限りではあるが、感謝の心で寄付している? いやいや道場は修練の場であるから寄付したって師範は喜ばないね。通って稽古することが肝要である。が、最近行っていない。
毎日の昼休みトレーニングは続けている。先日チェストプレスの新しいマシンが入ったので気も入る。負荷は110Kにして、6回→4回、さすがに3セット目は1回もできなくなるので100Kに落としてかろうじて4回と言う所か。俺の体格だともう少し腕の間隔を幅広にしたいんだが、そういう調整はできない。そうすればもっと回数が伸びるであろうに。少々窮屈感を感じつつも、何と言ってもウェイトの華であるからやりがいはある。150Kがマックス負荷だからまだ十分すぎるほど先がある。
35年ぶりに五木寛之の「青春の門」を読む。昔はどこまで読んだか不明だが、まあ続きであろうと、「再起編」から読み出して「挑戦編」の途中だ。アマゾンのKindleは全く便利で、1クリックで買え、電子書籍としてダウンロードできる。読み出して続きを読みたいとなれば即座に手に入る。今日は、だから「青春の門」三昧であった。
主人公の伊吹信介は今だ25歳で年を取らず、今だに自分探しをしている。平成20年代の若者の多くは自分探ししているとどこかで読んだが、1960年に25歳の若者が自分探しをしている。俺はと言えば40を越えて自分探しの旅に入り、10数年が経つ。そういう訳だな、皆がいつの時代も自分を探しているんだと納得して思いきや、最も年をとり「天命を知る」歳になっている俺が最も始末に悪い。こんな年寄りが「自分探し」と言う言葉を使うのも少々気持ちが悪い。むしろ諦観と言うべきもの? 諦観したいんだがし切れないから何やらごそごそしている、ということか。
1960年代の始まりは・・・安保闘争だね、やっぱり。国家として悩んでおり行く道を探している時であったと言えば、信介と同調する。その後、経済の道と決め日本は歩み出した。陰鬱ではなく汗をかきだした。
朝からビールを断続的に飲み出し、本日はもう9,10本目の缶ビールか。止めていたタバコも吸いだし二箱目も終わる。さあ、明日からはせめても禁煙だ。俺も汗をかきだすとよい、この年でも。
となると、また毎日のウェイト? うーーん、今日は笑い話で終わりたいんだが、どうも五木寛之氏のニヒリズムにあてられたみたいだ。笑い話かニヒリズムか。
毎日の昼休みトレーニングは続けている。先日チェストプレスの新しいマシンが入ったので気も入る。負荷は110Kにして、6回→4回、さすがに3セット目は1回もできなくなるので100Kに落としてかろうじて4回と言う所か。俺の体格だともう少し腕の間隔を幅広にしたいんだが、そういう調整はできない。そうすればもっと回数が伸びるであろうに。少々窮屈感を感じつつも、何と言ってもウェイトの華であるからやりがいはある。150Kがマックス負荷だからまだ十分すぎるほど先がある。
35年ぶりに五木寛之の「青春の門」を読む。昔はどこまで読んだか不明だが、まあ続きであろうと、「再起編」から読み出して「挑戦編」の途中だ。アマゾンのKindleは全く便利で、1クリックで買え、電子書籍としてダウンロードできる。読み出して続きを読みたいとなれば即座に手に入る。今日は、だから「青春の門」三昧であった。
主人公の伊吹信介は今だ25歳で年を取らず、今だに自分探しをしている。平成20年代の若者の多くは自分探ししているとどこかで読んだが、1960年に25歳の若者が自分探しをしている。俺はと言えば40を越えて自分探しの旅に入り、10数年が経つ。そういう訳だな、皆がいつの時代も自分を探しているんだと納得して思いきや、最も年をとり「天命を知る」歳になっている俺が最も始末に悪い。こんな年寄りが「自分探し」と言う言葉を使うのも少々気持ちが悪い。むしろ諦観と言うべきもの? 諦観したいんだがし切れないから何やらごそごそしている、ということか。
1960年代の始まりは・・・安保闘争だね、やっぱり。国家として悩んでおり行く道を探している時であったと言えば、信介と同調する。その後、経済の道と決め日本は歩み出した。陰鬱ではなく汗をかきだした。
朝からビールを断続的に飲み出し、本日はもう9,10本目の缶ビールか。止めていたタバコも吸いだし二箱目も終わる。さあ、明日からはせめても禁煙だ。俺も汗をかきだすとよい、この年でも。
となると、また毎日のウェイト? うーーん、今日は笑い話で終わりたいんだが、どうも五木寛之氏のニヒリズムにあてられたみたいだ。笑い話かニヒリズムか。
2013年1月9日水曜日
12月31日 高野山に参る
2012年12月31日、大晦日なり。伊勢市のホテルで朝早く目を覚まし、一路高野山へ向かう。三重県の伊勢市から和歌山県高野山へは結構時間がかかるもんだ。調べた時には驚いた。紀伊半島は思いのほか広い。約4時間の行程である。
■2012年12月31日 (2,990円)
07:36 伊勢市 近鉄山田線急行・近鉄名古屋行
08:03 伊勢中川 近鉄大阪線急行・大阪上本町行 (1,410円)
09:23 大和高田 徒歩
09:51 高田(奈良県) JR和歌山線・和歌山行 (650円)
10:47 橋本(和歌山県) 南海特急こうや5号 (430円)
11:21 極楽橋
途中の大和高田から高田駅まで歩いたんだが、標識なし、人気なしで、iPhoneのMAP機能がなければ間違いなく迷子であった。この日は天気はよいが寒風強し。広々とした高田駅前のロータリーには、タバコを吸っている若者が唯一人。大げさに言えばゴーストタウンのような感じだった。
極楽橋からケーブルカーで高野山駅にやっとこさ到着する。俺は田舎への帰省の寄り道旅なんで、土産物が一杯入ったスーツケースを引いていた。これをどこかにあずけねば・・・、そんな所があるのだろうかと不安だったんだが、駅に500円の大型ロッカーあり。何とか成るもんだねぇ。はて、小銭がない。売店でビールを買ってくずす。
駅前でビールを立ち飲みしているとバスが出るとの放送があり、こりゃ急がねばと「大門」行きのバスに飛び乗り、車内でやれやれとビール続く。同時に出た「奥の院」行きのバスに乗った方が実はよかったんだけどね。「大門」行きバスを、「金剛峯寺前」で降り、参拝もほどほどに、歩いて「奥の院」に向かった。この日の夕刻、大阪駅で旧友と待ち合わせしている為に高野山滞在は約3時間で切り上げねばならなかった。急ぐ、早足、手がかじかむほどに寒いから丁度よい。
1992年に初めて高野山へ行った。当時の俺は心理的にボロボロだった。アルコール依存症に近かったようだとも思う。何度も飲んだくれてクダをまき、頻繁に二日酔い出社。仕事仲間から大顰蹙だ。それでも酒を止めずに酒に飲まれる日々。素面になると目一杯落ち込んでいた。これからどうなるんだろうかとアナタ任せの気持ち。休暇を取り、京都の友のもとに1週間程、何をするでもなくやっかいになっていた。朝、仕事に行く友を見送った後は、週日アパートで無気力ゴロゴロ生活。高野山に詣でて懺悔でもしてから仏の力にすがるか、という気分になったのはゴロゴロ生活の最終日くらいかね。で、高野山へ行った。歴史上と現世の有名どころの大きな墓が連なる道を歩いたことを覚えている。その後、お堂に上がり和尚の説法を聞いた。すがるような気持ちで聞いた感覚も覚えている。
あれから20年。結婚、子供、仕事もちゃんとあり、それなりに普通の生活を営んでいる。破滅志向のごとく酒を飲むことはもはや無い。・・・んだが、なにせ好きなものでいまだに365日飲んではいる。酒に飲まれることは、1年に1回くらいだろうか、大変少なくなった、ハハハハ・・・。
今回の旅に高野山を入れたのは、20年前の自分と再会したかった、と言うとキザに過ぎるであろうか、まあそんな所だ。
20年前は何にも考えてなくてただ単に高野山に行った。その時歩いた道が「奥の院」への道であることが、「金剛峯寺前」に着き、駐車場に掲げてある観光客用の地図を見てやっと、フムフムと判明した次第である。そりゃ行かにゃあイカンわな。
身を切るような寒さ、町中を早足で歩く歩く。やがて奥の院への参道に着いた。ここを歩けば、昔見たのと同じ光景を見られる。昔は消え入りそうな心で歩いた。今はそれを慈しむ気持ちで歩ける。やっとこさだ。つまるところ、感傷旅行なるものなんだろうが、人生はそんなもんだ。昔行った所を再訪するのは、昔の自分に会う為であり、来し方を想う為であろう。
いい参道である。墓が並び、巨木が並び、完結した空間がある。時代を経て朽ちかけそうな古い墓も多いが、不思議なことに死者の臭いがしない。観光地の散歩道としてあるからだろうか、それとも墓を並べりゃそんなもんか。無機質の石は死を閉じ込めた墓標として在るのみ。墓を建てることできっちりと供養しているから、怨念のヒトダマなんぞは出ないよね。忌み嫌い、怖れ慄くような死の空間は・・・、無いわなぁ。
おごそかな静寂の、何故か気持ちの休まる、墓と木々の道を歩いた。道は所々凍っており、用心しないと滑った。
本当かいな?と思う、石田三成公の墓。明智光秀公の墓もあった。我がオヤジは高野山を評して、眷族・成功人の墓が立ち並ぶのが気に食わんと生前言っていたが、歴史上の逆賊と言える面々を、その死の直後から法要しているのならば喝采である。さてどうだろうか。
歩いていて、20年前に見た風景と違うと感じていた。20年前は明るい光の中に成功者の大きな墓碑が連なっていた記憶がある。今、大きな墓はあるんだが古びているし、空間全体がしっとりと薄暗い。20年前の心があまりに暗かった故に、周りが明るく見えたのだろうか。歩いている道は木々の陰影の下に、厳粛に続いている。
奥の院に着いた。本堂に参り、参拝順路のままに本堂の裏手に廻り、弘法大師の墓に合掌、さらに地下の「契り」を成就するという祭壇も一応拝んだ。はて?20年前は本堂の畳に上がり、和尚の話を聞いたと思うのだが、そのようなことはできそうにない。うーん、記憶違いか、それとも寺側の変化か。まあ、しょーがない。戻るか。俺の頭には、助けを求める気持ちで座っている20年前の自分の情景がある。20年経ってまあまあの今があるから、もうよいよな。
無縁仏のピラミッド。名もなく忘れ去られた人々を供養してこその仏教。どことなく整然たる秩序を感じるのは大本山観光地ならでは?と、斜に構えてはみたが綺麗に俗気なく張り詰めているのもまたよい哉。
復路は、近くのバス停までの道を辿ったが、どうやらその道が昔歩いた道のようだ。木々から少し離れている。だから太陽が昇れば明るい空間に大きな墓標が並ぶことになる。もう俺の感傷は過ぎており、そのように客観的に結論づけることができた。
寺は死者の鎮魂。昔の印度発の生々しい仏教は違うんだろうが、日本の仏教はそれだ。死から視る生の教え。科学的には死は永遠の無である。が、死者の魂があると信ずるのは生者の特権だ。俺は亡き父に会いたいし、じーさんにもばーさんにも会いたい。多くの死者の魂が居る、この山に合掌。
高野山駅で性懲りもなく、寒い中またビール。さあ、友の待つ大阪へ向かおう。そして我が故郷に戻ろう。
2013年1月5日土曜日
12月30日 お伊勢詣り
2013年が明けた。
若い頃のように志をアップデートして、目標を立てることは無くなったなぁ。50半ばに差し掛かる歳のせいではある。仕事では当然目標を立てるが、我が人生のものとなると、よしやるぞの格闘よりは安穏を求める。
小春日和の中、ビールを相変わらず飲みつつ悠長に・・・なんだが、ちゃんと書いておかねばならんとして年末の小旅行を振り返る。
12月30日に伊勢神宮へ行った。初めてだ。神社仏閣は数多く行ってはいるが、大学時代に橿原神宮へ行った時のことは特別に記憶に残っている。白砂利の中、現役の空手選手であった俺は、「敷島の 大和男児(おのこ)の行く道は 赤き着物か白き着物か」の歌が腹に落ちた。白砂利は塵一つなく美しく、周りはピシッと気が張っていた。こういう神気の、美しい場所で切腹と言うのは有りかもしれん、と、生と死の交差点のような空間を感じた。当時、三島由紀夫の小説にもはまっていたからね。
伊勢神宮。よーし、全国の神社の総元締めであるからには、もうどれ程気が張るかは分からぬであろう、と期待して行った訳よ。
雨、大雨。雨にぬれた玉砂利は白ではなく、石の色をしていた。濡れる、寒い、ただひたすらに道を急いだ。正月明ければ多くの初詣客でごった返すに違いない神殿への道は、閑散としている。参拝の薦め通りにまずは外宮へ。思いの外広くなくてすぐ本殿に着いた。ここは食物を司る神であるトヨウケビメを祀っている。別宮と言われる3つの宮もそそくさと参った。うーんまあ、どおって事はない。内宮はと言うと、バスで行かねばならない距離らしい。直通バスに乗る。
内宮前に着いて、そう言えば今日はビール飲んでないなと思い出し、お神酒の替わりにバス停まん前の食堂で、中ジョッキ一杯。旨し。
相変わらずの冷たい雨。まだ夕刻には遠いのに薄暗い。天照大神の元へ登る人々。地に溶け、空に溶け、雨に溶ける。俺はそう言えば酒にもよく溶けた。
本殿を撮影するのは禁止である故、写真はない。本殿は茅葺き屋根の質素な小さな平屋であったが、その周りに神気が漂っている気配を感じたような・・・、それは神々しいものではなく、どこにでもあるような柔らかい気配。しかし純たるもの。田んぼの中にでもあればお吸い物の香りでも漂ってきてもよい。そういうものだ。さすがに味噌汁程までには俗ではないなぁ。我らは我らの古の神を誇りに思ってもよいかもしれない。それはカトリックの威圧するような教会建築でなく、仏教の大伽藍でもない、ただそこに在る佇まいであった。八百万の神は身近に居る。出雲大社はかなり大きかった記憶があるが、天照は優しく小さい。小さいがほんのりと広がり、そこかしこに居ることを感じさせる社殿である。ここで俺は家族の安寧を祈った。昔は、これから俺のやることを御照覧あれ、だったね。今は違う。しつこく言うが50も半ばだからな。
参拝の後、まばらな人の波に乗って門前町?いや神前町を下る。土産物屋もあるが食い物屋の方が圧倒的に多く、軒を連ねる。神の札は社の中にあったし、人は神さんに会った後は腹ごしらえの方ということか。なにせ寒い雨、人気もそれ程なく、来るべき新年は大変賑やぐのであろうが、年末の午後3,4時頃は休憩の時間なんだろう、商売気がないのかお上品なのか、開いているのか閉まっているのかもよく分からぬ。そう言えば昼飯も食っていなかったことを思い出し、一軒ののれんをくぐったが片づけものをしているらしく、邪魔をするのもはばかられるようで踵を返した。そぞろ歩いているうちにナントカ横丁に入り、そこはオープンな飯屋が集まっていた。中々よろしい雰囲気。ビールと伊勢うどんを食す。
伸びたうどん?いや元々こんなものか、初めて食す故分からないが、麺は柔らかくこしがなかった。しかし結構旨い。ビールにも合う。昔の人はうどんにこしが必要とかは考えなかったのであろう。小麦粉を腹に入れれば栄養だし、汁は貴重な塩分だ。ちなみに濃い醤油の色をした汁はそれ程辛くはない。その汁も全部飲むように、それがおいしい伊勢うどんの食べ方と店に書いてあり、その通りにした。
本日はここまで。既にビール、350缶を5本。十分じゃ。次は、次の日の大晦日に行った高野山を書いておこう。
若い頃のように志をアップデートして、目標を立てることは無くなったなぁ。50半ばに差し掛かる歳のせいではある。仕事では当然目標を立てるが、我が人生のものとなると、よしやるぞの格闘よりは安穏を求める。
小春日和の中、ビールを相変わらず飲みつつ悠長に・・・なんだが、ちゃんと書いておかねばならんとして年末の小旅行を振り返る。
12月30日に伊勢神宮へ行った。初めてだ。神社仏閣は数多く行ってはいるが、大学時代に橿原神宮へ行った時のことは特別に記憶に残っている。白砂利の中、現役の空手選手であった俺は、「敷島の 大和男児(おのこ)の行く道は 赤き着物か白き着物か」の歌が腹に落ちた。白砂利は塵一つなく美しく、周りはピシッと気が張っていた。こういう神気の、美しい場所で切腹と言うのは有りかもしれん、と、生と死の交差点のような空間を感じた。当時、三島由紀夫の小説にもはまっていたからね。
伊勢神宮。よーし、全国の神社の総元締めであるからには、もうどれ程気が張るかは分からぬであろう、と期待して行った訳よ。
雨、大雨。雨にぬれた玉砂利は白ではなく、石の色をしていた。濡れる、寒い、ただひたすらに道を急いだ。正月明ければ多くの初詣客でごった返すに違いない神殿への道は、閑散としている。参拝の薦め通りにまずは外宮へ。思いの外広くなくてすぐ本殿に着いた。ここは食物を司る神であるトヨウケビメを祀っている。別宮と言われる3つの宮もそそくさと参った。うーんまあ、どおって事はない。内宮はと言うと、バスで行かねばならない距離らしい。直通バスに乗る。
相変わらずの冷たい雨。まだ夕刻には遠いのに薄暗い。天照大神の元へ登る人々。地に溶け、空に溶け、雨に溶ける。俺はそう言えば酒にもよく溶けた。
本殿を撮影するのは禁止である故、写真はない。本殿は茅葺き屋根の質素な小さな平屋であったが、その周りに神気が漂っている気配を感じたような・・・、それは神々しいものではなく、どこにでもあるような柔らかい気配。しかし純たるもの。田んぼの中にでもあればお吸い物の香りでも漂ってきてもよい。そういうものだ。さすがに味噌汁程までには俗ではないなぁ。我らは我らの古の神を誇りに思ってもよいかもしれない。それはカトリックの威圧するような教会建築でなく、仏教の大伽藍でもない、ただそこに在る佇まいであった。八百万の神は身近に居る。出雲大社はかなり大きかった記憶があるが、天照は優しく小さい。小さいがほんのりと広がり、そこかしこに居ることを感じさせる社殿である。ここで俺は家族の安寧を祈った。昔は、これから俺のやることを御照覧あれ、だったね。今は違う。しつこく言うが50も半ばだからな。
伸びたうどん?いや元々こんなものか、初めて食す故分からないが、麺は柔らかくこしがなかった。しかし結構旨い。ビールにも合う。昔の人はうどんにこしが必要とかは考えなかったのであろう。小麦粉を腹に入れれば栄養だし、汁は貴重な塩分だ。ちなみに濃い醤油の色をした汁はそれ程辛くはない。その汁も全部飲むように、それがおいしい伊勢うどんの食べ方と店に書いてあり、その通りにした。
本日はここまで。既にビール、350缶を5本。十分じゃ。次は、次の日の大晦日に行った高野山を書いておこう。
2012年12月18日火曜日
空手家の政治の話
衆議院選挙が終わり、自民大勝、民主惨敗、維新とみんなの党が躍進した。停滞する世の中で、国民の多くが景気回復を挙げ、安倍さんが口先で円安、株価アップに繋げたことが結構アドバンテージではあったが、どうのこうの言っても政権にあった民主の失政である。
空手家もたまには政治を論じてもよいだろう。
下野した期間に変わったとも思えない自民の政権ができるが、選ばれた限りはよく考えてしっかりやってもらいたい。小泉改革以降、政治は常に内向きになってしまったし、マニュフェストで懲りた民主を始め、各政党は昔ながらの後で色々言われないような漠たる公約を述べた。しかもそれがすべて内向きであり、国民への飴がこれまた多い。甘言を弄して選ばれるのは世の常だ。いつも使われる言葉であるが、「この激動の世界情勢の中」我国は如何にして富栄え、また国際社会に貢献して行くのか的な、外への気概がどの候補者からも聞こえなかった。小選挙区になり政治家個人よりも党が強くなり、その管理の下では個人の気概も出ないんだろうね。我々皆小さい人間になってしまったのかね?
維新の会は賑やかであるが、それでも統治機構を改革すると言う内向きの施策がまずある。その手法で以て何を生んで行くのかの100年の大計が欲しいよね。
原発事故があった。私は原発を即時ゼロにする策を何とか考えるべきであると思う。そもそも国家は国民を守る為にある。約6万人(だそうだ)の原発避難民を出して、それでも原発を続けるのか。6万人の国民の日常を守れなかったことをどうするのか。
原発がないと停電が起きる?この1年9カ月、夏が2回過ぎ冬も2回過ぎようとしているが、停電は起きていない。無論節電の努力はある。大事なことは我慢したらできたことだ。原発で安い(?疑問だが)エネルギーを供給しないと日本の産業の国際競争力は無くなると言い、国内では生産に金がかかり物価高になるのだろう。そう言えば総括原価方式も御立派に値を上げている。が、今は物価高どころかデフレをどうしたものかと言っている。国際競争力と言うが、競争にさらされている屋台骨の日本の大企業はもはや堂々たる多国籍企業である。ずーっと前から国内の産業基盤を離れてしまっている。国内は何とか雇用と研究開発の側面で成立させたいとひたすら努力をしているんだが、企業の収益構造は実際、かなり前から海外が主力である。海外活動で競争力維持できない企業は、たとえ電気が安くなろうがそう長くはないと思う。日本独自の特産品で生きる企業は、多少生産に金がかかったとしてもその独自性や高品質を追求すれば生きる道はある。独自、高品質、だから多少高くたって1200兆円の国民資産は、買うものだ。
原子力を持つことは国防上必要だとの意見がある。当たり前だが唯一の被爆国の日本は核武装をしてはならない。広島で16万人が死に、長崎で14万人が死んだ。こんなことを2度と起こしてはならない。まっとうに核兵器廃絶の運動を使命として執念で続けなければならない。もし日本が核武装をしたならば、世界は唖然とするよね。そして日本までも核を持つんだから、きっと来るに違いない動乱の世に備えるべしと軍拡が始まる。こんな世界はいいわけないわなぁ。
高濃度放射線廃棄物は10万年の保管を要する。10万年の設備は人類史上今だない。放射性廃棄物処理の技術開発こそ我国ができればよいと思う。
この選挙戦、原発問題は3番目か4番目くらいの争点だった。景気、外交、消費税、TPPの中にあった。
もう一度言う。国家は国民を守る為にある。6万人を故郷から離して、原発を維持することで1億2千万人のエネルギー基盤と生活を守っていると言うのは全くの詭弁だ。それは政治が何もしないにも拘らず、1億2千万人が今まで通り勤勉に働いているからちゃんと居るだけのことだ。先に起きた具体的な体験に国家として、実際的かつ哲学的にもきちんと対処しないと政治ではない。
0増5減を成立させ、「身を切る改革」として定数削減を民主、自民、公明が早期にやることの約束を求めてから、野田総理は衆議院を解散した。マスコミは相変わらず踊ったが、これは増税を課してしまった男の矜持であると思う。大勝した自民は果たして真面目に取り組むのであろうか。これを真面目にやるのかどうかを政治への信頼の尺度としたい。大勝して自公で3分の2の議席を占めた今、現状維持としたいのが本心であろう。衆院の定数削減を完了すると、それじゃあ新しく定めた憲法違反でない定数と区割りでもう一度選挙すべきだの声がでる。そんなことは自公、やりたくはないよね。しかし信頼できる政治はそれをやるべきだと思う。それでこそ選良達である。
安倍政権にはやりたいことをきちんとやると腹をくくっていることを期待したい。飴ではなく大計を述べる中で、明日への希望の、形あるコトを成してもらいたい。時間はあるようでない。定数削減したら周知期間をおいた後にさっさと解散だ。失政で以て大勝なんて仮の姿である。自らを存続させる技ではなくて、善きことを成せる知力と行動を示して次の世代の見本となることを。彼らが志を持せるように。我々は我々を信じたい。
空手家もたまには政治を論じてもよいだろう。
下野した期間に変わったとも思えない自民の政権ができるが、選ばれた限りはよく考えてしっかりやってもらいたい。小泉改革以降、政治は常に内向きになってしまったし、マニュフェストで懲りた民主を始め、各政党は昔ながらの後で色々言われないような漠たる公約を述べた。しかもそれがすべて内向きであり、国民への飴がこれまた多い。甘言を弄して選ばれるのは世の常だ。いつも使われる言葉であるが、「この激動の世界情勢の中」我国は如何にして富栄え、また国際社会に貢献して行くのか的な、外への気概がどの候補者からも聞こえなかった。小選挙区になり政治家個人よりも党が強くなり、その管理の下では個人の気概も出ないんだろうね。我々皆小さい人間になってしまったのかね?
維新の会は賑やかであるが、それでも統治機構を改革すると言う内向きの施策がまずある。その手法で以て何を生んで行くのかの100年の大計が欲しいよね。
原発事故があった。私は原発を即時ゼロにする策を何とか考えるべきであると思う。そもそも国家は国民を守る為にある。約6万人(だそうだ)の原発避難民を出して、それでも原発を続けるのか。6万人の国民の日常を守れなかったことをどうするのか。
原発がないと停電が起きる?この1年9カ月、夏が2回過ぎ冬も2回過ぎようとしているが、停電は起きていない。無論節電の努力はある。大事なことは我慢したらできたことだ。原発で安い(?疑問だが)エネルギーを供給しないと日本の産業の国際競争力は無くなると言い、国内では生産に金がかかり物価高になるのだろう。そう言えば総括原価方式も御立派に値を上げている。が、今は物価高どころかデフレをどうしたものかと言っている。国際競争力と言うが、競争にさらされている屋台骨の日本の大企業はもはや堂々たる多国籍企業である。ずーっと前から国内の産業基盤を離れてしまっている。国内は何とか雇用と研究開発の側面で成立させたいとひたすら努力をしているんだが、企業の収益構造は実際、かなり前から海外が主力である。海外活動で競争力維持できない企業は、たとえ電気が安くなろうがそう長くはないと思う。日本独自の特産品で生きる企業は、多少生産に金がかかったとしてもその独自性や高品質を追求すれば生きる道はある。独自、高品質、だから多少高くたって1200兆円の国民資産は、買うものだ。
原子力を持つことは国防上必要だとの意見がある。当たり前だが唯一の被爆国の日本は核武装をしてはならない。広島で16万人が死に、長崎で14万人が死んだ。こんなことを2度と起こしてはならない。まっとうに核兵器廃絶の運動を使命として執念で続けなければならない。もし日本が核武装をしたならば、世界は唖然とするよね。そして日本までも核を持つんだから、きっと来るに違いない動乱の世に備えるべしと軍拡が始まる。こんな世界はいいわけないわなぁ。
高濃度放射線廃棄物は10万年の保管を要する。10万年の設備は人類史上今だない。放射性廃棄物処理の技術開発こそ我国ができればよいと思う。
この選挙戦、原発問題は3番目か4番目くらいの争点だった。景気、外交、消費税、TPPの中にあった。
もう一度言う。国家は国民を守る為にある。6万人を故郷から離して、原発を維持することで1億2千万人のエネルギー基盤と生活を守っていると言うのは全くの詭弁だ。それは政治が何もしないにも拘らず、1億2千万人が今まで通り勤勉に働いているからちゃんと居るだけのことだ。先に起きた具体的な体験に国家として、実際的かつ哲学的にもきちんと対処しないと政治ではない。
0増5減を成立させ、「身を切る改革」として定数削減を民主、自民、公明が早期にやることの約束を求めてから、野田総理は衆議院を解散した。マスコミは相変わらず踊ったが、これは増税を課してしまった男の矜持であると思う。大勝した自民は果たして真面目に取り組むのであろうか。これを真面目にやるのかどうかを政治への信頼の尺度としたい。大勝して自公で3分の2の議席を占めた今、現状維持としたいのが本心であろう。衆院の定数削減を完了すると、それじゃあ新しく定めた憲法違反でない定数と区割りでもう一度選挙すべきだの声がでる。そんなことは自公、やりたくはないよね。しかし信頼できる政治はそれをやるべきだと思う。それでこそ選良達である。
安倍政権にはやりたいことをきちんとやると腹をくくっていることを期待したい。飴ではなく大計を述べる中で、明日への希望の、形あるコトを成してもらいたい。時間はあるようでない。定数削減したら周知期間をおいた後にさっさと解散だ。失政で以て大勝なんて仮の姿である。自らを存続させる技ではなくて、善きことを成せる知力と行動を示して次の世代の見本となることを。彼らが志を持せるように。我々は我々を信じたい。
2012年12月3日月曜日
梅酸も酸味 敗戦もまた酸
梅酸も酸味
敗戦もまた酸
同じからずといえども似たり
心舌を超えて甘し
魏の曹操孟徳が大敗北の時に吟じた詩である。
こんな風に格好よく、超絶して詠めるのならよいが・・・
はぁー、大きな悔いの残る敗戦だった。俺は空手が下手である。試合では技も何もなく押し合いをやってしまった。何の為に技を練習してきたのか・・・はぁ。
本番に弱い。昔は強かったような気がするんだが、やれやれ。心の余裕がないもんだから闘いながら考えていない。本戦で引き分けたが、こっちが下がることが多かったなら、延長では戦法を変えんとイカン。
反省して次につなげなければ。
組手ではジグザグに動かねばならない。重い相手が前に出てくるのを止めようとしても止るものじゃない。いくらパンチを打ってもガタイのどっしりとした相手に拳サポータつけてのパンチはそうそう効かない。今回の敗因はもろに真正面から押し合ったこと。俺もガタイはあるんだがどうも前へ出る力を利用するのが下手でしょーがない。出てくる相手に間合いを取ろうとしていると下がることになった。パンチ力はあると思うんだがアドレナリン満載の相手を下がりつつの一撃で倒せるものではない。左斜め前方に出て右のミドルを思い切り蹴り込むとか、右に一歩進めて左ミドルを蹴るとか、ジグザグの動きの中で技を出せるようにならんとイカン。今回思い知った後で頭に植え付けるのは、ジグザグに動きながら攻撃するということ。動いてないと脱力した攻撃も出ない。踏みとどまったその場から力んだ技を出しても駄目だ。
前に出るということ。腰を引いてパンチやキックをやっても駄目。足を進め腰から前に出るように身体の使い方を直すこと。「重力利用の空手」にハタと手を打っていたんだが、それもすっかり忘れていた。重力利用は少なくとも重力を利用して前に出ることだ。
明日からは・・、斜めに出て膝蹴りとミドルをこれから集中的にやろう。間合いが詰まった時には前には出られないが斜めには出られるはずだ。特に近距離を制する膝蹴り。
また短い試合時間ではあるが、幾つかの技を繰り出してどの技が相手に効くかを観ながら闘いを組み立てられるようになることも大事だ。ただこれはもっともっと組手慣れしないと無理ではある。
圧倒的に強い人は多い。捲土重来を期すと言ったとしても俺のレベルだけの話。もっと強い世界に挑戦する気持ちを持って言っている訳ではない。マスターズと言う俺の出場クラスにおける話だけだ。はるかに強くて怖い世界を今日さんざぱら見てきた。あの猛者連中の中で、年をとっても強い空手があると言う宇城憲治氏の理論は・・・はたして信じられるのだろうか。達人の境地の氏の理論は理論として理解できるだけである。実践に繋げるには。
何度目かの、はぁ・・・。しかして53歳の俺はどこに行くんだろうねぇ。だがなぁ、この落とし前はつけねば。今日の試合は練習していたことを全て忘れた試合だった。これからも日々の稽古と思考を地道に続けることしかないんだが、しばらくは唯ガックリに浸る。
先日の試合に負け、多くを感じて多くを述べたが、その、多くのみの雑文悪文になった。上に書いたことは当たってはいるが、深くにあるであろう本質には届いていない。本質は冒頭に書いた曹操の詩であるかもしれない。
敗戦もまた酸
同じからずといえども似たり
心舌を超えて甘し
魏の曹操孟徳が大敗北の時に吟じた詩である。
こんな風に格好よく、超絶して詠めるのならよいが・・・
はぁー、大きな悔いの残る敗戦だった。俺は空手が下手である。試合では技も何もなく押し合いをやってしまった。何の為に技を練習してきたのか・・・はぁ。
本番に弱い。昔は強かったような気がするんだが、やれやれ。心の余裕がないもんだから闘いながら考えていない。本戦で引き分けたが、こっちが下がることが多かったなら、延長では戦法を変えんとイカン。
反省して次につなげなければ。
組手ではジグザグに動かねばならない。重い相手が前に出てくるのを止めようとしても止るものじゃない。いくらパンチを打ってもガタイのどっしりとした相手に拳サポータつけてのパンチはそうそう効かない。今回の敗因はもろに真正面から押し合ったこと。俺もガタイはあるんだがどうも前へ出る力を利用するのが下手でしょーがない。出てくる相手に間合いを取ろうとしていると下がることになった。パンチ力はあると思うんだがアドレナリン満載の相手を下がりつつの一撃で倒せるものではない。左斜め前方に出て右のミドルを思い切り蹴り込むとか、右に一歩進めて左ミドルを蹴るとか、ジグザグの動きの中で技を出せるようにならんとイカン。今回思い知った後で頭に植え付けるのは、ジグザグに動きながら攻撃するということ。動いてないと脱力した攻撃も出ない。踏みとどまったその場から力んだ技を出しても駄目だ。
前に出るということ。腰を引いてパンチやキックをやっても駄目。足を進め腰から前に出るように身体の使い方を直すこと。「重力利用の空手」にハタと手を打っていたんだが、それもすっかり忘れていた。重力利用は少なくとも重力を利用して前に出ることだ。
明日からは・・、斜めに出て膝蹴りとミドルをこれから集中的にやろう。間合いが詰まった時には前には出られないが斜めには出られるはずだ。特に近距離を制する膝蹴り。
また短い試合時間ではあるが、幾つかの技を繰り出してどの技が相手に効くかを観ながら闘いを組み立てられるようになることも大事だ。ただこれはもっともっと組手慣れしないと無理ではある。
圧倒的に強い人は多い。捲土重来を期すと言ったとしても俺のレベルだけの話。もっと強い世界に挑戦する気持ちを持って言っている訳ではない。マスターズと言う俺の出場クラスにおける話だけだ。はるかに強くて怖い世界を今日さんざぱら見てきた。あの猛者連中の中で、年をとっても強い空手があると言う宇城憲治氏の理論は・・・はたして信じられるのだろうか。達人の境地の氏の理論は理論として理解できるだけである。実践に繋げるには。
何度目かの、はぁ・・・。しかして53歳の俺はどこに行くんだろうねぇ。だがなぁ、この落とし前はつけねば。今日の試合は練習していたことを全て忘れた試合だった。これからも日々の稽古と思考を地道に続けることしかないんだが、しばらくは唯ガックリに浸る。
先日の試合に負け、多くを感じて多くを述べたが、その、多くのみの雑文悪文になった。上に書いたことは当たってはいるが、深くにあるであろう本質には届いていない。本質は冒頭に書いた曹操の詩であるかもしれない。
登録:
投稿 (Atom)
