2013年1月9日水曜日

12月31日 高野山に参る


 2012年12月31日、大晦日なり。伊勢市のホテルで朝早く目を覚まし、一路高野山へ向かう。三重県の伊勢市から和歌山県高野山へは結構時間がかかるもんだ。調べた時には驚いた。紀伊半島は思いのほか広い。約4時間の行程である。

■2012年12月31日 (2,990円)
07:36 伊勢市 近鉄山田線急行・近鉄名古屋行
08:03 伊勢中川 近鉄大阪線急行・大阪上本町行 (1,410円)
09:23 大和高田 徒歩
09:51 高田(奈良県) JR和歌山線・和歌山行 (650円)
10:47 橋本(和歌山県) 南海特急こうや5号 (430円)
11:21 極楽橋


 
 途中の大和高田から高田駅まで歩いたんだが、標識なし、人気なしで、iPhoneのMAP機能がなければ間違いなく迷子であった。この日は天気はよいが寒風強し。広々とした高田駅前のロータリーには、タバコを吸っている若者が唯一人。大げさに言えばゴーストタウンのような感じだった。
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 極楽橋からケーブルカーで高野山駅にやっとこさ到着する。俺は田舎への帰省の寄り道旅なんで、土産物が一杯入ったスーツケースを引いていた。これをどこかにあずけねば・・・、そんな所があるのだろうかと不安だったんだが、駅に500円の大型ロッカーあり。何とか成るもんだねぇ。はて、小銭がない。売店でビールを買ってくずす。

 駅前でビールを立ち飲みしているとバスが出るとの放送があり、こりゃ急がねばと「大門」行きのバスに飛び乗り、車内でやれやれとビール続く。同時に出た「奥の院」行きのバスに乗った方が実はよかったんだけどね。「大門」行きバスを、「金剛峯寺前」で降り、参拝もほどほどに、歩いて「奥の院」に向かった。この日の夕刻、大阪駅で旧友と待ち合わせしている為に高野山滞在は約3時間で切り上げねばならなかった。急ぐ、早足、手がかじかむほどに寒いから丁度よい。

 1992年に初めて高野山へ行った。当時の俺は心理的にボロボロだった。アルコール依存症に近かったようだとも思う。何度も飲んだくれてクダをまき、頻繁に二日酔い出社。仕事仲間から大顰蹙だ。それでも酒を止めずに酒に飲まれる日々。素面になると目一杯落ち込んでいた。これからどうなるんだろうかとアナタ任せの気持ち。休暇を取り、京都の友のもとに1週間程、何をするでもなくやっかいになっていた。朝、仕事に行く友を見送った後は、週日アパートで無気力ゴロゴロ生活。高野山に詣でて懺悔でもしてから仏の力にすがるか、という気分になったのはゴロゴロ生活の最終日くらいかね。で、高野山へ行った。歴史上と現世の有名どころの大きな墓が連なる道を歩いたことを覚えている。その後、お堂に上がり和尚の説法を聞いた。すがるような気持ちで聞いた感覚も覚えている。

 あれから20年。結婚、子供、仕事もちゃんとあり、それなりに普通の生活を営んでいる。破滅志向のごとく酒を飲むことはもはや無い。・・・んだが、なにせ好きなものでいまだに365日飲んではいる。酒に飲まれることは、1年に1回くらいだろうか、大変少なくなった、ハハハハ・・・。

 今回の旅に高野山を入れたのは、20年前の自分と再会したかった、と言うとキザに過ぎるであろうか、まあそんな所だ。

 20年前は何にも考えてなくてただ単に高野山に行った。その時歩いた道が「奥の院」への道であることが、「金剛峯寺前」に着き、駐車場に掲げてある観光客用の地図を見てやっと、フムフムと判明した次第である。そりゃ行かにゃあイカンわな。

 身を切るような寒さ、町中を早足で歩く歩く。やがて奥の院への参道に着いた。ここを歩けば、昔見たのと同じ光景を見られる。昔は消え入りそうな心で歩いた。今はそれを慈しむ気持ちで歩ける。やっとこさだ。つまるところ、感傷旅行なるものなんだろうが、人生はそんなもんだ。昔行った所を再訪するのは、昔の自分に会う為であり、来し方を想う為であろう。

 いい参道である。墓が並び、巨木が並び、完結した空間がある。時代を経て朽ちかけそうな古い墓も多いが、不思議なことに死者の臭いがしない。観光地の散歩道としてあるからだろうか、それとも墓を並べりゃそんなもんか。無機質の石は死を閉じ込めた墓標として在るのみ。墓を建てることできっちりと供養しているから、怨念のヒトダマなんぞは出ないよね。忌み嫌い、怖れ慄くような死の空間は・・・、無いわなぁ。

 おごそかな静寂の、何故か気持ちの休まる、墓と木々の道を歩いた。道は所々凍っており、用心しないと滑った。


 本当かいな?と思う、石田三成公の墓。明智光秀公の墓もあった。我がオヤジは高野山を評して、眷族・成功人の墓が立ち並ぶのが気に食わんと生前言っていたが、歴史上の逆賊と言える面々を、その死の直後から法要しているのならば喝采である。さてどうだろうか。

 歩いていて、20年前に見た風景と違うと感じていた。20年前は明るい光の中に成功者の大きな墓碑が連なっていた記憶がある。今、大きな墓はあるんだが古びているし、空間全体がしっとりと薄暗い。20年前の心があまりに暗かった故に、周りが明るく見えたのだろうか。歩いている道は木々の陰影の下に、厳粛に続いている。

 奥の院に着いた。本堂に参り、参拝順路のままに本堂の裏手に廻り、弘法大師の墓に合掌、さらに地下の「契り」を成就するという祭壇も一応拝んだ。はて?20年前は本堂の畳に上がり、和尚の話を聞いたと思うのだが、そのようなことはできそうにない。うーん、記憶違いか、それとも寺側の変化か。まあ、しょーがない。戻るか。俺の頭には、助けを求める気持ちで座っている20年前の自分の情景がある。20年経ってまあまあの今があるから、もうよいよな。


 無縁仏のピラミッド。名もなく忘れ去られた人々を供養してこその仏教。どことなく整然たる秩序を感じるのは大本山観光地ならでは?と、斜に構えてはみたが綺麗に俗気なく張り詰めているのもまたよい哉。

 復路は、近くのバス停までの道を辿ったが、どうやらその道が昔歩いた道のようだ。木々から少し離れている。だから太陽が昇れば明るい空間に大きな墓標が並ぶことになる。もう俺の感傷は過ぎており、そのように客観的に結論づけることができた。

 寺は死者の鎮魂。昔の印度発の生々しい仏教は違うんだろうが、日本の仏教はそれだ。死から視る生の教え。科学的には死は永遠の無である。が、死者の魂があると信ずるのは生者の特権だ。俺は亡き父に会いたいし、じーさんにもばーさんにも会いたい。多くの死者の魂が居る、この山に合掌。

 高野山駅で性懲りもなく、寒い中またビール。さあ、友の待つ大阪へ向かおう。そして我が故郷に戻ろう。





 
 
 

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