2012年10月8日月曜日

名残のサンドバッグ、地道は大事


 耐震工事を行う為に年内一杯道場が使えないとのこと。今は10月、3ヶ月間サンドバッグが蹴れないくなる。故に、先週はしばし蹴り納め、突き納めとしてのサンドバッグ稽古を行った。それはいつものハードトレーニング。次の日、腰に重りが入ったようになる。

 1時間半、途中柔軟ストレッチを1分程度入れたが、かなり気合の入れた、21ラウンドのサンドバッグ稽古を、一体何ラウンドやったのだろうか・・・、まあ多くやった。名残のサンドバッグ稽古故、強烈なキック、パンチをシンプルに、思い切りサンドバッグにぶち込む稽古をやったつもりであるんだが、次の日に辛い筋肉痛を覚えなかったのが不思議である。俺の体が強靭になったのか、それとも寄る歳波で、少しでも大きな破壊力に繋がる筋肉の、瞬時の集中した酷使がでなくなったのか、どっちだろうか。うーん半々だろうね。すべての筋肉を統合的に動員して、スピードとパワーによる最大限の蹴りを行える感覚は大事にしないといけない。昔は8割方感じていたのだが、今は3割程度だ。10本蹴りをすれば3本だけその、すべてを動員したことを感じる。歳をとると・・・じゃないね、単なる稽古不足故にそうなっているのであろう。毎日の稽古の大切さを改めて、再認識すべし。

 先週は昼トレのウェイトと柔軟をまあまあやったんだが、下半身の鍛錬をおざなりにした。先々週の後半は昼トレを休んだから、下半身鍛錬をしばらくやらなかったということ。そうすると結果は顕著に出るね、やはり。先週土曜の稽古にてキックミットに下段と中段の蹴りを右左構えで各1分やったんだが、蹴った後の残心にて時折ふらついた。破壊力とかパワーの面ではそこそこいい蹴りが出るんだが、ふらついちゃあイカンよね。10本蹴って10本とも統合的に力と体重が蹴るポイントに集中して乗るというようなイイ蹴りはできていなかった。先に書いた10本のうちの3本がOK、と言う感じだ。日々の地道な鍛錬が必要だ、本当に。

 先週は昼の自主トレをやり、サンドバッグ稽古一回、それと道場稽古に土日と出たのでおおむね修練としてはよい。

 本日のスパーリングで小さな中学生の男の子の水月を突いてしまい、悶絶させてしまったことを反省する。自分の技の受け返しが上手いとは思わないもので、例え相手が小さくても、受けた後技を返すモーションをする。それが自分の稽古だと考えて。そのモーションは寸止めをしているつもりなんだが、本日、その時だけ、当たってしまったようだ。今後は返す動作それ自身もスローモーにするか、平手ですべき。或いはもう少し大きめのグローブを着けないといけない。

 本日の結論は、日々の稽古で「統合的な」力の使い方を意識し、身につけ試すこと。相手との体力差が大きくある場合は、技を試してはならない。

 久しぶりに次の試合に出ようと思った。やはり外と闘い学ぶことが必要だ。また、日々の鍛錬がどの程度通用するのかを確認しなければならない。

2012年10月5日金曜日

酒、稽古休む

 最近の飲み会、2回続けてトコトン飲んでしまった。何でかねぇ。

 先週の火曜日、旧友の壮行会。吐くまで飲んでしまった。次の日、二日酔い。その次の日も胃が疲れていると言うか、腹の芯がしっかりしないので昼休みの自主トレをする気力湧かず、2日続けて休む。

 先週の金曜日、仲間と飲む。電車を終電まで乗り過ごして高いタクシー代で帰る羽目になった。次の日の道場稽古、二日酔いで行けず。その次の日の日曜は行こうと思えば行けたんだが、やはり何となく気力が出ず道場稽古行かず。

 俺は大学体育会の空手道部出身。飲み方が35年以上若かりし時代の、吐くまで飲むことにすぐ戻ってしまう。本当に注意が必要なんだよね。35年前の我々空手道士ときたら、「酒は飲むべし」のみ。酒の上のケンカ、不祥事、全然OK。むしろ煽っていたきらいすら有る。酒の上の失敗を、誇りとしないまでも面白おかしく語り、それを肴にまた飲んでいた。

 もう35年も経ったのに、そんな飲み方と言うか、ブレーキを無くしてトコトン飲むことが時折起きる。20才の若造じゃないんだから・・・まったく・・・・、節制すべし。

 ともあれ、そういう飲み方をしてしまった日にゃ、上に書いたように2,3日影響が出る。若い時には二日酔いすらしなかったのに。さすがに年と言うか、年輪を経てもっと飲めるようになってしまったと言うか、まあそんな理由解明はどうでもよいが、トレーニングや稽古をしようとする気力が出ないという、生命力を減らしているので反省しなければならない。

 月曜日。泥酔から3日目。昼トレを行った。気が乗らぬので好きな科目しかしないとして、腹筋背筋の地道トレーニングを省き、上半身のウェイトのみ。火曜日。今一つ気力が出なく、昨日と同じく好きな科目のみ・・・、と言うとやはり上半身だね。上半身のウエイトはそれ程消耗しないのだが、筋肉を疲弊させてやった感が出るのでやりがいがある。これが下半身のウェイトだと本当に疲弊するのみ。息をゼーゼーさせながら辛いけれどやることになるので、「やるぞ!」のハードルがかなり高くなってしまう。

 昨日と違うことは、本日は夕食後もトレーニングした。下半身を多少でも何とかやろうとするほどの精神が回復した。ヒンジースクワットに股閉じ開けのマシントレーニング。やっとこさ酒の消耗が終わり気力が出てきたと言う所だ。

 面白いよね、酒飲みは。反省と回復の繰り返し。進歩がない同じ地点、同じ感覚、同じ心象風景を行ったり来たりだ。だから酒か。前向きとか向上とかとは反対。そもそも演歌なんだよね。「悲しい酒」なぞは名曲だ。昭和の歌姫、美空ひばりが歌った。

ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ
(台詞)
ああ別れたあとの心残りよ
未練なのね あの人の面影
淋しさを 忘れるために
飲んでいるのに 酒は今夜も
私を悲しくさせるの 酒よ
どうしてどうして あの人を
あきらめたらいいの
あきらめたらいいの

酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ
酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため

一人ぽっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける
 
石本美由起作詞・古賀政男作曲/昭和41年

 昭和・・・とことん昭和。素晴らしいです。これが「酒」です。この場合は「悲しい」のだが、喜びも「酒」であるし、怒りも「酒」であった。激しい感情の持って行き場の無い時に、「酒」があった。平成は、昭和ほど激しくなく、ドロドロしていない。「酒」は乾杯と親睦になってしまった。

 話がどこへ行くかが分からなくなったが、まあ、酒に飲まれるような生活はダメで、「酒は飲むべし」がちゃんと言えるほど、日々トレーニングで鍛えてないとイカンと言うことであるし、それができなくなった歳ではちゃんと己を律せて然るべきである。その為に修行してきたのだろう!と自問したら・・・、ギャフンとなった。

 酒と空手、修行。悪くはない。

 本日ダラダラと記して終わり。酒は、でも賛美しておく。

2012年10月1日月曜日

勝ち負けと制圧と言うこと

昨日、一昨日稽古をサボり、日がなビールを飲んで過ごす。ああ~~、よくない。
昔書いた文章の推敲をし、投稿する。せめて。


使わない為の空手修行。常に「平常心」を持つべく武術として習得する。一旦攻撃を受けても鍛えし受けで敵を制圧する。そういうことが空手の目的ではある。制圧という言葉は何か大仰ではあるが、制圧とは相手が自分に害をなさない状態に持っていくことである。だからまあ結果的に押さえ込んだ状態になることは多い。しかし相手を自分の意のままに動かす支配ではない。空手に先手なしと言うのも、非常の攻撃を受けた時にあくまで受けて敵を制圧することである。相手が害をなさない限りは、何もする必要はない。

この点、スポーツと武道の違う所としてあるようだ。スポーツの場合は競技として勝ち負けを決する故に、「攻撃は最大の防御なり」のように相手に勝つ為、倒す為の技を身につける。制圧ではなく勝負、もし格闘ならば最後にどちらが生き残るかを、定められたルールの上でゲームとして決める。

うーーん、ここまで書いて間違っていることに気がついた。レスリングを見よ。肩をつけたから勝ちと言うのは制圧だ。柔道を見ろ、寝技で抑え込み続けると言うのは制圧だ。どちらも相手の反撃を無くしている。彼の競技の人々は武道の心を持っている。意識するしないに拘わらず、武道における闘いと言うのは相手を害すること、殺すことではなく、無力化することであるということ。

空手やキックボクシングのような打撃系は・・・・しょーがないねぇ・・・。俺もその一人。

ところがではある。

空手流派の中で試合をしない流派もある。それは制圧することと、勝ち負けを決する勝負とは異なるというような考えに基づくものであろう。芦原空手は試合形式の競技を認めなかった。それに反対したのは芦原空手最大の功労者である二宮城光氏であり、結局彼は芦原英幸氏の生前から分派して円心空手を創る。試合は勝ち負けを決めてしまうのでよくない、しかし試合でもしなければ技の試しができない。そういうことから円心空手は「サバキチャレンジ」という大会を行っている。

昔琉球空手で、公には認められていなかったかけ試しというのがある。古い琉球空手は実際の組手すら認めなかったと言う。単に型稽古で強くなったのか?そうだ、と冨名腰義珍大先生は言う。

小生は学生時代に伝統派空手の体育会空手道部に入り、試合ではそれなりの戦績を残した。自分でも強かったと思う。しかし自分がもしケンカを売られて闘いに巻き込まれた時にどの程度強いかどうかははっきりとは分からなかった。試合では強かった、では「実戦」ではどうか。普段寸止めしている上段突きを止めずにやったときにどの程度の破壊力を生むのか。そんな血を見る闘いはしたくない。ではどのように受けて相手を制圧するのか?学生のスポーツ空手ではそのようなことは教わらなかった。制圧する為の技の体系がある。芦原空手はそれを目指していると言う。そういう考えがない場合、殺されない為に全力の攻撃を仕掛けるしかないだろう、突きも蹴りも相手を倒す為に総動員することだろう。

フルコン空手をやって、自分の技の破壊力が相手にどのように効くのかが多少分かってきた。相手の技が自分に効くのかはまだよく分からぬ。自分より圧倒的に強い人間と闘い打ちのめされたことがない故に。静止したサンドバッグには自分でも満足のいく突き蹴りが入るのに、動く相手にそのままの破壊力で入れ込めることが非常に難しいことも分かった。組手で思い切りやっても、相手はまず倒れないのである。この平和な時代、相手を倒すことに意義はない。また武道の究極は活人剣であると昔から思っている。

倒す倒されるのではなく、制圧する技、その理論体系を学び修練したいと思う。活人剣はそのはるか先だ。

あっち飛びこっち飛びの文章になったが、レスリングと柔道は、制圧することを競技の中に入れている。それは武道というものを判っていると言ってよい。殴り殴られ倒し倒されというのは、武道ではなく単なる競技である。「あしたのジョー」はそんな世界なんだが・・・・、しかし、これがまた凄い。周りを活かす「活人剣」なんだよなぁー、これが梶原先生の深さ。結局命を賭けて闘ってみないとさぁ、判んないよね、と言う氏の言葉が聞こえてきそうな。

俺が上で述べた様々の理屈は何だったのか、とマッチポンプのような結論とする。

2012年9月20日木曜日

普通の日

 小生と同じような空手オヤジの書いているブログを、頻繁に興味深く読んでいた。内容は多岐に渡り面白く、洞察に富み、文章も上手い。最近更新がないがどうしたのだろうか。小生はこのサイトのファンだった。

 今日が一番きつかった(中年空手日誌) 

 本日も淡々とトレーニングを、午後9時からして帰った。本来は昼休みにすべきものだったが、気合が入らず、昼休みはマッサージチェアでグリグリされながら雑誌を読んでいた。で、やはりトレーニングをスキップするのに気がとがめ・・・別に誰に悪い訳でなく、どうでもいいんだが・・・仕事が終わってからトレーニングルームへ。今日の昼にすべきだったメニューをこなした。

 本日は下半身。27.5Kのダンベル×2の重量でスクワット20回×3セット。その後、股開き、股閉じのマシンによるウェイトを各3セット。その前には、毎日の定番である腹筋100回、背筋70回。ウェイトが終わってから柔軟をTV見ながら10分程度かな、やった。時間にして40分。昼休みのように急いでやる必要がないので、のんびりと楽だった。

 昨日は会社の空手道場でいつものごとくサンドバッグを午後6時半から8時まで。サンドバッグ稽古をiPhoneでビデオ撮影した。撮影しては再生してモーションを確認していたから、濃いハード稽古にはなっていない。

 まあ、俺の動きは固いねぇ。腰が前に出ていない。足をきちんと折りたたんでいない。パンチはまあまあだが、ノーモーションで切れるパンチを出したいね。ドスンと破壊力はあるんだが。回し蹴りの時にかなり腰は回しているんだが、もっと回してもよい、というか腰自体を前後ろ、回転と、柔軟に使うべきだと言うことが分かった。回転もオーバーにやってよい。QuickTimeMovieは、コマ送りができるから面白い。普通の速度で見ているとたいして腰が廻っていない回し蹴りも、コマ送りにするとちゃんと廻っていた。それはそれでよいんだが、何かしら固く見えるのは腰の動きが地味だからだ。腰の動きをもっと柔軟に、大きくしないとね。

 これからさらに自分のフォーム、モーションを見て改善点を掴んでいくべし。じーさんのような動きにならないように。

2012年9月12日水曜日

真樹日佐夫氏の「ああ五十年 身に余る」

 真樹日佐夫氏の、「ああ五十年 身に余る」を読む。副題が「真樹日佐夫ワル自伝」である。ちょっとやそっとじゃ、感想は書けませんね。まあ、感想としてまとめることの器を我は持たぬ、と言うことか。

 少年マガジン連載の「空手バカ一代」の漫画で育った50代前後の世代には知っている人も多いだろう。それより先行した氏の原作である「ワル」―これも少年マガジン連載なんだが―となるとさらに古く、少年誌連載なのに大人の世界のような気がしましたね。当時小生は中学生になったばかり、高校生はなんて大人なんだろうと感じ入っていた記憶がある。

 「ワル」は、1970‐72年に少年マガジン連載。その後続編が別の雑誌で続く。ともかく大変昔。「空手バカ一代」は、1971‐77年に少年マガジン連載。こちらは氏の兄である梶原一騎原作であり、真樹日佐夫氏の方は空手家として登場人物の一人となっている。

 「ああ五十年 身に余る」の題名がおもしろいですね。何が「身に余る」んだ?と尋ねたい所です。氏は頭がよく空手が強いのに、まったくいったい何がどういう具合に「身に余る」のか。身になんぞ余らないだろう、好き勝手に己の成したいことに邁進したのではないか、と思うよね。氏の吐いた不思議な言葉です。

 真樹日佐夫氏は1940年(昭和15年)6月16日生まれで、 2012年(平成24年)1月2日に亡くなった。享年71歳であった。「ああ五十年」の50年とは?この本を書いた時は2011年。読めば分かるが、氏が年上のある女性と契りを成し、結婚はしなかったんだが人生の同志?伴侶として生きた日々であろうと思うんだが、ヒジョーに分かりにくい。50年とは、氏が梶原兄と文筆で生きて行くことを決めた時期とも一致するし、空手の道に入った時期もそう違わないだろう。「身に余る」の言葉を何故発したのかが分からない。氏が生前この本を出し、そのきっかけが50年来の女性の死であったことを考えれば、その女性に命を賭けて愛されたことを「身に余る」と言うのであろうか?

 氏は梶原兄とのこと、極真空手、そして大山総裁のこと、自身の仕事や空手の事、様々に述べている。そのすべてのことに感謝したいから「身に余る」なんだろうか? 一代の不良がそんなに素直じゃないよね。まあ、感謝はすれど己の腕っぷしで渡ってきた事実と自尊がある。登場人物が小生の尺度で見れば無茶苦茶濃い。その濃い人々との交わりに氏は感謝したのだろうか?「身に余る」と言うのは、不良としてケンカして生き続けたが、終わりがないほど一杯好敵手がいたぞ、という意味もあるんだろうか? 女と男、一体どっちに感謝するんだと氏を問いただしたい所ではある。

 男どもの濃い中の生、年上の女性への下にも置かぬ思い、「ああ五十年 身に余る」はどっちだか小生には分らぬ。どっちもだと言ってくれるより、小市民の小生としてはなぜかしらはっきりしたい所なんだよ。一に女、二に梶原兄、三に極真の大山総裁。そう解釈した。

 ともかくも、不良少年から不良オヤジではあるんだが、空手、文筆、生半可ではなくやってきた・・・やはり大きな不良オヤジですね、年少の小生から見れば。

 前にも書いたが、小生の時代は、真樹日佐夫氏の兄上である梶原一騎氏に創られたような時代である。何ともはや・・・の偉大なる兄弟だ・・・・。でも不良なんだよね。まあ、アウトロー万歳、小生もその時代の一片である。しかし小生の場合は、そう影響されて思ってきたこと、彼等兄弟は実践し表したこと、嗚呼凄いねぇと、全く大きな違いにため息をついている。

 

2012年9月3日月曜日

最近やっている稽古内容の記録

最近やっている稽古内容を記録しておこう。

このブログの更新に空手稽古の内容が少なくなっているが、やっていないのではなくてやることがあまりにあたり前になったので書かなかった。

まずは昼休みのトレーニング。昼休みは20分程度という短い時間だが中身は濃い。加えて水曜日は仕事後に1時間半のサンドバッグトレーニング。土日が道場に行く本格稽古なんだが、肝心のこいつがサボりがち。だって土日は昼からビール飲んでいるし、それがまあ唯一と言ってよい楽しみだし、また適度に用事もあるし。ウム思い出した。よくあるパターンは金曜の宴会で飲み過ぎて、土曜は二日酔い故に稽古に行けず気だるく日を過ごす。次の日曜も結構だるく、年をとると三日酔いのように体力回復できずソファーぐったり怠惰生活というのがよくあるパターンである。

それに比べて週日は結構ハードトレーニングなんだよね。仕事が上手い具合に進まず気も入らないから余計に熱中?ちゅう感じですかね。

だいたい毎週同じローテーション。

月曜。週始め故やる気が出ないケースが半分、残りの半分は日曜の稽古で身体が消耗していてそもそも疲れているケース。トレーニング内容は上半身強化メニュー。
  • V字腹筋70回、背筋70回: 昔は50回だったが回数を増やしつつある。
  • フライ: 80Kを8→6→5→4回と4セット程度やることが多い。負荷はマシンのMAXでありこれ以上増えない。チェストプレスマシンMAX150Kが、もう少しすると入ってくる。それが楽しみ。入ってくるとそうれをメインにすることになる。
  • 懸垂: 広順手、逆手、狭順手と、8回ずつ。3セット目の8回はかなりきつい。この種目は何故だか成長がない。3年前も同じきつさであり、回数も伸びてはいない。
  • レッグエクステンション: 35KMAXのマシンしかない為、片足ずつやる。15回3セット、片足ずつ。これもいずれ新しいマシンが入ってくるのが楽しみ。負荷100Kないとね。
  • 柔軟の真向法、2セット。この辺で時間切れになる。本当は3セットやりたいのだが。
以上で20分は過ぎる。足腰や肩もやりたいんだが時間が足りぬ。故に、しばしば残業後、
  • ランジースクワット70回
  • ダンベルショルダープレス、片方27.5Kで、8→5→3回のパターンが多し。
をやる。やって始めて安心、満足なり。

火曜は下半身強化。地味で面白くなく、結構辛い。
  • V字腹筋70回、背筋70回は同じ。こういうのは毎日やるべし。
  • ダンベルスクワット、27.5K*2の55K負荷で、12回5セット。
  • 腿広げ、腿閉じのマシントレーニング:1各々10回3セット。
  • 柔軟の真向法、2セット。
下半身トレーニングは辛い、汗だく。トレーニング後昼食をとるが、いつも汗だくで、それなのに熱いうどんとかラーメンを喰らう。消耗すると麺類の炭水化物を自然に求めてしまうんだよね。

水曜は月曜と同じメニュー。

水曜は仕事後、だいたい6時半頃から会社の道場で自主トレを行う。ひたすらサンドバッグ稽古。2分1ラウンドでだいたい下記を行う。計12-15ラウンドくらいやっていることになるのかね。
  1. 順突き左右20本、逆突き左右20本
  2. 下突き左右20本、フック左右20本
  3. ミドル回し蹴り左右20本
  4. 下段回し蹴り左右20本
  5. 1,2パンチ左右20本
  6. 膝蹴り左右20本
  7. 1,2,3パンチ左右20本
  8. 前蹴り左右20本
  9. たいていこの辺でみっちりと時間をかけて柔軟をする。真向法3セット。
  10. 上段回し蹴り左30-40本
  11. 上段回し蹴り右30-40本
  12. 左右上段、中段回し蹴りの空蹴りを鏡を見ながら1セット
  13. 1,2パンチ+下突き 或いはミドル回し蹴り、レギュラー構えで
  14. 同上、左構えで
  15. 1,2パンチ+下段回し蹴りをレギュラー構えで
  16. 同上、左構えで
  17. フリー、レギュラー構えで。構えからノーモーションで技を出すように。
  18. フリー、左構えで。
と言うようにやっていれば1時間半ほど経つ。サンドバッグをやると技が遅くなるので、蹴りのシャドーである12番は再度やったり、完全フリーのシャドーを1,2ラウンドやったりする。
基本技の確認や鍛錬が主となってしまうので、時にはそうではなくて、徹底してコンビネーションのみでラウンド重ねる必要も感じている。

木曜は火曜の下半身強化メニューを繰り返すが、前日の水曜の疲れや筋肉痛があり、ダレーっとしてサボって内容を薄くする場合が多い。一週間に一度程度のサンドバッグだと、次の日腰の筋肉痛になる。全力の回し蹴りをたたき付け、その反力を腰が受け止めているんだもんね。

金曜はまた上半身強化の月曜メニューと同じ。


月水金は上半身、火木が下半身だ。毎日は腹筋背筋。

以上、記録として。

2012年9月1日土曜日

世の中に役に立つ年寄りとは?

 ううー・・・。既に350缶ビール6本飲んだ。今7本目。本日は土曜の休みで家族は各々出払った。家に残る小生が一人でビールをたしなみつつウダウダしている。


さて、
昔書いた文章ももったいないから、推敲し書き加えて出そうと思っているからなんだが・・・

ちょっとブルーがかっていた時の文章かね、それとも鍛錬を終えて達観した時の余裕の文か?昔故記憶にない。適度に編集を加えつつ出す。

・・・・・・・

さびしい話だが、朝起きて飯を食って会社に行き、まあまあ熱心に働いて夜遅く家に帰りビールを飲んで寝る、と、わずか一行で済む生活をおくっている。あえて付け加えるならば会社で昼飯と晩飯を食っている。日々の糧を得るためとは言え、こりゃあまり血の通った生活じゃないな。ロボットかねぇ。仕事中に交わす会話も事務的かつ目的志向であり、無駄がない。冗談の一つも言えなければいけないと思う。ワ・レ・ワ・レは生きているんだ・・・と。皮肉?

昼休みのトレーニングは人間らしい。でもかなり辛い。ウェイトトレーニングは常に敗北感との付き合いである。と言うのは必ず持ちあがらなくなるまでやるからだ。持ちあがらなくて諦める時には、やはり敗北感を味わうよね。下半身のスクワットはゼイゼイ言いながら行うが、これは100回なら100回と回数決める為、多少の達成感がある。しかし一番嫌な、なんともしんどい種目である。次に柔軟。それは痛みに耐える苦行となっている。

こう書いてくると、なんだ俺は! 苦行こそが1日の中で人間らしい振る舞いと言っているかのようだね。他は無機質の時間? いつまでも伸びる世界をなんとか夢見ようとしているからこそ苦行をしているのか? もう53才、幻想と自己満足の世界かもしれない。でも、こういう考えは大事だと思う。頑張る目的はよく分からぬが、頑張っていれば何とか成るという考え・・・だ。

人は先に進みたい、進めるような気がするから生きているんだと思う。年寄りが大事にされてきた時代がある。集団として生き抜く為に年寄りの知恵や権威が必要であった。そんな昔のように、「年寄りが大切にされた」と何となく心情的に郷愁に浸っている場合ではないと思うんだよね。人間は動物であり、動物は種族保存の最適性の中に行動が現れる。年寄りが必要な時は、必要だった、ということだけだと思うんだ。

若い時は修行の連続。修行の反動で大酒の享楽に遊ぶ。振り子が極端から極端へ振れての青春バンカラだった。それに比べれば今は小市民的な生活をしつつこんな文章を書いている。

修行とは何か?生きるとは何か?その答えを考えることはまた後回しにしよう。小生は随分酔っている。もう少しすると小生も年寄りだ。世の中に役に立つ年寄りとは?を考えなければならないな。