子供を育てると言うのは難しい。最近よく思う。小学・中学の時は父親として鷹揚に構えており、「勉強せよ」と口うるさく言う母親をなだめていた。中学3年くらいからか、息子は母親の小言は聞かないらしく、父親に言えと言うので今度は父親が口やかましくなった。
すんなりと言うことを聞き、勉強に部活動に日々の暮らしに結果が出れば、言った親としては、満足のいく限りであるが、全くそうではない所に問題がある。何度言っても言うことを聞かないことを知り、故によく怒るようになった。そうすると息子ももう高校1年であるから、生意気に色々屁理屈をこねて従わない。それを感じるとなおさら怒る。だいたい親の言うことの方が理があり正しい。それを何故理解しようとしないのかが不思議である。言うて聞かせるのか、怒って従わせるのか、両方を場面によって使い分けているつもりではあるが、まあ怒っている方が多い。3遍同じことを言ってもできない場合は怒る。それが大半だ。
俺たちの若い頃は梶原漫画に育てられた。スポーツに勉強に、或いは不良道でも、上には上があり、各道で上を目指そうと思えば非常に努力を要し、その努力を貴重なものとする価値観であった。主人公とライバル達の競い合う世界だった。
だから努力せよと言う。向上心を持ってほしいと願う。いろんな場面でそういうことを述べるが、伝わらない。徒労を感じる。息子もくどく言われると面倒になるのだろう、「うんうん」と言う生返事をするだけで実行しない。そうなると余計に腹が立ち叱るようになる。少なくとも返事をしたのならば実行せよ、と。
その後、我が身を振り返る。45歳までは色んな困難も降って来ていたから、努力をしていたと思う。それ以降はどうもイカンな。息子は我が身の鏡であろうか。
俺は、息子の年代の時はかなり努力して勉強していた。その時の自分と今の息子を比べて足りないと思い、叱る。しかし息子の見ているのは現在の俺である。親である俺だ。俺が何となく仕事して、何となくのんびりと生活することに満足しているのならば、息子も今をそれでよしと思うであろう。そう考えれば息子の見本となろうとする親の方が大変だ。
やれやれ。上の考え方は正しいのだろうか。俺は父親を尊敬したが、それは父である時分の彼を尊敬した。父親の少年時代を想像して尊敬した訳ではない。だからやはり俺が堂々として正しく、自らの生き方で語らねばイカンのだろうね。
妻に、「小さくなったね」と半ば冗談で言われて数年が経つ。もう年もとったし、それでもよいかとしていたんだが。未来を切り開く気概が失われて、我が身を守るというか肯定するとなると「小さくなる」
うーーむ。50歳を過ぎて結構辛いね。空手はひたむきにやっているとは言えるが、仕事はもう若い奴には敵わぬことも分かるし、しかし若い奴と闘わねばいかんのか・・・。空手と同じ?
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