東日本大震災からもうすぐ1か月が経つ。死者・行方不明者合わせて2万7千人を超えていると思う。数字の集計の間違いが見つかり、今日はどのサイトを探してもそのUpdateはなかった。
雑誌の記事には、津波が引いて歩いた所に子供達の遺体が散在していたことが書いてあった。TV報道では見せないが、電信柱に遺体が引っかかっていたり、目を覆う惨状であったそうだ。生きていた人々が無残にも・・・の風景を想像する。我が家族や親戚がそうなったときの嘆きを想う。唯、合掌。
震災以来、TVは避難所の人々をよく映している。最初は食べるものも届かず、次に薬が届かず、とあったが、しだいに援助物資の補給はよくなっているようだ。だだっ広い避難所―学校の体育館が多い―につい立を経て、プライバシーの保護もかろうじてできるようになってきたとの映像もある。娘さんが布団にもぐりこんで着替えなくてよくなってよかったとの家族の言。
TVのインタビューに応える人々は「神々しい」までに忍耐強い。泣き喚きもせず淡々と不自由を訴えつつも、援助に感謝する言さえ出る。被災者同士助け合いながら集団生活を営んでいることも報道される。東北人の忍耐だ。表に出ている情景よりもはるかに苛酷である環境を忘れずに想像しなければいけない。
自粛ブームが地震・津波・原発被害に続き、第4の災害であると説かれ始めた。被災地の方々からも度を越した自粛はしない方がよいとのメッセージがある。それはそうだろう。消費をして経済を活性化しなければ暗く小さく貧しくなるだけだ。瞑目して被災の方々を想い、しかる後に初めて普通の消費生活をすべきである。忍耐強い東北の人々に思いを馳せて、その後だ。
義援金が集まっている。金のある所にはあるし、普通の人々も今回の大災害には多くお金を出す。より多く集め、被災者に配り、必要なものをどんどん買い込むことで経済も多少回復する。早くお金を回すべきなのに、配分手法が定まらず停滞しているそうだ。経済だけの観点で述べれば、多くの人々が義援金としてタンス預金を引き出しているはずで、それを復興資金に充てれば消費の規模が大きくなる。それによって企業も復活し、再びグローバルに活動できる足腰が戻ればよい。復興により経済を回復させる戦略が必要である。
今は被害を受けた企業が活動を再開できずに、負の部分があるが、復興資金を注ぎこんで、企業活動にも、そして被災者の方々の生活にも、多く与え廻すべきである。
震災から1カ月も経ち被災の方々は今後の生活への不安が増す時期だ。1億2千万人の国民が支援すべきである。TV報道を見る限りではその雰囲気はあるが、持続して続けなければならない。
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これを書いている時に、大きな地震があった。宮城県で震度6強。埼玉の我家で震度3である。3月11日以来余震が続いているが、その中でも最大のものである。まだ震災は続いている。
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本日のトレーニングはスクワット100回のみ。昼休みは何となく仕事場に残り、トレーニングせず。会社での夕食前にジムに行き、何とかやった。昨日ウェイトをやったので本日は別の部位をウェイトするか、道場が直っているのならばサンドバッグをやっている所だが、まだ使用禁止なのでできず。これからはちゃんと別の部位を鍛える日にしよう。
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