2011年4月5日火曜日

武とは?

 本日も割合まじめに仕事をして帰ってきたが、帰り道、車を運転しながらホトホト俺は言ってることとやっていることが違う、と反省する。

 生活を武の観点でやろう、と以前書いたはずなのにすっかり忘れていた。すっかり忘れて普通の生活をしていた。

 武の観点の生活とはなんだろうか?
  • へまをすると切腹すべしという緊張感を持って物事にとりかかる?
  • 柳生無刀取りの極意で、柔らかく受けに回り相手を決して殺さない。(が制圧する)
  • 活人剣の発想で、人を活かす。
 厳密な意味の活人剣とは、柳生宗矩の定義では、一人を殺すことにより万人を活かすこと。これは政治であり法とも言える。極悪非道の輩に死刑の断を下すことは、罰であることよりも周りの人間の物心両面の平安を維持することであろう。宗矩のオヤジの石舟斎の言では、相手をまず動かせて後の先を取る意味で用いるらしい。より戦国に近い、闘う意味になる。

 俺はずっと誤解していたようだ。武を究めれば相手を活かすことにも繋がるというように解釈していた。だが剣はあくまでも自分を守る為であったか・・・ちょっと狭いよね。剣は形而上ではなく物理である。命のやり取りの道具であった。剣を使わず思想を述べていれば、その間に殺される。まあよい。俺は今まで解釈していた、周りの人々を活性化する意味で「活人剣」を用いることとする。そう言うことが武の極致ではなかろうか。
  • 武は己を厳しく律する規範である。
  • 好敵手を認め、互いに向上しようとする意志である。
 まあ、あまり多くを出すと、また文章だけになって行動にならないのでこの辺で。全力を傾けること、緊張感の上で五感を研ぐことが日々の生活で肝要。また受けると言うこともポイントであろう。受けると言うことは、空手に先手なしと言われる、まず受けから入る後の先のことである。そう言うことを日々真剣にやると言うのが武の道だ。難しいのはそういうことを忘れず、常に意識して行動すること。人は1秒間に60回死ぬというのを漫画で読んだことがある。ボーっとせずに濃い命の時間を自覚しておくるということが大切だ。

 昔、命の軽い時代、そこでは生きる為に武があった。たとえ負けて死ぬ場合でも、それまでには濃い命の時間があったことであろう。

 うーむ、やはり武を論じると能天気に幸せを求めることはできないねぇ。厳しい。俺は本当のこと言うとそっちで夢見ていられればよいのであるが。

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