年なのに激しい運動をしていると今から書くことが起きることもある。御同輩、用心されよ。
6月下旬の非常に暑い日曜日だった。俺は午前中からビールを飲みつつ、庭の芝刈りに励んでいた。休みの日は何と言っても昼間からビールを飲むのが楽しみだ。庭は20坪くらいある。手押しの芝刈り機で行ったり来たり。暑い中汗が噴き出て、ビールが旨い。
その日は夕方から道場稽古に行くことにしていたので、酔いをさまさなければ車の運転ができない。そこで、酔いをさますことも兼ねて、芝目が刈り揃えられてきれいになった庭で空手の練習を始めた。前蹴りあげ、内回し・外回しをしながら庭を往復する移動稽古を入念に。天気はよく、気持ちがよい・・・が、汗も当然ダクダクとかく。上半身裸の短パンひとつある。パンチも入れたコンビネーションでまた移動稽古数種類。まあ、気ままにやるので、リラックスしてできる限り力を抜きながら、柔らかくやることを心掛ける。かれこれ1時間弱、大変いい自主稽古ができた。
そして昼飯。腹も膨れ、ほろ酔い加減でソファーに寝そべり、録画しておいた映画を見つつも、その内眠たくなってウトウトとする。たまらなく気持ちのよい休みの習慣である。何と幸せなことだ。
夕方目が覚めると体が非常にけだるい。稽古に行かねばならないので、今度は気を振り絞って起き出し車に乗った。随分喉が渇いていた。途中でヨーグルトを買って渇きを癒す。稽古中に飲むスポーツドリンクも買った。
稽古。道場にエアコンがあり、それを効かすために窓を閉め切っている中、基本稽古の30分が終わった。古いエアコンでそんなに冷やすこともできす、実際運動すると暑くて汗がダラダラ流れるし、皆が運動している中締め切っているので酸欠状態も感じ、窓を全開にした。酸欠状態は脱したが、これはこれで外の暑気も入ってきて暑い。基本の後、コンビネーション、スパーリングと一通り、汗をふんだんに流しながら稽古に励んだ。途中の休憩時間ではスポーツドリンクで水分補給。
稽古が終わってもダラダラ流れる汗は変わらず。まあ暑いし、年をとるに従い汗もかきやすくなるようで、しょーがない。
今日の稽古も終わった、と充実感をもって、帰り道を運転し始めた。少し妙な感覚があった。スピードを出すつもりがないのになぜかスピードが出る。ブレーキをかけてまたアクセルに足を戻す、とまたスピードが出る。何か変だなと思いつつ、右折する交差点へ入り止ろうとした。ところが止めたつもりが何故か動き出すので、こりゃイカンとしてパーキングにギアを入れた。
直進の車が切れ、右折信号になったのでさっさと右折すべくパーキングからドライブにシフトノブを入れようとしたが、これがなぜか入らない。ノブが動かない。あれれっ変だ。何で入らないのかと何度もノブを動かそうとしても動かなかった。
足でブレーキを踏んでいないとノブはパーキングからドライブに動かせないようになっている。この時、足の感覚がマヒし始めていて踏んでいるつもりが踏んでいなかったということである。
2回くらい信号をやり過ごした。俺の車だけが交差点の右折レーンにずっといて、動き出さない。後ろについていた車は、痺れを切らして直進レーンに戻って大回りで右折するとかした。ホーンが鳴り響かなかったのが不思議だ。故障車として皆認識して避けてくれたのであろう。
俺も、まだ新しい車が何でこんな所で故障するのか、と焦っていた。その内何とかドライブに入り、そろそろと動いて交差点から脱出した。故障したと思っているので、スピードも出さずに慎重に運転した。稽古の名残であろうか、汗がまだダラダラと流れていた。
いつも寄るコンビニに車を停め、アイスコーヒーを注文しようとしてレジの前に立った。そのコンビニはコーヒーを注文してカップをもらい、自分でいれる。ここでびっくり。なんと声が出てこない。俺はアイスコーヒーください、と言いたい。でも声が出ない。俺はレジの前で注文しようとして立っている、レジの若者は注文を受けようとして待っている、の変な時間をしばらく過ごした。多分口だけがパクパクあいていたとは思うが、目でコーヒーを入れる所を示し、指でも差したので、ようやく彼はカップを持ってきて俺に渡した。金を払いアイスコーヒーを入れる所に行った。
アイスコーヒーのカップを持って車に戻った。ここでまた一苦労。パーキングからバックに入らない。本当にこの車壊れた、弱ったなぁとしてしばらくシフトノブと格闘。数分後になんとか偶然に入って、やっとこさ車をバックさせ、ドライブに入れてまた運転し出した。運転しながらさっきは何で声が出なかったのかと思い、車の中で発声練習。ちゃんと声が出るのに安心したが、不思議なこともあるものだと思っていた。やっと家に着き、車を降り、ガレージから家の中に入り2階にあるリビングに行こうと階段を上ろうとした。ところが階段が登れない。右足に力が入らない。その内階段のたもとでへたり込んでしまった。おかしい。今度は起き上がろうとしても起き上がれない。ずるずると廊下で仰向けに寝そべってしまい、起き上がれない。
そうこうドタバタしている音を聞きつけ妻が階段を下りてきた。仰向けに寝て起きようとして起き上がれない俺に驚いている。その内俺の方は諦めてしまい、もう大の字だ。やっと気がついたのだが、右半身が麻痺している。寝ころびつつも身をよじり、左手で感覚のない右手をつまみあげてみた。本当に我が身ではない別物を拾い上げているようだった。
妻、息子に119番せよと指示。息子慌てて110番する。うーむ、ドジな奴だ。俺に対してはじっとしていろの指示。俺がまだドタバタしているようだったので、息子に俺の頭を押さえつけるように指示。顔も汗だくだったので、息子は人差し指一本で俺の額を押さえつけていた。まったく失敬な。まあ、俺の方ももう起き上がれないことは十分分かったので、息子の人差し指に額を押さえられれたまま、観念して仰向けに寝ていた。
3分から5分くらい経ったような時間感覚なんだが、右の指が動く感覚を得た。それから少しずつ感覚が戻り、やっと上体を起こしその場に座ることができた。
しばらくして救急車が到着。その時には立つこともできていたんだが、担架に乗せられて救急車の中へ。そして病院へ。もう十分回復してはいたが、点滴や検査を経てそのまま1週間入院するはめになった。病院に運び込まれた際に、看護師さんが書いたメモには「脳梗塞」とある。実際の病名は、
一過性脳虚血発作である。
右半身不随の状態は、階段が登れない時から倒れこんで後の数分のみであり、それが過ぎたら脳への血流も戻り完全に回復していた。
入院中、iPhoneでWebサイトを色々調べ、一過性脳虚血発作に見られる症状がきちんと起きていることが分かった。発汗をコントロールできなくなり、失語になり、右半身不随になったということ。
今から思えば、完全に右半身不随になるのが家に帰ってからでよかった。帰り道の車の運転でも右足の感覚がかなり鈍ってしまい、ブレーキを踏んでいるつもりが踏んでいなくて、パーキングからドライブやバックにシフトできなかったということだ。しかしその後、アクセルを踏んで実際にスピードを慎重に保ちながらも運転できていたし、家に帰って、階段までは歩くことができていた。途中で起きた声が出ないと言う失語状態が大変おもしろい。アイスコーヒーくださいの一言が頭の中に準備されているのだが、声に出ないもどかしさ。レジの人としばらく見合う変な時だった。
CTスキャンを一回すれば診断は下せるのに、1週間も入院せねばならなかったのはどうも馬鹿げている。入院の終わりの方でやったCTによる血管造影では異常なし。ただ脳の血管が年のせいもあるがとげとげしく固く見えるそうな。血栓はどこにもなく、結局、脱水気味になり血液がドロドロに濃くなって脳の血流がスムーズに流れなくなったのが原因だそうだ。まあそんな所だろう。ビールは利尿作用があるから脱水作用を進める。暑い中汗だくになりながらの芝刈りと空手稽古。その後の昼寝、寝る間は水分を出しているのでこれまた脱水を進める。起きて喉の渇きを覚えた時に、すぐスポーツドリンク飲めばよいのに、なぜかヨーグルトを飲んだ。これでは水分の速やかな補給にならない。また稽古前半の酸欠状態と暑さによる大量の汗。稽古途中ではスポーツドリンクを飲んでいたが、すでに進んでいた脱水症状には足りなかったのであろう。もうその日は午前中から脱水になることのオンパレードだった。
脱水症状をなめちゃあいかんよな。脳梗塞になると大変だ。俺の場合は、一過性脳虚血発作という脳梗塞手前で終わったのでよかった。今から30年以上前は、より疲れるからということで運動しても水を飲むのは禁止だった。何と危ないことか。
退院後の翌日、会社の空手部の合同稽古にておっかなびっくり指揮を執った。2リットルのスポーツドリンクをがぶ飲みしつつ。退院即運動というのも、よくやるもんだ、ではあるが、入院期間中は5体全く健康であり力を持て余していたから、久しぶりの運動は、おっかなびっくりの感覚さえ除けば気持ちのよいものだった。
体が動いても脳がもたない、というのは衝撃の経験である。それまでは歯を食いしばって倒れるまで稽古をすることが強くなる王道であったのだが、これからはなんと本当に倒れてしまうということだ。運動にはある程度慎重にならなければいけないと思った。
それからもう10カ月経つ。あの時は、1日の行動がすべて脱水に繋がるものであり、その間マメに水分補給しなかったことが原因である。すべての行動が重なって初めて起きたものとしている。血管の老化を早めそうな煙草を止めればなおよいが、この10ヶ月間2回ほど禁煙にチャレンジし、今だうまくいっていない。
今はかつてと同じように普通に激しい稽古もしている。ただ、頭の隅で限界までの追い込みを控える気持ちがあるとは思う。もう年だもんね。やり過ぎて体を少々壊すのならまだしも、脳梗塞になって死ぬか半身不随は、当然ご免蒙りたい。