2011年4月26日火曜日

道場が使えず退屈

 東北大震災以降、会社の道場のある建物が使用禁止になり、しばらく会社ではサンドバッグを蹴っていない。地震で少し損傷した部分は修理が終わったのになぜ今だ使用禁止かどうかは、どうも大変お役所的な総務の判断であり、納得がいかないようなしょうがないような諦めの気持ちである。

 建物が直っているのに使わせない理由の一つに、計画停電があった。近所が停電しているにも関わらず、会社が煌々と電気を灯していてはまずかろう、と。計画停電が終わった後は、レクレーション活動の自粛の一環としてある。ただねー、日常活動としてやっているクラブ活動を自粛することに意義があるのだろうか。プロ野球やサッカーも始まったではないか。

 会社活動の再開に管理部門があまりに忙しくて、一旦禁止をした後では、クラブ活動の再開を議論する時間も取れずに、あるいはそういう動機がなくて意思決定が後回しにされていると言うのが実際のところであろう。勝手に施設を使わせてくれればよいのだが、それを決めるに、何人もの意思決定者を念のために通らねばならないお役所的なことがあるのであるかもしれない。

 そろそろ痺れを切らして、「使用禁止」の張り紙を無視して入り、練習をし出しそうな気がする。

 本日も、会社のジムで昼トレを行う。道場もあるしジムもあり恵まれている環境だ。ただジムにはサンドバッグはないし、空手稽古を大っぴらにやる訳にはいかず、普通にマシンによるウェイトトレーニングとマットスペースにて腹筋・背筋・屈伸といったことをやるだけである。いつもは1日おきにジム、道場と行っていたので、毎日ジムだとどうも飽きる。

 本日はいつもの定番メニュー
  • 腹筋100回、背筋60回。いつもならV字腹筋60回だが腹筋マシンが空いていたので普通に足固定の腹筋をする。たいてい80回くらいで腰が凝ってくる。若い時は決してなかった。200回やっても大丈夫であり、平らでやると腹筋に負荷もかからないので、延々とできるような気がした。今は腹筋が疲れる前に腰が凝ってしまい、回数を伸ばす気が起きない。
  • バタフライ、8,6,4の3セット。もう最重量でやっているから今ひとつおもしろくない。普通ならば負荷を上げている所だ。負荷を上げれば筋肉も増えることてきめんであるが、リクエストしても重しを買ってくれないだろうな。MAXでやっているのは俺くらいであろうから。ちなみに145Kだ。これがマシンのMAX重量。
  • 懸垂3種、各10回だが、最後は7回でくたばった。ある時、バタフライで胸の筋肉が結構ついてよしよしと思い鏡に映してみたところ、腕が細いのが分かり真面目にやり出した種目である。結果、割合腕が太くなった。この種目が一番筋肉疲労と膨張を感じる。
  • ダンベルショルダープレス、7、4回でくたばった。今はこのダンベルの荷重がかなり重めでやっているので、唯一無理な負荷でやっている感あり。立ってやるので腰が痛い。座ってやればいいんだが、そうするとかなり重いのを持っている為、後ろにひっくり返りそうな気がして気が進まない。
  • レッグエクステンション、10回3セット。重りが軽い為片足で右左交互に行う。これは鼻歌混じりだ。負荷MAXでこれ以上増やせないから、これからはせいぜいフルストロークで戻す時にゆっくり戻すことにしてトレーニングし甲斐を出そう。
  • 真向法、3週間前に痛めた右もも裏側筋が痛くて、あまり開脚前屈できず。年をとると治るのが遅い、と言うか、痛めてもやっているから直らない?
 以上で25分間。今日は割合熱心にやった。普通なら明日は道場でサンドバッグをやるところだが、まだ使えないのでまたジムだ。スクワットと蹴り上げ5種を行う予定。指立てもやってみよう。大山倍達先生は親指立てで100回だもんな。そうなると正拳を当てた時に一撃必殺になると言うのは梶原一騎による「空手バカ一代」に描かれた所。いい機会だから色々やるべし。



  

2011年4月25日月曜日

息子、鏡

 子供を育てると言うのは難しい。最近よく思う。小学・中学の時は父親として鷹揚に構えており、「勉強せよ」と口うるさく言う母親をなだめていた。中学3年くらいからか、息子は母親の小言は聞かないらしく、父親に言えと言うので今度は父親が口やかましくなった。

 すんなりと言うことを聞き、勉強に部活動に日々の暮らしに結果が出れば、言った親としては、満足のいく限りであるが、全くそうではない所に問題がある。何度言っても言うことを聞かないことを知り、故によく怒るようになった。そうすると息子ももう高校1年であるから、生意気に色々屁理屈をこねて従わない。それを感じるとなおさら怒る。だいたい親の言うことの方が理があり正しい。それを何故理解しようとしないのかが不思議である。言うて聞かせるのか、怒って従わせるのか、両方を場面によって使い分けているつもりではあるが、まあ怒っている方が多い。3遍同じことを言ってもできない場合は怒る。それが大半だ。

 俺たちの若い頃は梶原漫画に育てられた。スポーツに勉強に、或いは不良道でも、上には上があり、各道で上を目指そうと思えば非常に努力を要し、その努力を貴重なものとする価値観であった。主人公とライバル達の競い合う世界だった。

 だから努力せよと言う。向上心を持ってほしいと願う。いろんな場面でそういうことを述べるが、伝わらない。徒労を感じる。息子もくどく言われると面倒になるのだろう、「うんうん」と言う生返事をするだけで実行しない。そうなると余計に腹が立ち叱るようになる。少なくとも返事をしたのならば実行せよ、と。

 その後、我が身を振り返る。45歳までは色んな困難も降って来ていたから、努力をしていたと思う。それ以降はどうもイカンな。息子は我が身の鏡であろうか。

 俺は、息子の年代の時はかなり努力して勉強していた。その時の自分と今の息子を比べて足りないと思い、叱る。しかし息子の見ているのは現在の俺である。親である俺だ。俺が何となく仕事して、何となくのんびりと生活することに満足しているのならば、息子も今をそれでよしと思うであろう。そう考えれば息子の見本となろうとする親の方が大変だ。

 やれやれ。上の考え方は正しいのだろうか。俺は父親を尊敬したが、それは父である時分の彼を尊敬した。父親の少年時代を想像して尊敬した訳ではない。だからやはり俺が堂々として正しく、自らの生き方で語らねばイカンのだろうね。

 妻に、「小さくなったね」と半ば冗談で言われて数年が経つ。もう年もとったし、それでもよいかとしていたんだが。未来を切り開く気概が失われて、我が身を守るというか肯定するとなると「小さくなる」

 うーーむ。50歳を過ぎて結構辛いね。空手はひたむきにやっているとは言えるが、仕事はもう若い奴には敵わぬことも分かるし、しかし若い奴と闘わねばいかんのか・・・。空手と同じ?

2011年4月20日水曜日

どうでもよい話、禁煙

 昼休みに定番ウェイトをやる。一昨日からまた禁煙を始めているので、筋肉がつく気がする。煙草は不思議である。同じメニューでやっていても煙草を吸っていると筋肉がつかない。体重が少し減って均衡する。筋肉が落ちているのかもしれないが、ウェイトの負荷はあまり変わらない。煙草を止めると途端に体重が増える。口寂しさのガムやチョコレートの間食が増えるから体重も増えるのだが、ウェイトにより素直に筋肉も増えるのか、多少は負荷も上がっていく。

 俺の喫煙時代の体重は83K。煙草を止めて3ヶ月ほど経つと87Kくらいになる。喫煙と禁煙時代は、その体重を行ったり来たりしていた。ウェイトの負荷も見た目の筋肉も、87Kの時は増える。その後、煙草を吸い始めたらウェイトの負荷は微減した、と言ってもよいかもだが、頸椎を痛めて左腕の力が半減したり、ベンチプレスのマシンが壊れて無くなったりして、同じ比較では述べられない。今は既にバタフライなぞはMAX負荷でやっているので、煙草を吸おうが止めようがMAX負荷である。

 一日の疲れは、煙草を吸う吸わないでずいぶん異なる。一日に40本以上吸っていた時は、仕事を終えて家に帰った時はどっぷりと疲れていて、疲れた体に流し込むビールが旨かった。禁煙している時は、あまり疲れがなくてビールを飲んでも浸み渡らず、飲む量も減った。ヘビースモーカーは、仕事で疲れると言うよりも、多く吸う煙草自体が体を疲れさせる。でもその時のビールが旨いんだよね。

 煙草を止めると持久力がついてスタミナも着くのかどうかは、今まであまり実感したことがない。サンドバッグ10ラウンド以上を頻繁にやっていた時は煙草も吸っていた。不謹慎にも数ラウンドやってから会社の道場の窓際で一服し、また再開するなど、内容は激しいが精神的には気楽というより自由であることをよしとしていた。それでも2分15ラウンドくらいはゼーゼー言いつつもこなしていた。会社の空手部は気楽でよい。マット敷きの道場はいつでも勝手に使える。柔軟をやりながら煙草を吸い、同時にビデオの空手教則を見るとか、勝手気ままにやる稽古の環境としては恵まれている。

 さて、2か月前までに3カ月禁煙した。この2カ月は煙草復活して徐々に本数も増えてきた。それでもまだ1日10本くらいだ。1昨日よりまた禁煙。もとより煙草を吸わないことが望ましいのであるが、この文章で色々書いているところを見ると、煙草問題はまだ未練たらたらで解決はしていない。

 禁煙してしばらく経ったときに、煙草を試しに吸ったことは何度もあるが、煙たいだけでたいして旨くはない。ところがその1,2本を何日も続けると旨くなると言うよりも、味わうべき味として習慣になり、5本が10本くらいに増えた時に、やはり旨くなる。困ったもんだ。

 
 

2011年4月18日月曜日

息子

 また週末が終わった。土日連続して真面目に道場稽古へ行った。休みに何をしたかと尋ねられれば、空手の稽古をしたとしか答えられない。それ程、他には何もやっていない。テレビや録画しておいた映画のビデオを見てビールを飲んでいるのがほとんど。他はWebで新聞読んだり、多少読書したりである。こういう生活はいかにも休みを満喫しているのだが、少し問題ありだ。変化と新発見が無さすぎる。

 子供が小さい時はよくどこかに出かけていた。ところが彼が中学になり部活動を始めると、土日とも部活であり、家族で出かけることはほとんど無くなった。父親との会話も少なくなり、その中でも口を開けば「ちゃんと勉強せよ」的な指導的小言となり、子供は嫌がるからさらに会話が少なくなる。

 中学高校は親からの指導は嫌だろうね。俺もそうだった気がする。ところが大学生になると親が言うことが小言に聞こえなくなり、指導ならばちゃんと指導と聞こえるし、意見ならばまたそのように聞く。年を経ると言うのは不思議なものだが、息子には、きちんと大学には入ってもらわねばいけない為、指導が多くなる。彼にとっては聞きたくない小言だろう。

 大学時代、空手を修行した時は、鬼先輩からあらゆる指導、説教、しごきに近いものまでもらっていた。それが当たり前の世界だよね。未熟な者は教えを受けるものだ。それが我が息子を見ると未熟であるくせに、親の言うことを聞かず、幼いと言うか愚かにも自分でやると言って、親からの知識、方法論をすべて拒絶する。聞く耳を持たないということだ。先人の方法論を学び、自分なりに理解した上で批判的に考えなければ成長はない。批判や疑問も持てないのなら、それは優れた方法論であることを認識して、その道を辿ることが修行の道となる。

 そう言うことを説明しても、まるっきり分からないのだろうね。若くて未熟であることは、反逆であり反骨であり、だから新しい可能性を秘めていること、と思いたいが、我が息子を見ると愚かな方法を自らの小さなプライドや反抗心でやっていることが感じられ、心配ではある。

 だけど父親の俺も、空手道場に行く以外は、上で書いたノホホン生活であるから、息子は我が鏡であるか・・・。うーーむ。

 昨日の稽古、本日の稽古、特に記すことはなく、定番をこなした。
 

2011年4月16日土曜日

倒れる

 年なのに激しい運動をしていると今から書くことが起きることもある。御同輩、用心されよ。

 6月下旬の非常に暑い日曜日だった。俺は午前中からビールを飲みつつ、庭の芝刈りに励んでいた。休みの日は何と言っても昼間からビールを飲むのが楽しみだ。庭は20坪くらいある。手押しの芝刈り機で行ったり来たり。暑い中汗が噴き出て、ビールが旨い。

 その日は夕方から道場稽古に行くことにしていたので、酔いをさまさなければ車の運転ができない。そこで、酔いをさますことも兼ねて、芝目が刈り揃えられてきれいになった庭で空手の練習を始めた。前蹴りあげ、内回し・外回しをしながら庭を往復する移動稽古を入念に。天気はよく、気持ちがよい・・・が、汗も当然ダクダクとかく。上半身裸の短パンひとつある。パンチも入れたコンビネーションでまた移動稽古数種類。まあ、気ままにやるので、リラックスしてできる限り力を抜きながら、柔らかくやることを心掛ける。かれこれ1時間弱、大変いい自主稽古ができた。

 そして昼飯。腹も膨れ、ほろ酔い加減でソファーに寝そべり、録画しておいた映画を見つつも、その内眠たくなってウトウトとする。たまらなく気持ちのよい休みの習慣である。何と幸せなことだ。

 夕方目が覚めると体が非常にけだるい。稽古に行かねばならないので、今度は気を振り絞って起き出し車に乗った。随分喉が渇いていた。途中でヨーグルトを買って渇きを癒す。稽古中に飲むスポーツドリンクも買った。

 稽古。道場にエアコンがあり、それを効かすために窓を閉め切っている中、基本稽古の30分が終わった。古いエアコンでそんなに冷やすこともできす、実際運動すると暑くて汗がダラダラ流れるし、皆が運動している中締め切っているので酸欠状態も感じ、窓を全開にした。酸欠状態は脱したが、これはこれで外の暑気も入ってきて暑い。基本の後、コンビネーション、スパーリングと一通り、汗をふんだんに流しながら稽古に励んだ。途中の休憩時間ではスポーツドリンクで水分補給。

 稽古が終わってもダラダラ流れる汗は変わらず。まあ暑いし、年をとるに従い汗もかきやすくなるようで、しょーがない。

 今日の稽古も終わった、と充実感をもって、帰り道を運転し始めた。少し妙な感覚があった。スピードを出すつもりがないのになぜかスピードが出る。ブレーキをかけてまたアクセルに足を戻す、とまたスピードが出る。何か変だなと思いつつ、右折する交差点へ入り止ろうとした。ところが止めたつもりが何故か動き出すので、こりゃイカンとしてパーキングにギアを入れた。

 直進の車が切れ、右折信号になったのでさっさと右折すべくパーキングからドライブにシフトノブを入れようとしたが、これがなぜか入らない。ノブが動かない。あれれっ変だ。何で入らないのかと何度もノブを動かそうとしても動かなかった。

 足でブレーキを踏んでいないとノブはパーキングからドライブに動かせないようになっている。この時、足の感覚がマヒし始めていて踏んでいるつもりが踏んでいなかったということである。

 2回くらい信号をやり過ごした。俺の車だけが交差点の右折レーンにずっといて、動き出さない。後ろについていた車は、痺れを切らして直進レーンに戻って大回りで右折するとかした。ホーンが鳴り響かなかったのが不思議だ。故障車として皆認識して避けてくれたのであろう。

 俺も、まだ新しい車が何でこんな所で故障するのか、と焦っていた。その内何とかドライブに入り、そろそろと動いて交差点から脱出した。故障したと思っているので、スピードも出さずに慎重に運転した。稽古の名残であろうか、汗がまだダラダラと流れていた。

 いつも寄るコンビニに車を停め、アイスコーヒーを注文しようとしてレジの前に立った。そのコンビニはコーヒーを注文してカップをもらい、自分でいれる。ここでびっくり。なんと声が出てこない。俺はアイスコーヒーください、と言いたい。でも声が出ない。俺はレジの前で注文しようとして立っている、レジの若者は注文を受けようとして待っている、の変な時間をしばらく過ごした。多分口だけがパクパクあいていたとは思うが、目でコーヒーを入れる所を示し、指でも差したので、ようやく彼はカップを持ってきて俺に渡した。金を払いアイスコーヒーを入れる所に行った。

 アイスコーヒーのカップを持って車に戻った。ここでまた一苦労。パーキングからバックに入らない。本当にこの車壊れた、弱ったなぁとしてしばらくシフトノブと格闘。数分後になんとか偶然に入って、やっとこさ車をバックさせ、ドライブに入れてまた運転し出した。運転しながらさっきは何で声が出なかったのかと思い、車の中で発声練習。ちゃんと声が出るのに安心したが、不思議なこともあるものだと思っていた。やっと家に着き、車を降り、ガレージから家の中に入り2階にあるリビングに行こうと階段を上ろうとした。ところが階段が登れない。右足に力が入らない。その内階段のたもとでへたり込んでしまった。おかしい。今度は起き上がろうとしても起き上がれない。ずるずると廊下で仰向けに寝そべってしまい、起き上がれない。

 そうこうドタバタしている音を聞きつけ妻が階段を下りてきた。仰向けに寝て起きようとして起き上がれない俺に驚いている。その内俺の方は諦めてしまい、もう大の字だ。やっと気がついたのだが、右半身が麻痺している。寝ころびつつも身をよじり、左手で感覚のない右手をつまみあげてみた。本当に我が身ではない別物を拾い上げているようだった。

 妻、息子に119番せよと指示。息子慌てて110番する。うーむ、ドジな奴だ。俺に対してはじっとしていろの指示。俺がまだドタバタしているようだったので、息子に俺の頭を押さえつけるように指示。顔も汗だくだったので、息子は人差し指一本で俺の額を押さえつけていた。まったく失敬な。まあ、俺の方ももう起き上がれないことは十分分かったので、息子の人差し指に額を押さえられれたまま、観念して仰向けに寝ていた。

 3分から5分くらい経ったような時間感覚なんだが、右の指が動く感覚を得た。それから少しずつ感覚が戻り、やっと上体を起こしその場に座ることができた。

 しばらくして救急車が到着。その時には立つこともできていたんだが、担架に乗せられて救急車の中へ。そして病院へ。もう十分回復してはいたが、点滴や検査を経てそのまま1週間入院するはめになった。病院に運び込まれた際に、看護師さんが書いたメモには「脳梗塞」とある。実際の病名は、一過性脳虚血発作である。

 右半身不随の状態は、階段が登れない時から倒れこんで後の数分のみであり、それが過ぎたら脳への血流も戻り完全に回復していた。
 入院中、iPhoneでWebサイトを色々調べ、一過性脳虚血発作に見られる症状がきちんと起きていることが分かった。発汗をコントロールできなくなり、失語になり、右半身不随になったということ。

 今から思えば、完全に右半身不随になるのが家に帰ってからでよかった。帰り道の車の運転でも右足の感覚がかなり鈍ってしまい、ブレーキを踏んでいるつもりが踏んでいなくて、パーキングからドライブやバックにシフトできなかったということだ。しかしその後、アクセルを踏んで実際にスピードを慎重に保ちながらも運転できていたし、家に帰って、階段までは歩くことができていた。途中で起きた声が出ないと言う失語状態が大変おもしろい。アイスコーヒーくださいの一言が頭の中に準備されているのだが、声に出ないもどかしさ。レジの人としばらく見合う変な時だった。

 CTスキャンを一回すれば診断は下せるのに、1週間も入院せねばならなかったのはどうも馬鹿げている。入院の終わりの方でやったCTによる血管造影では異常なし。ただ脳の血管が年のせいもあるがとげとげしく固く見えるそうな。血栓はどこにもなく、結局、脱水気味になり血液がドロドロに濃くなって脳の血流がスムーズに流れなくなったのが原因だそうだ。まあそんな所だろう。ビールは利尿作用があるから脱水作用を進める。暑い中汗だくになりながらの芝刈りと空手稽古。その後の昼寝、寝る間は水分を出しているのでこれまた脱水を進める。起きて喉の渇きを覚えた時に、すぐスポーツドリンク飲めばよいのに、なぜかヨーグルトを飲んだ。これでは水分の速やかな補給にならない。また稽古前半の酸欠状態と暑さによる大量の汗。稽古途中ではスポーツドリンクを飲んでいたが、すでに進んでいた脱水症状には足りなかったのであろう。もうその日は午前中から脱水になることのオンパレードだった。
 
 脱水症状をなめちゃあいかんよな。脳梗塞になると大変だ。俺の場合は、一過性脳虚血発作という脳梗塞手前で終わったのでよかった。今から30年以上前は、より疲れるからということで運動しても水を飲むのは禁止だった。何と危ないことか。

 退院後の翌日、会社の空手部の合同稽古にておっかなびっくり指揮を執った。2リットルのスポーツドリンクをがぶ飲みしつつ。退院即運動というのも、よくやるもんだ、ではあるが、入院期間中は5体全く健康であり力を持て余していたから、久しぶりの運動は、おっかなびっくりの感覚さえ除けば気持ちのよいものだった。

 体が動いても脳がもたない、というのは衝撃の経験である。それまでは歯を食いしばって倒れるまで稽古をすることが強くなる王道であったのだが、これからはなんと本当に倒れてしまうということだ。運動にはある程度慎重にならなければいけないと思った。

 それからもう10カ月経つ。あの時は、1日の行動がすべて脱水に繋がるものであり、その間マメに水分補給しなかったことが原因である。すべての行動が重なって初めて起きたものとしている。血管の老化を早めそうな煙草を止めればなおよいが、この10ヶ月間2回ほど禁煙にチャレンジし、今だうまくいっていない。

 今はかつてと同じように普通に激しい稽古もしている。ただ、頭の隅で限界までの追い込みを控える気持ちがあるとは思う。もう年だもんね。やり過ぎて体を少々壊すのならまだしも、脳梗塞になって死ぬか半身不随は、当然ご免蒙りたい。

 

2011年4月13日水曜日

ある週末

 昨日の土曜日は二日酔い気味でどうも体調と気合が乗らず、稽古を休んだ。今日も朝寝を十分し過ぎて体がだるくなったが、何とか夕方からの稽古に参加した。稽古は定番メニュー、基本、コンビネーションの移動、型、約束組手、スパーリング。
 約束組手は、
  • 攻撃: 右下段回し。 受け: 脛受け、右下段で返し、さらに左上段
  • 攻撃: 左中段回し。 受け: 脛受け+右腕添え、斜め前に出て右中段回し
  • 攻撃: 左前蹴り。 受け: 左払いから裏投げ
 稽古後、30分近くサンドバッグを蹴る。中段回し蹴り、前蹴り、膝蹴り、その後はパンチのコンビネーション、さらにパンチから蹴りへのコンビネーション。まあまあ定番をこなした。スピード出して全力で蹴っていたが、左の回し蹴りの場合は少々力みがある。右は素直に蹴れてはいるが、威力が伸びていない。まあ1週間に1回やる程度では伸びはしない。

 相手との技の掛け合いの研究をしないともうあまり伸びないだろうね。俺の場合、一人でサンドバッグをやる稽古が多く、スパーリングではその鍛えた技を力を入れて出しつつ、闘いをビビりながらも楽しむと言うか、そんな風にやっているだけなのでこのままでは伸びない。技を試すと言うか、相手の出方を注視しカンを養うというような研究心が必要だ。

 「技の掛け合いの研究」を意識した稽古をしよう。そこには間合いの研究やフェイントの使い方も入る。何本かのコンビネーションの内、極めるのはどれか、とか。

 一方でK1にしてもボクシングにしてもプロの試合を見ると、相手の隙を作る技と、当たれば相手もそれなりにダメージを受ける技がほぼ同一で、フェイントの為だけの技はかなり少ない。さすがはプロなんだちゅうことだ。技のストーリーを持ちつつ相手の反応に合わせて融通無碍に変化する。こう言うことを会得するにはどうすればよいのであろうか。ひたすら稽古であると言うのも分かるが。サラリーマン空手家としては、一日中稽古する時間と情熱はないので、何かしら科学的で効率のよいやり方と言うのがないのか、考える。

 攻防を見せるビデオはある。それを見て研究して納得がいき自分に合った攻防の技があれば、それを普段の稽古で試すし、反復して身につけることがまずやることであるし、実はそれしかないかも。頭で納得した後、体が自然に動くには少なくとも1000回の反復が必要であろう。

 一つ不思議なのは、宇城師範の言う身体脳であり気である。古伝の型を反復することが第一と言う。呼吸法はその中に入っていて、気を養うには呼吸であるらしい。このやり方には、上のように実際の技の攻防を反復することで身につけるという考え方がない。宇城師範の闘いを見ると、「先の先」「後の先」の両方で相手を制圧する。見ている限りは、相手が動く前に機先を制して自分が動いて制圧してしまうから「先の先」に見えるが、実の所、相手の気配を察知してそれが具体的な動きとなる前に制圧するから「後の先」であろう。

 少なくとも本日言えることは、闘いに強くなる為にはスパーリングの量が必要であり、むやみに闘うのではなく研究しつつ行うことである。

2011年4月8日金曜日

復興支援

 東日本大震災からもうすぐ1か月が経つ。死者・行方不明者合わせて2万7千人を超えていると思う。数字の集計の間違いが見つかり、今日はどのサイトを探してもそのUpdateはなかった。

 雑誌の記事には、津波が引いて歩いた所に子供達の遺体が散在していたことが書いてあった。TV報道では見せないが、電信柱に遺体が引っかかっていたり、目を覆う惨状であったそうだ。生きていた人々が無残にも・・・の風景を想像する。我が家族や親戚がそうなったときの嘆きを想う。唯、合掌。

 震災以来、TVは避難所の人々をよく映している。最初は食べるものも届かず、次に薬が届かず、とあったが、しだいに援助物資の補給はよくなっているようだ。だだっ広い避難所―学校の体育館が多い―につい立を経て、プライバシーの保護もかろうじてできるようになってきたとの映像もある。娘さんが布団にもぐりこんで着替えなくてよくなってよかったとの家族の言。

 TVのインタビューに応える人々は「神々しい」までに忍耐強い。泣き喚きもせず淡々と不自由を訴えつつも、援助に感謝する言さえ出る。被災者同士助け合いながら集団生活を営んでいることも報道される。東北人の忍耐だ。表に出ている情景よりもはるかに苛酷である環境を忘れずに想像しなければいけない。

 自粛ブームが地震・津波・原発被害に続き、第4の災害であると説かれ始めた。被災地の方々からも度を越した自粛はしない方がよいとのメッセージがある。それはそうだろう。消費をして経済を活性化しなければ暗く小さく貧しくなるだけだ。瞑目して被災の方々を想い、しかる後に初めて普通の消費生活をすべきである。忍耐強い東北の人々に思いを馳せて、その後だ。

 義援金が集まっている。金のある所にはあるし、普通の人々も今回の大災害には多くお金を出す。より多く集め、被災者に配り、必要なものをどんどん買い込むことで経済も多少回復する。早くお金を回すべきなのに、配分手法が定まらず停滞しているそうだ。経済だけの観点で述べれば、多くの人々が義援金としてタンス預金を引き出しているはずで、それを復興資金に充てれば消費の規模が大きくなる。それによって企業も復活し、再びグローバルに活動できる足腰が戻ればよい。復興により経済を回復させる戦略が必要である。

 今は被害を受けた企業が活動を再開できずに、負の部分があるが、復興資金を注ぎこんで、企業活動にも、そして被災者の方々の生活にも、多く与え廻すべきである。

 震災から1カ月も経ち被災の方々は今後の生活への不安が増す時期だ。1億2千万人の国民が支援すべきである。TV報道を見る限りではその雰囲気はあるが、持続して続けなければならない。

・・・・・・・・・

 これを書いている時に、大きな地震があった。宮城県で震度6強。埼玉の我家で震度3である。3月11日以来余震が続いているが、その中でも最大のものである。まだ震災は続いている。

・・・・・・・・・

 本日のトレーニングはスクワット100回のみ。昼休みは何となく仕事場に残り、トレーニングせず。会社での夕食前にジムに行き、何とかやった。昨日ウェイトをやったので本日は別の部位をウェイトするか、道場が直っているのならばサンドバッグをやっている所だが、まだ使用禁止なのでできず。これからはちゃんと別の部位を鍛える日にしよう。

 

 

2011年4月6日水曜日

道場訓

 いつものウェイトトレーニングを昼休みと仕事後に分けて行った。先週の道場稽古が久しぶりだったので体が無理をしてしまったのであろう。右腿の裏側の筋を少々痛めたようで、柔軟(真向法)の開脚前屈ができない。前屈しようとすると痛みが走るので、大事をとって限界まで広げる柔軟をしていない。

 さてさて、武を以て生活する、に最近こだわってしまっている。理屈の記述も多い。その、武を以て・・と言うことは具体的にどういうことだろうかと考え、
  • 物事に真剣に取り組む
  • 人には誠意を尽くし交わる
  • 困難に遭って逃げない
というシンプルな3カ条を作った。当たり前のことであり、別段「武を以て・・・」とわざわざ言う必要もないことだろう。つきつめると当たり前のことになる。

 空手の武の考え方が現れているのが道場訓である。いくつかの道場訓を挙げる。どれをとってもいいことを言っている。そのように日常をおくれれば、空手(武)により自らを修めることができる。とは言え、日頃から徹底的に沿うように生きるのは難しいことだろう。まず頭の中に常に置いて、自覚的に行動しなければならない。俺は「武を以て生活する」と、さんざこのブログで考え、書きながらも日中よく忘れている。

 極真会館の道場訓。

一.吾々は心身を錬磨し、確固不抜の心技を極めること
わたしたちが、空手を修行する目的は、自分自身の体と心をきたえることにあり、真剣にけいこに打ち込むことで、どんなことにも動じない心と強い意志を習得して行かなければならない。

一.吾々は武の神髄を極め、機に発し感に敏なること
わたしたちは、武道としての空手の道を徹底的に追求していくことで、どんな状況でも臨機応変に対応する力と相手の心を理解する思いやりや優しさ、どんなことにも素直に感動できる心を身につけなければならない。

一.吾々は質実剛健を以て、克己の精神を涵養すること
わたしたちは、自分自身を飾ることなく、真面目で素直に空手の修行に打ち込むことによって、自分自身に打ち勝つ強い心を養っていくことを心がけなければならない。

一.吾々は礼節を重んじ長上を敬し、粗暴の振る舞いを慎むこと
わたしたちは、礼儀を身につけ、目上の人を敬い、人前で空手の力を誇示するような行動をとってはならない。

一.吾々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること
わたしたちは人間の力が及ばない自然や宇宙の摂理を重んじ、神や仏を敬い、相手のことを大切にし自分を謙遜する態度を忘れてはならない。

一.吾々は智性と体力とを向上させ、事に臨んで過たざること
わたしたちは、空手の修行によって知性と体力を向上させ、どんな状況でもあせらず、冷静に対処できるようにならなければならない。

一.吾々は生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うすること
武道としての空手の修行は、一生かけて追い求めるものであり、一生を通じて極意に一歩でも近づこうとする姿勢、それが極真空手の本義である。

 新極真の道場訓も同じである。
 次に芦原会館。
  • 礼節を忘れない事
  • 努力精進を怠らない事
  • 心技の向上を図る事
  • チャレンジの精神を持ち続ける事
  • 常に反省を忘れない事
  • より正しい空手の道を全うする事
 続いて正道会館。

一般部 正道八ヶ条
一 吾々は、心技体を研く場こそ道場としるべし。
一 吾々は、収めしままの刀は錆びつくと知るべし。
一 吾々は、己が力を誇示せず、自制の心を持つべし。
一 吾々は、物事において後悔せん事を宗とするべし。
一 吾々は、押忍の精神を宗とするべし。
一 吾々は、世の中の静と動を見極めるべし。
一 吾々は、文武両道を以って有言実行を成すべし。
一 吾々は、日々精進し、正道の道を極めるべし。

少年部 正道八ヶ条
一 人とむやみに争わない事。
一 人の悪口を言わない事。
一 人に偉そうにしない事。
一 人に感謝の気持ちを持つ事。
一 自分の知っている事は、他人にも親切に教えてあげる事。
一 自分の間違いを改め、良いところを伸ばす事。
一 自分自身に自信を持つ事。
一 家族・仲間を大切にする事。

酔考、しょーがねぇな

 昨日も書いたが、武を意識して生活するのは中々に慣れないと言うか、すぐ忘れてしまう。いかに安易で機械的な日々を送っていることかを、却って思い知らされる。

 大仰な言い方であるが、本当に生きているとはどういうことかと、50を過ぎて改めて考える。10代の頃から何度も考えてきたことであり、年を経るに従い、答えが薄っぺらになってきている感がある。

 産業革命以降、人は生産する為に生きている。それ以前は食べる為に生きた。農民や漁民が食物を作り、それを王達がよりうまいものを食べる為に・・・「搾取」という言葉には時代的な抵抗があるが、当たらずとも遠からずで、領民から分捕って豊かさを得ていた。上手いものを食って享楽を作り、本能的な欲望でもって、その奪い合いの戦争もした。ライオンは食べる為の群れを作る。群れと群れは時折衝突するし、オスは群れを奪おうと闘いを挑む。民主主義なるものが成立する以前は、人間の群れも似たようなものだと思う。乱暴な論理かもしれないが、縄張りを広げる為の戦争の繰り返しはそういうもんだろう。

 さて民主主義、そして産業革命だ。農地の肥沃さにより違いはあれど、広さにより自ずから限定される生産物の奪い合いよりも、より富を生む生産手段が発明された。ある意味、青天井になり得る技術革新である。とすると、領土ではない。富を生むことのできる人そのものが大事になり、教育や制度がその富の産み方を規定するようになった。昔なら一国の王が他国を征服しなければ得られなかった富が、ある人の発明した技術革新において同等以上得られるようになった。この時点で領土の奪い合いはナンセンスになる。無論人を含めた領土を奪えばよいのだが、近代歴史では却って手に入れた人の才能を減じてしまうか、亡命により得られないことが事実としてある。

 思想としての民主主義を成すことができている経済体制は、今、資本主義のみである。かつて領土の奪い合いの闘争が、資本の世界の発明、経営の競争に転じた。それは、弱肉強食であったとしても殺し合いではなく、人が成す生産と、その成長への競争である。つまり人が中心という民主主義だ。民主主義は国民主権云々と規定されているが、それは確かにそうとして、今は生産の変遷から論じている。いずれにせよ人が中心と言うのは悪いことではない。

 アラブ世界にて、最近「民主革命」なるものが起きているとは言え、まだ王政や独裁制を許しているのは、所有する土地に膨大な富を生む石油があるからだ。そこでは領土そのものが富であり、人ではない。従って民主主義でもない。

 さて、随分話が変な所に行ったが、もともとの疑問に戻ろう。会社に行って働くことは生産活動である。技術開発は企業の浮き沈みをかけた闘いでもある。だから何らかの良きものを生産する為に俺は生きている・・・・・。それでよいのか、という問題提起である。

 本当に生きていると言うのはどういうことか、と。若い時には生きる目的や価値を考えた。その考えの中には人の役に立ちたいという思いもあった。人々の幸せの為に尽くせればとか、平和の為だとか、そういうような思想があった。この考えと今従事しているルーチンの生産活動が、素直に繋がらないのである。無論、毎日の仕事を真面目にやることによりなにがしかを生産し、それが本当に微力とは言えども企業のアウトプットに繋がり、結果世の中を豊かにすることになればよい。それを十分意識できるような生き方ができれば幸せなことだ。ただ俺は、毎日目の前のやるべきことに終始せざるを得ない生活をおくっている。組織の生産活動のごく一部の使命を果たすことに終始している。それが俺の生きると言うことであろうか?・・・という疑問である。

 ホント――に長い長い文章の説明を経てしまった。実に単純な質問に対して。

 人が生きると言うのは、ライオンや猿の縄張り争いから、富を生む技術革新の競争に形が変わり、さりとて本質は、うまいものを食うという表現でもよいが、富を得ることが目的にあり、そういうもんでよいのか、と言うことである。子孫を残す生物としてより有利な環境を作らねばならないということはある。より生産し富を生めば、子孫を養いやすいはずだ。ところが、先進国になればなるほど子供たちの人口が減っていく。不思議なことだ。

 ここまで書いては来たが、本日の思索は、既に酔っぱらっていることもあり、保留とする。

 もともと俺の考えたかったことは、武の心をもって日常を送るには、である。何かしら自覚して、何かしらその延長上に真理があるような、そんな生き方とは、だ。 

2011年4月5日火曜日

武とは?

 本日も割合まじめに仕事をして帰ってきたが、帰り道、車を運転しながらホトホト俺は言ってることとやっていることが違う、と反省する。

 生活を武の観点でやろう、と以前書いたはずなのにすっかり忘れていた。すっかり忘れて普通の生活をしていた。

 武の観点の生活とはなんだろうか?
  • へまをすると切腹すべしという緊張感を持って物事にとりかかる?
  • 柳生無刀取りの極意で、柔らかく受けに回り相手を決して殺さない。(が制圧する)
  • 活人剣の発想で、人を活かす。
 厳密な意味の活人剣とは、柳生宗矩の定義では、一人を殺すことにより万人を活かすこと。これは政治であり法とも言える。極悪非道の輩に死刑の断を下すことは、罰であることよりも周りの人間の物心両面の平安を維持することであろう。宗矩のオヤジの石舟斎の言では、相手をまず動かせて後の先を取る意味で用いるらしい。より戦国に近い、闘う意味になる。

 俺はずっと誤解していたようだ。武を究めれば相手を活かすことにも繋がるというように解釈していた。だが剣はあくまでも自分を守る為であったか・・・ちょっと狭いよね。剣は形而上ではなく物理である。命のやり取りの道具であった。剣を使わず思想を述べていれば、その間に殺される。まあよい。俺は今まで解釈していた、周りの人々を活性化する意味で「活人剣」を用いることとする。そう言うことが武の極致ではなかろうか。
  • 武は己を厳しく律する規範である。
  • 好敵手を認め、互いに向上しようとする意志である。
 まあ、あまり多くを出すと、また文章だけになって行動にならないのでこの辺で。全力を傾けること、緊張感の上で五感を研ぐことが日々の生活で肝要。また受けると言うこともポイントであろう。受けると言うことは、空手に先手なしと言われる、まず受けから入る後の先のことである。そう言うことを日々真剣にやると言うのが武の道だ。難しいのはそういうことを忘れず、常に意識して行動すること。人は1秒間に60回死ぬというのを漫画で読んだことがある。ボーっとせずに濃い命の時間を自覚しておくるということが大切だ。

 昔、命の軽い時代、そこでは生きる為に武があった。たとえ負けて死ぬ場合でも、それまでには濃い命の時間があったことであろう。

 うーむ、やはり武を論じると能天気に幸せを求めることはできないねぇ。厳しい。俺は本当のこと言うとそっちで夢見ていられればよいのであるが。

2011年4月4日月曜日

風邪あけの稽古

 風邪も治り、3週間ぶりに土日と連続して道場稽古に行った。

 土曜の稽古では、新しく中学生になった子供達が一般部の稽古に参加し、人数は10数人と多かった。オヤジは数人、10人余が中学生だ。彼らは少年部で技を鍛えられており十分に上手い。指導したのは研究熱心で理論派のH指導員だ。稽古もゲーム的要素を入れ込み、おもしろかった。

 片手にはめるキックミットを両腕に装着した相手に向かい、1,2パンチを2セット。さらに1,2の後左フックを入れた1,2,3パンチで2セット。互いに右腕にはめ、順突きだけの攻防を2セット。また両腕にはめ、左の前蹴りと左順突きの連続技で2セット。

 初心者はともかくきちっとミットにパンチを叩きこむことの練習であり、上級者は間合いを意識して実戦の感覚でやらねばいけない。フットワークも入れるので、軸の安定、かつ上体の脱力と打つ時はノーモーションであること、そして間合いコントロールを考えつつやるべき練習である。左の順突きを当てる時に間合いも測る。相手が下がり、遠目で軽くあたるようだと逆突きは大きく踏み込むべきだし、相手が下がらず、近くで強くあたるならばその場で逆突きを叩きこむ。左の順突きをセンサーの意味も兼ねて出すことを意識しないといけない。1回だけでなく、何度も練習に入れて反復することが必要であろう。今度俺が指導する時もやるようにしよう。

 日曜は支部長指揮の稽古であった為、定番メニューであった。基本稽古の後、コンビネーションを入れた移動稽古。1、2パンチで前進。1、2、膝蹴り、1、2、前蹴りで前進。その後は型と約束組手。最後にキックミット1分を2セット。

 少年部から上がってきた中学生に回し崩しを教えた。円心空手では引き崩しと言う。芦原空手を源流とする技である。相手の袖口の下を右手で掴むと同時に首根っこに回した左手で相手を引いて崩しながら自らは右に回り込む。芦原空手をやっている時にはよくやった。相手を崩すには押すよりも引く方がより相手のバランスを崩せることを実感して感心したものだ。芦原空手ではそのまま巻き込み投げという技に入る場合もあるが、一般的には崩して下に抑え込んだ相手の顔面に膝蹴りを入れ、その結果相手の顔面が上がると今度は上から肘打ちをするという非常に怖ろしい技である。

 土日の稽古は、一部指導にまわることもあったが、ほぼ俺も稽古メニューに参加し、久しぶりにやった内容としては妥当な所であった。基本技と基本的なコンビネーションを十分にやった。これからまた以前考えていた体捌き、つまり腰を寝かして前に出して蹴りの伸びをつくるようにするとか、得意技の右中段からのコンビネーション、またパンチで倒すコンビネーションを思い出しながらやって行けばよい。

 久しぶりに道場にあるサンドバッグを稽古の前後に蹴ってみたが、前より足が上がるように思えた。これは動的ストレッチとしてやっている真向法が効いているのではないだろうか。稽古中の横蹴り上げも以前より足が上がっていると思う。いいことだ。

 サンドバッグは、以前述べたが、全力で蹴り込み、全力で突いた。それによってまず筋力を鍛える。それができればより脱力とスピードを意識して、当たった瞬間に極めとして筋肉を締めるようにするのだが、本日はそこまではできなかった・・・というより、そのことを忘れていた。特にスピードを出すことに留意するべきである。とかくサンドバッグは当ててから押しこんで破壊力を感じることの方に留意してしまい、空突き・蹴りよりのろくなる。当てる前も速く、当てて絞って極める。これを忘れずにやることだ。最大限のスピードで当て、最大限に筋肉を絞って極めることが肝要

 試合への申し込みがまだ間に合うかどうかは尋ねず、結局春の試合はパスすることにした。うーん、ちょっと逃げた感があるが、稽古を積み重ねて秋には出よう。その時には、今の調子で体を柔らかくして上段を軽く使えるようにして万全で臨むべし。

 風呂場でスクワット80回(体洗い時)+50回(洗髪時)をする。

 空手の教則ビデオも見たし、久しぶりに空手漬の週末をおくった。