自動車業界は7月から9月一杯まで、休みが土日ではなく木金となる。小生はその業界で働く者であり、最初の木金の休みが過ぎた。今日は日曜日だが仕事だった。
空手の道場稽古は、木曜は午後8時半から、金曜は午後8時からである。木曜に出ようと思ったが、ついついビールと晩飯を選んでしまいサボり。金曜は何とか出た。皆どうやっているのだろうか? 健康的な生活としては、午後6時から夕食をとれば消化も済んだ頃に練習となり、ちょうどよい。しかし晩飯にビールは飲めない。困ったもんだ。
今まで土日の稽古に参加していたが、これから3ヶ月は木金となる。
本日の稽古は、基本の後は、約束組手4種。これで1時間半が過ぎた。新しい約束組手なので順番を身体に覚えさせることから始め、何度もやればそれなりに時間もかかる。
稽古前に15分程度サンドバッグをやった。まあそれも合わせるとまずまずと言える稽古の分量だ。
「沈まぬ太陽」を観る。山崎豊子氏原作の映画である。3時間を超える長い映画なんだが、どうも何を言いたいのか、見せたいのかが分からぬと言うか、映画だからであろう、ちょっと浅いエンターティメント風味だ。または言いたいこと、見せたいものが多すぎるのであろうか?
JALをモデルとしたナショナルフラッグキャリアの航空会社、国民航空の労組委員長が主人公であり、あまりにも強く会社にたてついたために、左遷の会社生活をおくる。ほとんどイジメに近い。パキスタン駐在からイランへ、そしてケニヤへと回され、日本に帰って来た頃に御巣鷹山墜落事故が起り、被害者の家族の世話に奔走する。その後、国民航空の経営改革の為に外部から来た会長の右腕となり、怠慢経営の一部を暴くが、政治家も絡んだ末に会長が辞職すると、結局またケニヤへやられる。会社組織社会の愚かさ、欲深さに翻弄されつつも、最後にケニヤの大地で悟りと諦めの入り混じった感覚とともに、大自然の与える何らかの肯定を覚えて、物語は終わる。やはり最後は悠久の大地、自然か・・・、これしかないか、ないのならしょうがない。
原作は違うと思うが、映画はちょっと・・・陳腐である。墜落という大事件は悲劇である。その悲劇から学ばずに、相変わらずナショナルフラッグキャリアの国民航空は経営を変えようとしない。会長を除くと、能天気で権力闘争の好きそうなバカ者ばかりの経営陣である。この辺は映画的なデフォルメであろうとは思う。しかし「本当にそうか?」現実がこの映画の世界と似たようなことならば、そもそも存続してはいけない会社である。似たようなもんだから、それから25年経ってようやく破綻してしまったのであろうか。
うーん、映画を見て現実を推し量るのは大変よくないことだが、これは現実に存在する会社や人をモデルにして創作する物語の、読者・視聴者に与える危険性であることは確かだ。
ナショナルフラッグキャリヤの意識がある限りは立ち直ったとしても一時のことであろう。働いている人が悪いわけではない。そこに縁故採用というような小さなものから大きなものまでの利権があるから、結局食い物にされて上手くいかない。
民間に任せて上手くいく場合は、明らかに客観的な世界的競争がある場合である。我々の自動車産業は、世界的な競争の中にある。少しでも未来の設計図をかけるもの、苦労を経て真実を述べられるものが、それなりにちゃんと経営陣として居ると思う。そして檄を飛ばす。最近は昔と違い柔らかく表現に気をつけた「言葉」である。そうして上から下まで世界的な競争と危機感を共有する。
そんな公平な競争の中で、自ら誇るよいモノを作れ、それが世の為人の為になって行く、という純真な精神と世界観を創業者は残した。青臭い議論でもOKである。むしろ青臭くないと先に進めないような世界観だ。
USのある会社は粉飾決算を成し、一時的に株価を上げて株主を儲けさせるだけ儲けさせた後に、発覚して会社をつぶすということがあった。最後まで株を持っていた人は大損である。モンスター資本主義の奴らは上手くやってしまったのであろう。これは詐欺という犯罪である。
組織、会社の理念が大切であり、理念に沿って実行できているかどうかの自己チェックが常時必要であることが分かってくる。
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