小生は現在52歳。もろ梶原一騎の世界で少年時代と青年時代を送った世代である。我々の世代に対する彼の影響力は、感動した文学よりも親からの説教よりももっと大きなものがあったように思える。
50歳で死んだ梶原一騎よりも俺は年を経た。だが、彼の人生と作品の濃度は生半可ではない。比較して我が身の時間の薄さに嘆いてもよいのだが、そもそも比較する気も起らぬ。彼の作品の中で我々は成長してしまったのである。作品群は我々のビッグファザーであった。
小学低中学年の時は「巨人の星」、思いこんだら試練の道を・・・という歌詞は、うさぎ跳びのアニメの背景と共に頭に刷り込まれている。この同時期に「紅をよぶ拳」というのもあった。へなちょこ中学生がたこ部屋に入れられる等のすさまじい経験をしながらも、空手の強さを極めて行く物語である。そう言えば、「夕やけ番長」もあった。こっちの方はもっと古い。
小学の中高学年の時は、「タイガーマスク」。これも歌とともにアニメの風景まで思い浮かぶ。虎だ虎だ!虎になるんだ・・・のオープニングから、それだからみんなの幸せ願うんだ・・・と言う伊達直人の、闘っている孤独と理由を表したエンディングまで。
「赤き血のイレブン」も読んでいたが、これは最初の方で非常におもしろいと思ったことと漫画の独特のタッチを覚えているだけだね。
中学になると何と言っても「明日のジョー」と「空手バカ一代」だった。「明日のジョー」に関しては、文学作品と言っていいくらいの、登場人物一人一人の存在が際立つ無数の情景がある。ながーい映画にしてもよい、決して2時間やそこらじゃ終わらない。名作である。中学高校の思春期にリアルタイムでこの作品を読んでいたことの意義は大きい。反抗だとか反骨心は、オヤジからも学んだが、この作品から身につけてしまったことも多いのではないかと思う。
空手バカ一代の途中から、梶原一騎という人物自身が表に出てきた。漫画原作者と言えども、知識人ととしてのマトモさや繊細さを想像していた若き小生にとって、角刈り頭で身長185の大男であったことはまったくもって意外であった。さらにサングラスをかけたこわもて。ええーっ、こんな人がこんな作品を作っているのか、とびっくりした。空手バカ一代でも、つのだじろうが作画している最初の方は、大山倍達を訪ねて話を聞くという、原作者として謙虚な態度で節制して登場している。原作者が漫画に登場することは珍しく、メインストーリーのサブであるからちゃんと節制されていた。ところが影丸譲也の作画になった後半部分は、実物の写真も含めて例のこわもてで登場し自らの存在感を示すのが多であった。
どの時分から梶原は変わっていったのであろうか?
極真空手や格闘技の世界に入ってきて、梶原一騎の作風が変わった。
ガタイはよいが繊細な神経を持っていた男が、そんな神経は関係なく、強いということが正しいと言う世界に入ってしまった。単純であることはそれまでの複雑さに比べて美学とも言える。複雑さというものは判定できないからはっきりしない。強いか弱いかだけの単純化された世界は美しく、男どもが全霊を傾ける価値があるのである。
梶原自身、自伝とも言える「男の星座」で、柔道少年であったが、ある事情で暴力事件を起こし、少年院に入ったことを暴露している。元来持っていた「暴」を封印して、漫画原作者の世界に入り、さらに純文学も志向した。元々純文学の方をやりたかったと言う。「文」と「武」、両面が彼の人生に長い周期で現れているようだ。もうひとつ、「男の星座」で述べられているのは、「文」が成り上がるすべだったことである。一人の闘争者がそれを手段として用い、成り上がった後には、「暴」を出してしまったとも言える。武道やスポーツの持つ精神性をどんどん感じなくなってきたのが残念でしょうがない。巨人の星の時代から、あれほど鮮やかにスポーツの精神性を表して、我々に大きな影響と学習を与えてくれた梶原の、後半の作は「空手地獄変」のアナーキーさであった。
スポーツの精神性とは、頑張れば何とかなるという、当時の日本人が目指し行動した価値観と一緒である。漫画のヒーローの世界は一流を描くから頑張る度合いは尋常ではないが、一般人とてひたむきに必死でやれば勝利を得るのである。そして、それほどやっても敗戦というのは確実にあり、またそこから学び不死鳥のように立ちあがる。勝って負けて、またナニクソと立ちあがって勝ち、レベルが上がるとまたもや強力な敵が現れ負けるのである。そしてまたナニクソと。彼の描くストーリはその連続だった。江戸時代に異国の侵略を受けそうになり、維新を起こし富国強兵に頑張り、そして戦争が起き、焼け野原の敗戦、またそこから立ちあがった俺達のオヤジや祖先の時代の有様がある。それをスポーツの世界で、追体験させようとしたのであろうか。
梶原の原点には力道山という存在があったようだ。敗戦国民に頑張れば何とかなる、アメリカ人レスラーを倒す喝采。プロレスという場面に過ぎないが、時代の目標を代弁していた見事なる一致であろう。そして大山倍達。大山倍達自身もまぎれもなくヒーローであるが、梶原は力道山亡き後の、それに擬した存在として描こうと始めは思ったのではなかろうか。
ものすごく不思議なことに、力道山も大山倍達も、戦前の日本国民ではあったのだが、元々は朝鮮人であることだ。その彼等から日本武士道を教わっている。力道山は直情型で色々事件を起こしたそうだから、武士道という精神性とは少し離れるかもしれないが、命と存在をかけて生きるという究極の一点では、武士道である。世界は平和安穏ではない。日本人はその求める所を持って闘わなければならない。
昔百済から仏教が渡ってくると同時に渡来人も大勢来て、朝鮮半島から何かを教えられると言う日本の姿か。ちょっと無理やり説明の感があるね。力道山も大山倍達も彼等の出自は隠していた。しかし我々は教えられて消化する才能には非常に長けている。
オーバーであろうが、ヒーローとして彼等の姿に似ている日本人を挙げよと言われると、坂本竜馬と織田信長あたりが浮かぶ。本田宗一郎もいる。自らの信念に従って存分に我がままに生き、世の中を変えた愛すべき方々である。(織田信長はおっかないが)
えーと、さて、話題を戻そう。何だったけ?
今はスポーツに科学が導入され、梶原の表した泥臭い根性論は背景に潜んでしまった。才能のあるスポーツエリートは、表面に泥臭いものは出さないかもしれない。でも俺は結局、梶原の時代と何にも変わらないことを知っている。ひたすらにひたむきにやらないとモノにならないのは、当たり前のことである。そんな泥臭さが真実としてあることを何故スポーツエリートは言ってくれないのであろうか。
我々の時代は、しっかりしていて行儀のよい石川遼君よりも、やはり江夏?(無論、長嶋・王はヒーローであるが) まあ、年寄りはそろそろ退場願おうと言う、若い人のまっとうな言葉が聞こえてきそうだ。
「明日のジョー」の反骨、これがあまりにも我々の時代に合ってしまった。だから、アウトローとも言えるヒーローを讃えてしまうんだろうな。きれいさっぱり行動も模範となるヒーローではなくて。
0 件のコメント:
コメントを投稿