ニコラス・ぺタス氏の「SAMURAI SPIRIT 空手」を観る。NHK BSでの放映であった為、観たいが観られぬと諦めていた所、YouTubeにアップされているのを発見し嬉々として観た。
大変良い内容であった。
先に言ってしまうとその後に続いた「SAMURAI SPIRIT 相撲」はもっとよかった。やはり日本の国技としての相撲は何かある。その最高位の横綱のオーラのモノ凄さよ。白鵬関、まだ20代だよ!何と言う貫禄、何と言う人間力。相撲取りとして闘うことが人生であることを体現する存在、やはり格闘の神みたいなもの? 相撲は日本古来の神事でもあり、神に奉納する人間の在り様としての格闘であり、あえて言えば「和」としての格闘と言ってもよい。「和」と「闘い」は反対のものであるが、神の目の前では人の営みとして同時に存在する。それを奉納するのが相撲である。人が力一杯生きて存在するすべを神への余興として見せたのであろう。「余興」と表現すると軽いが、何せ神へ捧げるもの。軽いどころの話ではない。「神事」である。
空手について述べて行くが、武道の目的とする平常心、それも完膚なきまでの平常心を横綱に感じた。やはり神事としての相撲の最高峰は違う。
さて話を「SAMURAI SPIRIT 空手」の方に戻す。
ぺタス氏は数見氏を訪れる。氏はフルコンタクト空手修行者にとっては知らぬもののないヒーロー、日本チャンピオンを何回も重ね、世界選手権では最後に試割判定で敗れて世界チャンピオンを逸した人である。
閑話休題。思うにチャンピオンと準優勝者は不公平な程歴史的な扱いが違ってくる。実力紙一重であろうし、数見さんと世界チャンピオンになったフランシスコ・フィリオ氏との格闘は再延長戦でも決着がつかず、最終的な判定は試割の枚数であった。それだけしか違わないのであるがチャンピオンは名を残し輝く。
その数見氏に沖縄空手を見ることを進められてぺタス氏は沖縄へ行く。番組の大部分は沖縄空手の描写である。このSAMURAI SPIRITは沖縄空手とは何か、だ。
空手は本土に渡り、姿三四郎で悪役になりながらも競技人口をそれなりに増やし、大山倍達と「空手バカ一代」の梶原一騎により爆発的に伸び、柔道に続いて大衆化した。K1でエンターティメントにもなった。その後で今、改めて「待てよ?」としての源流回帰である。
大山倍達の「空手バカ一代」世代であり、大学で伝統派空手道部に入り、そこから空手の歴史を学びつつ修行をしてきた小生の時間感覚には、「源流回帰」が現在進行形としてぴったり当てはまる。年を経てからフルコンを始め、熟年になり「で、何で闘うの?」と自問している俺には回答が必要だ。その回答は、昔大学時代にしゃにむにやっていた頃から既に判っていた回答でもある。「何の為の空手か」の回答さえ再発見せざるを得ない程、人は気がつかないもんだ。あるいは昔知っていたことを時間とともに忘却する。若い時は感受性が豊かで、一杯感じて考えたことを年とともに鈍く単調になる生活の中で埋もれさせる。
「平常心」 NHKではこれを述べたが、空手家にとっては「押忍」の心である。「平常心」は記述であり、「押忍」は行動である。押して忍ぶという文字通りの事。その精神性に非常に立派な真理がありそうなんだが、日常では「保守」にならざるを得ない「忍ぶ」という心。世の中を前向きに革新的に変えて行く力ではなく、常に「受ける」側に立ってしまう、力というよりはそう言う存在であれかしという行動倫理が「押忍」である。
今の世は命をやり取りする世ではない。ものすごく起こり得る確率の低くなった命のやり取りというもの。格闘技は元来殺し合いの技である。殺し合いに精神性を入れ「受ける」力となった。「押忍」はそうだし、「柔よく剛を制す」もそうである。
そういう話は次回とする。小生、今それなりに酔っぱらっているので今日はここまで・・・と。
2012年3月6日火曜日
2012年3月5日月曜日
稽古の指導
今日は一般部の稽古を指導した。一般部は中学生以上の参加であり、本日は高校生と中学生7人でオジサンは無し。中学生と言っても小学低学年からやっている子供たちであるからうまいのなんのって。この春高校生になる2名は流派の中学軽量級と重量級全日本入賞の実力者である。こっちが指導されたいくらい十分強い空手道士だ。エッチラオッチラやらざるを得ないオジサンもいて欲しいもんだ。なにせ指導する所がほとんどない。
準備体操からいつもの基本、これにだいたい30分。小休止を挟み移動稽古で30分。この後普通なら約束組手からスパーリングに行く所を、本日はミット練習を30分行った。皆回し蹴りはこっちが教わりたいくらいうまいので前蹴りを教えた。最近留意している「重力利用」の前蹴りである。前傾姿勢のまま膝を素早く上げ前に倒れ込む力を利用して蹴り放つスタイルのやつ。やってみると軸を作って腰を入れて蹴るよりも強いように感じる。特に間合いが近い時にノーモーションで蹴ることに留意すれば組手で有効に使える技だ。
「重力利用」の突き、そして回し蹴りさえも中段くらいまでならば重力は有効だ。まあ俺のやり方があっているかどうかは今一つ自信がないが、つまる所前に倒れ込むくらいに前進力を利用する。
ミットを突く場合は、10センチ奥を突くイメージを持ちミットに当てる際には突き刺すイメージを持つこと、その上で「重力利用」だとさらに威力が増す。
少年達がどこまで俺の解説を理解し、実行しようとしているのかは不明だった。見ていると今までとそう変わらないモーションで技を繰り出していた。俺ももう少し科学的に理屈の言葉を費やして説明すべきではある。
指導していると自分の稽古にはならないので稽古後一人、サンドバッグへ突き蹴りをした。自分もまだまだ指導されたいがしょうがない。
準備体操からいつもの基本、これにだいたい30分。小休止を挟み移動稽古で30分。この後普通なら約束組手からスパーリングに行く所を、本日はミット練習を30分行った。皆回し蹴りはこっちが教わりたいくらいうまいので前蹴りを教えた。最近留意している「重力利用」の前蹴りである。前傾姿勢のまま膝を素早く上げ前に倒れ込む力を利用して蹴り放つスタイルのやつ。やってみると軸を作って腰を入れて蹴るよりも強いように感じる。特に間合いが近い時にノーモーションで蹴ることに留意すれば組手で有効に使える技だ。
「重力利用」の突き、そして回し蹴りさえも中段くらいまでならば重力は有効だ。まあ俺のやり方があっているかどうかは今一つ自信がないが、つまる所前に倒れ込むくらいに前進力を利用する。
ミットを突く場合は、10センチ奥を突くイメージを持ちミットに当てる際には突き刺すイメージを持つこと、その上で「重力利用」だとさらに威力が増す。
少年達がどこまで俺の解説を理解し、実行しようとしているのかは不明だった。見ていると今までとそう変わらないモーションで技を繰り出していた。俺ももう少し科学的に理屈の言葉を費やして説明すべきではある。
指導していると自分の稽古にはならないので稽古後一人、サンドバッグへ突き蹴りをした。自分もまだまだ指導されたいがしょうがない。
2012年2月27日月曜日
あっさりと7年間
2005年の2月に現道場に入門してもう7年が経った。本当に早いものだ。白帯から入り色帯を経て4年半後に黒帯となった。50才になっていた。それでも俺の場合、元々学生時代に伝統派をやり、2002年頃から1年半程芦原空手もやったので、ベースの力はそれなりにあり他の道場生よりも早い昇段となっている。
社会人の空手は中々に時間も取れずに、また年もとっているので上達が早いとは言えない。それに比べ少年達の上達は眼を見張るばかりだ。小学校の低学年であったちっちゃな拳士が、中学高校になり堂々たる技を出す。俺よりもはるかに上手い。
7年も経たが仕事をやりながら続けてきたせいもあり、大学時代のあの濃厚な4年間に比べれば、それ程思い出もなく淡々としたものだ。月日だけが過ぎた感がある。泣きながらでも連れて行った息子は5年前に空手を止めている。そうだ、もう5年も経った、己一人で淡々と。
試合には何度か出たが、どうも最後に締まらぬ。地域の大会で準優勝が2回。これから念願の優勝を目指しもうひと頑張りするかどうかは・・・さしあたってまだ気合が乗っていない。黒帯になってどうも悩むこと多くなり、稽古に行かない日々も続いた。50才を過ぎて人を傷つけたくないし、自分も怪我をするのは御免で、そもそも何故まだ闘うのか、どういう意義があるのかという根源的な疑問である。若い時は強くなって行く自分の腕試しであり、何も考えずに純粋にトーナメントのチャンピオンを目指した。そんな風に単純に考えられなくなった。近々で言えば、2カ月半程道場を休んだ後、復帰し、結局また淡々とやっている。答えが見つからないが人生でもっとも長く続けて来ている空手であるから、続けないと意味がないとしているだけだ。
本日は今度昇段を目指す道士の稽古として、10人組手中スパーリングを2回参加した。彼は俺より古い道場生だがここ2,3年ほとんど道場には来ず、ずーっと茶帯のままだったがどういう気持ちの変化か、最近復帰し黒帯を目指すこととしたらしい。年はまだ30代前半、これからも伸びる可能性を持っている。何年か前に来た時にはウェイトに励んでいたらしく身体が大きかったが、最近はかなり絞ったようだ。10人組手完遂のためのスタミナの方をかなり積んだと思う。以前は実力者クラスの試合に出て、いい勝負を繰り返していた。俺と約束組手やスパーリングするときも多少力を抜いてやさしくしてくれていた。まずは彼がいち早くかつての力を取り戻すことを祈る。かつての力は十分黒帯に見合うものであるから。
7年間を多少思い起こそうかと思い書き始めたが、あっさりしたものである。ところがさすがに出た試合の情景や昇級・昇段試験は思い出そうとすればかなりの程度思い出せる。そういうイベントと言うものは濃いものなんだなぁ。また出ないといかんようだ。
社会人の空手は中々に時間も取れずに、また年もとっているので上達が早いとは言えない。それに比べ少年達の上達は眼を見張るばかりだ。小学校の低学年であったちっちゃな拳士が、中学高校になり堂々たる技を出す。俺よりもはるかに上手い。
7年も経たが仕事をやりながら続けてきたせいもあり、大学時代のあの濃厚な4年間に比べれば、それ程思い出もなく淡々としたものだ。月日だけが過ぎた感がある。泣きながらでも連れて行った息子は5年前に空手を止めている。そうだ、もう5年も経った、己一人で淡々と。
試合には何度か出たが、どうも最後に締まらぬ。地域の大会で準優勝が2回。これから念願の優勝を目指しもうひと頑張りするかどうかは・・・さしあたってまだ気合が乗っていない。黒帯になってどうも悩むこと多くなり、稽古に行かない日々も続いた。50才を過ぎて人を傷つけたくないし、自分も怪我をするのは御免で、そもそも何故まだ闘うのか、どういう意義があるのかという根源的な疑問である。若い時は強くなって行く自分の腕試しであり、何も考えずに純粋にトーナメントのチャンピオンを目指した。そんな風に単純に考えられなくなった。近々で言えば、2カ月半程道場を休んだ後、復帰し、結局また淡々とやっている。答えが見つからないが人生でもっとも長く続けて来ている空手であるから、続けないと意味がないとしているだけだ。
本日は今度昇段を目指す道士の稽古として、10人組手中スパーリングを2回参加した。彼は俺より古い道場生だがここ2,3年ほとんど道場には来ず、ずーっと茶帯のままだったがどういう気持ちの変化か、最近復帰し黒帯を目指すこととしたらしい。年はまだ30代前半、これからも伸びる可能性を持っている。何年か前に来た時にはウェイトに励んでいたらしく身体が大きかったが、最近はかなり絞ったようだ。10人組手完遂のためのスタミナの方をかなり積んだと思う。以前は実力者クラスの試合に出て、いい勝負を繰り返していた。俺と約束組手やスパーリングするときも多少力を抜いてやさしくしてくれていた。まずは彼がいち早くかつての力を取り戻すことを祈る。かつての力は十分黒帯に見合うものであるから。
7年間を多少思い起こそうかと思い書き始めたが、あっさりしたものである。ところがさすがに出た試合の情景や昇級・昇段試験は思い出そうとすればかなりの程度思い出せる。そういうイベントと言うものは濃いものなんだなぁ。また出ないといかんようだ。
2012年2月15日水曜日
最近
ここ1カ月はかろうじて週1回の道場稽古。昼休みは、約15分程度のウェイトを一日おきくらいか。細々と続けている感じだ。
昼休みトレーニングは楽な気持ちで少しの時間でもやろうとしている。昔は少なくとも20分以上の時間が取れなければ、ルーチンのウェイトと柔軟ができないのが確かである故、する気が無くなり頻度が減っていた。それでも8年間昼休みトレーニングを続けていると言ってよい。最近になってようやく気負いと言うか、義務感、強迫観念から逃れて、例え1種目でもよいので昼休みにちょっと行ってやるようになった。無論時間を長くとれるに越したことはない。本日は、ランジスクワット50回、バタフライ3セット、V字腹筋60回、背筋40回で15分。柔軟の時間はとれなかった。
道場稽古でスパーリングを先日少しやったが、相変わらず力任せでヘタである。きちんと課題を持ってスパーリングに臨まなければいけないのだが、久しぶりでもあり大味で愉しんだと言う感覚であろうか、単にやったというのみ。
小生53才になったがウェイトをそれなりにやっていることもあり力は強い。ガタイもあるのでついつい攻防の技を試すのではなく、何にも考えずに攻撃したり受けたりしがちである。スパーリングだからではあるが、相手の技は何一つ応えないので受けもしないこと多であり、ようするにヘタである。
体力の衰えを前提とし、力勝負ではない格闘の技としての空手を身につけなければならない。それは以前から何度も思っているのだが、ついつい力勝負をしてしまう。
昔感銘を受けた芦原空手のサバキを身につけたいのだが、稽古の間中常にサバキを考えていないとだめだ。スパーリング時には少なくとも緑帯以上ならば、そんなに簡単に道着の袖は掴めない。代表的なサバキはパンチ攻撃をそらせてから相手の袖をつかみ、崩しに持って行く。後の先を常に頭においてサバキをやるぞという姿勢でないとまず無理だ。今度のスパーリングはそれで行こう。後の先、そして掴みから崩し。それだけを頭においてやってみるべし。
昼休みトレーニングは楽な気持ちで少しの時間でもやろうとしている。昔は少なくとも20分以上の時間が取れなければ、ルーチンのウェイトと柔軟ができないのが確かである故、する気が無くなり頻度が減っていた。それでも8年間昼休みトレーニングを続けていると言ってよい。最近になってようやく気負いと言うか、義務感、強迫観念から逃れて、例え1種目でもよいので昼休みにちょっと行ってやるようになった。無論時間を長くとれるに越したことはない。本日は、ランジスクワット50回、バタフライ3セット、V字腹筋60回、背筋40回で15分。柔軟の時間はとれなかった。
道場稽古でスパーリングを先日少しやったが、相変わらず力任せでヘタである。きちんと課題を持ってスパーリングに臨まなければいけないのだが、久しぶりでもあり大味で愉しんだと言う感覚であろうか、単にやったというのみ。
小生53才になったがウェイトをそれなりにやっていることもあり力は強い。ガタイもあるのでついつい攻防の技を試すのではなく、何にも考えずに攻撃したり受けたりしがちである。スパーリングだからではあるが、相手の技は何一つ応えないので受けもしないこと多であり、ようするにヘタである。
体力の衰えを前提とし、力勝負ではない格闘の技としての空手を身につけなければならない。それは以前から何度も思っているのだが、ついつい力勝負をしてしまう。
昔感銘を受けた芦原空手のサバキを身につけたいのだが、稽古の間中常にサバキを考えていないとだめだ。スパーリング時には少なくとも緑帯以上ならば、そんなに簡単に道着の袖は掴めない。代表的なサバキはパンチ攻撃をそらせてから相手の袖をつかみ、崩しに持って行く。後の先を常に頭においてサバキをやるぞという姿勢でないとまず無理だ。今度のスパーリングはそれで行こう。後の先、そして掴みから崩し。それだけを頭においてやってみるべし。
2012年1月28日土曜日
2012年初稽古、普通に
昨日久しぶりに道場へ行った。今年初めての空手稽古。最近は自主トレもサボりがちなため運動するのも久しぶりだ。
ミドルの回し蹴りで入るやり方を学ぶ。とは言え、基本的なことであり改めて指導を受けることではないが、再認識して身体に思い出させることは悪くない。
右手で相手の右手を払い右ミドルの回し蹴り、左手で相手の左手を払い左ミドル。次は左手で払い腰を溜めたところで右回し蹴り、右手も同様。
ミドルの回し蹴りをやるためには多少腰を溜めなければならない。左前構えなので右のミドルに関してはいつでも溜まっているといえるが左のミドルについては溜める動作がいる。うまい人は動きの中ですばやく溜めて蹴りを放てることだろうが、そこに行くまでには意識的にやり身につける必要がある。骨盤の上に上体を乗せる意識をしてなるべく上体をそのままで動かさずに骨盤部分だけを右左に回転して溜めることの練習をする。左ミドルを素早く放つためには小さく鋭く回転することが必要。その動作を左の攻撃をするときには一挙動で無意識にできる必要がある。まあ、練習だから1,2という掛け声でもかけられそうな大きな動作で骨盤の回転をリズムを取りながら行った。
昼間のウェイトトレーニング主体の自主トレも最近サボりがちなため本当に久しぶりに身体を大きく動かした感じだ。空手稽古に至っては昨年末もやっていないので彼是1ヶ月半ぶりであろう。
良き哉良き哉、身体を動かすのは。
ミドルの回し蹴りで入るやり方を学ぶ。とは言え、基本的なことであり改めて指導を受けることではないが、再認識して身体に思い出させることは悪くない。
右手で相手の右手を払い右ミドルの回し蹴り、左手で相手の左手を払い左ミドル。次は左手で払い腰を溜めたところで右回し蹴り、右手も同様。
ミドルの回し蹴りをやるためには多少腰を溜めなければならない。左前構えなので右のミドルに関してはいつでも溜まっているといえるが左のミドルについては溜める動作がいる。うまい人は動きの中ですばやく溜めて蹴りを放てることだろうが、そこに行くまでには意識的にやり身につける必要がある。骨盤の上に上体を乗せる意識をしてなるべく上体をそのままで動かさずに骨盤部分だけを右左に回転して溜めることの練習をする。左ミドルを素早く放つためには小さく鋭く回転することが必要。その動作を左の攻撃をするときには一挙動で無意識にできる必要がある。まあ、練習だから1,2という掛け声でもかけられそうな大きな動作で骨盤の回転をリズムを取りながら行った。
昼間のウェイトトレーニング主体の自主トレも最近サボりがちなため本当に久しぶりに身体を大きく動かした感じだ。空手稽古に至っては昨年末もやっていないので彼是1ヶ月半ぶりであろう。
良き哉良き哉、身体を動かすのは。
2011年11月17日木曜日
重力利用の空手、世界王者ニコラシビリ
久しぶりに書く。
かれこれ1か月以上も道場に行っていないので空手稽古は薄い。とは言え、ここ1週間の昼トレはマアマア中身があるし、週に1回弱は会社の稽古場でサンドバッグを蹴っている。
今日も約1時間で2分12,3ラウンドはやってきた。
本日の課題は「重力」。「沖縄武道空手の極意」には、重力を利用して技を出すのが空手とある。確かに昔、野稽古で足場の悪い所でやる技は地を蹴って腰を素早く回して破壊力をつけることはできにくかったであろう。どんな足場でも丹田に重心を置き自分の体重を乗せた突き蹴りを相手に対してすることが破壊力を生んだはずだ。
先日の極真松井派の世界大会でこのことを確認した。
信じられますか!! 173センチ88Kの小兵のロシア選手が、107Kの前回王者、ブラジルのテイシェイラを破って優勝してしまった。彼、ニコラシビリは前年の日本選手権を制しているから強いのは強いんだが、まさかこれ程とは。
どんだけ攻撃を受けてもこたえない肉体、再々延長でもスタミナが切れずが強さのベースだが、彼の突き技で特徴的なことを発見した。それは速く突きつつも相手に体重をかけるということ、と言うのが分かりやすい表現だろうが、極端な言い方をすると自重で前につんのめるその力を突きにすべて乗せること。これが巨体の相手に対しても下がらない驚異的なことを可としている。また「重力」を利用して「不安定」の中の「安定」で動いている訳だ。これも「古伝」の本で述べられていること。
今度サンドバッグ稽古するときは、重力利用の突きを試さねば、と思い本日サンドバッグ相手にやってきた次第。突きに体重を乗せ突き切ることが必要。押し突きではダメ。前に倒れる力を突きにすべて託しているので、突いた後はその倒れる力を出し切った一時の平衡すなわち安定を得るべきである。押し突きは押したまま不安定のままであるし、そんな押し突きならば重い相手には押し負けて終わり。前に倒れる力を突きの破壊力に変えなければならない。まだまだ押し突きになり、突きにすべての体重を乗せ、それを破壊力として一瞬で放つことはできない。まあ、そんなに簡単なことではないだろう。
「不安定の」中の「安定」とはかくの如くと思う。古伝空手は「居つく」ことをダメとする。今の型で、一つ一つ技をピシッと決めて静止すること自体が「居つき」であり、イカンと言う。常に動き、触れなばと言うか、相手と接触した時に一瞬の力を伝える。その伝え方が重力ということ。
ニコラシビリの組手がそうであった。回転の速い全ての突き技、蹴り技さえも自分の体重を乗せ相手を突きぬける破壊力を感じたし、そうであるから技をかけた後安定し、また不安定つまり自重を重力にのせ攻撃を重ねられるのである。
かれこれ1か月以上も道場に行っていないので空手稽古は薄い。とは言え、ここ1週間の昼トレはマアマア中身があるし、週に1回弱は会社の稽古場でサンドバッグを蹴っている。
今日も約1時間で2分12,3ラウンドはやってきた。
本日の課題は「重力」。「沖縄武道空手の極意」には、重力を利用して技を出すのが空手とある。確かに昔、野稽古で足場の悪い所でやる技は地を蹴って腰を素早く回して破壊力をつけることはできにくかったであろう。どんな足場でも丹田に重心を置き自分の体重を乗せた突き蹴りを相手に対してすることが破壊力を生んだはずだ。
先日の極真松井派の世界大会でこのことを確認した。
信じられますか!! 173センチ88Kの小兵のロシア選手が、107Kの前回王者、ブラジルのテイシェイラを破って優勝してしまった。彼、ニコラシビリは前年の日本選手権を制しているから強いのは強いんだが、まさかこれ程とは。
どんだけ攻撃を受けてもこたえない肉体、再々延長でもスタミナが切れずが強さのベースだが、彼の突き技で特徴的なことを発見した。それは速く突きつつも相手に体重をかけるということ、と言うのが分かりやすい表現だろうが、極端な言い方をすると自重で前につんのめるその力を突きにすべて乗せること。これが巨体の相手に対しても下がらない驚異的なことを可としている。また「重力」を利用して「不安定」の中の「安定」で動いている訳だ。これも「古伝」の本で述べられていること。
今度サンドバッグ稽古するときは、重力利用の突きを試さねば、と思い本日サンドバッグ相手にやってきた次第。突きに体重を乗せ突き切ることが必要。押し突きではダメ。前に倒れる力を突きにすべて託しているので、突いた後はその倒れる力を出し切った一時の平衡すなわち安定を得るべきである。押し突きは押したまま不安定のままであるし、そんな押し突きならば重い相手には押し負けて終わり。前に倒れる力を突きの破壊力に変えなければならない。まだまだ押し突きになり、突きにすべての体重を乗せ、それを破壊力として一瞬で放つことはできない。まあ、そんなに簡単なことではないだろう。
「不安定の」中の「安定」とはかくの如くと思う。古伝空手は「居つく」ことをダメとする。今の型で、一つ一つ技をピシッと決めて静止すること自体が「居つき」であり、イカンと言う。常に動き、触れなばと言うか、相手と接触した時に一瞬の力を伝える。その伝え方が重力ということ。
ニコラシビリの組手がそうであった。回転の速い全ての突き技、蹴り技さえも自分の体重を乗せ相手を突きぬける破壊力を感じたし、そうであるから技をかけた後安定し、また不安定つまり自重を重力にのせ攻撃を重ねられるのである。
2011年10月14日金曜日
トレーニングから国家論の入口へ
今日は久しぶりにタバコを吸わずに、昼休みのトレーニングに直行した。まあOKだね。久しぶりでもあり、ハードなトレーニングをすると嫌になりそうなので、ある程度余裕を持ってなるべく楽しむように楽しめるようにと、緩めのトレーニングを行った。武道家の心持とは程遠いが色々自分に言い聞かせてやらねばならない年であることだから情状酌量であるとしよう。うーむ、そう考える時点で既に武道家ではないが・・・。
メニューは、V字腹筋50回、懸垂2種、バタフライ3セット、レッグエクステンション3セット、ダンベルのショルダープレス2セットだからまあまあだ。スクワットは辛いので避ける。これがバツイチ。もっともハードにやっている時には間隔をあけなかったから、柔軟も5分できたが、本日は時間切れ。久しぶりの20分の昼トレだった。
禁煙が続いたのは本日12時間。ついつい帰り道にコンビニでタバコを買ってしまい、今吸っている。明日のトレーニングや如何に。
・・・・・
日本の劇場型政治がまだまだ続いている。ヤイノヤイノと騒ぎながら気がつかないほどに長い時間の中の衰退が始まっている。バブル崩壊の後始末に20年。その間、阪神大震災や先日の東日本大震災が起きた。災害は一過的であり、復興に努めれば何とか回復が可能だと思う。国力の減退として最も警戒すべきは人口の減少と教育の迷いである。
人口が減れば国内市場は縮小するし、社会保障の重圧は若い世代にのしかかる。若者が多くない国は年寄りの保守路線にはまり未来へのチャレンジは小さくなっていく。国力は増大すべきとの観点からはいいことは一つもない。未来を大胆に描くべき若者達なんだが、現在の彼等は「消費する人々」である。ハングリー精神は昔に比べてはるかに少なく、本来は渇望から何かを生む熱情が出るのだが、それは薄く、恵まれた環境で与えられたサービスを消費している。日本が豊かになったからである。
我が国の問題を挙げろと言われればいくらでも上げられるが、世界の中で相対的に見れば日本は豊かである。その環境下なんだろうね、世界平和に貢献すべきの思想を培うべき教育がなっていない。未来への飢餓感――現在がそこそこであるのはよしとして――を持して若者の志を作るべき教育・・・・ハアーとため息が出る。
いつからハングリーでなくなり夢を語れない国民になったのであろうか。現在において責任を負うべきなのは若者達ではない。我々いい年をしたオヤジ達だ。野田総理は実はまだまだ若いんだよね、総理としては。その彼が若々しい総理として国家の夢を語れずに、マスコミにたたかれるからとしてメッセージが非常に慎重である。まあそれは彼のキャラクターであり、故に総理となれたのかもしれないが、それでいいのであろうか?
いいわけはない。
オヤジ達よ、まず夢を語ろう。失言を捉えて批評を加え嘲笑する時代と国家は病的だぞ。
メニューは、V字腹筋50回、懸垂2種、バタフライ3セット、レッグエクステンション3セット、ダンベルのショルダープレス2セットだからまあまあだ。スクワットは辛いので避ける。これがバツイチ。もっともハードにやっている時には間隔をあけなかったから、柔軟も5分できたが、本日は時間切れ。久しぶりの20分の昼トレだった。
禁煙が続いたのは本日12時間。ついつい帰り道にコンビニでタバコを買ってしまい、今吸っている。明日のトレーニングや如何に。
・・・・・
日本の劇場型政治がまだまだ続いている。ヤイノヤイノと騒ぎながら気がつかないほどに長い時間の中の衰退が始まっている。バブル崩壊の後始末に20年。その間、阪神大震災や先日の東日本大震災が起きた。災害は一過的であり、復興に努めれば何とか回復が可能だと思う。国力の減退として最も警戒すべきは人口の減少と教育の迷いである。
人口が減れば国内市場は縮小するし、社会保障の重圧は若い世代にのしかかる。若者が多くない国は年寄りの保守路線にはまり未来へのチャレンジは小さくなっていく。国力は増大すべきとの観点からはいいことは一つもない。未来を大胆に描くべき若者達なんだが、現在の彼等は「消費する人々」である。ハングリー精神は昔に比べてはるかに少なく、本来は渇望から何かを生む熱情が出るのだが、それは薄く、恵まれた環境で与えられたサービスを消費している。日本が豊かになったからである。
我が国の問題を挙げろと言われればいくらでも上げられるが、世界の中で相対的に見れば日本は豊かである。その環境下なんだろうね、世界平和に貢献すべきの思想を培うべき教育がなっていない。未来への飢餓感――現在がそこそこであるのはよしとして――を持して若者の志を作るべき教育・・・・ハアーとため息が出る。
いつからハングリーでなくなり夢を語れない国民になったのであろうか。現在において責任を負うべきなのは若者達ではない。我々いい年をしたオヤジ達だ。野田総理は実はまだまだ若いんだよね、総理としては。その彼が若々しい総理として国家の夢を語れずに、マスコミにたたかれるからとしてメッセージが非常に慎重である。まあそれは彼のキャラクターであり、故に総理となれたのかもしれないが、それでいいのであろうか?
いいわけはない。
オヤジ達よ、まず夢を語ろう。失言を捉えて批評を加え嘲笑する時代と国家は病的だぞ。
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