2011年10月14日金曜日

トレーニングから国家論の入口へ

今日は久しぶりにタバコを吸わずに、昼休みのトレーニングに直行した。まあOKだね。久しぶりでもあり、ハードなトレーニングをすると嫌になりそうなので、ある程度余裕を持ってなるべく楽しむように楽しめるようにと、緩めのトレーニングを行った。武道家の心持とは程遠いが色々自分に言い聞かせてやらねばならない年であることだから情状酌量であるとしよう。うーむ、そう考える時点で既に武道家ではないが・・・。

メニューは、V字腹筋50回、懸垂2種、バタフライ3セット、レッグエクステンション3セット、ダンベルのショルダープレス2セットだからまあまあだ。スクワットは辛いので避ける。これがバツイチ。もっともハードにやっている時には間隔をあけなかったから、柔軟も5分できたが、本日は時間切れ。久しぶりの20分の昼トレだった。

禁煙が続いたのは本日12時間。ついつい帰り道にコンビニでタバコを買ってしまい、今吸っている。明日のトレーニングや如何に。

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日本の劇場型政治がまだまだ続いている。ヤイノヤイノと騒ぎながら気がつかないほどに長い時間の中の衰退が始まっている。バブル崩壊の後始末に20年。その間、阪神大震災や先日の東日本大震災が起きた。災害は一過的であり、復興に努めれば何とか回復が可能だと思う。国力の減退として最も警戒すべきは人口の減少と教育の迷いである。

人口が減れば国内市場は縮小するし、社会保障の重圧は若い世代にのしかかる。若者が多くない国は年寄りの保守路線にはまり未来へのチャレンジは小さくなっていく。国力は増大すべきとの観点からはいいことは一つもない。未来を大胆に描くべき若者達なんだが、現在の彼等は「消費する人々」である。ハングリー精神は昔に比べてはるかに少なく、本来は渇望から何かを生む熱情が出るのだが、それは薄く、恵まれた環境で与えられたサービスを消費している。日本が豊かになったからである。

我が国の問題を挙げろと言われればいくらでも上げられるが、世界の中で相対的に見れば日本は豊かである。その環境下なんだろうね、世界平和に貢献すべきの思想を培うべき教育がなっていない。未来への飢餓感――現在がそこそこであるのはよしとして――を持して若者の志を作るべき教育・・・・ハアーとため息が出る。

いつからハングリーでなくなり夢を語れない国民になったのであろうか。現在において責任を負うべきなのは若者達ではない。我々いい年をしたオヤジ達だ。野田総理は実はまだまだ若いんだよね、総理としては。その彼が若々しい総理として国家の夢を語れずに、マスコミにたたかれるからとしてメッセージが非常に慎重である。まあそれは彼のキャラクターであり、故に総理となれたのかもしれないが、それでいいのであろうか?

いいわけはない。
オヤジ達よ、まず夢を語ろう。失言を捉えて批評を加え嘲笑する時代と国家は病的だぞ。

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