2011年7月30日土曜日

沖縄古伝空手とは

 「沖縄武道空手の極意」という本を読む。凄そうな本であるように思えるが、まだ何ともよく分からぬ所があり、もう一度読まなければならない。
  • 腰を回さぬと言う。しかし突きは腰の中心をブルンと震わし(一瞬回し戻すことにより鞭のような力を伝えて)、突きをせよと言う。これは腰を回していることになると思うんだが。しかし実際の身体の動きとしては分かる。腰を振ってそれを腕に伝えた方が確かに突きを速くすることはできる。学生時代やっていた剛柔流の突きから再現し実感できるし、沖縄空手の新里先生の動きからも納得はできる。ただ次の、
  • 重力を自然な力として利用して突きをする、と言う。これもフムと思うんだが、では腰を鞭のように震わすことは要らないの?重力だけでよいのか。
  • それと腰の高さを一定にして移動することとは矛盾しないのか?歩く動作はノーモションで技に入れるのがよいと説く。その際「膝を抜く」の言。膝を抜いて重心を上から下に落としてよいのであろうか。動きは腰の高さを一定にして動くのではなかったのか。
  • 上の二つがこの本を読んでの謎である。
 「チンチク」と「ガマク」は、分かったような分からぬような・・・・。既に実際にやっているような、いやひょっとして間違いのような。本からでは確証が持てぬ。「チンチク」は肩甲骨を滑らして突きをすると解釈をした。「ガマクを入れる」とは腰を回転させて固めるのではなく、「筋を抜く」ことで瞬時の重さを増すと言うが、こっちの方は分からぬ。

 まあ、もう一度読んでみよう。筆者はフルコンにもこだわり、実際にやっていると言うが、こう言う理論に基づく組手はどのような形になるのであろうか。小生は、学生時代に剛柔流をやっており、寸止めの学生空手と、現在修行している極真系のフルコンタクト空手は知っており、その組手が随分違うのも体験している。筆者の説明している沖縄古伝空手の組手はどのような風情になるのであろうか。

 再読しつつ見つけてみようとは思う。

2011年7月26日火曜日

四股

 本日は久しぶりに昼トレをする。ただ久しぶりなので息も上がるようで、間をあけてやった故に柔軟の時間はあまり取れなかった。まあ、右太ももの裏の筋が痛いから柔軟で無理しない方がよい気がするので、これからの柔軟は、やったとしても股割くらいにしよう。股割なら痛い部分を伸ばさなくて済む。またそれ位はやっておかねばいかん。最近の柔軟の少なさで股を広げる最大角度が小さくなった。

 柔軟も痛い所を使わずにできるパターンは色々あるので、しばらくはよい機会としてそっち方面をやっておこう。股割と獅子のポーズと足の自重を利用したストレッチ兼筋トレだ。

 さすがに久しぶりだとできるウェイトの荷重が同じでも回数が減った。胸筋を鍛えるバタフライはマシンの最大重量で8回2セットできるのに、8回→5回で限界だった。

 最近四股に凝っている。その理由が、スクワットをやりたくないからである。何と言っても100回のスクワットは大変しんどい。二つ目の前向きな理由としては、四股は片足で立つ為、バランスを保持する筋肉も鍛えられるからである。蹴りをするときには瞬間に体重移動をして片足になる。四股は体重移動とバランスだ。それを鍛える。三つ目は股割の柔軟を兼ねることである。四股を踏んで腰を下ろしたときの股割と、足をできる限り高く上げる時の開脚の柔軟性と、両方のストレッチが動きの中で成されるのがよい。

 と言う訳でスクワット100回の替わりに四股を20-30回程度行っている。バランスのとり方がぎこちなく、足も横に高く上げるどころではないが、スムーズな動きができるようになるまで、もう少しやり続けてみよう。ゆっくりとやる為にスクワット100回よりもしんどくないのが何と言っても結構なもんだ。だから四股に逃げていると言えるんだが、まあ善き哉。スムーズにできるようになればもっと回数を増やせる。

 本日の昼トレメニュー
  • 腹筋100回。久しぶりにV字腹筋ではなく、普通の腹筋。
  • 胸筋鍛える為のバタフライ、8回→5回→3回。ちょっと力が落ちている。
  • 懸垂3種、8回→8回→6回。
  • 四股30回。
  • 股割と腰ひねりの軽い柔軟。股割はこれからもっとハードにやるべし。開脚角度が減っている。右太腿裏の肉離れの為に、開脚前屈が痛くてできない。だから立ったままの股割。
以上で16,7分のトレーニングだった。余裕を持ってタラタラやったのでこんなもんだろう。
 

 

2011年7月22日金曜日

原発についてのある映画を観て

 太陽の光と室内光はかくも違うのか! 今庭に出て書いている。画面が暗い。

 ビールを飲みつつ、芝生に座り、盛夏にしてはしのぎやすい日の、気ままな時間である。外に出て文章を書くのは悪くないねぇ。

 「東京原発」という映画を観た。これはお勧めだ。2004年、今から7年前に作られた映画であるが、まさに今日の福島第一原発の事件を予感するように、原発の意義や危険性を喜劇的なストーリーの中で表していて、ある意味教育映画みたいでもある。でもその時代に警告を出そうとしていた製作者は、今となっては非常に偉い!

 主人公は東京都知事、役所広司演じる。東京の新宿中央公園に原発を誘致しようとする物語である。

 役所が最後に言った、「この世に絶対なぞはない」、「人間はすぐ忘れる」のセリフが今も心に残る。最初のセリフは、テロリストの少年がプルトニウムを積んだトラックを爆破しようとしたが、幸運にも爆弾が発火しなかったことを指す。少年は「僕の作った爆弾は完璧で、絶対爆発する」と言っていた。その言葉を受けてである。

 「絶対なぞはない」と言う言葉は、「原発は絶対安全」と言い続けてきた政府や電力会社のPRに向けて、主人公に苛烈に吐かせた言葉である。

 「人間はすぐ忘れる」は、原爆を落とされて多くの人の命を失いさんざんな目に遭った日本という国家、国民を指す。あれほどの悲劇を味わったのに、なぜ原子力を進めようとするのか?だ。兵器ではなく、エネルギーの平和利用であるとする巧妙なすり替えの中で、多くは何も考えることなく騙されている。しかし本質を見れば原子力そのものに酷い目に遭った訳であり、時間とともに忘れる国民に警鐘を鳴らすとともに諦めの言葉でもあろう。日本国民は原子力を憎んでもよいのである。むしろなぜそうしないのか?という言葉が聞こえてきそうだ。燃料の補給なく動き続ける原子力潜水艦等をいずれ開発するような、核武装の可能性も残しておきたかったのであろうか。

 ストーリーをもっと論じておきたいが、この辺で。

 映画によると真夏の暑い数日を節電すればエネルギーは原発がなくても賄えるそうだ。2011年の今の状況を見るとそれは違う。福島第一、第二を停めているので、東電の最大供給電力は昨年よりかなり減り、5700万KWと言う。その場合、猛暑であった昨年の実績では17日程度需要が供給を上回ってしまう。現在、柏崎原発が稼働しての数字であるから、柏崎原発を止めれば最大電力供給力はさらに減り、昨年実績では電力が不足する日がもっと増える。

 今年、電力が不足する危険性をもって15%節電をすることを政府は企業に課したが、今は涙ぐましい一般家庭、企業の節電努力のおかげで、毎日20%前後の余裕がある。最大電力供給については、さすがに原発がないと真夏は賄えないのが現状であろう。賄おうとすると意識的な節電努力の生活が必要だ。
 これから将来、電力需要はさらに伸びる。便利な世界をどんどん便利にしようと考えれば伸びざるを得ないから、これはしょーがない。我々の生きる哲学だとか思想を変えない限りは・・・。元々祖先が生きていた「明るい農村」に戻る方がよいのであろうか。

 阪神大震災級の直下型地震が起きた時には、世界に冠たる耐震性を誇る我が原発も耐えきれないと映画では示している。東日本大震災では1000年に一度の大津波で原発が止り、制御不能状態になった。原発推進者が1000年に一度だけの不運ともし言うのならば、テロや戦争により原発が破壊の危機になるとどうなるのだろうか。その確率は1000年に一度よりもはるかに高いと言わざるを得ない。

 放射性廃棄物の問題もある。これは非常に深刻である。現在はどうしようもないらしい。数万年に及ぶ保管が必要であり、地中深くに埋めるか、宇宙に放り出すことであるらしい。こんな危険な物質の処理の保障がとれないままに、原発は今も放射性廃棄物を産出している。エエーッ、である。
 需要が増える中、安い電力を供給する為には原発が必要だと人は言う。東日本大震災が起きる前までは二酸化炭素の削減の為に必要であるとして、我々の大多数が「ウンウン」とうなずいていた。そのような時代に「東京原発」を制作した人々は先見の明というよりも、本質を考えた末の提言であろうと思う。

 自然エネルギーの発電を増やし原発に替わる電力を作るべきであると考える。我々は高いエネルギーの中に暮らしてもよいのである。コストが嵩み企業は他の国に出て行ってもよいのである。資源の少ない日本という国は、世界的な出稼ぎをやればよいのである。出稼ぎで儲けた利益で税金をそれなりに払い、日本が高福祉社会になればよいのである。直接雇用でないから、国民全体の所得は増えず、豊かにはなれないであろうが、そこそこの中で、それでも昔よりはかなりましな「明るい農村」になればよいのである、と考える。

 脱原発の為の自然エネルギーによる電力開発には技術がいる。日本の技術力はそこにこそ活かされるべきであろう。映画によると電源開発の9割の予算と知能が原子力に費やされているらしいが、その政策は転換されなければならない。日本人の優秀な頭脳は、未来のエネルギーに向けるべきである。「明るい農村」と先程は開き直り的に言ったが、日本の技術力を持ってすれば、「明るい農村」も「明るい循環型生産社会」も可能であると信じたい。

 原発は発電コストが安いと言う。しかし政府から出される交付金を入れれば、めちゃくちゃに安いというわけではない。なおかつ今回のような大事故が起きた時の保障の総額を積算すれば、もう安いとは言えない。1000年に一度の大津波という自然災害の為に今回の事故が起きてしまったのであり、これを教訓としてあらゆる災害に耐えうる原発を作ればよいのだという意見もある。繰り返しになるが、テロとか戦争が起きた時に原発が破壊されればどうなるのであろうか。確率的にはゼロではない。だから「絶対安全」という言葉はないし、破壊された時には今回以上の被害と補償(国家が存在すればだが)が必要になる。

 我々は我々の制御できないモノを運用すべきではない。原発が生む再処理が必要な使用済み核燃料は、まだ我々の技術力では処理不能の状態のまま「無言で」累積している。ここまで知って、それでもなお我々は原子力の道を苦行僧のように歩まなければならないのか。

 原子力のコストは総合的に論じて安くなく、制御不能に陥る危険性と、排出物が処理不能な現在、エネルギーコストが上がるのはしょうがないとして自然エネルギーによる発電に向かうべきであろう。

 かの映画を見て、勉強をし、影響もされて、そう考えるようになった。

 

 

2011年7月21日木曜日

サンドバッグ新基軸

 最近空手の話を書いてないなぁ。

 でも、それなりにはやっている。先々週は会社でのサンドバッグ自主トレ1日、道場稽古2日。先週は同じく会社でサンドバッグ自主トレ、道場稽古1日。

 最近薄いのが昼休みのトレーニングだ。さすがに暑くてあまりやる気が出ない。やらない日も多く、やったとしても軽く流してしまう。一日おきにやっていたスクワットは、この1カ月皆無。替わりに四股を多少。柔軟も右腿の後ろの筋が痛く、かれこれ3カ月ほど本格的にできない。痛いのを我慢しながらでもある程度やってしまっているから治りが遅いのかね。単に年とったから遅いのか。1か月柔軟禁止すれば治るのならぜひそうしたいが、何がベストなのかが分からぬ。

 サンドバッグ自主トレは割合ハードにやっている。1ラウンド2分で15ラウンドくらいはやる。一つ一つの基本技の反復練習で各1ラウンド使うと、15ラウンドはいく。しかし、今の俺に必要なのは、実戦的なコンビネーションを動きの中でやることである。今度サンドバッグやるときは、間合いに気をつけながら動きを入れたコンビネーションに多くのラウンドをかけるべきだ。

 サンドバッグを突き蹴る場合、サンドバッグとある程度距離をとっていると思っても、実は非常に近い間合いになっている。サンドバッグを相手の胴とした場合、相手はそこから手を出して構えているはずだから、実際はかなり近い間合いで相対していることになる。サンドバッグには強力な突き蹴りを叩きこめるのに、スパーリングになると上手くいかないのかは、間合いである。実際の相手とは間合いの取りあいと言うのもあるから、サンドバッグを打ち蹴る場合も、様々な間合いを想定して動き、当てる時には最もパワーが出る間合いにするという、動きの中の間合いコントロールに留意する必要がある。

 次のサンドバッグ自主トレは、普段の基本技のパワーアップの為ではなく、15ラウンドすべてコンビネーションで、左右前後のフットワークをつけ間合いを考えつつコントロールする気でやってみるべし。 

2011年7月17日日曜日

梶原一騎、その一?

 小生は現在52歳。もろ梶原一騎の世界で少年時代と青年時代を送った世代である。我々の世代に対する彼の影響力は、感動した文学よりも親からの説教よりももっと大きなものがあったように思える。

 50歳で死んだ梶原一騎よりも俺は年を経た。だが、彼の人生と作品の濃度は生半可ではない。比較して我が身の時間の薄さに嘆いてもよいのだが、そもそも比較する気も起らぬ。彼の作品の中で我々は成長してしまったのである。作品群は我々のビッグファザーであった。

 小学低中学年の時は「巨人の星」、思いこんだら試練の道を・・・という歌詞は、うさぎ跳びのアニメの背景と共に頭に刷り込まれている。この同時期に「紅をよぶ拳」というのもあった。へなちょこ中学生がたこ部屋に入れられる等のすさまじい経験をしながらも、空手の強さを極めて行く物語である。そう言えば、「夕やけ番長」もあった。こっちの方はもっと古い。 

 小学の中高学年の時は、「タイガーマスク」。これも歌とともにアニメの風景まで思い浮かぶ。虎だ虎だ!虎になるんだ・・・のオープニングから、それだからみんなの幸せ願うんだ・・・と言う伊達直人の、闘っている孤独と理由を表したエンディングまで。

 「赤き血のイレブン」も読んでいたが、これは最初の方で非常におもしろいと思ったことと漫画の独特のタッチを覚えているだけだね。 

 中学になると何と言っても「明日のジョー」と「空手バカ一代」だった。「明日のジョー」に関しては、文学作品と言っていいくらいの、登場人物一人一人の存在が際立つ無数の情景がある。ながーい映画にしてもよい、決して2時間やそこらじゃ終わらない。名作である。中学高校の思春期にリアルタイムでこの作品を読んでいたことの意義は大きい。反抗だとか反骨心は、オヤジからも学んだが、この作品から身につけてしまったことも多いのではないかと思う。

 空手バカ一代の途中から、梶原一騎という人物自身が表に出てきた。漫画原作者と言えども、知識人ととしてのマトモさや繊細さを想像していた若き小生にとって、角刈り頭で身長185の大男であったことはまったくもって意外であった。さらにサングラスをかけたこわもて。ええーっ、こんな人がこんな作品を作っているのか、とびっくりした。空手バカ一代でも、つのだじろうが作画している最初の方は、大山倍達を訪ねて話を聞くという、原作者として謙虚な態度で節制して登場している。原作者が漫画に登場することは珍しく、メインストーリーのサブであるからちゃんと節制されていた。ところが影丸譲也の作画になった後半部分は、実物の写真も含めて例のこわもてで登場し自らの存在感を示すのが多であった。

 どの時分から梶原は変わっていったのであろうか?
 極真空手や格闘技の世界に入ってきて、梶原一騎の作風が変わった。

 ガタイはよいが繊細な神経を持っていた男が、そんな神経は関係なく、強いということが正しいと言う世界に入ってしまった。単純であることはそれまでの複雑さに比べて美学とも言える。複雑さというものは判定できないからはっきりしない。強いか弱いかだけの単純化された世界は美しく、男どもが全霊を傾ける価値があるのである。

 梶原自身、自伝とも言える「男の星座」で、柔道少年であったが、ある事情で暴力事件を起こし、少年院に入ったことを暴露している。元来持っていた「暴」を封印して、漫画原作者の世界に入り、さらに純文学も志向した。元々純文学の方をやりたかったと言う。「文」と「武」、両面が彼の人生に長い周期で現れているようだ。もうひとつ、「男の星座」で述べられているのは、「文」が成り上がるすべだったことである。一人の闘争者がそれを手段として用い、成り上がった後には、「暴」を出してしまったとも言える。武道やスポーツの持つ精神性をどんどん感じなくなってきたのが残念でしょうがない。巨人の星の時代から、あれほど鮮やかにスポーツの精神性を表して、我々に大きな影響と学習を与えてくれた梶原の、後半の作は「空手地獄変」のアナーキーさであった。

 スポーツの精神性とは、頑張れば何とかなるという、当時の日本人が目指し行動した価値観と一緒である。漫画のヒーローの世界は一流を描くから頑張る度合いは尋常ではないが、一般人とてひたむきに必死でやれば勝利を得るのである。そして、それほどやっても敗戦というのは確実にあり、またそこから学び不死鳥のように立ちあがる。勝って負けて、またナニクソと立ちあがって勝ち、レベルが上がるとまたもや強力な敵が現れ負けるのである。そしてまたナニクソと。彼の描くストーリはその連続だった。江戸時代に異国の侵略を受けそうになり、維新を起こし富国強兵に頑張り、そして戦争が起き、焼け野原の敗戦、またそこから立ちあがった俺達のオヤジや祖先の時代の有様がある。それをスポーツの世界で、追体験させようとしたのであろうか。

 梶原の原点には力道山という存在があったようだ。敗戦国民に頑張れば何とかなる、アメリカ人レスラーを倒す喝采。プロレスという場面に過ぎないが、時代の目標を代弁していた見事なる一致であろう。そして大山倍達。大山倍達自身もまぎれもなくヒーローであるが、梶原は力道山亡き後の、それに擬した存在として描こうと始めは思ったのではなかろうか。

 ものすごく不思議なことに、力道山も大山倍達も、戦前の日本国民ではあったのだが、元々は朝鮮人であることだ。その彼等から日本武士道を教わっている。力道山は直情型で色々事件を起こしたそうだから、武士道という精神性とは少し離れるかもしれないが、命と存在をかけて生きるという究極の一点では、武士道である。世界は平和安穏ではない。日本人はその求める所を持って闘わなければならない。

 昔百済から仏教が渡ってくると同時に渡来人も大勢来て、朝鮮半島から何かを教えられると言う日本の姿か。ちょっと無理やり説明の感があるね。力道山も大山倍達も彼等の出自は隠していた。しかし我々は教えられて消化する才能には非常に長けている。

 オーバーであろうが、ヒーローとして彼等の姿に似ている日本人を挙げよと言われると、坂本竜馬と織田信長あたりが浮かぶ。本田宗一郎もいる。自らの信念に従って存分に我がままに生き、世の中を変えた愛すべき方々である。(織田信長はおっかないが)

 えーと、さて、話題を戻そう。何だったけ?

 今はスポーツに科学が導入され、梶原の表した泥臭い根性論は背景に潜んでしまった。才能のあるスポーツエリートは、表面に泥臭いものは出さないかもしれない。でも俺は結局、梶原の時代と何にも変わらないことを知っている。ひたすらにひたむきにやらないとモノにならないのは、当たり前のことである。そんな泥臭さが真実としてあることを何故スポーツエリートは言ってくれないのであろうか。

 我々の時代は、しっかりしていて行儀のよい石川遼君よりも、やはり江夏?(無論、長嶋・王はヒーローであるが) まあ、年寄りはそろそろ退場願おうと言う、若い人のまっとうな言葉が聞こえてきそうだ。

 「明日のジョー」の反骨、これがあまりにも我々の時代に合ってしまった。だから、アウトローとも言えるヒーローを讃えてしまうんだろうな。きれいさっぱり行動も模範となるヒーローではなくて。
 

2011年7月9日土曜日

武士道と切腹と、まとまらない考え

 学生時代、武道としての空手をやっているからには武士道というものにあこがれ、また理解すべきものとして「葉隠」を読んだ。著者の出身は薩長土肥の肥前の国であり、大隈重信や江藤新平を出している。山本常朝というお方。

 最も有名な言葉として、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」がある。

 武士道→死、と来たら「切腹」が思い浮かぶ。無論武士の本懐は戦って死ぬことではある。が、平時に著された書物である故に、「切腹」を論じる。死ぬことと見つけたりの精神を解説すれば色々あるんだろうが、責任をとる、あるいは処罰の一つである「切腹」と言うのは、真面目に考えればそれはそれは異様な風習であろう。日本民族の我々はいかようにして「切腹」を作ったのであろうか。

 死刑の刑罰として、武士は打ち首になることよりも切腹を一種の名誉とした。打ち首の方が一瞬で死ぬから、楽である。切腹と言うとそうはいかぬ。いくら介錯があると言えども、それまでの間腹をかっさばくことは、想像を絶する苦痛を味わうことである。

 敗戦の日、阿南惟幾陸相は「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」として介錯なしに切腹した。腹を切ったくらいではすぐに死ねないから、その後喉を掻っ切ったと言う。最初から頸動脈を切れば苦痛も相対的に少ないと思うが、まず腹を切った。特攻隊生みの親と言われる、大西瀧治郎中将も敗戦の翌日、同様に介錯なしで切腹した。喉を突かず、そのまま半日以上も苦しんだと言われる。どう考えても地獄の苦痛だ。

 こういう、非人間的な所作が、何故武士道の美学までになっているのかが不思議である。武士であるからには、死ぬ間際の苦痛に耐えて初めて、何らかの華というか、完結する精神性があるのだろうか。

 三島由紀夫の「憂国」を昔読んだ。今やあまり覚えてはいないが、2.26事件に関与した軍人が切腹する物語であり、その切腹の描写に多くのページを割いていたように思う。三島特有の筆致であるから一種甘美な様を感じるような描写であったように覚えている。

 自ら腹を掻っ捌いて、介錯で首が飛ばされるまでは死ぬまでの大苦痛に耐える、この切腹と言う風習は何故に日本人の世界に現れたのであろうか。しかも切腹を武人らしい名誉ある自決としている。

 小生が獄門に下り、切腹を選ぶか打ち首を選ぶかと問われれば、自分も空手武人の端くれであるからどっちを選ぶかは分からぬが、どう考えても打ち首の方が楽に死ねるのでそっちに行きそうな気がする。ただ、その判断の前に迷いさえする日本人の歴史と精神性は、やはり存在する。それはいったい何なのであろうか。歴史の重みと言えばそうである。

 我々は過去から続く歴史の価値観と思想、風習?のもとで、影響されて生きていることを感じている。わずかな少数、例えば織田信長のような人物だけが歴史をせせら笑い、自らの価値を新たにスタートラインとして作るのであろうか。

 アメリカ人と言うのは、歴史が浅い故、織田信長的な考えや行動の形態を普通に持っており、そうであるから常にフロンティアを求め、創れるのかもしれない。歴史というものは、はたして現在を束縛してしまうものであるのだろうか。

 歴史を束縛とみるか、未来を作る為の過去の教師とみるか、どっちもどっちで我々は考えるのであるが、悠久の時間の中、一瞬間に存在する我々は、やはり歴史的生物である。長かろうが短かろうが歴史の上の連続性の中に居る。祖父母、両親、そして子や孫へと続くものである。

 話を元々の変な疑問である切腹に戻すと、

 切腹の歴史が終わった時、日本人の中の何かが変わったと言えよう。ながい歴史の尺度で思うとやはり武を失ったこと、あるいは武に生きる選択を止めたことだと思う。それは今までの所、正しい選択である。

 、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の言葉を、武士道のすべてを表すものとして扱いたくはないが、真実はついていると思う。武は闘いであり、殺すし殺されるし、負ければ死を覚悟する。過酷ではあるが、倫理として淡白な世界に住むのは正しいことであると思う。太平の世に在っては、不正を成したり、自らの義を通さぬ振る舞いを成すことを戒める言葉でもある。覚悟を持って生きることを表した言葉であろう。切腹と言う野蛮な風習は失くしたが、一種それと対を成す武士道の精神は生き延びてもらいたいものである。思想が形に昇華し、形は思想を内包するものであり、不可分な気もするが、武士道という思想は何とかしたいものである。

 いちかばちか、のるかそるかの精神は、日本人よりもアメリカ人や中国人の方が長けている気がしてしょうがない。命とか生活を賭して正しいことをすることを倫理として持っているとは思えないが、自らを通す原始的な「武」の心情じみたものは感じる。どの道、生きることは闘いであるよ、と。

 「武士道」の別面は、主君の為に死すと言う忠誠心である。世の中を平穏に修める思想としての武士道という考えがある。むしろこっちの方が大きいかもしれない。ただ、死生観から生きることを述べる思想としての大きさはやはりきちんと捉えたい。

2011年7月8日金曜日

復興相の辞任

 松本復興担当相が宮城県知事宛てに不遜な態度と言葉を吐き、それがTV放映された為に被災地の方々の大いなる反発を招き、被災者と共に歩むことがほぼ無理になったが為に辞任した。

 最初TVで観た時、小生も非常に不愉快であった。あんな横柄な態度と言い方はない。大臣だからと言ってあそこまで威張っていいものではなかろう、と。

 ただその後、小生の尊敬というか、畏敬している藤原新也氏のブログを読んで、確かにそうだよな、と頷いた。

 氏のポイントは幾つかあり、氏自身もその場にはいない故にある程度の推測も入るが、
  • あの横柄な場面の前には、実際的な議論があったはずだ。あの場面だけを切り取って流すマスコミはむしろ危険である。
  • 彼は旧知の宮城県知事にモノ申していた。その二人の関係ではあのような言い方も成り立っているのかもしれない。
  • マスコミ受けし、またニュースとして流れて国民の共感を得る人は、「感じのいい人」しかいない。しかし、「感じのいい人」が国を導く政治ができるとは限らぬ。むしろその逆の方が多い。
  • しかしさすがに彼が最後に言った、これを流すとその報道会社は終わりだ、の言は、彼の気負いに自身が飲み込まれたようで、よくはない。
  • 時間通りに来る宮城県知事は「いい人」なんだろう。しかし漁業権に関して、最初から知識人を入れて政治を行うのは、現場の地方自治をむしろ軽視していないだろうか。(これはある人の意見、藤原氏の論点はもっと手厳しい) そういう点では「(被災地である地元ときちんと話して)コンセンサスを得ろ」の復興担当相の言は正しい。
 小生は、昔リクルート事件が起きた時に、それまでは実力ある成功者としていた江副氏を90%以上の国民が弾劾したことを、むしろ異常な事態ではないかと感じていた。株を受け取った竹下氏は総理を辞職したが、彼の功績である消費税導入とふるさと創生(バラマキと人気とりであると解釈できるが、将来に渡る税収の確保と地方分権に向けた第一歩である地方の独自性の発揮を求める点で、思想としては正しいと思う)は、今から判断しても、十分評価できると思う。

 この日本と言う国の危うさは、受け入れやすい「良心的な」意見が出ると、すべてに近い国民がそっちの方に向いてしまうことである。「良心的」ではないが、その右へ倣え的賛同でもって、中国侵略や太平洋戦争が起きたと思う。前にも述べたことだが、今や何人もの総理さえも糾弾してポピュリズムの道を走れる日本と言う国は、ある意味、民主主義がもっとも実っている国であろう。人気で、雰囲気で、そして確かに多数の下で道を決めている。

 そんなことを考えたこともあったのだが、今回の松本大臣の言には小生もこりゃだめだと思ってしまっていた。が、畏敬する藤原新也氏の文を読んではっとさせられた訳だ。我々は自分の頭で、きちんと判断しなければならない。物事の本質は、表面的な事実を伝えるマスコミの中にはない。日本のマスコミは、昔を反省して常に反権力の姿勢でニュースを伝えているのであろう。それはそれで正しいと思うのだが、そういうことでもあると認識して、自分の頭で考えることである。

2011年7月3日日曜日

うーん・・・沈まぬ太陽

 自動車業界は7月から9月一杯まで、休みが土日ではなく木金となる。小生はその業界で働く者であり、最初の木金の休みが過ぎた。今日は日曜日だが仕事だった。

 空手の道場稽古は、木曜は午後8時半から、金曜は午後8時からである。木曜に出ようと思ったが、ついついビールと晩飯を選んでしまいサボり。金曜は何とか出た。皆どうやっているのだろうか? 健康的な生活としては、午後6時から夕食をとれば消化も済んだ頃に練習となり、ちょうどよい。しかし晩飯にビールは飲めない。困ったもんだ。

 今まで土日の稽古に参加していたが、これから3ヶ月は木金となる。

 本日の稽古は、基本の後は、約束組手4種。これで1時間半が過ぎた。新しい約束組手なので順番を身体に覚えさせることから始め、何度もやればそれなりに時間もかかる。

 稽古前に15分程度サンドバッグをやった。まあそれも合わせるとまずまずと言える稽古の分量だ。

 「沈まぬ太陽」を観る。山崎豊子氏原作の映画である。3時間を超える長い映画なんだが、どうも何を言いたいのか、見せたいのかが分からぬと言うか、映画だからであろう、ちょっと浅いエンターティメント風味だ。または言いたいこと、見せたいものが多すぎるのであろうか? 

 JALをモデルとしたナショナルフラッグキャリアの航空会社、国民航空の労組委員長が主人公であり、あまりにも強く会社にたてついたために、左遷の会社生活をおくる。ほとんどイジメに近い。パキスタン駐在からイランへ、そしてケニヤへと回され、日本に帰って来た頃に御巣鷹山墜落事故が起り、被害者の家族の世話に奔走する。その後、国民航空の経営改革の為に外部から来た会長の右腕となり、怠慢経営の一部を暴くが、政治家も絡んだ末に会長が辞職すると、結局またケニヤへやられる。会社組織社会の愚かさ、欲深さに翻弄されつつも、最後にケニヤの大地で悟りと諦めの入り混じった感覚とともに、大自然の与える何らかの肯定を覚えて、物語は終わる。やはり最後は悠久の大地、自然か・・・、これしかないか、ないのならしょうがない。

 原作は違うと思うが、映画はちょっと・・・陳腐である。墜落という大事件は悲劇である。その悲劇から学ばずに、相変わらずナショナルフラッグキャリアの国民航空は経営を変えようとしない。会長を除くと、能天気で権力闘争の好きそうなバカ者ばかりの経営陣である。この辺は映画的なデフォルメであろうとは思う。しかし「本当にそうか?」現実がこの映画の世界と似たようなことならば、そもそも存続してはいけない会社である。似たようなもんだから、それから25年経ってようやく破綻してしまったのであろうか。

 うーん、映画を見て現実を推し量るのは大変よくないことだが、これは現実に存在する会社や人をモデルにして創作する物語の、読者・視聴者に与える危険性であることは確かだ。

 ナショナルフラッグキャリヤの意識がある限りは立ち直ったとしても一時のことであろう。働いている人が悪いわけではない。そこに縁故採用というような小さなものから大きなものまでの利権があるから、結局食い物にされて上手くいかない。

 民間に任せて上手くいく場合は、明らかに客観的な世界的競争がある場合である。我々の自動車産業は、世界的な競争の中にある。少しでも未来の設計図をかけるもの、苦労を経て真実を述べられるものが、それなりにちゃんと経営陣として居ると思う。そして檄を飛ばす。最近は昔と違い柔らかく表現に気をつけた「言葉」である。そうして上から下まで世界的な競争と危機感を共有する。

 そんな公平な競争の中で、自ら誇るよいモノを作れ、それが世の為人の為になって行く、という純真な精神と世界観を創業者は残した。青臭い議論でもOKである。むしろ青臭くないと先に進めないような世界観だ。

 USのある会社は粉飾決算を成し、一時的に株価を上げて株主を儲けさせるだけ儲けさせた後に、発覚して会社をつぶすということがあった。最後まで株を持っていた人は大損である。モンスター資本主義の奴らは上手くやってしまったのであろう。これは詐欺という犯罪である。

 組織、会社の理念が大切であり、理念に沿って実行できているかどうかの自己チェックが常時必要であることが分かってくる。