2011年10月3日月曜日

何の為の空手か? 第3回

少し休みが取れたので妻と一緒に帰省してきた。住んでいる埼玉県から車で約7時間のドライブ、一泊二日の旅である。妻が小生の実家に行くのは、バーさんの葬式以来、3年ぶりだ。小生は盆と正月の2回、毎年帰省しているが、その時は息子を伴っている。近年はその息子も、何もない片田舎に行くのを嫌がっているが、長男の義務であるの一言で済ましている。妻は、同居している妻の老いた母を一人にしておけないので毎年の帰省には同行はしない。それが、久しぶりに小生の実家を訪れ墓参りをしようと言いだした。息子は高校1年で学校がある。考えてみれば息子が生れて以来、久方ぶりの夫婦だけの旅である。

実家は、小生の方の年老いた母の一人住まいである。70代半ばになるが、幸いまだ健勝である。無論悪い所は色々あるようなんだが、一人で家の裏に作った畑仕事をして、野菜をとり暮らしている。田んぼもあるのだが、その面倒は到底無理であり、知り合いに頼みこんで耕してもらっている。母は小学の教員をしていたが、退職してもう久しい。父は15年前に亡くなっている。月日の経つのは早いもんだ。

田舎の出身で都会に出て働いており、既にそこに家庭を持ち、老母のみが実家を守っているという境遇の人もそれなりに多くいると思う。今後どうするべきかと考えなければいけないのだが、まだまだ何かが起きるまでは実感が伴わない。その何かとは、小生の定年退職であり、あるいは母が病を受けることであろう。定年退職まではまだ8年あり、その時母は83歳か。

4年ほど前に妻に言ったことがある。息子がまだ小学生でかわいくまとわりついており、夫婦の母親二人がまだ健康で、猫もおり、家の新築が成り、「今が一番幸せかもしれんな」、と。その言外には、これから衰え失う人生があり、それに対処していくことを含んでいた。

息子の成長はまだまだこれからではあるが、それは最愛の彼が親の手を離れて行くことを意味する。母達は老いて行く。そうそう、我家の一員である猫も老いて行き、おそらくは一番早くその寿命を迎えてしまうことだろう。

下り坂の人生をどう歩むか。小生は別段否定的に「下り坂」と表現をしている訳ではない。それが年齢的に自然であるからだ。人はずーっと逞しく強くなる訳ではない。これからは失うことが多くなる時間となる。

母は相変わらず元気に我々を迎えた。女は逞しい。実家は掃除が行き届いていて何年かぶりに見るきれいさだった。おいおい、小生と息子が帰省した時にはこんなにきれいではないぞ。埼玉の家に帰り着いてからそのことを妻に話すと、「お母さんに無理させたね」と言った。彼女もまた優しく逞しい。彼女と彼女の母、小生、息子で暮らす埼玉の我家は彼女で持っている。同居している彼女の母は既に80代半ばに近く、軽い介護の必要な状況になりつつある。

武道が人の処する道を示してくれるのであるならば、「女の強さ」を持つべきかもしれない。リングで闘い、若さの絶頂の強さ比べだけではなく、下り坂、衰え、それをカバーする、人の芯の強さを磨く道であるべきであろう。現代の武道は、戦国の世に人を殺し自分が生きる術ではなく、平和の世に自らの極めの為にのみ在る訳でもない。人を守り、人を生かす術であるはずだ。若々しい魂が伸びて行くことを応援し、またその彼等が求めてよしとする道で在りたいし、小生のようなこれから衰えて行く人間が求道してもよい何らかのモノがあってもよい。それを普遍の価値と言う。

普通なら35歳くらいで武道家として衰えを実感するはずが、50を越えてしばらくしてそんなことを感じる小生もかなり図々しいと言うか我が身を知らぬものであると言える。50を越えてやっとこさ衰えを意識している!?

ここ2年ほど、試合に出るかどうかを迷っていた。もうこの年になって試合と言えども人を傷つけたくはないし、自分もわざわざ痛い目に遭いたくもない。では何で試合に出ようとするのか、と。ある高名なフルコン格闘者が言ったことがある。闘う相手に敬意を表する、と。

闘うならば勝ち、相手を制圧することが正しいことだ。小生は若い時そう考えていた。それは今も正しいと思う。強い奴に勝つ為にハードな稽古を行い、勝ってさらに上を目指すか、負けて限界を知るかであった。ところが年をとり40後半になっても試合に出ようとすると、なぜ出るのかの意義が必要になってくる。それを探していた時に、そのフルコン猛者であり、ある程度年を経た師範の言葉が身にしみた。闘う同志を尊敬し感謝する、ということ。自らの技と闘志を磨きその同志に会う。人生の喜びとする邂逅である。それも正しい。しかし今はさらに違うような結局同じのような・・・。闘うという姿は色々なのだ。その一つが試合場に立って闘うことであるならば、それをしよう。自ら選択した道であり、何らかの発見があるはずだ。上手く言えないね、それは生命力と表現するようなものなんだろうね。

この話は続くかどうか、小生にも分からぬ。ただ男の小生に、女たちが武道をいうものを教えてくれているような気がする。武道は、男の道であるはずなんだがな。自然でひたむきな生き様ということなんだろうね・・・。昨今、男の方は、若い時は青雲の志に燃えたとしても、年をとりくたびれてすっかりサラリーマンになり、出世のような副次的な価値観の中に一喜一憂し、根源的な生き方を失いがちになる。そういうのは「武道的」生活ではなく、その中で空手稽古もしていると言っても、単なる勝ち負けや技の習得にかけるゲーム、あるいは健康維持の体操に過ぎなくなる。武道と命というものは本来直接的に繋がるものだ。刃をくぐり抜ける生活ではなくても、ひたむきに人を守る生活と言う、女の道の方が武道的のような気がしてくる。さらに・・・女は命を賭けて赤子を産む。

さて。

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