3回戦、4回戦と勝ち進むにつれ、「そうだ去年よりは少なくとも上に行かねば」と思った。幸いにしてベスト16を勝ち、ベスト4迄行った。
不思議ではある。勝ち進んでベスト16の試合が近くなった時にようやくそう思った。その前は「無心」。試合の2カ月ばかり前から、最後の大舞台にかける気持ちは非常に強かったんだが、優勝しようとか、去年よりもいい成績を残そうだとか言う感覚は皆無だった。
1ヶ月くらい前からは寝床に入って寝るまでの間、まあ寝ているから目を閉じているんだが、意識が無くなるまで闘いのシミュレーションをやっていた。寝ながら何度もビクッとして身体を強張らせたもんだ。シミュレーションしてやられる時だ。だいたい自分の想像の世界で闘っているのに、何でわざわざやられなければならないのか?ただ、その時はそういうことが毎回あった。
街を歩くと、すれ違う人々に想像の中で技をかけた。「今は突きの一発で倒せた」とか「間合いが合わなかったので、この蹴りでは倒せないな」とか。物騒この上もない。俺の顔つきは一体どんなだったろうかと思う。すれ違う人にガンをつけていた訳ではない。なるべく普通の顔でいたと思うが、殺気は体内に満ちていた。
試合の2カ月弱前に、自主稽古で自分の技を鏡に映してチェックしていると、「一歩出て前蹴り」、左前のレギュラーの構えから後ろの右足を素早く前に送って左足で前蹴りをするという技が、我ながらやけに速くできることを知った。そこでこれを主戦にしようと決めた。皆でやる定常の稽古以外に、自分のペースで技の形をレヴューする自主稽古をよくしたものであるが、そこではよく発見があった。
それまでは182センチの上背とリーチを活かして、上段突きを主戦にしていた。寸止めの試合はほとんど突きでポイントをとるものであり、蹴りを極め技にする試合運びは一般的に少なく、自分もたいていそうであった。蹴りでポイントとったことはそれまではあまりないと思う。
しかし意外と「一歩出て前蹴り」が速い。瞬時にできるぞ、と。
またしかしであるが、なんぼ速いと言っても、一歩の歩を送っている間はかなり無防備である。一歩歩を進める技は蹴りは無論突きにしても非常に思い切りがいるし、移動の間にカウンターを喰らうとそれはまずほとんど寸止めでは無く当たる。こっちが大きく間合いを詰めているので当然と言えば当然だ。だから技を出す方にしても覚悟と思い切りがいるものだ。
結果的には逡巡せず出すこの技で勝ち上がった。半歩出れば天国、半歩退けば地獄とよく言っていたもんだが、その間合いコントロールがやけにうまくいった。気力が満ちていたからだと思う。妙な証左になるんだが、ベスト4に勝ち残った時に俺はやったぞ的な達成感を感じてしまい、それからの試合は全く駄目だった。準決勝、3位決定戦、相手も非常に強かったこともあるが、逡巡せず特攻精神みたいなもんで前蹴りをすることができなくなり、相手にきっちりカウンターを極められた。
あれは「気」の勝負であった。勝ってベスト4まで進んだことに満足してしまい、以後「気」が拡散してしまった。チャンピオンに成るまで気の抜けない伝統校の選手と、小生のようにベスト4に入れば大変よくやったと思ってしまう者の違いだ。小生は若く、スポーツ選手であったが武道家ではなかったとも言える。闘いに臨めば生死の狭間で勝って生きることを求めるのが武道家である。負けて死ぬのも武道家である。闘う前に満ち足りているならばお話にはならない。
それまでの「気」はよかった。試合の日は目覚ましが鳴る前の早朝、眼を覚ました。眠くもない。こんなことは人生の中、何度もない。小学生の頃、楽しみでしょうがなかった遠足に行く日の朝のようだ。起きて全く眠くなく、既に頭がきれいに冴えていた。京都の某体育館に集合時間の前に着き、近くの喫茶店でモーニングサービスをゆったりと食した。集合時間が過ぎたがまだそのまま。やがて既に体育館の前にて稽古を始めていた我が校の部員の輪に加わるのだが、遅刻して反省やら謝りやらの思いは不思議な程一切なく、完全なるマイペース。もともと間に合わそうとすればできたのであるが、無心の時間のようなものを喫茶店でおくっていた訳だ。無心が続き、ゆっくりと着替え準備体操をして、既にメニューが進んでいる稽古に加わった。稽古を始めると集中力が加わり、そして試合が始まった。
不思議ではなく当たり前なんだろうが、順調に勝ち進んだ試合の中身は一切覚えていない。難敵と相対し負けそうになった試合の方は覚えている。ベスト16で先手をとった後無造作に出した蹴りをさばかれて技ありをとられたこと。その後相手に攻め込まれて思わず出した上段突きが極まり、やっとこさ勝ったこと。ベスト8に相対した190センチの巨漢に先手をとれた上段突き、その後相手も強いのでアレヨと言う間に攻め込まれて取られた上段突き、負けるかもしれなかった中で無心かつ思い切りよく一歩進めての前蹴りが、自分ではさして極まったつもりがないんだが、タイミングと形がよかったのであろう、審判がとってくれ勝利してしまったこと。
準決勝。相手がかなり間合いを詰めてきた。それまでは遠い間合いから一気に歩を進めての前蹴りが面白いように極まっていたが、あの近い間合いでは使いようがない。それどころか上段の逆突きが届きそうな程の近さだ。上段の逆突きをする瞬間、相手のカウンターの中段が極まった。2本目も極められたのだが、どういう技だったかは記憶が不確かだ。確か有利に立った相手に攻め込まれて、あえなく技有り2本の一本負けだった。3位決定戦。一歩出て前蹴りへ行く途中にカウンターの中段でまず技有りをとられた。2本目は攻防の中でまたもや中段を極められたと思う。これもあっさりと一本負け。後に読んだ「月刊空手道」の記事では、「すごい勝ち方をする選手だったが、準決勝以降は萎縮したのであろうか・・・」となっていた。すごい勝ち方と言うのは、ほとんどの極め技が蹴りであった為に派手に見えたのであろう。準決勝以降は上に記したように、あっさりと早々と一本負けを喫した。ベスト4に残った時に天井を見上げて、俺はよくやった的な満足をしてしまったから「気」も出ないわな。既に闘いに執着した勝負をする感覚ではなくなっていた。相手が強かったというのもあるが、それにしてもあっけなかった。
この試合で学んだ大きなことは、チャンピオンを目指さなければ既に勝負に負けていると言うことだ。
と、認識したんだが、それ以降、大学の選手を引退するまでに小生は多く負けた。その大会以前に負けた回数よりも多く負けてしまった。その大会までは高い身長を活かして懐を深くする後屈立ちに近い形で構えていたが、全日本学生選手権の東西対抗選手としてただ一度、強化練習があった時に、体重を後ろにかけ過ぎであることを注意された。前屈立ちに近い形で構えれば、後ろ脚が既に床をキックする態勢になっており、飛び込んで突きをするのに有利であると指導され、やってみたら確かにその通りだったので以降その構えに変えたんだが、それがまったくよくなかった。元々小生の反応は早くないのであろう。飛び込みのスピードやカウンターには有利なその構えは、小生には合っていなかった。相手の攻撃を懐の深さで受けながら攻防の中で技をかけるか、マイペースで相手の警戒の中、その予想以上に遠間から思い切りよく歩を進めて極める試合運びで好成績を出していたんだが、それを捨ててしまった。技術的な指導を受けることもないくらい学内では強くなっており、OB先輩からの技の指導はほとんどなかったので逆に、その選別された選手用の強化練習を指導する人をやけに偉く感じて、素直に聞いてしまったのが敗因だ。指導は受けても自分の頭で全体的にもっと考えねばならなかったが、まあ当時は無理だったろうね。その指導後の前屈立ちの構えからは、確かにその当時の小生の課題であった速い出足ができるような気がしたもんね。半歩を速く出る構えであった。それまでの小生の勝ちパターンは、半歩を速く出られないので、思い切りよく一歩を進めてより遠間から攻撃することだった。
まあ繰り返しになるが、指導を疑問なく受けるのではなく、受けるのは素直に受けるのだが、自分の頭で熟考することが大切だ。それが前向きに指導を受けることでもある。
うーん、今日はタラタラと思い出を書きながら来た。まとめねばどうもイカンような。
- 勝負の場に立つならばチャンピオンを目指せ。途中で満足はするな。
- 指導は素直に受けて前向きに実行するが、その後自分の頭で主体的に熟考せよ。
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