本日は空手の話題から外れて・・・時事放談じゃい。
菅直人首相の退陣が確定的となり、民主党内では次期党首即ち総理を選ぶアレコレが始まった。今の所、候補は6,7人おり、彼らが様々に様子を見たり周りに乗せられたり政治嗅覚を発揮したりして、その内決まっていくことであろう。復興増税と大連立是非のチャートにポジショニングされた彼等を論じるTVワイドショーがあった。
待てよ、と考える。復興増税の是非はまあよいが、大連立の是非は完璧に政治の方法論である。それよりも原発是非を軸の一つにおかなければならないのではないか。
我々は原爆を落とされて66年後の今日、原子力の平和利用と呼ばれた原発からの放射能被害を受けている。原子力というパワーを認めるかどうかの判断をそろそろすべきではないだろうか。隠されてきた原子力の問題が今頃になって明かされてきている。口がアングリする程呆れるのは、放射性廃棄物の問題である。ナニ?10万年以上地中深くに埋めないとイカンのか?原発が安全だとさんざっぱらPRされてきた中には、そんなのはなかったぞ。
最近、原発廃止とする個人の見解をいきなり言ったとして批判された菅さんを弁護したくなっている。原発の是非を問うことは正しいことではないだろうか。原発を持つことは未来に対して責任を持てることなのか。
放射性廃棄物の問題、1000年に一度の津波でなくてもテロや戦争で破壊された場合の収拾がつけられない事実は、今の福島原発を見れば分かる。そんな原発を進展国に輸出して増やして、我々の世代は責任が持てるのであろうか。
国家のエネルギー政策と原発の是非を問う選挙は、この復興が多少落ち着いてからやるべき重大判断である。「みんなの党」が参議院に出す、原発是非の国民投票法もおもしろい。
TVのワイドショーは、菅降ろしを連日面白おかしく伝えた。今度はまた民主党の中の権力争いをせせら笑うように伝えることだろう。マスコミは確かに第4の権力である。その権力を正しく用いてもらいたいものだ。戦前の挙国一致体制を援護した苦い経験から、時の権力に批判的であろうとする姿勢は分かる。ならば、政治家よりも国民の多様な意見を取りあげて流すべきである。政権や政争を嗤っていることからは何も生まれない。
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