まあ要するに気合が入らず、稽古をサボる理由の一つとして、俺は空手の「迷い」を述べたかったし、実際に感じてもいた。52歳の俺が、フルコン組手の強いか弱いかの世界に居てもいずれ衰えるし、既に衰えているような気もして、古伝空手の理解に傾倒した。
時折、そういうブルーな感覚が起きる。それは今の所解決できない感覚である。この年ならば明らかに衰えるのは分かっているし、このままフルコン空手を続けて行ってもどうかなと言う疑問である。フルコンはパワーとスピードである。無論試合運びやサバキと言うのもあるが、俺はまだまだ慣れてはいないし、そこに十分な稽古を積んでいるとは言えない。
今日氷解した。衰えることの怖れで考えても話にならぬ。衰えてから考えればよいのである。俺はまだまだパワーやスピードを増せるはずだ。そっちの方を求めよう。パワーやスピードを増す為には、日々を考えることに費やすことではなく、修練することに使うことだ。
古伝空手の書物を読み、「迷い」を持ちつつ結局稽古をサボって酒を飲んでいたのがこの俺である。古伝空手は非常に魅力的で、よき師に会えばそっちに行くかもしれぬ。しかし今はおらず、調べても見たが俺の近くにそのような道場はない。ならば邂逅するまではこのまま突っ走る。パワーとスピードをまだまだ伸ばす。サバキも身につけたいが、中々に・・・、いつも一人で稽古するのが多く、これがまた難しいんだよね。
技はあくまでも速く、強い動きをする。年をとり素早い反応の動きができない所がもどかしいが、技だけならばまだ速くできると思う。「強い動き」と言うのは、古伝空手を少し読んだ後の表現である。相手の動きに先んじて自分が動く。攻防一体に関しては研究し自覚して求めて行こう。
ということで、今までどおりの修練をやっていく。若い奴にはまだ負けぬ、と言う気概である。
ここ2週間ばかり「迷い」の上に昼トレも道場稽古もサボりがちであったんだが、それはいかん。元通りに激しくやるべきである。どの年代でもその真剣さの中で成長がある。
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