2011年8月2日火曜日

熟年空手家のぼやき

 最近どうも昼休みトレーニングに熱が入らぬ。暑いからとも言えるが、何だろうね? 1年の内何回かはこのような時期が来る。その度にもっともらしい理由があるんだが、共通して言えることは、俺はいつ衰えて弱くなるのだろうかの問いを発し、答えが見つからぬからである。せっせせっせとトレーニングしてもその先が見えない。

 もう52歳だから既に衰えているのかもしれないが、ウェイトはやればやるだけ負荷が増えて今は最大負荷のレベルにあるし、サンドバッグを蹴ってもまだ破壊力は衰えていないように思う。有酸素運動は分からぬ。最近、長距離を走ったことはないから衰えてはいるんだろうが、空手の道場稽古はそれなりに体力、もっている。

 前に記したが、30年ぶりに母校の空手道部の練習にフル参加した際はどうということはなくこなした。30年前はなぜあれ程苦しかったのかをむしろ不思議に思うほどだった。たいしたことないじゃん♪である。

 ただ闘争心と言うものは確実に無くなっては来ている。この年になって相手を傷つけるか自分も傷つくかの修羅場をわざわざ求めたくはない。道場の若手は育ってきており、フルコン組手で抜かれて行く寂しさかなぁ、そういうものも感じている。彼等の成長は順調で早く、俺は衰えのまぐちか、その過程にあるのだろうかと無力感のようなものを感じる。伸びて強くなっていく彼らが羨ましい、ということか。

 組手における反応は確実に鈍くなっているんだろうね。

 このままフルコン空手を修めて、フルコンと言うのは所詮、組手で強いか弱いかであるから、ズルズルと衰えの中で過ごしてよいのかどうかを考えてしまう。

 年を経ての強さを求めたくて、古伝沖縄空手に興味を持っている次第である。フルコン空手の我が流派でも最近は型を重視し始めた。空手を生涯の運動と見るならば、年をとってもできる型は必要である。組手の強さは30代で終わる。

 しかしながら、空手を志したものは皆そうであるんだが、年を経ても強くなりたい訳だ。年を経るに従って強くなれる道を探そうとする。強さには精神的な強さがあるなどと青臭いことは言わない。そりゃ当然だ。年を経ても格闘の技を身につけて肉体的に強くなりたいのである。体力がピークである25歳から経験を積んで試合運びも上手くなってくる30代前半の時期を、最も強い時期とするのならば、それでもそこからさらに強くなれるべき、武術の術はどこにあるのだろうか。単に、元気な時が一番強いでは術は無くても一緒であろう。術は深く修めるにつれて磨かれていくものではないのか。闘わずして勝つ、の極意に術は行くべきだと思うんだが、その道とは?

 俺はその術を知りたい。

0 件のコメント: