2011年5月8日日曜日

懐かしの場所にて

 田舎に帰省し、久しぶりに大学の空手道部の練習に参加した。OBになってから何度か参加はしたが、指導することが中心だった。今回は指導は抜きにしてフルに学生と同じメニューをこなそうと最初から考えており、どこまで体が持つのか試すことが実は楽しみであった。文字通り練習に参加したということであり、そういう意味では30年ぶりの体験である。

 52歳のオヤジが20歳前後の若人と2時間半、同じ練習をこなした。基本稽古の所、蹴りの回数が多く、1度ばかり息切れがしてついていけない所があったが、それ以外は最後の補強に至るまで同じことをやった。まあ俺もたいしたもんだと、とりあえずは誇ることにしよう。

 一方でこの程度の練習であるのならば、若かりし頃の俺はなぜあれ程消耗していたのか、と考えてしまう。練習は非常に辛いという記憶が濃く、道場に行くのが非常にいやであった。

 現代の練習と30年以上前の練習の大きな違いは、移動の有る無しであろう。あの当時の延々と続いた移動稽古は本当に苦しかった。広い武道場にて、四股立ち順突きと逆突きの各2報復で計4往復。前屈も同様。猫足立ち前蹴り2往復に送り足による蹴り2往復。30分以上みっちり移動稽古をやっていた。腰が少しでも高いと先輩から怒られ、また自分がその立場にたつと同じように怒った。汗をダラダラ流し、腰を落とした下半身はぶるぶると震え、それでもさらに腰を落とせと言われる。顔は苦しさで歪み、もはや泣きそう。我慢の限界というものを常時味わっていた。

 あの移動稽古は一体何だったのだろうか? 現役諸氏のフットワークや型の披露を見ても十分安定しているし、形になっていると思う。延々と苦しい移動がなくても空手の技は伸びると言うことであろうか。

 現在通っているフルコン道場でも基本の移動は短い。そもそも道場がせまい為前屈ならば3歩足を送るのが精一杯であり、即廻れとなる。そんな稽古でも若い道場生は十分下半身が安定している上手い技を出せる。うーんやっぱり考えるね、俺の青春の、あの過酷な移動稽古は意味があったのだろうか?

 移動稽古は下半身の鍛錬であると言えるが、そもそも空手の立ち方そのものである。猫足で構えて蹴りを放ち、前屈で突きを出す。四股立ちで相手の技を受けて返す。この立ち方そのものが空手の闘いの中に使われない限りは、単なる下半身の鍛錬にしかならない。そして今や試合でこれらの立ち方が正確に使われることはない。空手の型はすべてこれらの立ち方で構成されている。三戦立ち、後屈立ち、結び立ち等も加えて。つまり型の動きを実戦で使えない限りは、これらの立ち方の意味は伝統の中に形骸としてある「型」にしかないことになる。

 あえて「型」を実戦の形骸と述べた。素直な疑問は型の動きが組手の闘いの中になぜ出てこないのだろうか、ということだ。伝統派からフルコンに至るまで通算10年以上やっている俺にしても、特に不思議に思わず、「型」と「組手」を別物として端から捉えている。だいたい型によくある裏拳打ちをやっても組手試合では有効打としてとらないではないか。

 「型」の動きと「実戦」あるいは「組手」は、いずれあらためて考えたい。

 現在の組手では、フットワークを用いたボクシングスタイルの立ち方(フルコン)や、前後に少し広めにとり重心をほぼ中央にした伝統派空手の組手構えとなり、上記の空手伝統の立ち方はまず用いられない。従ってわが青春の移動稽古は下半身の鍛錬にのみあったようだ、なんともはや。

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 我が空手道部の現在の練習に占める割合の最も大きいのは、かかり稽古であった。4人くらいが、キックミットを持って立っている中を、残りの者は列を成し、順突きでミットを突いていく。列を移りながらひとしきり順突きをやった後は、逆突き、中段蹴り、上段蹴りと技を変え同様にする。

 単発でやるからには破壊力第一である。余計な力を入れずにスピードと極めを重視して、突きにしろ蹴りにしろ突き刺すようにしなければいけない。当てた時に最も破壊力が出るようになっているかどうか、チェックしながら何本もやる。

 次にミットを置いて、構えた相手に対して連続技のかかり稽古。この場合、伝統派は寸止めしないといけないので注意が必要だ。普段フルコンをやっている俺は細心の注意を払った。

 俺は学生時代に歯を2本折り、鼻を曲げている。相手の上段が止らなかった。その後、歯は3度作りなおしたのでのべ数十万かかっているし、鼻に関してはクランクになった通気路の為、鼻中隔矯正手術をしても慢性鼻炎で片側が常に詰まっている。今フルコンをやっているのは、上段突きありの伝統派の方が確率的に危険であるから避けたということもある。もう歯のブリッジを作りかえるのは嫌だし、鼻は骨を削っているのでさらに曲がり陥没しやすいので、顔面パンチはご免だ。

 かかり稽古に戻る。
 技については昔のようなスピードはなかったことだろう。昔、自分で鏡に映して技を点検していたが、自分でも見えないようなスピードで突けた頃があった。蹴りも小さく足を折りたたんで非常に速く突き刺すように出す蹴りができていた。
 今回やってみて、中段の回し蹴りや前蹴りを止めるには止められるが、その後の引き足を早くするところまでは考えがまわらなかった。まあ、止めただけでやんわりと引いていた為、試合では取ってくれそうにない技になっていただろうな。伝統派空手では、突きも蹴りもスパッと繰り出しスパッと引いて残心を取ることが肝要。切れ味が大切だ。伸ばせば切れていること。これはフルコンでも取り入れるべき点であり、普段意識して身につける必要がある。

 1,2パンチから左上段回し蹴りや右上段回し蹴りの連続技も試した。一つ一つの技の破壊力はあるとは思うが、切れ味を出す速さが足りない。連続技の間隔を短くし、速い動きの中で、出す技がそれ以上遥かに速くなければならない。それは単に手による突きの速さではなく、体全体の無駄のない動きを合算した速さである。ゆっくりと移動していると次に繰り出す技のスピードも鈍りがちになってしまう。速い移動と体の回転、そして速い技を出そうとする心構えが大切である。これはフルコン組手の際にも俺の足りない所だ。移動がスローモーだから次の技も大きくスローモーになりがちだ。力を抜くことはスローモーにすることではない。動きと技は速いんだが、最後の極めを意識的にはずすことが、力を抜いたスパーリングだ。逆に言えば極めた時には相手を倒せなければならない。

 技と動きの「切れ味」をキーワードとして常に頭に置くこと。
 
 最後に腹筋100回、背筋100回、拳立て60回の補強をした。若い頃には決してなかったんだが、腹筋100回だと80回くらいから非常に腰が凝ったようになり鈍痛を覚える。腹筋自体はまだまだOK。なるべく背中を丸めて腹筋のみを使うようにしているのだが、もうこれは年のせいでしょうがないのであろう。従って自主トレでは回数が比較的少なくても鍛えられるV字腹筋をよくやる。腰が凝る前に腹筋が消耗してよく鍛えられる。

 30年ぶりの大学での練習。文字通り血と汗を流した、かつてと同じ道場にて。かつての先輩、同輩、後輩たちの顔が浮かぶ。皆もういい年のおっさんだろうが、当時のままの若さにて鮮明に思い出せる。俺の人生においてこれほど強烈な記憶の一群を残している場所はない。

 これからの若い現役諸君の健闘を祈る。闘いは試合だけではなく、人生の諸局面に在り、勝つこともあれば負けることもある。勝って謙虚に前を見、負けて学ぶことを積み重ねることだ。

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