2011年5月8日日曜日

白髪染めから、型へ?

 久しぶりに風呂でスクワット150回。スクワットはかなり大変なので中々やる気がせず、せめて一日おきとしたいが、実際には3日に1回弱であろう。150回続けてはできないので、50回ずつ3セットの計である。

 習慣としてスクワットをやり始めて数カ月が経つが、中々一息に100回はできない。ゆっくりとならばできるんだが、1秒に1回という程度のスピードだと、息が上がるのと筋肉が消耗しきるのとほぼ同時に来る。今の所70回で一休みして残る30回をこなすパターンが多い。数か月経ったがあまり進歩がないね。

 本日は、髪の毛を染めたので、それを洗い流しながら、50回2セット。体を洗いつつさらに50回。この「ながら」スクワットと言うのも、スクワットだけに集中すると大変しんどく、単調な動きにさらに滅入るので、風呂場で髪や体を洗いながらやることが多くなった、ということ。

 髪の毛を染めると言っても白髪染めである。もともと若い時から白髪が多く、もう52歳だからほとんど白髪だと思うが、時折染めているので実際どこまで白髪になっているのかは不明である。生え際はほとんど白髪。40代中盤の頃、道場の鏡の前で稽古し出した時、頭の白いオヤジがエッチラオッチラやっているのが、健気に思え、そう思うことが情けなくなったので、染め始めた。

 本日は、かなりゆるかったが、道場稽古もやりスクワットもしたのでまあまあよしとする。

 時折、まるで周期的に考え込んでしまうんだが、何の為の空手か?何の為にこうやって日々鍛えようとしているのか?またぞろ、この問いが出る。このブログでも今まで2回書いた。同じ問いを発し、同じ答えを得る。まだ分からぬ。

 少し伝統型を学ぼうと思い始めている。何の為の空手かの答えの一つは、動禅としてである。空なる動き、動きの中の空とは? 空なる動きの中に胆力を練る。そう書くと禅坊主から喝だろうけれど。禅とはなにも求めずただあるがままに座すことだろうから。

 とは言え、俺としては空手を通じて何らかを求める。動禅と言えば、やはり型であろう。

 平安と言う型があるが、あれがどうにも馴染めぬというか、覚える気がしない。糸洲先生が体育として考えた型であることを知っているが為に、格闘のエッセンスとして在る型では無いような気がしてならぬ。ではナイファンチ?いずれ会得すべし。難しそうな型だなあ。冨名腰先生が空手を始めた時に3年間、この型のみをやり続けることを課せられたそうだ。動きの解釈が難しそうである。

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