2011年5月8日日曜日

昔話、合宿

 30年経っても覚えている光景がある。全関西学生選手権の準々決勝、準決勝、3位決定戦の3つの試合。さらにその前年のベスト16での試合、また遡って20歳の時の対外試合の初陣。そうこう思い出そうとすると、大学1年の夏合宿で初めて組手をやった時の風景等、どんどん情景が思い浮かんでくる。

 大学を卒業し就職して30年が経つが、その間に覚えている光景よりも何たる数の多さ、鮮明さであろうか、だ。

 若い感受性の中で、もっとも激しい肉体の鍛錬と、恐怖を伴う闘いの日々、その間を通じて同輩、先輩、後輩や好敵手との交わり、心身活動の濃い時期であった。それは自ら生んだ訳ではなく、その世界に入る選択をして、入るとそうなった。

 大学1年の夏合宿。ヘロヘロになる練習。筋肉痛が酷くなり、痛いところを庇うとまた別の所が筋肉痛になり、もう全身痛くない所はないという状態だった。それでも動き出して汗をかきだすと多少は痛みが和らいだ。練習に臨んでいる人間の精神力なのか、それとも筋肉の温度が上がると痛みが物理的に減るのかよく分からぬ。合宿は4年間を通していつもそうだった。

 あの・・・、朝起きて動き出した時の全身筋肉痛、なんでここまでして動かなければいけないのか、苦痛であり、拷問のように感じていた。少しの休憩を挟んで午前の本格練習、それから昼寝をして夕方の練習に臨む時等、その都度体が冷えているから同様の全身筋肉痛があった。その度合いは1回生のころとさして変わらなかったようには思う。ただ、精神と言うか神経が、それが普通であると言っていた為、上級生になるに従って鈍感になって行った。まあ、そういうもんだ、と。

 夏合宿で初めて組手をした。それまで苦しい練習を支えあってと言うか、弱音や痛みを言い合うことで互いに耐えてきた同輩と、今度はいきなり闘う羽目になった。これは不条理である。同志が敵となる。最初は皆、組手には素人だから、まあ変なもんだ。恐そうに技を出してはすぐ下がったり、やられるまえにやろうとして、しゃにむに手数を出して押して行ったり。個人個人の性格が出る。

 結果、脛の細いほうの骨を骨折した奴、顔面に当たって鼻の骨が折れた奴、各1名が出た。今なら大慌てであろうが、当時は・・・、誰も慌てない。上級生は何らか考えたことだろうが、1回生の我々は自分のことで精一杯であり、大して心配しなかったように記憶している。脛の細いほうの骨を骨折した奴は合宿から戻って医者に行って初めてそう分かった。かなり痛かったであろうが、我慢していたのであろう。鼻が折れた奴も、折れたのは最終日であり、その日に合宿先近くの医者に行ったが、応急措置として、鼻を覆う大きなガーゼをして戻ってきただけだった。その後合宿打ち上げコンパに彼は参加して芸を披露していた。

 残念ながら彼らは夏合宿を最後に空手道部を辞めてしまった。実際負傷してみれば、重く考えさせることがあるのだろう。30年以上前だが今でも彼らの顔を覚えている。野蛮と言うか、怪我することは武道には当たり前の付き物としていた時代感覚だった。

 体を苛め抜くように鍛えたあの日々。激しければ激しいほど、辛ければ辛いほど強くなる気がしていた若い時代である。

 

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