2014年1月26日日曜日

淡々とランニング

 昨日の土曜は20K、本日は12.7K走った。今日は昨日の疲れも残り、実は走りたくなかった。だが週末走るのはもはや楽しみというよりノルマ化している。俺のいつものパターンだ。嫌だから走らないとなるとなんだか己に負けているようで、・・・何とも小さな勝負なんだが・・・、負けるのは気に食わない。故に気が進まずかったるいなと思いつつも、走る。
 走り出してしばらくは右太ももの裏の筋肉が痛く、大変スローペース。まあ本日はちゃんと走ることに意義があるとして、スローなままただ淡々と。
 Nike+で記録を取り出してからはペースが気になり、遅いペースでしか走れないと充実感が減じる。走ることの気持ちよさだけでやっていた昔の方が気楽で楽しくてよかったなぁ。
 タバコをスパスパ吸う55才のランナーなのでペースは速くない。ちょっとがんばってキロ6分。ゆったり流すと6分半になる。昨日の20Kはキロ6分4秒。結構がんばったもんだ。今日の12.7Kはそれよりはるかに距離が短いくせに6分30秒。疲れは1日では取れない。今までの10Kの最高記録はキロ5分38秒。このときは体が軽く途中から記録を狙ってみるかとペースを上げてそのまま維持できた。
 と言うようなペース記録を意識すると、いずれもっと速くとなり、楽しんで気楽に走ることができなくなる訳である。気楽に気楽に・・・ペース求めず・・・と言い聞かせながらもiPhoneを腕につけて走っているから、記録取れてしまうんだよな。
 走っているときに考え事ができれば、時間の有効活用になるんだが、生産的な事はなーんも考えていない。考えていることは、後何キロくらいで終わるのか、今の消耗程度ならまだどの程度持つか、あるいは遅くなるか、残りのコースにある上り坂は相変わらず辛いだろうな・・・、もたなくなればあの公園でストレッチやりながら小休止してしまうか・・・、というような、走り終わるまでのアレコレ。20K走ると2時間を越えるから、時間がもったいないよな。せめて今度からは若かりし頃の楽しい思い出でも浮かべるか。


 昨年の6月から何を思ったのか突然走り出して、夏の早朝の爽快感がよいので平日の朝も走っていた。冬の早朝は暗い寒いで走る気起こらず、せめて週末だけは、と、今に至る。さすがに腹の贅肉はずいぶん少なくなり、割れている腹筋が見え出した。元々空手家であったので、腹筋100回は軽くできる。贅肉の奥にちゃんと筋肉はあったということだ。ウェイトトレーニングは、15-20分の短時間であるが、ほぼ毎日続けている。が、どうも負荷が伸びないどころか微減だ。走り始めて、さらにトレーニングにも熱中していた頃、チェストプレス145Kを挙げられたんだが、最近は130K挙げられるかどうかという所。体重は87Kから81Kに減っている。その内2,3Kはタバコを吸いだしたせいだわな。贅肉は落ちてくれて構わんのだが、走ると筋肉も落ちるものだろうか。
 ウェイトをし、走り、さらに合気道でもやってみるかと思っているんだが、55才、こんなんでよいのだろうか・・・、他にもっと考えることがあるのでは?老後の生活をどうするべとか。
 まあよい(かな?) フルマラソンに出るとすると、せめて30Kは自信をもって走れるようになっておきたいもんだ。となると3時間半以上なーんも考えない? ウーム、今よく走る距離、20Kで走りながら余計なことを色々考えられるようになってから距離を伸ばすことにするか。

2014年1月15日水曜日

道場を辞めた時に書いた文章。あれからもうすぐ1年が経とうとしている。

 道場を辞めた時に書いた文章。あれからもうすぐ1年が経とうとしている。


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 「先生、そろそろ引退しようと思うんです。」 
 電話で、道場を辞めることをそう伝えた。

 ・・・・

 春弥生。陽光柔らかい明るい日であったが、まだ渡る風は肌寒い。久しぶりに道場に向かった。かれこれ2か月近く稽古から足が遠のいており、かつ道場を辞める手続きと挨拶に行くのであるから、楽しくスキップして行ける訳はない。さてどうした顔で行くべきか、と困っていたし緊張もしていた。

 8年間もの長きに渡り、この道場に通った。8年間だよ、まったく。大学時代の5年間よりもはるかに長い。駐在時代の終わりに空手を再開して通ったLAにある道場は、2年間だった。非常に多くの思い出がある駐在生活でさえ7年間に過ぎない。8年間・・・。平日は仕事がある為通えず、土日の休みに熱心に通った。仕事を早めに切り上げてごく稀に金曜の稽古にも出られることもあった。

 俺が始めた頃、小学3年だった息子もこの道場に通わせた。格闘があっていないらしく、嫌がって泣くときもあったんだが無理やり連れて行った。車で25分の距離。息子の稽古が終わり俺の稽古クラスまでは間があったので、近くの公園で、これまた嫌がる息子を付き合わせてランニングし、中々上手くならぬ息子に稽古もつけていた時分もある。彼は本当に嫌そうだったよな。

 土日の二日間と言えども、5-7Kのランニングを1,2カ月でも恒常的に続けると段々に楽に走れるようになる。広々とした公園の樹木を縫って走るのは、しんどいことはしんどいのだが、多少は気持ちがよかった。

 よく息子と走っていたのは、40代後半のころで緑帯の昇級を受ける前だった。緑帯昇級審査の組手は4,5人相手にやったがまったく息が切れなかった。息子は中学受験の為に塾に通い始め、小学5年生で空手を止めた。さぞかしほっとしたことであろう。中学に受からなければ空手を再開させるぞと半分冗談で言っていたから、かなり真剣に勉強していた。息子の稽古に付き合わなくなってから、近くの公園で走ることもなくなった。そうするとスタミナが落ちるようで、その1年後の茶帯審査の5人組手は3人目くらいでへばっていたもんだ。サンドバッグを蹴り過ぎて膝を痛めて間もないころでもあった。審査の3日前はそろーりそろりとしか歩けなかったから、今から思えば年の割には随分無茶をしたもんだ。審査の前、膝の水を初めて抜いた時には驚いた。何と多く出るものか。

 黒帯になったのは今から3年くらい前か。黒帯になり、指導員として皆の前に立って稽古し出してから途端に面白くなくなった。人を指導することは嫌いではないので、やりはするんだが、それよりも俺はもっと空手を学びたかったし、皆の中で共に稽古したかった。

 
 8年歩んだ階段を2カ月ぶりに上り、少しの緊張と申し訳なさを抱き、道場のドアを開けた。

 大勢の子供達がまだ居残り稽古をしている。親御さんたちが廻りを囲み、道場は明るくエネルギーに満ちている。多くの顔がこちらを向き、一応にこやかに俺も眼で挨拶をする。「先生は?」と入り口脇の事務スペースにいる奥さんに尋ねるやいなや、支部長先生が近付いてきた。「押忍」の挨拶。その直後、小さな拳士である子供達が目の前に駆けつけて「押忍」「押忍」の挨拶の連続。俺はと言えば、差し入れに持ってきたジュースの段ボールを抱えたまま、まだ入り口に佇み、少々びっくりしつつ、口だけで「押忍」の返礼をしていた。

 狭い入口スペースは一瞬小拳士達で埋まり、我先に俺の顔を真っすぐ見上げ、「押忍、押忍・・・」最高の見送りだね。

 「まだ稽古中だったんですね。邪魔をしてすみません」
 「いや、勝手に残ってやっているだけです」と、支部長。

 少し歩を進めると、師範代A先生と若手有望株のB君がウェイトトレーニングの途中らしく、ベンチプレス台を出してその脇にいた。歩み寄って握手。彼等は知らされていたから来ていたのだろうか。いずれにしても彼等に最後に挨拶できて本当によかった。A先生には特に後ででもお礼を述べねばと思っていた所だ。
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 明るいよい道場だった。別れの情景は今でも鮮明だ。若手のB君の活躍はたいしたもので、流派のWebを見てその戦績に驚嘆している。A先生も変わらず道場の稽古を指揮しているし、支部長先生は当然変わりなく指導に励んでいることだろう。空手の稽古は同じことを何万回と繰り返す。体に動きを覚えこませ、考えるよりも速く反応するようにする。地味で退屈しようとも継続の大切さを想う。
 辞めて今度は合気道を納めるかと思いつつもダラダラとするうちに、走り出して今に至る。ランニング、自転車、ウェイトトレーニング、近々合気道!? いずれは空手に戻ると思うんだが、空手しかやってこなかったので色々やるべしとする。
 

2014年1月12日日曜日

熟年ランナーの、つい守りの考え

 本日も走る。15.6K也。




 6月から始めたランニング、いつまで続くのだろうと思いつつ、週末は必ず走っている。ただ今日は、いつもよりペースが遅かったのが今ひとつ。走っていても体が重かった。




 iPhoneのNike+を10月から使い出し、走りの記録を取っている。それまでは気ままなペースと言うか、速く走ることは眼中になく、「朝は涼しくて気持ちいいなぁ」とか、「1時間走り続けられたから今度は1時間半か」と、走ること自体を楽しんでいた。この時分はよかったなぁ・・・。これがNike+で記録を取り出すと、困った。ペースと距離が気にかかってくる。前に走ったときよりも多少速いペースで走らなければ、とか、一ヶ月で100K以上は走らねば、とか、自分へのプレッシャーが克つようになってしまった。




 使う前からそうなることはおおよそ分かってはいたが、まあしょーがないねぇ。嫌だったら使わずに以前のように気ままに走ればよいだけだ。が、知ってしまったからには使うわな。走ったコースがビジュアルに見られるし、ペースの記録が取れ、累計の距離も伸びていくんだから。走った後で、コースとそのときのペースをレビューして思い出すのは割合楽しく、充実感もある。




 ところで、若い時と55才のオヤジの今の大きな違いが分かった。Nike+で記録を取れば、こりゃいいわと、若いときは間違いなくペースを速めることに熱中するだろう。少しでも前より速く走ろうとするし、目標ペース達成を求めて鍛錬していくことであろう。これがですな・・・、年を取った今、元空手家の俺の場合は、少し調子がよくて速いペースで走れた日にゃ、それはそれで充実感があるんだけど、次にはそれ以上のペースで走らねばならなくなる憂鬱感がほぼ同時にやってくる。かなり苦しいのを頑張って走ったけど、次はさらに苦しいことを覚悟しなければならんのか、うぇ~、となる。どうも昔から楽しんでスポーツするというよりは、即競技とか己との闘いのように捉えてしまうようだ。




 とは言え、伸びていく時代と保守の時代の姿勢の違いがある。若いときは少しでも伸びよう、上へ行こうとして頑張る。その頑張る過程自体を愉しんでいるというか、チャレンジングな生活そのものである。自分が何者になっていくのか、己の力がどこまで通用するのか、その試み自体が面白さであり熱中してしまう。ところが年を取ると結果を維持しようと思ってしまうんだな。多少マシな結果を出すと、今度はそこから落ちることを先回りして心配する。困ったもんだ。




 と、分析したからには、熟年の思慮深さで以って熟考し、無理やりにでも、若いときの感覚を呼び戻そうではないかと思ってはいるが・・・、はてさて。




 今から35年前の学生時代。空手道部時代。パンチパーマをあてて試合に出たことがあった。何せ伝統的に強豪である私大の連中は、長ランにボンタンに角刈りの集団。ド迫力、見ているだけで大変恐い。試合に勝つためには相手をビビらせることも必要じゃ、できることはなんでもすると考えての、パンチパーマ。身長183の小生がかけると自分で見ても迫力はあった。それが功を奏したとは思いたくないが、勝ち進み、現役時代で最もよい成績をあげた。これも保守ではない、何でもやってやろうの話だね。笑い話かもしれないが多少の効果はあっただろうとは思う。まず己の覚悟がはっきりした。ヤクザのようなパンチパーマ、間違いなく若いからできたことだわな。


 とすると熟年になってもチャレンジするには、まず格好から?いやいやまずは気持ちです。

2014年1月5日日曜日

年始の走り

 2014年が明けた。本日で年末年始休暇も終わり。勝手気ままな時間が過ぎたのはさびしいもんだ。

 相変わらずランは続いている。一昨日は最長距離の26K、本日は10Kを走った。

 LSD(LongSlowDistance)をすると遅筋(持久筋)を鍛錬することになると言われ、一昨日はキロ7分のペースでゆっくり走り出した。15Kくらいまでは鼻歌混じりで快調。ところがゆっくり走っているのではあるが瞬発筋も当然使っているのだろう、だんだんに足が重くなり、残り5Kは途中で歩きもしてしまった。瞬発筋を使うと乳酸が溜まると言う。乳酸がパンパンに溜まり、筋肉痛で足を前に出すのももう大変じゃ。特に歩いた後とか、水分補給のために寄ったコンビニの後に走り出す時には、動かぬ足を無理やり前に投げ出しているんだが、その割には歩幅も狭くふらつきもするヘロヘロ走りと相成った。こんなのではフルマラソンはまだまだである。最終ペースはキロ8分迄落ちた。

 ちなみにコンビニで買って初めて飲んだRedBullはオロナミンCと同じ味だということが分かった。RedBullはコカコーラ以来、世界を席巻している飲み物なんだが、ではなんでオロナミンCは日本だけで終わっているのか。どちらも疲労回復時に飲むとよい医薬部外品のエネルギー補給と称する飲み物だ。惜しいな、大塚薬品、どこがどう違って商売の規模の違いになったのか。オロナミンCは100円、RedBullは200円!?、味が同じなんだぜ。成分の違いは知らない。ただ効果に大きな違いはないと思う。

 ウェイトやサンドバッグ突き蹴りの後の筋肉痛は、実際に筋肉を傷つける故に回復には2,3日以上かかるが、乳酸が溜まっただけの筋肉痛は治りが早いようだ。次の日に多少無理をすれば走れるくらいに回復をした・・・が、何となくだらだらとしてタイミングを逸し、一日あけて本日10K走をする。

 20K以上走るときには最初によし!と、小さな覚悟を決めるが、それ以外は走り始めてから10Kコースにするか、12Kコースかを決める。一昨日はゆっくり走ったので今度は少々早めのペースにのせる・・・とすると、12K走るよりも10Kを速めに走り、記録を求めてみようという気になった。結果キロ5分半程度で、10Kとしては今までで最速となった。よき哉よき哉。フルマラソンで4時間を切るにはキロ5分半で走ることが必要だ。ウーム、このペースで40K走るのか・・・こりゃまだまだ道のりは長い。

 走っているときは何も考えていない。20Kだと2時間超、10Kだと1時間弱。何やら時間がもったいない気もしている。慣れてくれば色々考え事をしつつ走り、いい考えも浮かぶという人がいるが、小生、半年ほど走り続けてモノになるいいアイデアなんぞ浮かんだことはない。風景を愛でつつ走り、その美しさを記してみようとも思うのだが、走る先から忘れ、終わり頃は無心である。なぁーんもない。いずれは走りつつも周りの情景を頭に刻められるようになりたいものだ。

 本日は辞めた道場の稽古始である。空手をやっているときには様々な記憶があった。思うに人々がいて自分がいて、稽古や会話があるという外部からの刺激と変化が記憶に繋がるのであろう。黙々と走るのはただ黙々。

 今年もそれなりに走り、年末までにはフルマラソン可となれる迄、ウェイトトレーニングもまじめに励むこと。大して興奮する目標ではないが、地道にやるだけだな。