今日は久しぶりにタバコを吸わずに、昼休みのトレーニングに直行した。まあOKだね。久しぶりでもあり、ハードなトレーニングをすると嫌になりそうなので、ある程度余裕を持ってなるべく楽しむように楽しめるようにと、緩めのトレーニングを行った。武道家の心持とは程遠いが色々自分に言い聞かせてやらねばならない年であることだから情状酌量であるとしよう。うーむ、そう考える時点で既に武道家ではないが・・・。
メニューは、V字腹筋50回、懸垂2種、バタフライ3セット、レッグエクステンション3セット、ダンベルのショルダープレス2セットだからまあまあだ。スクワットは辛いので避ける。これがバツイチ。もっともハードにやっている時には間隔をあけなかったから、柔軟も5分できたが、本日は時間切れ。久しぶりの20分の昼トレだった。
禁煙が続いたのは本日12時間。ついつい帰り道にコンビニでタバコを買ってしまい、今吸っている。明日のトレーニングや如何に。
・・・・・
日本の劇場型政治がまだまだ続いている。ヤイノヤイノと騒ぎながら気がつかないほどに長い時間の中の衰退が始まっている。バブル崩壊の後始末に20年。その間、阪神大震災や先日の東日本大震災が起きた。災害は一過的であり、復興に努めれば何とか回復が可能だと思う。国力の減退として最も警戒すべきは人口の減少と教育の迷いである。
人口が減れば国内市場は縮小するし、社会保障の重圧は若い世代にのしかかる。若者が多くない国は年寄りの保守路線にはまり未来へのチャレンジは小さくなっていく。国力は増大すべきとの観点からはいいことは一つもない。未来を大胆に描くべき若者達なんだが、現在の彼等は「消費する人々」である。ハングリー精神は昔に比べてはるかに少なく、本来は渇望から何かを生む熱情が出るのだが、それは薄く、恵まれた環境で与えられたサービスを消費している。日本が豊かになったからである。
我が国の問題を挙げろと言われればいくらでも上げられるが、世界の中で相対的に見れば日本は豊かである。その環境下なんだろうね、世界平和に貢献すべきの思想を培うべき教育がなっていない。未来への飢餓感――現在がそこそこであるのはよしとして――を持して若者の志を作るべき教育・・・・ハアーとため息が出る。
いつからハングリーでなくなり夢を語れない国民になったのであろうか。現在において責任を負うべきなのは若者達ではない。我々いい年をしたオヤジ達だ。野田総理は実はまだまだ若いんだよね、総理としては。その彼が若々しい総理として国家の夢を語れずに、マスコミにたたかれるからとしてメッセージが非常に慎重である。まあそれは彼のキャラクターであり、故に総理となれたのかもしれないが、それでいいのであろうか?
いいわけはない。
オヤジ達よ、まず夢を語ろう。失言を捉えて批評を加え嘲笑する時代と国家は病的だぞ。
2011年10月14日金曜日
2011年10月12日水曜日
最近稽古をやっていない
負の連鎖とまでは行かないが、空手に関して停滞の時期に入ってしばらく経つ。と、難しく言うが、つまりは2カ月程度まともに稽古していないということ。
まずタバコをまたもや吸い出したのがイカン。昼休みに入るとまずタバコを吸いに行き、チェーンスモーク。その内、昼トレをする時間がなくなり、かつてはほぼ毎日やっていたのが最近はせず。従って毎日鍛えていることの自信の裏うちが崩れ、休みの日に稽古に行くのに気が進まなくなり、ここ2カ月ばかりほとんど行かず、と相成っている。
健康の為、身体を鍛える為に稽古に行けばいいものを、普段きちんと鍛えてなければ、どうも行く気が無くなってしまう。道場にて鍛えればよいのだろうが、黒帯の小生としては、道場稽古は日常のトレーニングの結果を確認する場であり、また技を見せる場であり、指導する場である。普段のトレーニングをやっていないとそれをする気が起こらなくなってしまう。まったく本末転倒の変な話だ。行って稽古すればまだまだ未熟であることを自覚し、明日からがんばろうと日常トレーニングに戻っていく。それが今までの常であり、それをポジティブループとすれば、現在はそうではなく、停滞のループ。
タバコを止めねばならん。空手にかける情熱も薄くなってきたのであろうか。気持ちはまだまだあるとして先日も「何の為の空手か」を書いていたが、実行に繋がっていない。今日は「やれやれ」でこの文を閉じる。まあ、普段述べている内容の武道家たり得ない、普通人のこの頃である。
まずタバコをまたもや吸い出したのがイカン。昼休みに入るとまずタバコを吸いに行き、チェーンスモーク。その内、昼トレをする時間がなくなり、かつてはほぼ毎日やっていたのが最近はせず。従って毎日鍛えていることの自信の裏うちが崩れ、休みの日に稽古に行くのに気が進まなくなり、ここ2カ月ばかりほとんど行かず、と相成っている。
健康の為、身体を鍛える為に稽古に行けばいいものを、普段きちんと鍛えてなければ、どうも行く気が無くなってしまう。道場にて鍛えればよいのだろうが、黒帯の小生としては、道場稽古は日常のトレーニングの結果を確認する場であり、また技を見せる場であり、指導する場である。普段のトレーニングをやっていないとそれをする気が起こらなくなってしまう。まったく本末転倒の変な話だ。行って稽古すればまだまだ未熟であることを自覚し、明日からがんばろうと日常トレーニングに戻っていく。それが今までの常であり、それをポジティブループとすれば、現在はそうではなく、停滞のループ。
タバコを止めねばならん。空手にかける情熱も薄くなってきたのであろうか。気持ちはまだまだあるとして先日も「何の為の空手か」を書いていたが、実行に繋がっていない。今日は「やれやれ」でこの文を閉じる。まあ、普段述べている内容の武道家たり得ない、普通人のこの頃である。
2011年10月11日火曜日
試合の思い出、学んだこと
今から30年も前の春、ある地域の大学個人選手権の試合に臨んでいた。結構大きな大会であり、その前年にベスト16迄行ったので、4回生として最後のチャンス故、少なくとも前年以上の成績を残すべきであるが、不思議に大会が近づいてもそんなプレッシャーはなかった。
3回戦、4回戦と勝ち進むにつれ、「そうだ去年よりは少なくとも上に行かねば」と思った。幸いにしてベスト16を勝ち、ベスト4迄行った。
不思議ではある。勝ち進んでベスト16の試合が近くなった時にようやくそう思った。その前は「無心」。試合の2カ月ばかり前から、最後の大舞台にかける気持ちは非常に強かったんだが、優勝しようとか、去年よりもいい成績を残そうだとか言う感覚は皆無だった。
1ヶ月くらい前からは寝床に入って寝るまでの間、まあ寝ているから目を閉じているんだが、意識が無くなるまで闘いのシミュレーションをやっていた。寝ながら何度もビクッとして身体を強張らせたもんだ。シミュレーションしてやられる時だ。だいたい自分の想像の世界で闘っているのに、何でわざわざやられなければならないのか?ただ、その時はそういうことが毎回あった。
街を歩くと、すれ違う人々に想像の中で技をかけた。「今は突きの一発で倒せた」とか「間合いが合わなかったので、この蹴りでは倒せないな」とか。物騒この上もない。俺の顔つきは一体どんなだったろうかと思う。すれ違う人にガンをつけていた訳ではない。なるべく普通の顔でいたと思うが、殺気は体内に満ちていた。
試合の2カ月弱前に、自主稽古で自分の技を鏡に映してチェックしていると、「一歩出て前蹴り」、左前のレギュラーの構えから後ろの右足を素早く前に送って左足で前蹴りをするという技が、我ながらやけに速くできることを知った。そこでこれを主戦にしようと決めた。皆でやる定常の稽古以外に、自分のペースで技の形をレヴューする自主稽古をよくしたものであるが、そこではよく発見があった。
それまでは182センチの上背とリーチを活かして、上段突きを主戦にしていた。寸止めの試合はほとんど突きでポイントをとるものであり、蹴りを極め技にする試合運びは一般的に少なく、自分もたいていそうであった。蹴りでポイントとったことはそれまではあまりないと思う。
しかし意外と「一歩出て前蹴り」が速い。瞬時にできるぞ、と。
またしかしであるが、なんぼ速いと言っても、一歩の歩を送っている間はかなり無防備である。一歩歩を進める技は蹴りは無論突きにしても非常に思い切りがいるし、移動の間にカウンターを喰らうとそれはまずほとんど寸止めでは無く当たる。こっちが大きく間合いを詰めているので当然と言えば当然だ。だから技を出す方にしても覚悟と思い切りがいるものだ。
結果的には逡巡せず出すこの技で勝ち上がった。半歩出れば天国、半歩退けば地獄とよく言っていたもんだが、その間合いコントロールがやけにうまくいった。気力が満ちていたからだと思う。妙な証左になるんだが、ベスト4に勝ち残った時に俺はやったぞ的な達成感を感じてしまい、それからの試合は全く駄目だった。準決勝、3位決定戦、相手も非常に強かったこともあるが、逡巡せず特攻精神みたいなもんで前蹴りをすることができなくなり、相手にきっちりカウンターを極められた。
あれは「気」の勝負であった。勝ってベスト4まで進んだことに満足してしまい、以後「気」が拡散してしまった。チャンピオンに成るまで気の抜けない伝統校の選手と、小生のようにベスト4に入れば大変よくやったと思ってしまう者の違いだ。小生は若く、スポーツ選手であったが武道家ではなかったとも言える。闘いに臨めば生死の狭間で勝って生きることを求めるのが武道家である。負けて死ぬのも武道家である。闘う前に満ち足りているならばお話にはならない。
それまでの「気」はよかった。試合の日は目覚ましが鳴る前の早朝、眼を覚ました。眠くもない。こんなことは人生の中、何度もない。小学生の頃、楽しみでしょうがなかった遠足に行く日の朝のようだ。起きて全く眠くなく、既に頭がきれいに冴えていた。京都の某体育館に集合時間の前に着き、近くの喫茶店でモーニングサービスをゆったりと食した。集合時間が過ぎたがまだそのまま。やがて既に体育館の前にて稽古を始めていた我が校の部員の輪に加わるのだが、遅刻して反省やら謝りやらの思いは不思議な程一切なく、完全なるマイペース。もともと間に合わそうとすればできたのであるが、無心の時間のようなものを喫茶店でおくっていた訳だ。無心が続き、ゆっくりと着替え準備体操をして、既にメニューが進んでいる稽古に加わった。稽古を始めると集中力が加わり、そして試合が始まった。
不思議ではなく当たり前なんだろうが、順調に勝ち進んだ試合の中身は一切覚えていない。難敵と相対し負けそうになった試合の方は覚えている。ベスト16で先手をとった後無造作に出した蹴りをさばかれて技ありをとられたこと。その後相手に攻め込まれて思わず出した上段突きが極まり、やっとこさ勝ったこと。ベスト8に相対した190センチの巨漢に先手をとれた上段突き、その後相手も強いのでアレヨと言う間に攻め込まれて取られた上段突き、負けるかもしれなかった中で無心かつ思い切りよく一歩進めての前蹴りが、自分ではさして極まったつもりがないんだが、タイミングと形がよかったのであろう、審判がとってくれ勝利してしまったこと。
準決勝。相手がかなり間合いを詰めてきた。それまでは遠い間合いから一気に歩を進めての前蹴りが面白いように極まっていたが、あの近い間合いでは使いようがない。それどころか上段の逆突きが届きそうな程の近さだ。上段の逆突きをする瞬間、相手のカウンターの中段が極まった。2本目も極められたのだが、どういう技だったかは記憶が不確かだ。確か有利に立った相手に攻め込まれて、あえなく技有り2本の一本負けだった。3位決定戦。一歩出て前蹴りへ行く途中にカウンターの中段でまず技有りをとられた。2本目は攻防の中でまたもや中段を極められたと思う。これもあっさりと一本負け。後に読んだ「月刊空手道」の記事では、「すごい勝ち方をする選手だったが、準決勝以降は萎縮したのであろうか・・・」となっていた。すごい勝ち方と言うのは、ほとんどの極め技が蹴りであった為に派手に見えたのであろう。準決勝以降は上に記したように、あっさりと早々と一本負けを喫した。ベスト4に残った時に天井を見上げて、俺はよくやった的な満足をしてしまったから「気」も出ないわな。既に闘いに執着した勝負をする感覚ではなくなっていた。相手が強かったというのもあるが、それにしてもあっけなかった。
この試合で学んだ大きなことは、チャンピオンを目指さなければ既に勝負に負けていると言うことだ。
と、認識したんだが、それ以降、大学の選手を引退するまでに小生は多く負けた。その大会以前に負けた回数よりも多く負けてしまった。その大会までは高い身長を活かして懐を深くする後屈立ちに近い形で構えていたが、全日本学生選手権の東西対抗選手としてただ一度、強化練習があった時に、体重を後ろにかけ過ぎであることを注意された。前屈立ちに近い形で構えれば、後ろ脚が既に床をキックする態勢になっており、飛び込んで突きをするのに有利であると指導され、やってみたら確かにその通りだったので以降その構えに変えたんだが、それがまったくよくなかった。元々小生の反応は早くないのであろう。飛び込みのスピードやカウンターには有利なその構えは、小生には合っていなかった。相手の攻撃を懐の深さで受けながら攻防の中で技をかけるか、マイペースで相手の警戒の中、その予想以上に遠間から思い切りよく歩を進めて極める試合運びで好成績を出していたんだが、それを捨ててしまった。技術的な指導を受けることもないくらい学内では強くなっており、OB先輩からの技の指導はほとんどなかったので逆に、その選別された選手用の強化練習を指導する人をやけに偉く感じて、素直に聞いてしまったのが敗因だ。指導は受けても自分の頭で全体的にもっと考えねばならなかったが、まあ当時は無理だったろうね。その指導後の前屈立ちの構えからは、確かにその当時の小生の課題であった速い出足ができるような気がしたもんね。半歩を速く出る構えであった。それまでの小生の勝ちパターンは、半歩を速く出られないので、思い切りよく一歩を進めてより遠間から攻撃することだった。
まあ繰り返しになるが、指導を疑問なく受けるのではなく、受けるのは素直に受けるのだが、自分の頭で熟考することが大切だ。それが前向きに指導を受けることでもある。
うーん、今日はタラタラと思い出を書きながら来た。まとめねばどうもイカンような。
3回戦、4回戦と勝ち進むにつれ、「そうだ去年よりは少なくとも上に行かねば」と思った。幸いにしてベスト16を勝ち、ベスト4迄行った。
不思議ではある。勝ち進んでベスト16の試合が近くなった時にようやくそう思った。その前は「無心」。試合の2カ月ばかり前から、最後の大舞台にかける気持ちは非常に強かったんだが、優勝しようとか、去年よりもいい成績を残そうだとか言う感覚は皆無だった。
1ヶ月くらい前からは寝床に入って寝るまでの間、まあ寝ているから目を閉じているんだが、意識が無くなるまで闘いのシミュレーションをやっていた。寝ながら何度もビクッとして身体を強張らせたもんだ。シミュレーションしてやられる時だ。だいたい自分の想像の世界で闘っているのに、何でわざわざやられなければならないのか?ただ、その時はそういうことが毎回あった。
街を歩くと、すれ違う人々に想像の中で技をかけた。「今は突きの一発で倒せた」とか「間合いが合わなかったので、この蹴りでは倒せないな」とか。物騒この上もない。俺の顔つきは一体どんなだったろうかと思う。すれ違う人にガンをつけていた訳ではない。なるべく普通の顔でいたと思うが、殺気は体内に満ちていた。
試合の2カ月弱前に、自主稽古で自分の技を鏡に映してチェックしていると、「一歩出て前蹴り」、左前のレギュラーの構えから後ろの右足を素早く前に送って左足で前蹴りをするという技が、我ながらやけに速くできることを知った。そこでこれを主戦にしようと決めた。皆でやる定常の稽古以外に、自分のペースで技の形をレヴューする自主稽古をよくしたものであるが、そこではよく発見があった。
それまでは182センチの上背とリーチを活かして、上段突きを主戦にしていた。寸止めの試合はほとんど突きでポイントをとるものであり、蹴りを極め技にする試合運びは一般的に少なく、自分もたいていそうであった。蹴りでポイントとったことはそれまではあまりないと思う。
しかし意外と「一歩出て前蹴り」が速い。瞬時にできるぞ、と。
またしかしであるが、なんぼ速いと言っても、一歩の歩を送っている間はかなり無防備である。一歩歩を進める技は蹴りは無論突きにしても非常に思い切りがいるし、移動の間にカウンターを喰らうとそれはまずほとんど寸止めでは無く当たる。こっちが大きく間合いを詰めているので当然と言えば当然だ。だから技を出す方にしても覚悟と思い切りがいるものだ。
結果的には逡巡せず出すこの技で勝ち上がった。半歩出れば天国、半歩退けば地獄とよく言っていたもんだが、その間合いコントロールがやけにうまくいった。気力が満ちていたからだと思う。妙な証左になるんだが、ベスト4に勝ち残った時に俺はやったぞ的な達成感を感じてしまい、それからの試合は全く駄目だった。準決勝、3位決定戦、相手も非常に強かったこともあるが、逡巡せず特攻精神みたいなもんで前蹴りをすることができなくなり、相手にきっちりカウンターを極められた。
あれは「気」の勝負であった。勝ってベスト4まで進んだことに満足してしまい、以後「気」が拡散してしまった。チャンピオンに成るまで気の抜けない伝統校の選手と、小生のようにベスト4に入れば大変よくやったと思ってしまう者の違いだ。小生は若く、スポーツ選手であったが武道家ではなかったとも言える。闘いに臨めば生死の狭間で勝って生きることを求めるのが武道家である。負けて死ぬのも武道家である。闘う前に満ち足りているならばお話にはならない。
それまでの「気」はよかった。試合の日は目覚ましが鳴る前の早朝、眼を覚ました。眠くもない。こんなことは人生の中、何度もない。小学生の頃、楽しみでしょうがなかった遠足に行く日の朝のようだ。起きて全く眠くなく、既に頭がきれいに冴えていた。京都の某体育館に集合時間の前に着き、近くの喫茶店でモーニングサービスをゆったりと食した。集合時間が過ぎたがまだそのまま。やがて既に体育館の前にて稽古を始めていた我が校の部員の輪に加わるのだが、遅刻して反省やら謝りやらの思いは不思議な程一切なく、完全なるマイペース。もともと間に合わそうとすればできたのであるが、無心の時間のようなものを喫茶店でおくっていた訳だ。無心が続き、ゆっくりと着替え準備体操をして、既にメニューが進んでいる稽古に加わった。稽古を始めると集中力が加わり、そして試合が始まった。
不思議ではなく当たり前なんだろうが、順調に勝ち進んだ試合の中身は一切覚えていない。難敵と相対し負けそうになった試合の方は覚えている。ベスト16で先手をとった後無造作に出した蹴りをさばかれて技ありをとられたこと。その後相手に攻め込まれて思わず出した上段突きが極まり、やっとこさ勝ったこと。ベスト8に相対した190センチの巨漢に先手をとれた上段突き、その後相手も強いのでアレヨと言う間に攻め込まれて取られた上段突き、負けるかもしれなかった中で無心かつ思い切りよく一歩進めての前蹴りが、自分ではさして極まったつもりがないんだが、タイミングと形がよかったのであろう、審判がとってくれ勝利してしまったこと。
準決勝。相手がかなり間合いを詰めてきた。それまでは遠い間合いから一気に歩を進めての前蹴りが面白いように極まっていたが、あの近い間合いでは使いようがない。それどころか上段の逆突きが届きそうな程の近さだ。上段の逆突きをする瞬間、相手のカウンターの中段が極まった。2本目も極められたのだが、どういう技だったかは記憶が不確かだ。確か有利に立った相手に攻め込まれて、あえなく技有り2本の一本負けだった。3位決定戦。一歩出て前蹴りへ行く途中にカウンターの中段でまず技有りをとられた。2本目は攻防の中でまたもや中段を極められたと思う。これもあっさりと一本負け。後に読んだ「月刊空手道」の記事では、「すごい勝ち方をする選手だったが、準決勝以降は萎縮したのであろうか・・・」となっていた。すごい勝ち方と言うのは、ほとんどの極め技が蹴りであった為に派手に見えたのであろう。準決勝以降は上に記したように、あっさりと早々と一本負けを喫した。ベスト4に残った時に天井を見上げて、俺はよくやった的な満足をしてしまったから「気」も出ないわな。既に闘いに執着した勝負をする感覚ではなくなっていた。相手が強かったというのもあるが、それにしてもあっけなかった。
この試合で学んだ大きなことは、チャンピオンを目指さなければ既に勝負に負けていると言うことだ。
と、認識したんだが、それ以降、大学の選手を引退するまでに小生は多く負けた。その大会以前に負けた回数よりも多く負けてしまった。その大会までは高い身長を活かして懐を深くする後屈立ちに近い形で構えていたが、全日本学生選手権の東西対抗選手としてただ一度、強化練習があった時に、体重を後ろにかけ過ぎであることを注意された。前屈立ちに近い形で構えれば、後ろ脚が既に床をキックする態勢になっており、飛び込んで突きをするのに有利であると指導され、やってみたら確かにその通りだったので以降その構えに変えたんだが、それがまったくよくなかった。元々小生の反応は早くないのであろう。飛び込みのスピードやカウンターには有利なその構えは、小生には合っていなかった。相手の攻撃を懐の深さで受けながら攻防の中で技をかけるか、マイペースで相手の警戒の中、その予想以上に遠間から思い切りよく歩を進めて極める試合運びで好成績を出していたんだが、それを捨ててしまった。技術的な指導を受けることもないくらい学内では強くなっており、OB先輩からの技の指導はほとんどなかったので逆に、その選別された選手用の強化練習を指導する人をやけに偉く感じて、素直に聞いてしまったのが敗因だ。指導は受けても自分の頭で全体的にもっと考えねばならなかったが、まあ当時は無理だったろうね。その指導後の前屈立ちの構えからは、確かにその当時の小生の課題であった速い出足ができるような気がしたもんね。半歩を速く出る構えであった。それまでの小生の勝ちパターンは、半歩を速く出られないので、思い切りよく一歩を進めてより遠間から攻撃することだった。
まあ繰り返しになるが、指導を疑問なく受けるのではなく、受けるのは素直に受けるのだが、自分の頭で熟考することが大切だ。それが前向きに指導を受けることでもある。
うーん、今日はタラタラと思い出を書きながら来た。まとめねばどうもイカンような。
- 勝負の場に立つならばチャンピオンを目指せ。途中で満足はするな。
- 指導は素直に受けて前向きに実行するが、その後自分の頭で主体的に熟考せよ。
2011年10月3日月曜日
何の為の空手か? 第3回
少し休みが取れたので妻と一緒に帰省してきた。住んでいる埼玉県から車で約7時間のドライブ、一泊二日の旅である。妻が小生の実家に行くのは、バーさんの葬式以来、3年ぶりだ。小生は盆と正月の2回、毎年帰省しているが、その時は息子を伴っている。近年はその息子も、何もない片田舎に行くのを嫌がっているが、長男の義務であるの一言で済ましている。妻は、同居している妻の老いた母を一人にしておけないので毎年の帰省には同行はしない。それが、久しぶりに小生の実家を訪れ墓参りをしようと言いだした。息子は高校1年で学校がある。考えてみれば息子が生れて以来、久方ぶりの夫婦だけの旅である。
実家は、小生の方の年老いた母の一人住まいである。70代半ばになるが、幸いまだ健勝である。無論悪い所は色々あるようなんだが、一人で家の裏に作った畑仕事をして、野菜をとり暮らしている。田んぼもあるのだが、その面倒は到底無理であり、知り合いに頼みこんで耕してもらっている。母は小学の教員をしていたが、退職してもう久しい。父は15年前に亡くなっている。月日の経つのは早いもんだ。
田舎の出身で都会に出て働いており、既にそこに家庭を持ち、老母のみが実家を守っているという境遇の人もそれなりに多くいると思う。今後どうするべきかと考えなければいけないのだが、まだまだ何かが起きるまでは実感が伴わない。その何かとは、小生の定年退職であり、あるいは母が病を受けることであろう。定年退職まではまだ8年あり、その時母は83歳か。
4年ほど前に妻に言ったことがある。息子がまだ小学生でかわいくまとわりついており、夫婦の母親二人がまだ健康で、猫もおり、家の新築が成り、「今が一番幸せかもしれんな」、と。その言外には、これから衰え失う人生があり、それに対処していくことを含んでいた。
息子の成長はまだまだこれからではあるが、それは最愛の彼が親の手を離れて行くことを意味する。母達は老いて行く。そうそう、我家の一員である猫も老いて行き、おそらくは一番早くその寿命を迎えてしまうことだろう。
下り坂の人生をどう歩むか。小生は別段否定的に「下り坂」と表現をしている訳ではない。それが年齢的に自然であるからだ。人はずーっと逞しく強くなる訳ではない。これからは失うことが多くなる時間となる。
母は相変わらず元気に我々を迎えた。女は逞しい。実家は掃除が行き届いていて何年かぶりに見るきれいさだった。おいおい、小生と息子が帰省した時にはこんなにきれいではないぞ。埼玉の家に帰り着いてからそのことを妻に話すと、「お母さんに無理させたね」と言った。彼女もまた優しく逞しい。彼女と彼女の母、小生、息子で暮らす埼玉の我家は彼女で持っている。同居している彼女の母は既に80代半ばに近く、軽い介護の必要な状況になりつつある。
武道が人の処する道を示してくれるのであるならば、「女の強さ」を持つべきかもしれない。リングで闘い、若さの絶頂の強さ比べだけではなく、下り坂、衰え、それをカバーする、人の芯の強さを磨く道であるべきであろう。現代の武道は、戦国の世に人を殺し自分が生きる術ではなく、平和の世に自らの極めの為にのみ在る訳でもない。人を守り、人を生かす術であるはずだ。若々しい魂が伸びて行くことを応援し、またその彼等が求めてよしとする道で在りたいし、小生のようなこれから衰えて行く人間が求道してもよい何らかのモノがあってもよい。それを普遍の価値と言う。
普通なら35歳くらいで武道家として衰えを実感するはずが、50を越えてしばらくしてそんなことを感じる小生もかなり図々しいと言うか我が身を知らぬものであると言える。50を越えてやっとこさ衰えを意識している!?
ここ2年ほど、試合に出るかどうかを迷っていた。もうこの年になって試合と言えども人を傷つけたくはないし、自分もわざわざ痛い目に遭いたくもない。では何で試合に出ようとするのか、と。ある高名なフルコン格闘者が言ったことがある。闘う相手に敬意を表する、と。
闘うならば勝ち、相手を制圧することが正しいことだ。小生は若い時そう考えていた。それは今も正しいと思う。強い奴に勝つ為にハードな稽古を行い、勝ってさらに上を目指すか、負けて限界を知るかであった。ところが年をとり40後半になっても試合に出ようとすると、なぜ出るのかの意義が必要になってくる。それを探していた時に、そのフルコン猛者であり、ある程度年を経た師範の言葉が身にしみた。闘う同志を尊敬し感謝する、ということ。自らの技と闘志を磨きその同志に会う。人生の喜びとする邂逅である。それも正しい。しかし今はさらに違うような結局同じのような・・・。闘うという姿は色々なのだ。その一つが試合場に立って闘うことであるならば、それをしよう。自ら選択した道であり、何らかの発見があるはずだ。上手く言えないね、それは生命力と表現するようなものなんだろうね。
この話は続くかどうか、小生にも分からぬ。ただ男の小生に、女たちが武道をいうものを教えてくれているような気がする。武道は、男の道であるはずなんだがな。自然でひたむきな生き様ということなんだろうね・・・。昨今、男の方は、若い時は青雲の志に燃えたとしても、年をとりくたびれてすっかりサラリーマンになり、出世のような副次的な価値観の中に一喜一憂し、根源的な生き方を失いがちになる。そういうのは「武道的」生活ではなく、その中で空手稽古もしていると言っても、単なる勝ち負けや技の習得にかけるゲーム、あるいは健康維持の体操に過ぎなくなる。武道と命というものは本来直接的に繋がるものだ。刃をくぐり抜ける生活ではなくても、ひたむきに人を守る生活と言う、女の道の方が武道的のような気がしてくる。さらに・・・女は命を賭けて赤子を産む。
さて。
実家は、小生の方の年老いた母の一人住まいである。70代半ばになるが、幸いまだ健勝である。無論悪い所は色々あるようなんだが、一人で家の裏に作った畑仕事をして、野菜をとり暮らしている。田んぼもあるのだが、その面倒は到底無理であり、知り合いに頼みこんで耕してもらっている。母は小学の教員をしていたが、退職してもう久しい。父は15年前に亡くなっている。月日の経つのは早いもんだ。
田舎の出身で都会に出て働いており、既にそこに家庭を持ち、老母のみが実家を守っているという境遇の人もそれなりに多くいると思う。今後どうするべきかと考えなければいけないのだが、まだまだ何かが起きるまでは実感が伴わない。その何かとは、小生の定年退職であり、あるいは母が病を受けることであろう。定年退職まではまだ8年あり、その時母は83歳か。
4年ほど前に妻に言ったことがある。息子がまだ小学生でかわいくまとわりついており、夫婦の母親二人がまだ健康で、猫もおり、家の新築が成り、「今が一番幸せかもしれんな」、と。その言外には、これから衰え失う人生があり、それに対処していくことを含んでいた。
息子の成長はまだまだこれからではあるが、それは最愛の彼が親の手を離れて行くことを意味する。母達は老いて行く。そうそう、我家の一員である猫も老いて行き、おそらくは一番早くその寿命を迎えてしまうことだろう。
下り坂の人生をどう歩むか。小生は別段否定的に「下り坂」と表現をしている訳ではない。それが年齢的に自然であるからだ。人はずーっと逞しく強くなる訳ではない。これからは失うことが多くなる時間となる。
母は相変わらず元気に我々を迎えた。女は逞しい。実家は掃除が行き届いていて何年かぶりに見るきれいさだった。おいおい、小生と息子が帰省した時にはこんなにきれいではないぞ。埼玉の家に帰り着いてからそのことを妻に話すと、「お母さんに無理させたね」と言った。彼女もまた優しく逞しい。彼女と彼女の母、小生、息子で暮らす埼玉の我家は彼女で持っている。同居している彼女の母は既に80代半ばに近く、軽い介護の必要な状況になりつつある。
武道が人の処する道を示してくれるのであるならば、「女の強さ」を持つべきかもしれない。リングで闘い、若さの絶頂の強さ比べだけではなく、下り坂、衰え、それをカバーする、人の芯の強さを磨く道であるべきであろう。現代の武道は、戦国の世に人を殺し自分が生きる術ではなく、平和の世に自らの極めの為にのみ在る訳でもない。人を守り、人を生かす術であるはずだ。若々しい魂が伸びて行くことを応援し、またその彼等が求めてよしとする道で在りたいし、小生のようなこれから衰えて行く人間が求道してもよい何らかのモノがあってもよい。それを普遍の価値と言う。
普通なら35歳くらいで武道家として衰えを実感するはずが、50を越えてしばらくしてそんなことを感じる小生もかなり図々しいと言うか我が身を知らぬものであると言える。50を越えてやっとこさ衰えを意識している!?
ここ2年ほど、試合に出るかどうかを迷っていた。もうこの年になって試合と言えども人を傷つけたくはないし、自分もわざわざ痛い目に遭いたくもない。では何で試合に出ようとするのか、と。ある高名なフルコン格闘者が言ったことがある。闘う相手に敬意を表する、と。
闘うならば勝ち、相手を制圧することが正しいことだ。小生は若い時そう考えていた。それは今も正しいと思う。強い奴に勝つ為にハードな稽古を行い、勝ってさらに上を目指すか、負けて限界を知るかであった。ところが年をとり40後半になっても試合に出ようとすると、なぜ出るのかの意義が必要になってくる。それを探していた時に、そのフルコン猛者であり、ある程度年を経た師範の言葉が身にしみた。闘う同志を尊敬し感謝する、ということ。自らの技と闘志を磨きその同志に会う。人生の喜びとする邂逅である。それも正しい。しかし今はさらに違うような結局同じのような・・・。闘うという姿は色々なのだ。その一つが試合場に立って闘うことであるならば、それをしよう。自ら選択した道であり、何らかの発見があるはずだ。上手く言えないね、それは生命力と表現するようなものなんだろうね。
この話は続くかどうか、小生にも分からぬ。ただ男の小生に、女たちが武道をいうものを教えてくれているような気がする。武道は、男の道であるはずなんだがな。自然でひたむきな生き様ということなんだろうね・・・。昨今、男の方は、若い時は青雲の志に燃えたとしても、年をとりくたびれてすっかりサラリーマンになり、出世のような副次的な価値観の中に一喜一憂し、根源的な生き方を失いがちになる。そういうのは「武道的」生活ではなく、その中で空手稽古もしていると言っても、単なる勝ち負けや技の習得にかけるゲーム、あるいは健康維持の体操に過ぎなくなる。武道と命というものは本来直接的に繋がるものだ。刃をくぐり抜ける生活ではなくても、ひたむきに人を守る生活と言う、女の道の方が武道的のような気がしてくる。さらに・・・女は命を賭けて赤子を産む。
さて。
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