2011年8月19日金曜日

時事放談

本日は空手の話題から外れて・・・時事放談じゃい。

菅直人首相の退陣が確定的となり、民主党内では次期党首即ち総理を選ぶアレコレが始まった。今の所、候補は6,7人おり、彼らが様々に様子を見たり周りに乗せられたり政治嗅覚を発揮したりして、その内決まっていくことであろう。復興増税と大連立是非のチャートにポジショニングされた彼等を論じるTVワイドショーがあった。

待てよ、と考える。復興増税の是非はまあよいが、大連立の是非は完璧に政治の方法論である。それよりも原発是非を軸の一つにおかなければならないのではないか。

我々は原爆を落とされて66年後の今日、原子力の平和利用と呼ばれた原発からの放射能被害を受けている。原子力というパワーを認めるかどうかの判断をそろそろすべきではないだろうか。隠されてきた原子力の問題が今頃になって明かされてきている。口がアングリする程呆れるのは、放射性廃棄物の問題である。ナニ?10万年以上地中深くに埋めないとイカンのか?原発が安全だとさんざっぱらPRされてきた中には、そんなのはなかったぞ。

最近、原発廃止とする個人の見解をいきなり言ったとして批判された菅さんを弁護したくなっている。原発の是非を問うことは正しいことではないだろうか。原発を持つことは未来に対して責任を持てることなのか。

放射性廃棄物の問題、1000年に一度の津波でなくてもテロや戦争で破壊された場合の収拾がつけられない事実は、今の福島原発を見れば分かる。そんな原発を進展国に輸出して増やして、我々の世代は責任が持てるのであろうか。

国家のエネルギー政策と原発の是非を問う選挙は、この復興が多少落ち着いてからやるべき重大判断である。「みんなの党」が参議院に出す、原発是非の国民投票法もおもしろい。

TVのワイドショーは、菅降ろしを連日面白おかしく伝えた。今度はまた民主党の中の権力争いをせせら笑うように伝えることだろう。マスコミは確かに第4の権力である。その権力を正しく用いてもらいたいものだ。戦前の挙国一致体制を援護した苦い経験から、時の権力に批判的であろうとする姿勢は分かる。ならば、政治家よりも国民の多様な意見を取りあげて流すべきである。政権や政争を嗤っていることからは何も生まれない。

2011年8月7日日曜日

久しぶりの充実稽古

年をとるこの先も空手において強くなりたいと思い、「武道空手」の書物を読んで探究してはいるが、所詮今はフルコン流儀でやれるところまでやるしかないと割り切ったのが・・・昨日だったっけ。

パワーとスピードを鍛えて、衰えの中で通用しなくなったときに古伝の「武道空手」に入ればよい。無論研究は続けるが、現実の師がいない今は、今のやり方で稽古鍛錬である。そもそも迷いと称して稽古鍛錬を怠って2週間過ぎた。

割り切った本日は、昼トレと仕事後のサンドバッグ自主トレをほぼフルメニューこなした。せっかくなので練習メニューを記しておく。

まことに空手家らしからぬが、最近またタバコを吸いだしてしまった。昼休みに入りまず一服してからトレーニング開始。タバコで5分費やしているから本来の昼トレのフルメニューにまでは至らぬが、それでも、
  • 胸筋鍛えるバタフライ、8→5→5。既に最大重量でやっているのであまり進歩はない。重りをどんどん増やせることができれば、かつてやっていた重量は楽勝なんだが、最大重量なのでそこで足止めをくっており、回数の限界が伸びない。8回を3セットやりたければ、それより重い負荷で上のような回数できるようになればよいだけなんだが。
  • 懸垂、手を広げず肩幅くらいの順手で8回、逆手で8回、手を広げて順手は5回で限界。まあそんなところだ。これも自重負荷で変わらずだから、8回3セットをすいすいやれるまでは至らず。もう半年近くやってるんだけどね。
  • 太股の前側の筋肉を鍛えるレッグエクステンション。重りが少なく、最大負荷を片足でやっている。右左各10回を3セット。ゆーっくりやるとかしないとこれ以上筋肉は増えない。
  • ダンベルによるショルダープレス10回2セット。3セットやろうと思ったが時間がなくなってきた。
  • 四股20回。ここで時間切れ
以上で15分。タバコを吸ってしまった5分間があれば、ショルダープレスはもう1セット、四股は50回まではできた。以前の最盛期、種目の間隔も狭めていた時は、最後に柔軟をする5分間を確保できていた。またタバコを止めてそれに持っていかんとね。

仕事後のサンドバッグ自主トレは久しぶりにラウンドを重ねた。1ラウンドを2分とし、ラウンド間休憩を1分としてやった。サンドバッグは全力で突き蹴りしないと意味がないので、以下はほぼ全力でやるべきなんだが、昔痛めた右足の膝に多少違和感を覚えたので、右足の回し蹴り部分はスピード重視で力を抜いてやっていた。
  1. 順突き左右20本。時間が余ったのでフットワーク用いて左右連打を少々
  2. 逆突き左右20本。時間が余ったので同様
  3. フック左右20本。同様
  4. 下突き左右20本。同様
  5. ここで突きの部が終わり、柔軟の真向法。この後空手家らしから言語道断のタバコ休憩。
  6. ローキック左右20本。キックは時間が余らない。丁度2分。
  7. ミドル回し蹴り左右20本
  8. 上段回し蹴り左右20本
  9. 膝蹴り左右20本
  10. 中段前蹴り左右20本
  11. 上段前蹴り左右20本。これはまだ上手くいかない。サンドバッグを上段にこするような蹴りになってしまう。上段と言えども蹴り込めるようになるべきである。
  12. 上段回し蹴りが今一だったので、もう1ラウンド。足は上がるが腰が捻れない。股関節が固い。それと年をとると腰回りと言うか、背骨が固くなっている。固い体で回す上段蹴りは横から回すよりも前から回す方が格好がつく。つまり横から回すと腰を回すことが必要なんだが、腰は回らなーい。前から回す場合は当てた時に前方に少し体重をかければよい。腰は回せなくてもまあなんとかなる。スパーリングで使うならばそっちを使うべし。足の甲の皮が少しむけたので、1分で止め。むけても蹴りゃいいのであるが、深く大きくむけるとかさぶたができ、治りも遅くなるので大事をとった。
  13. 間合いを考えて、ヒット&アウェイの突き蹴りコンビネーション。ここでは脛を用いたローキックやミドルにする。
  14. もう1ラウンド
  15. サンドバッグやった後は、シャドウをやっとかないとコンビネーションにおける力の抜き加減の確認にならぬので、シャドウは必要。本来ならば脱力してメリハリの瞬発力を確認しつつ柔らかくスムーズにできるべきなんだろうが、体捌き、技ともぎこちない。もう結構疲れてもいた。疲れているからそのようにできるべきなんだが。
  16. シャドウもう1ラウンド
  17. 型を2回くらい力を抜いて
  18. 最後に四股を50回
サンドバッグだけでも13ラウンドだから久しぶりに十分やったと言える。久しぶりなのでほとんど単発の技の破壊力を確認すべくのラウンドだった。

シャドウをやっている時に、受けをきちっと入れなければならないと思ったが、考えてみればサンドバッグばかりの自主トレが多く、受けを入れてのコンビネーションをここ何年かほとんどやってなかった。受けを入れると動きがぎこちなくなることを今更ながら初めて発見した感じだった。昔やっていた芦原空手の型をもう一度思い出しながらやらにゃあイカンね。

久しぶりの昼トレ&仕事後サンドバッグ自主トレだったが、身体はちゃんと持った。ブランクは、年をとるにつれ明らかに来る衰えをどないかせねばと考えていた「迷い」の2週間で脱却しよう。やれるところまでやるべきである。衰えてから考えればよい。

2011年8月6日土曜日

熟年の空手、まだまだ

まあ要するに気合が入らず、稽古をサボる理由の一つとして、俺は空手の「迷い」を述べたかったし、実際に感じてもいた。52歳の俺が、フルコン組手の強いか弱いかの世界に居てもいずれ衰えるし、既に衰えているような気もして、古伝空手の理解に傾倒した。

時折、そういうブルーな感覚が起きる。それは今の所解決できない感覚である。この年ならば明らかに衰えるのは分かっているし、このままフルコン空手を続けて行ってもどうかなと言う疑問である。フルコンはパワーとスピードである。無論試合運びやサバキと言うのもあるが、俺はまだまだ慣れてはいないし、そこに十分な稽古を積んでいるとは言えない。

今日氷解した。衰えることの怖れで考えても話にならぬ。衰えてから考えればよいのである。俺はまだまだパワーやスピードを増せるはずだ。そっちの方を求めよう。パワーやスピードを増す為には、日々を考えることに費やすことではなく、修練することに使うことだ。

古伝空手の書物を読み、「迷い」を持ちつつ結局稽古をサボって酒を飲んでいたのがこの俺である。古伝空手は非常に魅力的で、よき師に会えばそっちに行くかもしれぬ。しかし今はおらず、調べても見たが俺の近くにそのような道場はない。ならば邂逅するまではこのまま突っ走る。パワーとスピードをまだまだ伸ばす。サバキも身につけたいが、中々に・・・、いつも一人で稽古するのが多く、これがまた難しいんだよね。

技はあくまでも速く、強い動きをする。年をとり素早い反応の動きができない所がもどかしいが、技だけならばまだ速くできると思う。「強い動き」と言うのは、古伝空手を少し読んだ後の表現である。相手の動きに先んじて自分が動く。攻防一体に関しては研究し自覚して求めて行こう。

ということで、今までどおりの修練をやっていく。若い奴にはまだ負けぬ、と言う気概である。

ここ2週間ばかり「迷い」の上に昼トレも道場稽古もサボりがちであったんだが、それはいかん。元通りに激しくやるべきである。どの年代でもその真剣さの中で成長がある。

2011年8月2日火曜日

熟年空手家のぼやき

 最近どうも昼休みトレーニングに熱が入らぬ。暑いからとも言えるが、何だろうね? 1年の内何回かはこのような時期が来る。その度にもっともらしい理由があるんだが、共通して言えることは、俺はいつ衰えて弱くなるのだろうかの問いを発し、答えが見つからぬからである。せっせせっせとトレーニングしてもその先が見えない。

 もう52歳だから既に衰えているのかもしれないが、ウェイトはやればやるだけ負荷が増えて今は最大負荷のレベルにあるし、サンドバッグを蹴ってもまだ破壊力は衰えていないように思う。有酸素運動は分からぬ。最近、長距離を走ったことはないから衰えてはいるんだろうが、空手の道場稽古はそれなりに体力、もっている。

 前に記したが、30年ぶりに母校の空手道部の練習にフル参加した際はどうということはなくこなした。30年前はなぜあれ程苦しかったのかをむしろ不思議に思うほどだった。たいしたことないじゃん♪である。

 ただ闘争心と言うものは確実に無くなっては来ている。この年になって相手を傷つけるか自分も傷つくかの修羅場をわざわざ求めたくはない。道場の若手は育ってきており、フルコン組手で抜かれて行く寂しさかなぁ、そういうものも感じている。彼等の成長は順調で早く、俺は衰えのまぐちか、その過程にあるのだろうかと無力感のようなものを感じる。伸びて強くなっていく彼らが羨ましい、ということか。

 組手における反応は確実に鈍くなっているんだろうね。

 このままフルコン空手を修めて、フルコンと言うのは所詮、組手で強いか弱いかであるから、ズルズルと衰えの中で過ごしてよいのかどうかを考えてしまう。

 年を経ての強さを求めたくて、古伝沖縄空手に興味を持っている次第である。フルコン空手の我が流派でも最近は型を重視し始めた。空手を生涯の運動と見るならば、年をとってもできる型は必要である。組手の強さは30代で終わる。

 しかしながら、空手を志したものは皆そうであるんだが、年を経ても強くなりたい訳だ。年を経るに従って強くなれる道を探そうとする。強さには精神的な強さがあるなどと青臭いことは言わない。そりゃ当然だ。年を経ても格闘の技を身につけて肉体的に強くなりたいのである。体力がピークである25歳から経験を積んで試合運びも上手くなってくる30代前半の時期を、最も強い時期とするのならば、それでもそこからさらに強くなれるべき、武術の術はどこにあるのだろうか。単に、元気な時が一番強いでは術は無くても一緒であろう。術は深く修めるにつれて磨かれていくものではないのか。闘わずして勝つ、の極意に術は行くべきだと思うんだが、その道とは?

 俺はその術を知りたい。