会社にて。節電でエアコンを止めると室温が上がり、暑い。なにやらボーっとしてくる。今時のオフィスは風通しもないし、PCは至る所にあり、これが温度を上げる。会議室では人いきれと持ちこんだノートPCで、頭脳はボー二つだ。
社内食堂。ラーメンを汗だくですすって食べる。それまでにトレーニングして体が発汗し、なおかつ熱い食い物だからもう大変だ。滝のように汗が流れる。昼飯前にトレーニングするとたいてい食欲がなくなり、手軽に食べられるものとしてラーメンを選ぶのが大半。定食はヘビーに見えてどうもイカン。特に食欲もないのだが、食べておかねばならないとして熱意と喜びのない食事を取る。面倒くさいからたいていラーメンとなる。あるいはうどん、そば。
トレーニングしても、このように炭水化物の食事ばかりだと筋肉にとってよくはなく、筋肉がつかないばかりか、単に太るようになる。もう成長の為にカロリーを必要とする若い体ではない。今も腹筋は100回は平気で出来るが、腹周りには脂肪が随分付いている。正しく言えば、腹筋の力と腹周りの脂肪の量は関係なく、要するに成長(最早ないが)と活動に余った炭水化物のエネルギーが脂肪と化して付いている訳だ。
禁煙して口寂しく、毎日ガムとチョコレートを食べるようになって体脂肪率は20弱から23強まで増えてしまった。トレーニングの量はさほど変化なし。体重が82Kから85Kまで増えたのは、ひとえに脂肪か・・・。でも負荷は増えているから筋肉も増えていると思うんだが、腹周りもデブっとなってしまった。まあ、これから夏を迎えて汗っかきの俺が大いに汗をかき、夏バテして痩せる・・・と言うか体が絞れることを期待しよう。あー、汗みどろになるのは不愉快なんだが、しょーがないね、ウェイトと言えどもトレーニングだから夏の暑い中では汗が噴出する。
ちゃんと言っておくならば、世間的な中年太りとは吾輩、全く異なり、182cm、85kで筋肉のついた堂々たる体躯である。ただちょっと腹周りに脂肪がつき、腹筋がかろうじて6つに割れているのが脂肪の柔らかい皮膚を通して感じ取れると言うか、照明の具合によりそう見えるという程度だ。肩や胸は筋肉が出ているから、問題は腹と背中だね、脂肪が付いているのは。背中も懸垂で鍛えているんだが、この間鏡に映すと、割合丸みを帯びているように見えた。ただ何と言っても腹だ、まったく。腹筋が軽く100回できるのに、贅肉が厚い。
会社では、このように毎日昼休みにトレーニングをしている。週末は、やっと時間ができ、道場に通っている。週日は連日残業であり、道場には行けない。
さて、俺は何のために日々せっせとトレーニングして、空手をしているかである。トレーニングの目的は空手に強くなる為。では、なんで空手を続けているのか。
土日の休みの日は、道場に行って稽古することが最も大事なことであり、それ以外の時間はダラダラと休息よろしく、昼寝をしたりビデオを見たり、時々まともな読書をし、また多くはWebサーフィンで何やら面白いことはないかと探る時間である。考えてみれば学生時代、あまりに稽古が厳しく、道場に行く気力を奮い立たせる為に、昼から授業をさぼり、空手バカ一代や明日のジョーを何度となく喫茶店で読んでいた。空手をやる為に、他の時間があった。このことが学生時代も今も変わらない。空手をする為に他の時間を、やる気を奮い立たせる為にとか、稽古に備えて体を休めることに用いるということだ。
本当におそまきながら最近やっと分かったことがある。
空手をやることが最終目的ではないと言うこと。空手は己の心身の修練である。プロの格闘家になり、闘いに勝つことが生活を維持し、また人生の大きな目標になるのなら話は多少変わってくるが、俺の場合はもうこんな年では無理だ。確かに学生時代は試合で勝つことは目標であった。ただよく考えればそれは人生の目的ではない。
しかるに、週末は道場に行くことのみが・・・無論稽古は大変だし、そこに行く気力が必要だが・・・目的化していないか? 空手は己の人生の修練の道であり、本来ならば空手をきちっと修めているから、「あの人の考え方はりっぱだし筋も通り、行動も正しい」的なことになるべきではないのか?
俺は空手をやることを目的化していないか? 土日に道場に行くことの為に、他の時間をダラダラ、休憩と称して無駄に過ごしていると言わざるを得ない。空手が心身を鍛え律するとするならば、空手をやっていない時間の行動の方がよほど大事ではないだろうか。
と、最近・・・この年になって・・・・やっと思い至った。空手を修めると言うことを、ずっと非常に大事なことだと考えてきた。空手を通して成長してきたことも、きっと多くある。ただ、空手をすること、修めること自体が人生の目的ではない。
俺の同輩に、今でも空手を続けている立派な男がいる。学生時代、学生は空手と勉学のみをすればよし、と言いきって、そうした。司法試験に受かり、責任のある地位に就き、大きな仕事を成しながら空手も熱心に続けている。卒業してから型も多く覚え、演武会で見事に見せている。
俺も彼も空手を「愛する」。俺と彼の違いは、俺はあまりにも空手を目的化した。詰まる所空手をひたむきにやることでもう満足してしまった。そうではなく空手は、やることにより、己の人生を深め、豊かにするものである。そういう風に捉えて、その果実を作らなければならない。
空手は、空手道というように、道であり、どれだけやっても極意にたどり着けない何らかのものである。道を歩むという考えは大事である。それは格闘の道であり、己を修める道であり、世に何らか善きことを成す道であり、色々だ。道であるということ、空手をやることが目的ではないということ。空手を通して歩む道を空手道と言うのであろう。
まず、今週末からは、道場稽古も行くが、それ以外の時間をダラダラ休息に充てるのを止め、女房の手伝いをしよう。掃除・料理だね。そこからだ。善きこと?を成しつつ空手もする。空手道を歩むからには、空手の技の修練やトレーニングだけではない。
2011年5月17日火曜日
2011年5月8日日曜日
白髪染めから、型へ?
久しぶりに風呂でスクワット150回。スクワットはかなり大変なので中々やる気がせず、せめて一日おきとしたいが、実際には3日に1回弱であろう。150回続けてはできないので、50回ずつ3セットの計である。
習慣としてスクワットをやり始めて数カ月が経つが、中々一息に100回はできない。ゆっくりとならばできるんだが、1秒に1回という程度のスピードだと、息が上がるのと筋肉が消耗しきるのとほぼ同時に来る。今の所70回で一休みして残る30回をこなすパターンが多い。数か月経ったがあまり進歩がないね。
本日は、髪の毛を染めたので、それを洗い流しながら、50回2セット。体を洗いつつさらに50回。この「ながら」スクワットと言うのも、スクワットだけに集中すると大変しんどく、単調な動きにさらに滅入るので、風呂場で髪や体を洗いながらやることが多くなった、ということ。
髪の毛を染めると言っても白髪染めである。もともと若い時から白髪が多く、もう52歳だからほとんど白髪だと思うが、時折染めているので実際どこまで白髪になっているのかは不明である。生え際はほとんど白髪。40代中盤の頃、道場の鏡の前で稽古し出した時、頭の白いオヤジがエッチラオッチラやっているのが、健気に思え、そう思うことが情けなくなったので、染め始めた。
本日は、かなりゆるかったが、道場稽古もやりスクワットもしたのでまあまあよしとする。
時折、まるで周期的に考え込んでしまうんだが、何の為の空手か?何の為にこうやって日々鍛えようとしているのか?またぞろ、この問いが出る。このブログでも今まで2回書いた。同じ問いを発し、同じ答えを得る。まだ分からぬ。
少し伝統型を学ぼうと思い始めている。何の為の空手かの答えの一つは、動禅としてである。空なる動き、動きの中の空とは? 空なる動きの中に胆力を練る。そう書くと禅坊主から喝だろうけれど。禅とはなにも求めずただあるがままに座すことだろうから。
とは言え、俺としては空手を通じて何らかを求める。動禅と言えば、やはり型であろう。
平安と言う型があるが、あれがどうにも馴染めぬというか、覚える気がしない。糸洲先生が体育として考えた型であることを知っているが為に、格闘のエッセンスとして在る型では無いような気がしてならぬ。ではナイファンチ?いずれ会得すべし。難しそうな型だなあ。冨名腰先生が空手を始めた時に3年間、この型のみをやり続けることを課せられたそうだ。動きの解釈が難しそうである。
習慣としてスクワットをやり始めて数カ月が経つが、中々一息に100回はできない。ゆっくりとならばできるんだが、1秒に1回という程度のスピードだと、息が上がるのと筋肉が消耗しきるのとほぼ同時に来る。今の所70回で一休みして残る30回をこなすパターンが多い。数か月経ったがあまり進歩がないね。
本日は、髪の毛を染めたので、それを洗い流しながら、50回2セット。体を洗いつつさらに50回。この「ながら」スクワットと言うのも、スクワットだけに集中すると大変しんどく、単調な動きにさらに滅入るので、風呂場で髪や体を洗いながらやることが多くなった、ということ。
髪の毛を染めると言っても白髪染めである。もともと若い時から白髪が多く、もう52歳だからほとんど白髪だと思うが、時折染めているので実際どこまで白髪になっているのかは不明である。生え際はほとんど白髪。40代中盤の頃、道場の鏡の前で稽古し出した時、頭の白いオヤジがエッチラオッチラやっているのが、健気に思え、そう思うことが情けなくなったので、染め始めた。
本日は、かなりゆるかったが、道場稽古もやりスクワットもしたのでまあまあよしとする。
時折、まるで周期的に考え込んでしまうんだが、何の為の空手か?何の為にこうやって日々鍛えようとしているのか?またぞろ、この問いが出る。このブログでも今まで2回書いた。同じ問いを発し、同じ答えを得る。まだ分からぬ。
少し伝統型を学ぼうと思い始めている。何の為の空手かの答えの一つは、動禅としてである。空なる動き、動きの中の空とは? 空なる動きの中に胆力を練る。そう書くと禅坊主から喝だろうけれど。禅とはなにも求めずただあるがままに座すことだろうから。
とは言え、俺としては空手を通じて何らかを求める。動禅と言えば、やはり型であろう。
平安と言う型があるが、あれがどうにも馴染めぬというか、覚える気がしない。糸洲先生が体育として考えた型であることを知っているが為に、格闘のエッセンスとして在る型では無いような気がしてならぬ。ではナイファンチ?いずれ会得すべし。難しそうな型だなあ。冨名腰先生が空手を始めた時に3年間、この型のみをやり続けることを課せられたそうだ。動きの解釈が難しそうである。
昔話、合宿
30年経っても覚えている光景がある。全関西学生選手権の準々決勝、準決勝、3位決定戦の3つの試合。さらにその前年のベスト16での試合、また遡って20歳の時の対外試合の初陣。そうこう思い出そうとすると、大学1年の夏合宿で初めて組手をやった時の風景等、どんどん情景が思い浮かんでくる。
大学を卒業し就職して30年が経つが、その間に覚えている光景よりも何たる数の多さ、鮮明さであろうか、だ。
若い感受性の中で、もっとも激しい肉体の鍛錬と、恐怖を伴う闘いの日々、その間を通じて同輩、先輩、後輩や好敵手との交わり、心身活動の濃い時期であった。それは自ら生んだ訳ではなく、その世界に入る選択をして、入るとそうなった。
大学1年の夏合宿。ヘロヘロになる練習。筋肉痛が酷くなり、痛いところを庇うとまた別の所が筋肉痛になり、もう全身痛くない所はないという状態だった。それでも動き出して汗をかきだすと多少は痛みが和らいだ。練習に臨んでいる人間の精神力なのか、それとも筋肉の温度が上がると痛みが物理的に減るのかよく分からぬ。合宿は4年間を通していつもそうだった。
あの・・・、朝起きて動き出した時の全身筋肉痛、なんでここまでして動かなければいけないのか、苦痛であり、拷問のように感じていた。少しの休憩を挟んで午前の本格練習、それから昼寝をして夕方の練習に臨む時等、その都度体が冷えているから同様の全身筋肉痛があった。その度合いは1回生のころとさして変わらなかったようには思う。ただ、精神と言うか神経が、それが普通であると言っていた為、上級生になるに従って鈍感になって行った。まあ、そういうもんだ、と。
夏合宿で初めて組手をした。それまで苦しい練習を支えあってと言うか、弱音や痛みを言い合うことで互いに耐えてきた同輩と、今度はいきなり闘う羽目になった。これは不条理である。同志が敵となる。最初は皆、組手には素人だから、まあ変なもんだ。恐そうに技を出してはすぐ下がったり、やられるまえにやろうとして、しゃにむに手数を出して押して行ったり。個人個人の性格が出る。
結果、脛の細いほうの骨を骨折した奴、顔面に当たって鼻の骨が折れた奴、各1名が出た。今なら大慌てであろうが、当時は・・・、誰も慌てない。上級生は何らか考えたことだろうが、1回生の我々は自分のことで精一杯であり、大して心配しなかったように記憶している。脛の細いほうの骨を骨折した奴は合宿から戻って医者に行って初めてそう分かった。かなり痛かったであろうが、我慢していたのであろう。鼻が折れた奴も、折れたのは最終日であり、その日に合宿先近くの医者に行ったが、応急措置として、鼻を覆う大きなガーゼをして戻ってきただけだった。その後合宿打ち上げコンパに彼は参加して芸を披露していた。
残念ながら彼らは夏合宿を最後に空手道部を辞めてしまった。実際負傷してみれば、重く考えさせることがあるのだろう。30年以上前だが今でも彼らの顔を覚えている。野蛮と言うか、怪我することは武道には当たり前の付き物としていた時代感覚だった。
体を苛め抜くように鍛えたあの日々。激しければ激しいほど、辛ければ辛いほど強くなる気がしていた若い時代である。
大学を卒業し就職して30年が経つが、その間に覚えている光景よりも何たる数の多さ、鮮明さであろうか、だ。
若い感受性の中で、もっとも激しい肉体の鍛錬と、恐怖を伴う闘いの日々、その間を通じて同輩、先輩、後輩や好敵手との交わり、心身活動の濃い時期であった。それは自ら生んだ訳ではなく、その世界に入る選択をして、入るとそうなった。
大学1年の夏合宿。ヘロヘロになる練習。筋肉痛が酷くなり、痛いところを庇うとまた別の所が筋肉痛になり、もう全身痛くない所はないという状態だった。それでも動き出して汗をかきだすと多少は痛みが和らいだ。練習に臨んでいる人間の精神力なのか、それとも筋肉の温度が上がると痛みが物理的に減るのかよく分からぬ。合宿は4年間を通していつもそうだった。
あの・・・、朝起きて動き出した時の全身筋肉痛、なんでここまでして動かなければいけないのか、苦痛であり、拷問のように感じていた。少しの休憩を挟んで午前の本格練習、それから昼寝をして夕方の練習に臨む時等、その都度体が冷えているから同様の全身筋肉痛があった。その度合いは1回生のころとさして変わらなかったようには思う。ただ、精神と言うか神経が、それが普通であると言っていた為、上級生になるに従って鈍感になって行った。まあ、そういうもんだ、と。
夏合宿で初めて組手をした。それまで苦しい練習を支えあってと言うか、弱音や痛みを言い合うことで互いに耐えてきた同輩と、今度はいきなり闘う羽目になった。これは不条理である。同志が敵となる。最初は皆、組手には素人だから、まあ変なもんだ。恐そうに技を出してはすぐ下がったり、やられるまえにやろうとして、しゃにむに手数を出して押して行ったり。個人個人の性格が出る。
結果、脛の細いほうの骨を骨折した奴、顔面に当たって鼻の骨が折れた奴、各1名が出た。今なら大慌てであろうが、当時は・・・、誰も慌てない。上級生は何らか考えたことだろうが、1回生の我々は自分のことで精一杯であり、大して心配しなかったように記憶している。脛の細いほうの骨を骨折した奴は合宿から戻って医者に行って初めてそう分かった。かなり痛かったであろうが、我慢していたのであろう。鼻が折れた奴も、折れたのは最終日であり、その日に合宿先近くの医者に行ったが、応急措置として、鼻を覆う大きなガーゼをして戻ってきただけだった。その後合宿打ち上げコンパに彼は参加して芸を披露していた。
残念ながら彼らは夏合宿を最後に空手道部を辞めてしまった。実際負傷してみれば、重く考えさせることがあるのだろう。30年以上前だが今でも彼らの顔を覚えている。野蛮と言うか、怪我することは武道には当たり前の付き物としていた時代感覚だった。
体を苛め抜くように鍛えたあの日々。激しければ激しいほど、辛ければ辛いほど強くなる気がしていた若い時代である。
懐かしの場所にて
田舎に帰省し、久しぶりに大学の空手道部の練習に参加した。OBになってから何度か参加はしたが、指導することが中心だった。今回は指導は抜きにしてフルに学生と同じメニューをこなそうと最初から考えており、どこまで体が持つのか試すことが実は楽しみであった。文字通り練習に参加したということであり、そういう意味では30年ぶりの体験である。
52歳のオヤジが20歳前後の若人と2時間半、同じ練習をこなした。基本稽古の所、蹴りの回数が多く、1度ばかり息切れがしてついていけない所があったが、それ以外は最後の補強に至るまで同じことをやった。まあ俺もたいしたもんだと、とりあえずは誇ることにしよう。
一方でこの程度の練習であるのならば、若かりし頃の俺はなぜあれ程消耗していたのか、と考えてしまう。練習は非常に辛いという記憶が濃く、道場に行くのが非常にいやであった。
現代の練習と30年以上前の練習の大きな違いは、移動の有る無しであろう。あの当時の延々と続いた移動稽古は本当に苦しかった。広い武道場にて、四股立ち順突きと逆突きの各2報復で計4往復。前屈も同様。猫足立ち前蹴り2往復に送り足による蹴り2往復。30分以上みっちり移動稽古をやっていた。腰が少しでも高いと先輩から怒られ、また自分がその立場にたつと同じように怒った。汗をダラダラ流し、腰を落とした下半身はぶるぶると震え、それでもさらに腰を落とせと言われる。顔は苦しさで歪み、もはや泣きそう。我慢の限界というものを常時味わっていた。
あの移動稽古は一体何だったのだろうか? 現役諸氏のフットワークや型の披露を見ても十分安定しているし、形になっていると思う。延々と苦しい移動がなくても空手の技は伸びると言うことであろうか。
現在通っているフルコン道場でも基本の移動は短い。そもそも道場がせまい為前屈ならば3歩足を送るのが精一杯であり、即廻れとなる。そんな稽古でも若い道場生は十分下半身が安定している上手い技を出せる。うーんやっぱり考えるね、俺の青春の、あの過酷な移動稽古は意味があったのだろうか?
移動稽古は下半身の鍛錬であると言えるが、そもそも空手の立ち方そのものである。猫足で構えて蹴りを放ち、前屈で突きを出す。四股立ちで相手の技を受けて返す。この立ち方そのものが空手の闘いの中に使われない限りは、単なる下半身の鍛錬にしかならない。そして今や試合でこれらの立ち方が正確に使われることはない。空手の型はすべてこれらの立ち方で構成されている。三戦立ち、後屈立ち、結び立ち等も加えて。つまり型の動きを実戦で使えない限りは、これらの立ち方の意味は伝統の中に形骸としてある「型」にしかないことになる。
あえて「型」を実戦の形骸と述べた。素直な疑問は型の動きが組手の闘いの中になぜ出てこないのだろうか、ということだ。伝統派からフルコンに至るまで通算10年以上やっている俺にしても、特に不思議に思わず、「型」と「組手」を別物として端から捉えている。だいたい型によくある裏拳打ちをやっても組手試合では有効打としてとらないではないか。
「型」の動きと「実戦」あるいは「組手」は、いずれあらためて考えたい。
現在の組手では、フットワークを用いたボクシングスタイルの立ち方(フルコン)や、前後に少し広めにとり重心をほぼ中央にした伝統派空手の組手構えとなり、上記の空手伝統の立ち方はまず用いられない。従ってわが青春の移動稽古は下半身の鍛錬にのみあったようだ、なんともはや。
・・・・・・・・
我が空手道部の現在の練習に占める割合の最も大きいのは、かかり稽古であった。4人くらいが、キックミットを持って立っている中を、残りの者は列を成し、順突きでミットを突いていく。列を移りながらひとしきり順突きをやった後は、逆突き、中段蹴り、上段蹴りと技を変え同様にする。
単発でやるからには破壊力第一である。余計な力を入れずにスピードと極めを重視して、突きにしろ蹴りにしろ突き刺すようにしなければいけない。当てた時に最も破壊力が出るようになっているかどうか、チェックしながら何本もやる。
次にミットを置いて、構えた相手に対して連続技のかかり稽古。この場合、伝統派は寸止めしないといけないので注意が必要だ。普段フルコンをやっている俺は細心の注意を払った。
俺は学生時代に歯を2本折り、鼻を曲げている。相手の上段が止らなかった。その後、歯は3度作りなおしたのでのべ数十万かかっているし、鼻に関してはクランクになった通気路の為、鼻中隔矯正手術をしても慢性鼻炎で片側が常に詰まっている。今フルコンをやっているのは、上段突きありの伝統派の方が確率的に危険であるから避けたということもある。もう歯のブリッジを作りかえるのは嫌だし、鼻は骨を削っているのでさらに曲がり陥没しやすいので、顔面パンチはご免だ。
かかり稽古に戻る。
技については昔のようなスピードはなかったことだろう。昔、自分で鏡に映して技を点検していたが、自分でも見えないようなスピードで突けた頃があった。蹴りも小さく足を折りたたんで非常に速く突き刺すように出す蹴りができていた。
今回やってみて、中段の回し蹴りや前蹴りを止めるには止められるが、その後の引き足を早くするところまでは考えがまわらなかった。まあ、止めただけでやんわりと引いていた為、試合では取ってくれそうにない技になっていただろうな。伝統派空手では、突きも蹴りもスパッと繰り出しスパッと引いて残心を取ることが肝要。切れ味が大切だ。伸ばせば切れていること。これはフルコンでも取り入れるべき点であり、普段意識して身につける必要がある。
1,2パンチから左上段回し蹴りや右上段回し蹴りの連続技も試した。一つ一つの技の破壊力はあるとは思うが、切れ味を出す速さが足りない。連続技の間隔を短くし、速い動きの中で、出す技がそれ以上遥かに速くなければならない。それは単に手による突きの速さではなく、体全体の無駄のない動きを合算した速さである。ゆっくりと移動していると次に繰り出す技のスピードも鈍りがちになってしまう。速い移動と体の回転、そして速い技を出そうとする心構えが大切である。これはフルコン組手の際にも俺の足りない所だ。移動がスローモーだから次の技も大きくスローモーになりがちだ。力を抜くことはスローモーにすることではない。動きと技は速いんだが、最後の極めを意識的にはずすことが、力を抜いたスパーリングだ。逆に言えば極めた時には相手を倒せなければならない。
技と動きの「切れ味」をキーワードとして常に頭に置くこと。
最後に腹筋100回、背筋100回、拳立て60回の補強をした。若い頃には決してなかったんだが、腹筋100回だと80回くらいから非常に腰が凝ったようになり鈍痛を覚える。腹筋自体はまだまだOK。なるべく背中を丸めて腹筋のみを使うようにしているのだが、もうこれは年のせいでしょうがないのであろう。従って自主トレでは回数が比較的少なくても鍛えられるV字腹筋をよくやる。腰が凝る前に腹筋が消耗してよく鍛えられる。
30年ぶりの大学での練習。文字通り血と汗を流した、かつてと同じ道場にて。かつての先輩、同輩、後輩たちの顔が浮かぶ。皆もういい年のおっさんだろうが、当時のままの若さにて鮮明に思い出せる。俺の人生においてこれほど強烈な記憶の一群を残している場所はない。
これからの若い現役諸君の健闘を祈る。闘いは試合だけではなく、人生の諸局面に在り、勝つこともあれば負けることもある。勝って謙虚に前を見、負けて学ぶことを積み重ねることだ。
52歳のオヤジが20歳前後の若人と2時間半、同じ練習をこなした。基本稽古の所、蹴りの回数が多く、1度ばかり息切れがしてついていけない所があったが、それ以外は最後の補強に至るまで同じことをやった。まあ俺もたいしたもんだと、とりあえずは誇ることにしよう。
一方でこの程度の練習であるのならば、若かりし頃の俺はなぜあれ程消耗していたのか、と考えてしまう。練習は非常に辛いという記憶が濃く、道場に行くのが非常にいやであった。
現代の練習と30年以上前の練習の大きな違いは、移動の有る無しであろう。あの当時の延々と続いた移動稽古は本当に苦しかった。広い武道場にて、四股立ち順突きと逆突きの各2報復で計4往復。前屈も同様。猫足立ち前蹴り2往復に送り足による蹴り2往復。30分以上みっちり移動稽古をやっていた。腰が少しでも高いと先輩から怒られ、また自分がその立場にたつと同じように怒った。汗をダラダラ流し、腰を落とした下半身はぶるぶると震え、それでもさらに腰を落とせと言われる。顔は苦しさで歪み、もはや泣きそう。我慢の限界というものを常時味わっていた。
あの移動稽古は一体何だったのだろうか? 現役諸氏のフットワークや型の披露を見ても十分安定しているし、形になっていると思う。延々と苦しい移動がなくても空手の技は伸びると言うことであろうか。
現在通っているフルコン道場でも基本の移動は短い。そもそも道場がせまい為前屈ならば3歩足を送るのが精一杯であり、即廻れとなる。そんな稽古でも若い道場生は十分下半身が安定している上手い技を出せる。うーんやっぱり考えるね、俺の青春の、あの過酷な移動稽古は意味があったのだろうか?
移動稽古は下半身の鍛錬であると言えるが、そもそも空手の立ち方そのものである。猫足で構えて蹴りを放ち、前屈で突きを出す。四股立ちで相手の技を受けて返す。この立ち方そのものが空手の闘いの中に使われない限りは、単なる下半身の鍛錬にしかならない。そして今や試合でこれらの立ち方が正確に使われることはない。空手の型はすべてこれらの立ち方で構成されている。三戦立ち、後屈立ち、結び立ち等も加えて。つまり型の動きを実戦で使えない限りは、これらの立ち方の意味は伝統の中に形骸としてある「型」にしかないことになる。
あえて「型」を実戦の形骸と述べた。素直な疑問は型の動きが組手の闘いの中になぜ出てこないのだろうか、ということだ。伝統派からフルコンに至るまで通算10年以上やっている俺にしても、特に不思議に思わず、「型」と「組手」を別物として端から捉えている。だいたい型によくある裏拳打ちをやっても組手試合では有効打としてとらないではないか。
「型」の動きと「実戦」あるいは「組手」は、いずれあらためて考えたい。
現在の組手では、フットワークを用いたボクシングスタイルの立ち方(フルコン)や、前後に少し広めにとり重心をほぼ中央にした伝統派空手の組手構えとなり、上記の空手伝統の立ち方はまず用いられない。従ってわが青春の移動稽古は下半身の鍛錬にのみあったようだ、なんともはや。
・・・・・・・・
我が空手道部の現在の練習に占める割合の最も大きいのは、かかり稽古であった。4人くらいが、キックミットを持って立っている中を、残りの者は列を成し、順突きでミットを突いていく。列を移りながらひとしきり順突きをやった後は、逆突き、中段蹴り、上段蹴りと技を変え同様にする。
単発でやるからには破壊力第一である。余計な力を入れずにスピードと極めを重視して、突きにしろ蹴りにしろ突き刺すようにしなければいけない。当てた時に最も破壊力が出るようになっているかどうか、チェックしながら何本もやる。
次にミットを置いて、構えた相手に対して連続技のかかり稽古。この場合、伝統派は寸止めしないといけないので注意が必要だ。普段フルコンをやっている俺は細心の注意を払った。
俺は学生時代に歯を2本折り、鼻を曲げている。相手の上段が止らなかった。その後、歯は3度作りなおしたのでのべ数十万かかっているし、鼻に関してはクランクになった通気路の為、鼻中隔矯正手術をしても慢性鼻炎で片側が常に詰まっている。今フルコンをやっているのは、上段突きありの伝統派の方が確率的に危険であるから避けたということもある。もう歯のブリッジを作りかえるのは嫌だし、鼻は骨を削っているのでさらに曲がり陥没しやすいので、顔面パンチはご免だ。
かかり稽古に戻る。
技については昔のようなスピードはなかったことだろう。昔、自分で鏡に映して技を点検していたが、自分でも見えないようなスピードで突けた頃があった。蹴りも小さく足を折りたたんで非常に速く突き刺すように出す蹴りができていた。
今回やってみて、中段の回し蹴りや前蹴りを止めるには止められるが、その後の引き足を早くするところまでは考えがまわらなかった。まあ、止めただけでやんわりと引いていた為、試合では取ってくれそうにない技になっていただろうな。伝統派空手では、突きも蹴りもスパッと繰り出しスパッと引いて残心を取ることが肝要。切れ味が大切だ。伸ばせば切れていること。これはフルコンでも取り入れるべき点であり、普段意識して身につける必要がある。
1,2パンチから左上段回し蹴りや右上段回し蹴りの連続技も試した。一つ一つの技の破壊力はあるとは思うが、切れ味を出す速さが足りない。連続技の間隔を短くし、速い動きの中で、出す技がそれ以上遥かに速くなければならない。それは単に手による突きの速さではなく、体全体の無駄のない動きを合算した速さである。ゆっくりと移動していると次に繰り出す技のスピードも鈍りがちになってしまう。速い移動と体の回転、そして速い技を出そうとする心構えが大切である。これはフルコン組手の際にも俺の足りない所だ。移動がスローモーだから次の技も大きくスローモーになりがちだ。力を抜くことはスローモーにすることではない。動きと技は速いんだが、最後の極めを意識的にはずすことが、力を抜いたスパーリングだ。逆に言えば極めた時には相手を倒せなければならない。
技と動きの「切れ味」をキーワードとして常に頭に置くこと。
最後に腹筋100回、背筋100回、拳立て60回の補強をした。若い頃には決してなかったんだが、腹筋100回だと80回くらいから非常に腰が凝ったようになり鈍痛を覚える。腹筋自体はまだまだOK。なるべく背中を丸めて腹筋のみを使うようにしているのだが、もうこれは年のせいでしょうがないのであろう。従って自主トレでは回数が比較的少なくても鍛えられるV字腹筋をよくやる。腰が凝る前に腹筋が消耗してよく鍛えられる。
30年ぶりの大学での練習。文字通り血と汗を流した、かつてと同じ道場にて。かつての先輩、同輩、後輩たちの顔が浮かぶ。皆もういい年のおっさんだろうが、当時のままの若さにて鮮明に思い出せる。俺の人生においてこれほど強烈な記憶の一群を残している場所はない。
これからの若い現役諸君の健闘を祈る。闘いは試合だけではなく、人生の諸局面に在り、勝つこともあれば負けることもある。勝って謙虚に前を見、負けて学ぶことを積み重ねることだ。
登録:
投稿 (Atom)