小生と同じような空手オヤジの書いているブログを、頻繁に興味深く読んでいた。内容は多岐に渡り面白く、洞察に富み、文章も上手い。最近更新がないがどうしたのだろうか。小生はこのサイトのファンだった。
今日が一番きつかった(中年空手日誌)
本日も淡々とトレーニングを、午後9時からして帰った。本来は昼休みにすべきものだったが、気合が入らず、昼休みはマッサージチェアでグリグリされながら雑誌を読んでいた。で、やはりトレーニングをスキップするのに気がとがめ・・・別に誰に悪い訳でなく、どうでもいいんだが・・・仕事が終わってからトレーニングルームへ。今日の昼にすべきだったメニューをこなした。
本日は下半身。27.5Kのダンベル×2の重量でスクワット20回×3セット。その後、股開き、股閉じのマシンによるウェイトを各3セット。その前には、毎日の定番である腹筋100回、背筋70回。ウェイトが終わってから柔軟をTV見ながら10分程度かな、やった。時間にして40分。昼休みのように急いでやる必要がないので、のんびりと楽だった。
昨日は会社の空手道場でいつものごとくサンドバッグを午後6時半から8時まで。サンドバッグ稽古をiPhoneでビデオ撮影した。撮影しては再生してモーションを確認していたから、濃いハード稽古にはなっていない。
まあ、俺の動きは固いねぇ。腰が前に出ていない。足をきちんと折りたたんでいない。パンチはまあまあだが、ノーモーションで切れるパンチを出したいね。ドスンと破壊力はあるんだが。回し蹴りの時にかなり腰は回しているんだが、もっと回してもよい、というか腰自体を前後ろ、回転と、柔軟に使うべきだと言うことが分かった。回転もオーバーにやってよい。QuickTimeMovieは、コマ送りができるから面白い。普通の速度で見ているとたいして腰が廻っていない回し蹴りも、コマ送りにするとちゃんと廻っていた。それはそれでよいんだが、何かしら固く見えるのは腰の動きが地味だからだ。腰の動きをもっと柔軟に、大きくしないとね。
これからさらに自分のフォーム、モーションを見て改善点を掴んでいくべし。じーさんのような動きにならないように。
2012年9月12日水曜日
真樹日佐夫氏の「ああ五十年 身に余る」
真樹日佐夫氏の、「ああ五十年 身に余る」を読む。副題が「真樹日佐夫ワル自伝」である。ちょっとやそっとじゃ、感想は書けませんね。まあ、感想としてまとめることの器を我は持たぬ、と言うことか。
少年マガジン連載の「空手バカ一代」の漫画で育った50代前後の世代には知っている人も多いだろう。それより先行した氏の原作である「ワル」―これも少年マガジン連載なんだが―となるとさらに古く、少年誌連載なのに大人の世界のような気がしましたね。当時小生は中学生になったばかり、高校生はなんて大人なんだろうと感じ入っていた記憶がある。
「ワル」は、1970‐72年に少年マガジン連載。その後続編が別の雑誌で続く。ともかく大変昔。「空手バカ一代」は、1971‐77年に少年マガジン連載。こちらは氏の兄である梶原一騎原作であり、真樹日佐夫氏の方は空手家として登場人物の一人となっている。
「ああ五十年 身に余る」の題名がおもしろいですね。何が「身に余る」んだ?と尋ねたい所です。氏は頭がよく空手が強いのに、まったくいったい何がどういう具合に「身に余る」のか。身になんぞ余らないだろう、好き勝手に己の成したいことに邁進したのではないか、と思うよね。氏の吐いた不思議な言葉です。
真樹日佐夫氏は1940年(昭和15年)6月16日生まれで、 2012年(平成24年)1月2日に亡くなった。享年71歳であった。「ああ五十年」の50年とは?この本を書いた時は2011年。読めば分かるが、氏が年上のある女性と契りを成し、結婚はしなかったんだが人生の同志?伴侶として生きた日々であろうと思うんだが、ヒジョーに分かりにくい。50年とは、氏が梶原兄と文筆で生きて行くことを決めた時期とも一致するし、空手の道に入った時期もそう違わないだろう。「身に余る」の言葉を何故発したのかが分からない。氏が生前この本を出し、そのきっかけが50年来の女性の死であったことを考えれば、その女性に命を賭けて愛されたことを「身に余る」と言うのであろうか?
氏は梶原兄とのこと、極真空手、そして大山総裁のこと、自身の仕事や空手の事、様々に述べている。そのすべてのことに感謝したいから「身に余る」なんだろうか? 一代の不良がそんなに素直じゃないよね。まあ、感謝はすれど己の腕っぷしで渡ってきた事実と自尊がある。登場人物が小生の尺度で見れば無茶苦茶濃い。その濃い人々との交わりに氏は感謝したのだろうか?「身に余る」と言うのは、不良としてケンカして生き続けたが、終わりがないほど一杯好敵手がいたぞ、という意味もあるんだろうか? 女と男、一体どっちに感謝するんだと氏を問いただしたい所ではある。
男どもの濃い中の生、年上の女性への下にも置かぬ思い、「ああ五十年 身に余る」はどっちだか小生には分らぬ。どっちもだと言ってくれるより、小市民の小生としてはなぜかしらはっきりしたい所なんだよ。一に女、二に梶原兄、三に極真の大山総裁。そう解釈した。
ともかくも、不良少年から不良オヤジではあるんだが、空手、文筆、生半可ではなくやってきた・・・やはり大きな不良オヤジですね、年少の小生から見れば。
前にも書いたが、小生の時代は、真樹日佐夫氏の兄上である梶原一騎氏に創られたような時代である。何ともはや・・・の偉大なる兄弟だ・・・・。でも不良なんだよね。まあ、アウトロー万歳、小生もその時代の一片である。しかし小生の場合は、そう影響されて思ってきたこと、彼等兄弟は実践し表したこと、嗚呼凄いねぇと、全く大きな違いにため息をついている。
少年マガジン連載の「空手バカ一代」の漫画で育った50代前後の世代には知っている人も多いだろう。それより先行した氏の原作である「ワル」―これも少年マガジン連載なんだが―となるとさらに古く、少年誌連載なのに大人の世界のような気がしましたね。当時小生は中学生になったばかり、高校生はなんて大人なんだろうと感じ入っていた記憶がある。
「ワル」は、1970‐72年に少年マガジン連載。その後続編が別の雑誌で続く。ともかく大変昔。「空手バカ一代」は、1971‐77年に少年マガジン連載。こちらは氏の兄である梶原一騎原作であり、真樹日佐夫氏の方は空手家として登場人物の一人となっている。
「ああ五十年 身に余る」の題名がおもしろいですね。何が「身に余る」んだ?と尋ねたい所です。氏は頭がよく空手が強いのに、まったくいったい何がどういう具合に「身に余る」のか。身になんぞ余らないだろう、好き勝手に己の成したいことに邁進したのではないか、と思うよね。氏の吐いた不思議な言葉です。
真樹日佐夫氏は1940年(昭和15年)6月16日生まれで、 2012年(平成24年)1月2日に亡くなった。享年71歳であった。「ああ五十年」の50年とは?この本を書いた時は2011年。読めば分かるが、氏が年上のある女性と契りを成し、結婚はしなかったんだが人生の同志?伴侶として生きた日々であろうと思うんだが、ヒジョーに分かりにくい。50年とは、氏が梶原兄と文筆で生きて行くことを決めた時期とも一致するし、空手の道に入った時期もそう違わないだろう。「身に余る」の言葉を何故発したのかが分からない。氏が生前この本を出し、そのきっかけが50年来の女性の死であったことを考えれば、その女性に命を賭けて愛されたことを「身に余る」と言うのであろうか?
氏は梶原兄とのこと、極真空手、そして大山総裁のこと、自身の仕事や空手の事、様々に述べている。そのすべてのことに感謝したいから「身に余る」なんだろうか? 一代の不良がそんなに素直じゃないよね。まあ、感謝はすれど己の腕っぷしで渡ってきた事実と自尊がある。登場人物が小生の尺度で見れば無茶苦茶濃い。その濃い人々との交わりに氏は感謝したのだろうか?「身に余る」と言うのは、不良としてケンカして生き続けたが、終わりがないほど一杯好敵手がいたぞ、という意味もあるんだろうか? 女と男、一体どっちに感謝するんだと氏を問いただしたい所ではある。
男どもの濃い中の生、年上の女性への下にも置かぬ思い、「ああ五十年 身に余る」はどっちだか小生には分らぬ。どっちもだと言ってくれるより、小市民の小生としてはなぜかしらはっきりしたい所なんだよ。一に女、二に梶原兄、三に極真の大山総裁。そう解釈した。
ともかくも、不良少年から不良オヤジではあるんだが、空手、文筆、生半可ではなくやってきた・・・やはり大きな不良オヤジですね、年少の小生から見れば。
前にも書いたが、小生の時代は、真樹日佐夫氏の兄上である梶原一騎氏に創られたような時代である。何ともはや・・・の偉大なる兄弟だ・・・・。でも不良なんだよね。まあ、アウトロー万歳、小生もその時代の一片である。しかし小生の場合は、そう影響されて思ってきたこと、彼等兄弟は実践し表したこと、嗚呼凄いねぇと、全く大きな違いにため息をついている。
2012年9月3日月曜日
最近やっている稽古内容の記録
最近やっている稽古内容を記録しておこう。
このブログの更新に空手稽古の内容が少なくなっているが、やっていないのではなくてやることがあまりにあたり前になったので書かなかった。
まずは昼休みのトレーニング。昼休みは20分程度という短い時間だが中身は濃い。加えて水曜日は仕事後に1時間半のサンドバッグトレーニング。土日が道場に行く本格稽古なんだが、肝心のこいつがサボりがち。だって土日は昼からビール飲んでいるし、それがまあ唯一と言ってよい楽しみだし、また適度に用事もあるし。ウム思い出した。よくあるパターンは金曜の宴会で飲み過ぎて、土曜は二日酔い故に稽古に行けず気だるく日を過ごす。次の日曜も結構だるく、年をとると三日酔いのように体力回復できずソファーぐったり怠惰生活というのがよくあるパターンである。
それに比べて週日は結構ハードトレーニングなんだよね。仕事が上手い具合に進まず気も入らないから余計に熱中?ちゅう感じですかね。
だいたい毎週同じローテーション。
月曜。週始め故やる気が出ないケースが半分、残りの半分は日曜の稽古で身体が消耗していてそもそも疲れているケース。トレーニング内容は上半身強化メニュー。
火曜は下半身強化。地味で面白くなく、結構辛い。
水曜は月曜と同じメニュー。
水曜は仕事後、だいたい6時半頃から会社の道場で自主トレを行う。ひたすらサンドバッグ稽古。2分1ラウンドでだいたい下記を行う。計12-15ラウンドくらいやっていることになるのかね。
基本技の確認や鍛錬が主となってしまうので、時にはそうではなくて、徹底してコンビネーションのみでラウンド重ねる必要も感じている。
木曜は火曜の下半身強化メニューを繰り返すが、前日の水曜の疲れや筋肉痛があり、ダレーっとしてサボって内容を薄くする場合が多い。一週間に一度程度のサンドバッグだと、次の日腰の筋肉痛になる。全力の回し蹴りをたたき付け、その反力を腰が受け止めているんだもんね。
金曜はまた上半身強化の月曜メニューと同じ。
月水金は上半身、火木が下半身だ。毎日は腹筋背筋。
以上、記録として。
このブログの更新に空手稽古の内容が少なくなっているが、やっていないのではなくてやることがあまりにあたり前になったので書かなかった。
まずは昼休みのトレーニング。昼休みは20分程度という短い時間だが中身は濃い。加えて水曜日は仕事後に1時間半のサンドバッグトレーニング。土日が道場に行く本格稽古なんだが、肝心のこいつがサボりがち。だって土日は昼からビール飲んでいるし、それがまあ唯一と言ってよい楽しみだし、また適度に用事もあるし。ウム思い出した。よくあるパターンは金曜の宴会で飲み過ぎて、土曜は二日酔い故に稽古に行けず気だるく日を過ごす。次の日曜も結構だるく、年をとると三日酔いのように体力回復できずソファーぐったり怠惰生活というのがよくあるパターンである。
それに比べて週日は結構ハードトレーニングなんだよね。仕事が上手い具合に進まず気も入らないから余計に熱中?ちゅう感じですかね。
だいたい毎週同じローテーション。
月曜。週始め故やる気が出ないケースが半分、残りの半分は日曜の稽古で身体が消耗していてそもそも疲れているケース。トレーニング内容は上半身強化メニュー。
- V字腹筋70回、背筋70回: 昔は50回だったが回数を増やしつつある。
- フライ: 80Kを8→6→5→4回と4セット程度やることが多い。負荷はマシンのMAXでありこれ以上増えない。チェストプレスマシンMAX150Kが、もう少しすると入ってくる。それが楽しみ。入ってくるとそうれをメインにすることになる。
- 懸垂: 広順手、逆手、狭順手と、8回ずつ。3セット目の8回はかなりきつい。この種目は何故だか成長がない。3年前も同じきつさであり、回数も伸びてはいない。
- レッグエクステンション: 35KMAXのマシンしかない為、片足ずつやる。15回3セット、片足ずつ。これもいずれ新しいマシンが入ってくるのが楽しみ。負荷100Kないとね。
- 柔軟の真向法、2セット。この辺で時間切れになる。本当は3セットやりたいのだが。
- ランジースクワット70回
- ダンベルショルダープレス、片方27.5Kで、8→5→3回のパターンが多し。
火曜は下半身強化。地味で面白くなく、結構辛い。
- V字腹筋70回、背筋70回は同じ。こういうのは毎日やるべし。
- ダンベルスクワット、27.5K*2の55K負荷で、12回5セット。
- 腿広げ、腿閉じのマシントレーニング:1各々10回3セット。
- 柔軟の真向法、2セット。
水曜は月曜と同じメニュー。
水曜は仕事後、だいたい6時半頃から会社の道場で自主トレを行う。ひたすらサンドバッグ稽古。2分1ラウンドでだいたい下記を行う。計12-15ラウンドくらいやっていることになるのかね。
- 順突き左右20本、逆突き左右20本
- 下突き左右20本、フック左右20本
- ミドル回し蹴り左右20本
- 下段回し蹴り左右20本
- 1,2パンチ左右20本
- 膝蹴り左右20本
- 1,2,3パンチ左右20本
- 前蹴り左右20本
- たいていこの辺でみっちりと時間をかけて柔軟をする。真向法3セット。
- 上段回し蹴り左30-40本
- 上段回し蹴り右30-40本
- 左右上段、中段回し蹴りの空蹴りを鏡を見ながら1セット
- 1,2パンチ+下突き 或いはミドル回し蹴り、レギュラー構えで
- 同上、左構えで
- 1,2パンチ+下段回し蹴りをレギュラー構えで
- 同上、左構えで
- フリー、レギュラー構えで。構えからノーモーションで技を出すように。
- フリー、左構えで。
基本技の確認や鍛錬が主となってしまうので、時にはそうではなくて、徹底してコンビネーションのみでラウンド重ねる必要も感じている。
木曜は火曜の下半身強化メニューを繰り返すが、前日の水曜の疲れや筋肉痛があり、ダレーっとしてサボって内容を薄くする場合が多い。一週間に一度程度のサンドバッグだと、次の日腰の筋肉痛になる。全力の回し蹴りをたたき付け、その反力を腰が受け止めているんだもんね。
金曜はまた上半身強化の月曜メニューと同じ。
月水金は上半身、火木が下半身だ。毎日は腹筋背筋。
以上、記録として。
2012年9月1日土曜日
世の中に役に立つ年寄りとは?
ううー・・・。既に350缶ビール6本飲んだ。今7本目。本日は土曜の休みで家族は各々出払った。家に残る小生が一人でビールをたしなみつつウダウダしている。
さて、
昔書いた文章ももったいないから、推敲し書き加えて出そうと思っているからなんだが・・・
ちょっとブルーがかっていた時の文章かね、それとも鍛錬を終えて達観した時の余裕の文か?昔故記憶にない。適度に編集を加えつつ出す。
・・・・・・・
さびしい話だが、朝起きて飯を食って会社に行き、まあまあ熱心に働いて夜遅く家に帰りビールを飲んで寝る、と、わずか一行で済む生活をおくっている。あえて付け加えるならば会社で昼飯と晩飯を食っている。日々の糧を得るためとは言え、こりゃあまり血の通った生活じゃないな。ロボットかねぇ。仕事中に交わす会話も事務的かつ目的志向であり、無駄がない。冗談の一つも言えなければいけないと思う。ワ・レ・ワ・レは生きているんだ・・・と。皮肉?
昼休みのトレーニングは人間らしい。でもかなり辛い。ウェイトトレーニングは常に敗北感との付き合いである。と言うのは必ず持ちあがらなくなるまでやるからだ。持ちあがらなくて諦める時には、やはり敗北感を味わうよね。下半身のスクワットはゼイゼイ言いながら行うが、これは100回なら100回と回数決める為、多少の達成感がある。しかし一番嫌な、なんともしんどい種目である。次に柔軟。それは痛みに耐える苦行となっている。
こう書いてくると、なんだ俺は! 苦行こそが1日の中で人間らしい振る舞いと言っているかのようだね。他は無機質の時間? いつまでも伸びる世界をなんとか夢見ようとしているからこそ苦行をしているのか? もう53才、幻想と自己満足の世界かもしれない。でも、こういう考えは大事だと思う。頑張る目的はよく分からぬが、頑張っていれば何とか成るという考え・・・だ。
人は先に進みたい、進めるような気がするから生きているんだと思う。年寄りが大事にされてきた時代がある。集団として生き抜く為に年寄りの知恵や権威が必要であった。そんな昔のように、「年寄りが大切にされた」と何となく心情的に郷愁に浸っている場合ではないと思うんだよね。人間は動物であり、動物は種族保存の最適性の中に行動が現れる。年寄りが必要な時は、必要だった、ということだけだと思うんだ。
若い時は修行の連続。修行の反動で大酒の享楽に遊ぶ。振り子が極端から極端へ振れての青春バンカラだった。それに比べれば今は小市民的な生活をしつつこんな文章を書いている。
修行とは何か?生きるとは何か?その答えを考えることはまた後回しにしよう。小生は随分酔っている。もう少しすると小生も年寄りだ。世の中に役に立つ年寄りとは?を考えなければならないな。
さて、
昔書いた文章ももったいないから、推敲し書き加えて出そうと思っているからなんだが・・・
ちょっとブルーがかっていた時の文章かね、それとも鍛錬を終えて達観した時の余裕の文か?昔故記憶にない。適度に編集を加えつつ出す。
・・・・・・・
さびしい話だが、朝起きて飯を食って会社に行き、まあまあ熱心に働いて夜遅く家に帰りビールを飲んで寝る、と、わずか一行で済む生活をおくっている。あえて付け加えるならば会社で昼飯と晩飯を食っている。日々の糧を得るためとは言え、こりゃあまり血の通った生活じゃないな。ロボットかねぇ。仕事中に交わす会話も事務的かつ目的志向であり、無駄がない。冗談の一つも言えなければいけないと思う。ワ・レ・ワ・レは生きているんだ・・・と。皮肉?
昼休みのトレーニングは人間らしい。でもかなり辛い。ウェイトトレーニングは常に敗北感との付き合いである。と言うのは必ず持ちあがらなくなるまでやるからだ。持ちあがらなくて諦める時には、やはり敗北感を味わうよね。下半身のスクワットはゼイゼイ言いながら行うが、これは100回なら100回と回数決める為、多少の達成感がある。しかし一番嫌な、なんともしんどい種目である。次に柔軟。それは痛みに耐える苦行となっている。
こう書いてくると、なんだ俺は! 苦行こそが1日の中で人間らしい振る舞いと言っているかのようだね。他は無機質の時間? いつまでも伸びる世界をなんとか夢見ようとしているからこそ苦行をしているのか? もう53才、幻想と自己満足の世界かもしれない。でも、こういう考えは大事だと思う。頑張る目的はよく分からぬが、頑張っていれば何とか成るという考え・・・だ。
人は先に進みたい、進めるような気がするから生きているんだと思う。年寄りが大事にされてきた時代がある。集団として生き抜く為に年寄りの知恵や権威が必要であった。そんな昔のように、「年寄りが大切にされた」と何となく心情的に郷愁に浸っている場合ではないと思うんだよね。人間は動物であり、動物は種族保存の最適性の中に行動が現れる。年寄りが必要な時は、必要だった、ということだけだと思うんだ。
若い時は修行の連続。修行の反動で大酒の享楽に遊ぶ。振り子が極端から極端へ振れての青春バンカラだった。それに比べれば今は小市民的な生活をしつつこんな文章を書いている。
修行とは何か?生きるとは何か?その答えを考えることはまた後回しにしよう。小生は随分酔っている。もう少しすると小生も年寄りだ。世の中に役に立つ年寄りとは?を考えなければならないな。
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