衆議院選挙が終わり、自民大勝、民主惨敗、維新とみんなの党が躍進した。停滞する世の中で、国民の多くが景気回復を挙げ、安倍さんが口先で円安、株価アップに繋げたことが結構アドバンテージではあったが、どうのこうの言っても政権にあった民主の失政である。
空手家もたまには政治を論じてもよいだろう。
下野した期間に変わったとも思えない自民の政権ができるが、選ばれた限りはよく考えてしっかりやってもらいたい。小泉改革以降、政治は常に内向きになってしまったし、マニュフェストで懲りた民主を始め、各政党は昔ながらの後で色々言われないような漠たる公約を述べた。しかもそれがすべて内向きであり、国民への飴がこれまた多い。甘言を弄して選ばれるのは世の常だ。いつも使われる言葉であるが、「この激動の世界情勢の中」我国は如何にして富栄え、また国際社会に貢献して行くのか的な、外への気概がどの候補者からも聞こえなかった。小選挙区になり政治家個人よりも党が強くなり、その管理の下では個人の気概も出ないんだろうね。我々皆小さい人間になってしまったのかね?
維新の会は賑やかであるが、それでも統治機構を改革すると言う内向きの施策がまずある。その手法で以て何を生んで行くのかの100年の大計が欲しいよね。
原発事故があった。私は原発を即時ゼロにする策を何とか考えるべきであると思う。そもそも国家は国民を守る為にある。約6万人(だそうだ)の原発避難民を出して、それでも原発を続けるのか。6万人の国民の日常を守れなかったことをどうするのか。
原発がないと停電が起きる?この1年9カ月、夏が2回過ぎ冬も2回過ぎようとしているが、停電は起きていない。無論節電の努力はある。大事なことは我慢したらできたことだ。原発で安い(?疑問だが)エネルギーを供給しないと日本の産業の国際競争力は無くなると言い、国内では生産に金がかかり物価高になるのだろう。そう言えば総括原価方式も御立派に値を上げている。が、今は物価高どころかデフレをどうしたものかと言っている。国際競争力と言うが、競争にさらされている屋台骨の日本の大企業はもはや堂々たる多国籍企業である。ずーっと前から国内の産業基盤を離れてしまっている。国内は何とか雇用と研究開発の側面で成立させたいとひたすら努力をしているんだが、企業の収益構造は実際、かなり前から海外が主力である。海外活動で競争力維持できない企業は、たとえ電気が安くなろうがそう長くはないと思う。日本独自の特産品で生きる企業は、多少生産に金がかかったとしてもその独自性や高品質を追求すれば生きる道はある。独自、高品質、だから多少高くたって1200兆円の国民資産は、買うものだ。
原子力を持つことは国防上必要だとの意見がある。当たり前だが唯一の被爆国の日本は核武装をしてはならない。広島で16万人が死に、長崎で14万人が死んだ。こんなことを2度と起こしてはならない。まっとうに核兵器廃絶の運動を使命として執念で続けなければならない。もし日本が核武装をしたならば、世界は唖然とするよね。そして日本までも核を持つんだから、きっと来るに違いない動乱の世に備えるべしと軍拡が始まる。こんな世界はいいわけないわなぁ。
高濃度放射線廃棄物は10万年の保管を要する。10万年の設備は人類史上今だない。放射性廃棄物処理の技術開発こそ我国ができればよいと思う。
この選挙戦、原発問題は3番目か4番目くらいの争点だった。景気、外交、消費税、TPPの中にあった。
もう一度言う。国家は国民を守る為にある。6万人を故郷から離して、原発を維持することで1億2千万人のエネルギー基盤と生活を守っていると言うのは全くの詭弁だ。それは政治が何もしないにも拘らず、1億2千万人が今まで通り勤勉に働いているからちゃんと居るだけのことだ。先に起きた具体的な体験に国家として、実際的かつ哲学的にもきちんと対処しないと政治ではない。
0増5減を成立させ、「身を切る改革」として定数削減を民主、自民、公明が早期にやることの約束を求めてから、野田総理は衆議院を解散した。マスコミは相変わらず踊ったが、これは増税を課してしまった男の矜持であると思う。大勝した自民は果たして真面目に取り組むのであろうか。これを真面目にやるのかどうかを政治への信頼の尺度としたい。大勝して自公で3分の2の議席を占めた今、現状維持としたいのが本心であろう。衆院の定数削減を完了すると、それじゃあ新しく定めた憲法違反でない定数と区割りでもう一度選挙すべきだの声がでる。そんなことは自公、やりたくはないよね。しかし信頼できる政治はそれをやるべきだと思う。それでこそ選良達である。
安倍政権にはやりたいことをきちんとやると腹をくくっていることを期待したい。飴ではなく大計を述べる中で、明日への希望の、形あるコトを成してもらいたい。時間はあるようでない。定数削減したら周知期間をおいた後にさっさと解散だ。失政で以て大勝なんて仮の姿である。自らを存続させる技ではなくて、善きことを成せる知力と行動を示して次の世代の見本となることを。彼らが志を持せるように。我々は我々を信じたい。
2012年12月3日月曜日
梅酸も酸味 敗戦もまた酸
梅酸も酸味
敗戦もまた酸
同じからずといえども似たり
心舌を超えて甘し
魏の曹操孟徳が大敗北の時に吟じた詩である。
こんな風に格好よく、超絶して詠めるのならよいが・・・
はぁー、大きな悔いの残る敗戦だった。俺は空手が下手である。試合では技も何もなく押し合いをやってしまった。何の為に技を練習してきたのか・・・はぁ。
本番に弱い。昔は強かったような気がするんだが、やれやれ。心の余裕がないもんだから闘いながら考えていない。本戦で引き分けたが、こっちが下がることが多かったなら、延長では戦法を変えんとイカン。
反省して次につなげなければ。
組手ではジグザグに動かねばならない。重い相手が前に出てくるのを止めようとしても止るものじゃない。いくらパンチを打ってもガタイのどっしりとした相手に拳サポータつけてのパンチはそうそう効かない。今回の敗因はもろに真正面から押し合ったこと。俺もガタイはあるんだがどうも前へ出る力を利用するのが下手でしょーがない。出てくる相手に間合いを取ろうとしていると下がることになった。パンチ力はあると思うんだがアドレナリン満載の相手を下がりつつの一撃で倒せるものではない。左斜め前方に出て右のミドルを思い切り蹴り込むとか、右に一歩進めて左ミドルを蹴るとか、ジグザグの動きの中で技を出せるようにならんとイカン。今回思い知った後で頭に植え付けるのは、ジグザグに動きながら攻撃するということ。動いてないと脱力した攻撃も出ない。踏みとどまったその場から力んだ技を出しても駄目だ。
前に出るということ。腰を引いてパンチやキックをやっても駄目。足を進め腰から前に出るように身体の使い方を直すこと。「重力利用の空手」にハタと手を打っていたんだが、それもすっかり忘れていた。重力利用は少なくとも重力を利用して前に出ることだ。
明日からは・・、斜めに出て膝蹴りとミドルをこれから集中的にやろう。間合いが詰まった時には前には出られないが斜めには出られるはずだ。特に近距離を制する膝蹴り。
また短い試合時間ではあるが、幾つかの技を繰り出してどの技が相手に効くかを観ながら闘いを組み立てられるようになることも大事だ。ただこれはもっともっと組手慣れしないと無理ではある。
圧倒的に強い人は多い。捲土重来を期すと言ったとしても俺のレベルだけの話。もっと強い世界に挑戦する気持ちを持って言っている訳ではない。マスターズと言う俺の出場クラスにおける話だけだ。はるかに強くて怖い世界を今日さんざぱら見てきた。あの猛者連中の中で、年をとっても強い空手があると言う宇城憲治氏の理論は・・・はたして信じられるのだろうか。達人の境地の氏の理論は理論として理解できるだけである。実践に繋げるには。
何度目かの、はぁ・・・。しかして53歳の俺はどこに行くんだろうねぇ。だがなぁ、この落とし前はつけねば。今日の試合は練習していたことを全て忘れた試合だった。これからも日々の稽古と思考を地道に続けることしかないんだが、しばらくは唯ガックリに浸る。
先日の試合に負け、多くを感じて多くを述べたが、その、多くのみの雑文悪文になった。上に書いたことは当たってはいるが、深くにあるであろう本質には届いていない。本質は冒頭に書いた曹操の詩であるかもしれない。
敗戦もまた酸
同じからずといえども似たり
心舌を超えて甘し
魏の曹操孟徳が大敗北の時に吟じた詩である。
こんな風に格好よく、超絶して詠めるのならよいが・・・
はぁー、大きな悔いの残る敗戦だった。俺は空手が下手である。試合では技も何もなく押し合いをやってしまった。何の為に技を練習してきたのか・・・はぁ。
本番に弱い。昔は強かったような気がするんだが、やれやれ。心の余裕がないもんだから闘いながら考えていない。本戦で引き分けたが、こっちが下がることが多かったなら、延長では戦法を変えんとイカン。
反省して次につなげなければ。
組手ではジグザグに動かねばならない。重い相手が前に出てくるのを止めようとしても止るものじゃない。いくらパンチを打ってもガタイのどっしりとした相手に拳サポータつけてのパンチはそうそう効かない。今回の敗因はもろに真正面から押し合ったこと。俺もガタイはあるんだがどうも前へ出る力を利用するのが下手でしょーがない。出てくる相手に間合いを取ろうとしていると下がることになった。パンチ力はあると思うんだがアドレナリン満載の相手を下がりつつの一撃で倒せるものではない。左斜め前方に出て右のミドルを思い切り蹴り込むとか、右に一歩進めて左ミドルを蹴るとか、ジグザグの動きの中で技を出せるようにならんとイカン。今回思い知った後で頭に植え付けるのは、ジグザグに動きながら攻撃するということ。動いてないと脱力した攻撃も出ない。踏みとどまったその場から力んだ技を出しても駄目だ。
前に出るということ。腰を引いてパンチやキックをやっても駄目。足を進め腰から前に出るように身体の使い方を直すこと。「重力利用の空手」にハタと手を打っていたんだが、それもすっかり忘れていた。重力利用は少なくとも重力を利用して前に出ることだ。
明日からは・・、斜めに出て膝蹴りとミドルをこれから集中的にやろう。間合いが詰まった時には前には出られないが斜めには出られるはずだ。特に近距離を制する膝蹴り。
また短い試合時間ではあるが、幾つかの技を繰り出してどの技が相手に効くかを観ながら闘いを組み立てられるようになることも大事だ。ただこれはもっともっと組手慣れしないと無理ではある。
圧倒的に強い人は多い。捲土重来を期すと言ったとしても俺のレベルだけの話。もっと強い世界に挑戦する気持ちを持って言っている訳ではない。マスターズと言う俺の出場クラスにおける話だけだ。はるかに強くて怖い世界を今日さんざぱら見てきた。あの猛者連中の中で、年をとっても強い空手があると言う宇城憲治氏の理論は・・・はたして信じられるのだろうか。達人の境地の氏の理論は理論として理解できるだけである。実践に繋げるには。
何度目かの、はぁ・・・。しかして53歳の俺はどこに行くんだろうねぇ。だがなぁ、この落とし前はつけねば。今日の試合は練習していたことを全て忘れた試合だった。これからも日々の稽古と思考を地道に続けることしかないんだが、しばらくは唯ガックリに浸る。
先日の試合に負け、多くを感じて多くを述べたが、その、多くのみの雑文悪文になった。上に書いたことは当たってはいるが、深くにあるであろう本質には届いていない。本質は冒頭に書いた曹操の詩であるかもしれない。
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