2012年2月27日月曜日

あっさりと7年間

2005年の2月に現道場に入門してもう7年が経った。本当に早いものだ。白帯から入り色帯を経て4年半後に黒帯となった。50才になっていた。それでも俺の場合、元々学生時代に伝統派をやり、2002年頃から1年半程芦原空手もやったので、ベースの力はそれなりにあり他の道場生よりも早い昇段となっている。

 社会人の空手は中々に時間も取れずに、また年もとっているので上達が早いとは言えない。それに比べ少年達の上達は眼を見張るばかりだ。小学校の低学年であったちっちゃな拳士が、中学高校になり堂々たる技を出す。俺よりもはるかに上手い。

 7年も経たが仕事をやりながら続けてきたせいもあり、大学時代のあの濃厚な4年間に比べれば、それ程思い出もなく淡々としたものだ。月日だけが過ぎた感がある。泣きながらでも連れて行った息子は5年前に空手を止めている。そうだ、もう5年も経った、己一人で淡々と。

 試合には何度か出たが、どうも最後に締まらぬ。地域の大会で準優勝が2回。これから念願の優勝を目指しもうひと頑張りするかどうかは・・・さしあたってまだ気合が乗っていない。黒帯になってどうも悩むこと多くなり、稽古に行かない日々も続いた。50才を過ぎて人を傷つけたくないし、自分も怪我をするのは御免で、そもそも何故まだ闘うのか、どういう意義があるのかという根源的な疑問である。若い時は強くなって行く自分の腕試しであり、何も考えずに純粋にトーナメントのチャンピオンを目指した。そんな風に単純に考えられなくなった。近々で言えば、2カ月半程道場を休んだ後、復帰し、結局また淡々とやっている。答えが見つからないが人生でもっとも長く続けて来ている空手であるから、続けないと意味がないとしているだけだ。

 本日は今度昇段を目指す道士の稽古として、10人組手中スパーリングを2回参加した。彼は俺より古い道場生だがここ2,3年ほとんど道場には来ず、ずーっと茶帯のままだったがどういう気持ちの変化か、最近復帰し黒帯を目指すこととしたらしい。年はまだ30代前半、これからも伸びる可能性を持っている。何年か前に来た時にはウェイトに励んでいたらしく身体が大きかったが、最近はかなり絞ったようだ。10人組手完遂のためのスタミナの方をかなり積んだと思う。以前は実力者クラスの試合に出て、いい勝負を繰り返していた。俺と約束組手やスパーリングするときも多少力を抜いてやさしくしてくれていた。まずは彼がいち早くかつての力を取り戻すことを祈る。かつての力は十分黒帯に見合うものであるから。

 7年間を多少思い起こそうかと思い書き始めたが、あっさりしたものである。ところがさすがに出た試合の情景や昇級・昇段試験は思い出そうとすればかなりの程度思い出せる。そういうイベントと言うものは濃いものなんだなぁ。また出ないといかんようだ。

2012年2月15日水曜日

最近

ここ1カ月はかろうじて週1回の道場稽古。昼休みは、約15分程度のウェイトを一日おきくらいか。細々と続けている感じだ。

昼休みトレーニングは楽な気持ちで少しの時間でもやろうとしている。昔は少なくとも20分以上の時間が取れなければ、ルーチンのウェイトと柔軟ができないのが確かである故、する気が無くなり頻度が減っていた。それでも8年間昼休みトレーニングを続けていると言ってよい。最近になってようやく気負いと言うか、義務感、強迫観念から逃れて、例え1種目でもよいので昼休みにちょっと行ってやるようになった。無論時間を長くとれるに越したことはない。本日は、ランジスクワット50回、バタフライ3セット、V字腹筋60回、背筋40回で15分。柔軟の時間はとれなかった。

道場稽古でスパーリングを先日少しやったが、相変わらず力任せでヘタである。きちんと課題を持ってスパーリングに臨まなければいけないのだが、久しぶりでもあり大味で愉しんだと言う感覚であろうか、単にやったというのみ。

小生53才になったがウェイトをそれなりにやっていることもあり力は強い。ガタイもあるのでついつい攻防の技を試すのではなく、何にも考えずに攻撃したり受けたりしがちである。スパーリングだからではあるが、相手の技は何一つ応えないので受けもしないこと多であり、ようするにヘタである。

体力の衰えを前提とし、力勝負ではない格闘の技としての空手を身につけなければならない。それは以前から何度も思っているのだが、ついつい力勝負をしてしまう。

昔感銘を受けた芦原空手のサバキを身につけたいのだが、稽古の間中常にサバキを考えていないとだめだ。スパーリング時には少なくとも緑帯以上ならば、そんなに簡単に道着の袖は掴めない。代表的なサバキはパンチ攻撃をそらせてから相手の袖をつかみ、崩しに持って行く。後の先を常に頭においてサバキをやるぞという姿勢でないとまず無理だ。今度のスパーリングはそれで行こう。後の先、そして掴みから崩し。それだけを頭においてやってみるべし。