学生時代はよく試合に出た。大きな大会でチャンピオンになることには遠かったが、流派のローカルな大会では時折優勝していた。怖れを抱きながら試合場に立ち、相手に勝つことを求めた。「強いから勝つのではない。勝つから強いんだ。」という言葉を妙に気に入っていたもんだ。
今も一年に一回くらいは試合に出るが、どうも闘争心が無くなった。と言うよりも、相手を傷つけ自分も傷つく闘いにどうにも意義が見出せなくなっている。試合とは鍛錬した技を試す場であり、それに付き合ってくれる相手に感謝しつつ、という考えをしようとは思っているんだが、完璧には腑に落ちない。そう考えて行くと、つまりは一体何のために空手を続けているのか、という問いに迄至ってしまう。若い頃から続けてきたただ一つのことだから、が今の回答である。
若い頃は、「武道の精神」なるものを学び、その道を以って生活を律しようとしていた。今は?そういう精神性は皆無である。普通にサラリーマンになり普通にオヤジになった。
ただ、道場で若い子達とともに稽古することは面白い。強くなっていく彼らの熱にあたりかなりハードに熱心にやってしまう。自主トレでハードにやることも多いが、やはり老若男女の道士とともにやるのがよい。伸びて行く彼らを見つつ、50を過ぎた自分もまだまだ強くなるぞ、などと普通に思ってやってしまっている。
妻は、「で、何を求めているの?どうなるの?」と問う。その明快な回答はなく、やはりずーっと昔から励んできたただ一つのものだから、である。答えはまだ先にあるんだろう、とも思う。その内老境に至るぞ、こりゃ。